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小猿は二種類の毒を用意していた。

一つは遅効性のヒ素毒、もう一つは即効性のトリカブトの毒だ。

『この井戸にヒソ毒を投げ込めば、いずれ山形屋を殺る事は出来る。しかし、それには時間がかかる、それに関係のない手代や丁稚まで殺すのは俺の本意じゃねぇ。この鰹が店の下っ端の口に入ることはまずねぇだろう。タタキにしてニンニクと一緒に出しゃトリカブトの匂いを誤魔化せる。よぉし、もう一芝居打つか・・・』

小猿は柵に捌いた鰹を持って台所へと入って行った。

「早いね、もう刺身に出来たのかい?」

さっきの女中が声をかけてきた。

「姐さん、俺っちもそう思ったんだがこの鰹は刺身じゃ勿体ねぇ」

「へぇ、それじゃどうするんだい?」

「これだけ脂が乗ってりゃタタキが絶品だ」

「だろうけどさ、そんな暇ないんだよ、もうじき朝ごはんが始まっちまう」

「姐さんにお手間は取らせねぇ、あっしが料って差し上げやすよ」

「そんな、そこまで手間かけさせちゃ悪いじゃないか・・・」

「いえ、せっかくの戻り鰹だ、あっしも山形屋さんには最高の味を味わって貰いてぇんでやす。その代わりこれからも贔屓にして貰えばあっしの顔も立つってもんで」

女中はちょっと考える風をしたが、美味い料理を出せば主人も喜ぶだろうと得心した。

「そうかい・・・そんなに言うんならやってもらおうかねぇ」

「そうこなくっちゃ、姐さん藁はありますかい、それにニンニク?」

「ああ、ニンニクはそこの笊の中に転がってる。藁束は火付け用に土間の隅に積んであるけど、何に使うんだい?」

「鰹のタタキは藁であぶるのが一番でさぁ!」


小猿は台所の隅から藁束を抱えて来ると空いているかまどに火を着けた。


*******


「みんな揃ったかい?」

上座に着いた伊兵衛が、板の間に並んだ店の者を見渡した。

客人である一刀斎や志麻とお紺も同席している。

山形屋では店の主人から使用人に至るまで、同じ板の間で同じものを食すのが習慣だ。

「旦那様、皆揃っております」手代の長吉が報告した。

「そうかい、では頂くとしよう・・・おや?」

伊兵衛が箱膳の上を見て首を傾げた。

「これは何だい?」

「はい、鰹のタタキでございます」長吉が答える。

「それは見ればわかる、なぜ朝からこのような贅沢なおかずが膳に並ぶ?しかも上座に座った我々にだけ?」

「は、はい、確か女中のおかねが良い鰹が手に入ったからと・・・」

長吉はしどろもどろに言い訳を始めた。

「おかねはどこです?」

伊兵衛が訊くと、おかねが末席から声を上げた。

「はい、ここに・・・」

「おかね、なぜ山形屋の決まりを破ってこのようなことをした?」

「は、はい・・・今朝新顔の魚屋が良い鰹が手に入ったから是非旦那様に食べて欲しいと・・・それにお客様にも喜んでいただけると思って・・・」

「新顔の魚屋?」

大番頭の吉兵衛が低い声で訊いた。

「はい、いつもの魚屋が風邪とかで・・・代わりにご贔屓に願えれば・・・と」

「だったらなぜみんなに行き渡るようにしなかった?」伊兵衛が訊いた。

「あ、あの・・・魚屋が捌いてくれたのがこれだけでして・・・あの、私、勝手なことをしてしまいました、お、お許しください!」

朝の慌しさにかまけて判断を誤ったと気づいたおかねは、床に額を擦り付けた。

「まあいい、これからは気をつけておくれよ」伊兵衛は優しく言って箸を取った。

「美味しそうな鰹のタタキ、わっちはおかねさんにお礼を言いたいね!」お紺が取りなすように言った。

「本当美味しそう、おかねさんありがとう!」志麻もお紺の後押しをする。

「それは何より、おかねも喜ぶでしょう」伊兵衛がお紺と志麻を見てニッコリ笑う。「では、頂きましょうか・・・」

伊兵衛があらためて膳の上のタタキに箸をつけたその時、吉兵衛が声を上げた。

「お待ちなせぇ!」

伊兵衛が怪訝な顔をした。

「どうした、大番頭さん?」

「失礼致しやす!」

いきなり吉兵衛が立ち上がり、伊兵衛の膳のタタキを鷲掴みにして自分の口に放り込んだ。

「吉兵衛、何を・・・!」

伊兵衛が目を丸くして吉兵衛を見た。

吉兵衛は構わずタタキを口の中で咀嚼しゴクリと呑み込んだ。

吉兵衛は立ったまま天井を睨んでいる。誰も声を出せずに吉兵衛を見守った。 

と、突然吉兵衛の様子がおかしくなった。唇が小刻みに震え出し口角からよだれが垂れている。やがて吉兵衛は板の間に膝を折って痙攣すると、大量の胃液を吐き出し、引き攣ったように息を吸ってそのまま前屈みに突っ伏した。

皆動けず、固まったままその様子を見ていた。

「水だ、たらいに水を持って来い!」

一刀斎が駆け寄って吉兵衛を抱き起こす。

「一刀斎、何があったの!」志麻が叫んだ。

「毒だ!多分俺がやられたのと同じトリカブトだ!すぐ吐き出させて胃を洗わねぇと命が危ない!」

一刀斎は吉兵衛の口をこじ開けて手拭いを噛ませ、隙間から二本指を突っ込んで無理矢理吐かせた。

「水を持って来ました!」店の者が盥を差し出す。

「これじゃ水を飲ませられねぇ、漏瑚じょうごはあるか!」

「はい!」おかねが台所に走って漏瑚を取って来る。

一刀斎は吉兵衛の口の中に漏瑚を突っ込むと盥の水を大量に流し込んだ。そして、吉兵衛の躰を支えて胃の中のものを吐かせると、幾度となくそれを繰り返した。

やがて胃の中が綺麗になると吉兵衛の痙攣も治った。だが、吉兵衛の顔色は紙のように白い。

「後は医者に任せるしかあるめぇ、部屋に布団を敷いて寝かせてやんな!」

一刀斎が言うと、伊兵衛が指示して医者が呼ばれ、吉兵衛は奥の座敷に運ばれた。

「一刀斎の旦那・・・」伊兵衛が一刀斎の顔を見た。

「小猿だ・・・奴に間違いねぇ」

「ついに宣戦布告という訳ですか?」

「先手を取られちまったがな、だがこれであちらさんも苦しくなる筈だ。なんせ初手は失敗しちまったんだから」

伊兵衛は黙って頷いた。

「吉兵衛は大丈夫でしょうか?」

「あんだけ腹の座ったおとこだ、そう簡単にゃくたばらねぇよ」

「だと良いのですが・・・」


*******


「峠は越えた、後はゆっくり休ませておあげなさい」

吉兵衛の様子を見ていた老齢の医者は、たらいの水で手を洗うと伊兵衛に告げた。

吉兵衛は顔に赤みを取り戻して、今はぐっすりと寝入っている。

「先生、吉兵衛は助かるでしょうか?」

「うむ、奇跡的な事じゃが」

「ありがとうございます、何とお礼を申し上げたら良いか・・・」

「礼ならそこの御仁に言ってくれ」医者は一刀斎を見た。「あんたの的確な対処が無かったら儂でも助けられんかったじゃろう」

「俺は無我夢中でやっただけだ、吉兵衛さんの生命力が強かっただけじゃねぇのかい?」

「あの毒は巧妙に調合された毒だ、良い加減な対処じゃ助からないよ」

医者が一刀斎の対処を誉めながら座敷を出ると、伊兵衛もその後に続いて出て行った。店先まで見送るつもりなのだろう。

「一刀斎、あんたどこであんな対処の仕方を覚えたんだい?」伊兵衛が後ろ手に襖を閉めるとお紺が聞いた。

「ああ、昔武者修行の旅に出た時、山里の村で教えて貰ったんだ。トリカブトの葉はよもぎとよく似てるんで時々里の人間が間違えて食っちまうらしい」

「ふ〜ん、あんたの修行も無駄じゃなかったんだねぇ」

「あたぼうよ、伊達にヤットウの稽古してきたわけじゃねぇや」

「私も一刀斎を見直したわ、強いのは剣だけかと思ってた」志麻が考え深げに言った。

「ふん、戦いの相手は人間だけじゃないんだぜ」

「そうね、生き抜く為の戦いそのものが武術だもんね」

「お、お前ぇもわかってきたじゃねぇか」

「この旅で幾度か命を狙われてるうちにわかってきたのよ」

「だったら今度の旅は無駄じゃなかったって事だな?」

「ちゃんと生きて帰れたらね」

「違ぇねぇ・・・」


*******


「どうやらしくじったみてぇだな?」

須賀の鉄吉が火皿に煙草を詰めながら小猿を睨め上げた。

「へい、その通りでやす」

小猿はキッチリと鉄造の目を見返した。

「言い訳はしねぇのか?」

「あっしの不手際ですから」

「ふ〜ん、随分と落ち着いてるじゃねぇか?」

小猿は少し鉄造から目を逸らした。

「この手は使いたくなかったんだが・・・」

小猿は奥の手がある事を鉄吉に仄めかした。

「どんな手だ?」

「井戸にヒ素毒を投げ込みやす」

「なぜ最初にそうしなかった?」

「時間がかかりすぎるからです。だが、気付かれた以上背に腹は変えられねぇ、ヒソ毒で少しづつ弱らせておいて、吹き矢でとどめを刺す」

「自信はあるのか?」

「今度こそ奴らの息の根を止めて見せる、もう一度あっしにやらせておくんなせぇ」

「次はねぇぞ」

「分かっておりやす」

鉄吉は小猿を見据えた。

「良いだろう・・・」

「ありがとうごぜぇやす」小猿が膝に拳をおいて頭を下げた。

「今度はしくじるんじゃねぇぞ!」

「へい」

「分かった・・・もう行け」

「へい・・・では失礼致しやす」

小猿は膝で後退ると座敷を出て行った。

「小鉄・・・」

鉄吉は隣の部屋で控えていた子分を小声で呼んだ。

「へい・・・」

小鉄がそっと襖を開けた。

「奴の後を尾行けろ、奴が失敗したらすぐに知らせるんだ・・・いいな」

「へい・・・」


その夜、須賀宿を出た小猿の後を、小鉄が間を置いて付いて行った。


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