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再びの旅支度

再びの旅支度


翌日、藩庁から志麻に呼び出しがあった。行ってみると半次郎の父、大目付の蜂須賀斧八郎が御用部屋で待っていた。息子に劣らず、蝦蟇が欠伸あくびをしたような顔付きをしている。

「黒霧志麻、此度は仇討ち本懐、祝着に存ずる」斧八郎は下座に控える志麻に向かって事務的に言った。

「半次郎に聞いたぞ、腕を上げたそうだな?」これは多分に皮肉の響きがあった。きっと半次郎が昨日の事を都合の良いように報告したのだろう。

「大目付様、仇討ち本懐は只々運が良かっただけの事、決して私の剣の腕が優ったからではありませぬ」

「そう謙遜致すな、さぞお父上も鼻の高い事であろう」

「いえ、両親には要らぬ心配をかけてしまいました」

「誠にな、跳ねっ返りの娘を持った親父殿はさぞ心配であろう」

「それは、どういう意味にございますか?」今度は明らかに侮蔑の意味が込められている。

「いや、こちらの事、気に致すな・・・ところで、殿から特別の御沙汰があった」斧八郎が声音を改めた。

「特別の御沙汰とは?」

「殿直々にその方にお言葉を賜るそうじゃ」

「・・・」

「女の身の上でありながら、見事仇を討った女丈夫の勇姿を一目ご覧になりたいとの仰せじゃ」

冗談じゃない、女だの勇姿だの、私は見せ物じゃないわよ・・・

「私などとても殿の御前に赴ける身分ではありません」遠回しに拒否の意を匂わせた。

「心配致すな、これは殿の命じゃ、誰も意を唱える者などおらぬ」

「しかし・・・」

「只今も申した通り、これは殿の命じゃ、否は許されぬ」

「は、はい・・・」

「良いな、明後日の朝五つ、遅れぬように登城いたせ」

そう言い切られて、志麻は返す言葉も見つからず御用部屋を出た。

「ふぅ・・・面倒なことになっちゃった」

家に帰る道すがら、志麻は何度もため息を吐いた。


*******


「そうか、殿が御言葉をな・・・」複雑な表情で仁左衛門が言った。

「父上、今、殿の周りは佐幕派が固めているのでは・・・」隼人が訊いた。

「うむ、家老の秋山隠岐に大目付の蜂須賀斧八郎、それにそいつらの息のかかった連中が大勢いる」

「今回の志麻のお呼び出し、何かキナ臭い匂いが致しますが?」

「お前もそう思うか?」

御用部屋から戻って報告すると、二人は何やら困った顔で話し始めた。

「父上、兄上、私が殿の御前に上がるのがそんなに困ったことになるのですか?」

「志麻、お前にはまだ話していなかったが、今この津藩は佐幕派と勤皇派に分かれて水面下で争っておる」

「それは右京さんに聞きました」

「殿は今、佐幕派の連中に担がれている。もう察しはついていると思うが我等は勤皇派だ」

「はい、帰ってきた日の兄上の様子から、なんとなく感じておりました」

「そうか、なら話が早い。お前が御前に上がることで佐幕派の連中に利用されるのではないかと懸念しておるのじゃ」

「でも、私は武士ではありません、私がどう動こうと政には何の影響も無いではありませぬか?」

「話はそれほど単純では無い。」

「え・・・?」

「勤皇だ佐幕だと言っても、どちらも攘夷という点では一致している」

「攘夷って、武力で夷狄を排除すると言う事ですよね?」

「そうだ。だが両派の中に少数だが開国派もいる」

「開国?外国に国を開くのですか?」

「ああ、既に横浜と函館も開いたし、天下の趨勢としては開国だ」

「じゃあ、どうして今さら攘夷なんて?」

「攘夷と言ってもやり方は色々だ、開国して国を富まし、武力を整えた上で攘夷を断行すると言う考え方もある。言わば消極的開国だが、今は鎖国のまま断行すべきだと言う意見が体勢を占めている。どちらにしても、要は天皇と将軍どちらを頭に戴いて攘夷を行うかと言う事なのだが・・・」

「そこに、積極的開国を主張する者が出て来た」

「積極的開国?」

「攘夷などやめて積極的に開国し、貿易で日本を世界の一等国の仲間入りさせようという主張だ」

「あ、私その意見に賛成!」

「だが、まだまだ数が少ない、今そんな事を言いだせば、あっという間に潰されてしまうだろう」

「勤皇攘夷派の中に開国派と鎖国派があり、佐幕攘夷派の中にも同じ派閥がある、それに今言った積極的開国派が入り乱れて四つ巴、いや五つ巴の睨み合いになっている。誰がどの派か互いに腹の探り合いだ」

「ややっこしい・・・」志麻は溜息を吐いた。

「その為、どの派も今一つ士気が上がらずにいる。だから皆お前を欲しがっているのだ」

「え、なんで私を?」

「考えてもみろ、幕府開闢以来二百六十年泰平の世が続いているのだ、武士の志気は弛みに緩みきっている。五代将軍綱吉公の御代に既にその兆候があった。赤穂浪士の討ち入りが良い例だ。緩み切った武士達に喝を入れる為、各藩とも浪士達を召し抱えたがったのだ。仇討ちを成就したお前は赤穂浪士と同じだ」

「え!」

「儂はお前を藩の争いに巻き込見たくはない。だが、殿の御召しを無碍にするのも憚られる」

「父上、では、私はどうすれば?」

「明後日の御召を無事終えたら、その足で江戸へ発て」

「え、でもそれでは父上にご迷惑を・・・」

「後の事は、儂がなんとかする。それよりも、せっかく帰って来たのにまたこのような事になって・・・すまぬのぅ」

「いえ・・・」

「明日は一日、母上に孝行するが良い。栄には儂からよう言い含めておくでな」

「はい・・・」

志麻は、帰郷してから僅か五日後には再び江戸に向けて旅立たねばならぬ事になった。


*******


翌朝、志麻は栄と連れ立って家を出た。

「さて、何処に行きましょうかね?」栄は娘のようにはしゃいでいる。「藩主様の菩提所に詣でて、芝居見物をして、それから・・・」

「母上、私はそんな・・・」志麻は今日でまた母と会えなくなるのかと思うと、とてもそんな気になれない。

「あなたは見張られています」栄が声を潜めた。

「え?」

思わず首を回らすと栄に制された。

顔を動かさないようにそっと辺りを伺った。隣の屋敷の塀の陰や、道脇の松の木の背後に人影らしきものが動く。

「あなたは、大石内蔵助になるのですよ」栄は声に力を込めた。芝居で見る大星由良之助は、敵を欺くため遊興三昧に耽ったのだ。

「わ、私、結城神社の参道にある名物のお団子が食べたい!」志麻もわざとはしゃいで陽気に振舞う事にした。

「そ、じゃ行きましょうか!」栄も明るく答える。

二人はまるで仲の良い姉妹のように、腕を組んで歩き出した。


*******


一日中外を歩き回って、そろそろ陽も暮れかけた頃、漸く尾行者の影が消えた。それにしても良くここまで尾行が続けられたものだと感心する。改めてご苦労様と言ってやりたい。

「では、これから最終目的地に向かいます」栄が言った。

「え、まだあるの?」

「当たり前でしょう、あなたは明日江戸に発つのよ」

「そ、それはそうだけど・・・」

「いいから黙って着いてきなさい」

今まで志麻との時間を本当に楽しんでいたように見えた栄の顔が、急に厳しく引き締まった。

志麻は黙って栄の後に着いて歩き出す。

いつしか岩田川を越えて、町人町に足を踏み入れた。

初代津藩主藤堂高虎公が四国伊予の今治から移封された時、国元から連れてきた町人達を岩田川の南に住わせた。それが伊予町である。栄は町の目貫通りに大店を構える『河野屋』の前で足を止めた。

「ここ・・・呉服屋じゃない?」志麻は立派な古代杉の看板を見上げた。

「そ、ここが今日の最終目的地」

「入るわよ」栄はさっさと先に立って『河野屋』に入って行った。

店の帳場に座って算盤を弾いていた男が立ち上がって出てきた。框付近で跪き頭を下げる。

「これはこれは奥方様、お待ち致しておりました。お連れ様がお待ちです、ささ、お二階へお上がりください」男は先に立って案内してくれた。

「造作をかけます」栄は鷹揚に頷き、上がり框に足をかけた。

「志麻いらっしゃい」

志麻は訳のわからないまま、栄に着いて二階への階段を上って行った。

「こちらでございます」

廊下の突き当たりの部屋の前で男は止まった。中に入るつもりはなさそうだ。

「どうぞごゆっくり、主人は後ほど参ります」

そう言うと廊下を戻って階段を降りて行った。

栄は襖の前で跪き声をかけた。

「お待たせ致しました」

「どうぞ、お入りください」

聞き覚えのある声が返ってきた。

栄が志麻を振り返って頷き、襖の引き手を静かに引いた。

「う、右京さん!」

行燈の灯りに照らされて右京の横顔が笑っている。

栄は右京の正面に手をついて頭を下げた。

「この度は志麻の為に御手数をおかけ致します」

「母上、これはどう言う事ですか?」

志麻は思わず訊いてしまった。

「明日、殿の御前にあがるのに、旅支度では行けないでしょう?」

突っ立ったままの志麻に栄が言った。

「お城を下がったら、お前は家には帰らず直接ここに来るのです。そして、ここで旅支度を整えて江戸に向かいなさい」

「わかりました、でも、どうして右京さんがここに?」

「右京様には船の手配をお願いしたのです」

「船?」

「私が説明致しましょう」右京が言った。「志麻、取り敢えず座れ」

志麻は言われるままに栄の隣に座した。

「志麻、皆がお前を欲しいと狙っている事は知っているな?」

「それは昨夜、父と兄に聞きました」

「もし、お前が断ったら、お前をどこにも取られたくない奴らは、今度はお前の命を狙ってくるだろう」

「そんな・・・」

「だから、そうなる前にお前をここから逃がしたいのだ」

「でも、どうして船?」

「ここは我が藩の領内だぞ、陸路では直ぐに手が回ってしまうだろう?」

「あ、そうか・・・」

「今、伊勢の湊に、小型の蒸気船が碇泊している。その船に乗る手筈を整えておいた」

「蒸気船?外国の?」

「いや、いろは丸という日本の船だ。最近長崎に亀山社中という商社が出来たのは知っているか?」

「知りません、その商社と言うのはなんですか?」

「簡単に言えば外国と交易するための講みたいなものだ」

「講?」

「仲間・・・と言うくらいの意味かな」

「なんだかよくわからない」志麻にとっては初めて聞く話だ。

「とにかく、その船は荷を積んで江戸へ向かう。お前は手が回る前になんとしてもその船に乗り込め。そうすれば、津の藩士は手が出せん」

「でも、どうしてそんな船に乗れるの?」

その時、階段を上る足音が聞こえて廊下の外で止まった。

「『河野屋の主人あるじ、清兵衛でございます」

「どうぞお入りください」右京が答える。

襖が開いて壮年の男が顔を覗かせた。

「丁度良かった、清兵衛さんに説明してもらおう」

「はい、なんでございましょう?」

「この娘が、なんで蒸気船なんかに乗れるんだ、と聞くんだ」

「ははは、その事ですか・・・」

清兵衛は志麻に向き直った。

「改めまして、この店の主人河野屋清兵衛でございます」

「黒霧・・・志麻です」

「志麻様はこの伊予町の由来は知っておられましょうな?」

「はい、初代藩主、藤堂高虎公が元の領地からお連れになった町人によって形成された町だと・・・」

「伊予は村上水軍の本拠地、あまり知られてはおりませんが、我々はその末裔なのですよ」

「それといろは丸と、どう言う関係が?」

「いろは丸は伊予大洲藩所有の蒸気船です、それを亀山社中が借り受けて使っている。今でも船のことに関しては、伊予水軍の力が隠然と影響力を持っているのです」

「俺の父は、この河野屋さんとは懇意でね、それで、亀山社中に清兵衛さんから話を通してもらった、と言う訳だ」

「御奉行様には何かと便宜を取り計らって頂いておりますので・・・」

右京の父、正木出雲と河野屋の関係も気になるが、今はその事に拘っている時では無い。

「分かったわ、明日お城を出たらここに来て、旅支度を整えたら直ぐに伊勢の湊に行って、いろは丸と言う蒸気船に乗り込めばいいのね?」

「そうだ、その際この書状を渡せ」

右京が懐から一通の書状を出して、志麻に手渡した。

宛名を見ると坂本龍馬殿と書いてある。裏書は右京の父の名前だ。

「この坂本龍馬という人が、いろは丸の船長なのですか?」

「いや、坂本さんは亀山社中を興した人だ。今回いろは丸に乗り込んで江戸に向かっていると聞いた」

とにかく、言う通りにするしかない。志麻は書状を懐に入れた。

「志麻、私は少し河野屋さんとお話があります。終わったらまた上がって来るので暫くここで待っていなさい」

「はい・・・」

栄は清兵衛と共に座敷を出て行った。

「志麻、せっかく帰って来たと言うのに、また出て行かねばならなくなったな」

二人きりになると、右京が志麻を見つめて言った。

「そんな事より、先生は?」志麻は一番気掛かりな事を訊いた。

「大事ない、あれから直ぐ目を覚まされてお前の事を案じておられたぞ」

「そう、良かった・・・」

「今日は、先生からあるものを預かってきた」

「あるもの?」

「これだ」

右京が傍らに置いてあった風呂敷包みを手に取った。

「なんです?」

「開けて見ろ」

志麻が包みを開くと、中から一振りの刀が出てきた。

「これは・・・」

「お前の刀は折れただろう?刀が無くばお前の身が危ないと仰って、これを俺に託されたのだ」

「先生が・・・」

志麻は折れた鬼神丸を鞘に納めて持っていた。いずれどこかの寺で供養してもらおうと思っている。

「無銘だが、志麻の体格には丁度良いと仰っていたぞ」

志麻は刀を抜いてみた。直刃だが反りの深い、元は太刀であっただろうと思われる刀だ。

「これを私に?」

「先生のお心遣いだ、大事にしろよ」

志麻は刀を鞘に納めて、両手で目の上に差し上げた。

「有り難く頂戴致します」

右京が満足そうに頷いた。

「さて、その折れた妖刀だが・・・」

「この鬼神丸は、たびたび私の命を救ってくれました。いずれ何処かの寺で手厚く供養してやりたいと思っています」

「うん、だが旅立ちは明日だ、荷物は極力少ない方が良かろう。供養している時間は無い」

「しかし、とても捨てる気にはなれません」

「ならばこうしよう、その刀はお前が戻るまで奥山道場で預かる」

「え?」

「だから、必ず戻って来るのだぞ」

志麻は右京の心遣いが有り難かった。いずれ藩の騒動、否、この国の騒動も収まる時が来る。その時までに鬼神丸と別れる心の整理をつけておけば良い。そして整理がついたら、その時こそ、ちゃんと供養をしてやろう。

「はい、必ず戻ってきます。その時まで、鬼神丸をお願い致します」

志麻は右京に向かって、深々と頭を下げていた。


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