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怪我の功名

怪我の功名


「ここか・・・」

三次が建物を見上げて唸った。

大きく張り出した腕木庇ひさしの上に、古代杉の一枚板の看板が掛かっている。月明かりにうっすらと字が読めた。

「『山本屋』・・・屋号だったのか」

深夜ゆえ、当然ながら表の戸は閉まっている。

ドンドンドン・・・

お紺が小さな出入り口の戸を叩く。

「こんばんわ!夜分恐れ入ります!怪我人です、開けてもらえませんか!」

中で人の動く気配がして戸の隙間から光が差した。

「誰です、こんな夜更けに・・・」

迷惑そうな声が聞こえる。

「長五郎さんを連れて来ました、怪我してます、早く開けてください!」

「えっ!」

ガタガタと突っかえ棒を外す音がして戸が開いた。蝋燭の乗った燭台が四人を照らす。

「ぼ、坊ちゃん!」

店の使用人らしき男が慌てた様子で、おぶされている長五郎に駆け寄った。

長五郎は血を大分失ったのか、意識が朦朧としている。

「早く手当てをしないと、中へ入れてください!」志麻が男に言った。

男が、弾かれたように答えた。

「ど、どうぞ入ってください!」

「すぐにお医者を呼んで。それから、お湯と清潔なさらしを用意して!」

テキパキと指示を出す。

男は奥へ駆け込んで行くと、大声で番頭を呼んだ。

「番頭さん大変です!坊ちゃんが大怪我をして運ばれて来ました!」

その間にも大鍋に水を汲んでかまどに掛けている。なかなか気の利く男である。

「どうしたんだね忠吉、そんな大声出して。旦那様はもうお寝みなんだよ・・・」

番頭らしき中年の男が奥から出て来た。

「それどころじゃありません、坊ちゃんが・・・」

番頭は男が指差す方を見ると、雷に打たれたように激しく身を震わせた。

「坊ちゃん、どうなされました!」

「私は医者を叩き起こして連れて来ます、あとは頼みます!」

使用人の男はそう言い残すと、一目散に表に駆け出して行った。

番頭に叩き起こされた女中達が、アタフタと布団を敷いて部屋の準備を整える。

長五郎を寝かせ、お湯とさらしが揃った所に、使用人に連れられて白髪頭の医者が入って来た。

志麻が血止めの手拭いを外すと、医者は顔をしかめた。

「こりゃ酷い、傷が骨まで達しておる」

医者は医療器具の入った道具箱から針と糸を取り出すと、女中に鍋で煮るように命じた。

その間に傷口を綺麗に拭いて、酒精アルコールで消毒した。

年寄りだがなかなか手際が良い、髪を生やしているところを見ると蘭方医なのかも知れない。

「蝋燭をたくさん灯してくれ!」

まんじりともせず時が過ぎ、手術はようやく終わった。長五郎は今、軽い寝息を立てている。

「後は、目が覚めたら滋養のある物を食べさせなさい。なぁに、若いからすぐに回復するよ」

「ありがとうございました、お寝みの所を起こしてしまって・・・」

挨拶をしたのは山本屋の主人あるじ、長次郎である。

「他ならぬ山本屋さんの頼みじゃ断れまい」

「ほんにお手数をお掛けしました」

「明日、傷口の具合を見に来る。では、お大事にな」

医者は立ち上がって部屋を出ようとして、ふと志麻を見た。

「止血をしたのはお前さんかい?」

「はい・・・」志麻は顎を上げて医者を見上げる。

「的確な処置じゃった、あれがなければ今頃は血の大半を失って、死んでいたかも知れん」

「剣術の道場で怪我の手当ては慣れております故」

「そうか、お前さんが居たことは幸運じゃったな・・・」

医者はそう言うと背伸びをしながら部屋を出て行った。

雨戸の隙間から朝日が差し込んでいた。


*******


「本当に、なんとお礼を申し上げて良いのやら・・・」

志麻とお紺は座敷の上座に座らされて、頭を下げた長次郎を見ていた。

三次は仕事があるからと、さっき帰って行ったのだ。

頭を上げると、長次郎が姿勢を改めた。

「弟が大変お世話になりました」

「弟?」

「はい、私が次男で長五郎が五男でございます。他の兄弟は流行病はやりやまいで亡くなったり他へ養子に行ったりして居りません。私が父からこの店を受け継いだので、気楽な長五郎は遊蕩三昧の遊び人になったのでございます」

「じゃあ、今はここに住んでいないの?」お紺が訊いた。

「はい、任侠に憧れて一家を立てるんだと言って出て行きました。街道一の大親分になるのが夢なんだそうでございます」

「あっちにはよく分からないけど、任侠なんてそんなに簡単になれるもんじゃないでしょう?」

「勿論でございます、これに懲りて諦めてくれたら良いのですが・・・」

「なかなか強情そうな弟さんですもんね」

「はあ、手を焼いておるのですよ。本当は店を手伝ってもらいたいのですが・・・あ、いや、こんな事をお二人にお話しするつもりではありませんでした。お忘れ下さい」

「あの、一つお伺いしてもいいですか?」志麻が長次郎に訊いた。

「何でしょう?」

「赤駒一家って、どういう感じのヤクザなんですか?」

「この辺りでは一番大きな博徒の集団です。イカサマ博打でだいぶ儲けているとか」

「でも、あっちは勝たせて貰ってたんだけど・・・」

「そりゃ、姐さんが美形だから油断させておいて、後から何か良からぬ事を企んでいたんじゃないでしょうかね」

「まぁ、美形だなんて・・・じゃあ、危なかったのね。あっちは長五郎さんに助けられたって訳だ」

「弟のした事が、たまたま姐さんを助けたのであれば、不幸中の幸いと言わねばなりません」

「でも、こちらにご迷惑をかけるんじゃ・・・」

「それは、姐さん方の心配する事じゃありません。弟のしでかした不始末はキッチリ私らで落とし前を付けさせて頂きます」長次郎がキッパリと言い切った。

『なに、この人も任侠っぽい・・・』志麻は心の中で呟いた。

「姐さん方は気になさらず、旅をお続けくださいまし・・・つきましては、これは些少さしょうですが」

長次郎が切り餅(二十五両)を一つ二人の前に進めた。

「こんなもの受け取れません!」お紺が両のてのひらを大きく前に突き出して拒んだ。

「いいえ、これは是が非でも受け取って頂かなければ困ります!」

「こっちだって受け取る理由が無い!」

どちらも譲る気配が無い。だが、志麻とお紺にとっては喉から手が出る程欲しい金には違いなかった。何度目かの押し引きの後、ついにお紺が折れた。

「そうまで仰るのなら仕方ありませんわ、ええ、このお金はありがたく頂戴しておきますよ」

「そうしておくんなさい。これで私も少しばかり気が楽になりました」

長次郎がホッとしたような顔をした。

「あの、私たちは黙って出て行きますので、どうかくれぐれも長五郎さんをよろしくお願い致します」

「分かりました、決してもう無茶な真似はさせません」

お紺と志麻はすっかり明るくなった店の外へ出た。

見送りに出てきた長次郎や店の者にお辞儀をして顔を上げると、山本屋の看板の向こうに富士山が神々しい姿でそびえ立っていた。


*******


「へへ、貰っちゃった」お紺がぺろっと舌を出した。

「これで旅が続けられるね」志麻も嬉しそうに笑う。

二人は街道に出ると、次の宿場に向けて足を早めた。


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