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箱根の逆襲

箱根の逆襲


「なにぃ、まだ子供じゃない!」

夜明け前、木賃宿に現れた案内人を見てお紺が声を荒げた。

「お婆ちゃん、私こんな子供に料金なんか払わないわよ!」

老婆が不敵に笑う。

「ふふん、あんたこの子の事をどこまで知ってるんだい?関所抜けに関しちゃ、この子の右に出る者はいないよ」

「信じらんない!」

老婆はあからさまにバカにした顔でお紺を見ている。「あんたも人を見る目が無いねぇ」

「ばあちゃんもう良いよ、信じらんないのなら勝手にすれば良いさ!」

子供がお紺を睨みつけた。

「待って二人とも、お紺さんは散々子供にひどい目にあったから疑心暗鬼になってるのよ」

「志麻ちゃん、あんたは信じるのかい?」

「失敗したらみんな捕まっちゃうのよ、この子もお婆ちゃんも。こんな事で嘘なんかつくとは思えない」

「こっちの姉ちゃんの方が分かってらぁ」子供が言った。

お紺は腕組みをして顎に人差し指を当てる。

「志麻ちゃんがそう言うなら、私は構わないけど・・・」

「ほっほっほ、拙僧もその子には何度も世話になった。なかなかの案内人じゃぞ」

旅の老僧が口を添える。

「お坊さんがそう言うなら・・・ま、いっか!」

腹を括るのも早いお紺であった。

「おいら、イト」子供がお紺の顔を見た。

「イト?」

「イト吉ってんだけど、かっこ悪いからイトって呼んでくれ」

「まぁ、色気付いちゃって!」

「ほっとけよ!」

お紺が笑って自己紹介をする。

「私はお紺、こっちのお姉ちゃんは志麻って言うの、案内よろしく頼むわね」

「イトちゃんよろしくね」志麻がイトに頭を下げた。

「ちゃんはいらねぇ、イトで良い!」

イトが口を尖らせる。

「そう、じゃあイト、行こうか」

「ちょっと待ってくれ」三人が出て行こうとすると薬売りが止めた。「昨日のういろうのお返しだ」

そう言って紙袋をお紺に持たせた。

「何、これ?」

「売り物で悪いんだが越中富山の反魂丹だ、いろんな病に効くぜ。効能はこの紙に書いておいた」

「ありがと、助かるわ」

「気を付けてお行き」老婆が言った。

「さよなら、みなさんお元気でね!」

小田原提灯に灯を入れると、三人は手を振って箱根に向けて歩き出した。


*******


「箱根まで四里八町、昼過ぎには着くけど関所を抜けるのは夜にする、それとも明日の朝早く?」イトが二人を振り返って訊いた。

「箱根まで来て温泉に入らないって法は無いわ、当然今日は箱根に泊まって、出来れば二、三泊したい!」

「お紺さん、それは無理。昨日大盤振る舞いしちゃったでしょ?」

「くそっ!あの巡礼の父娘め〜!」

「自業自得よ」

「二人とも、何かあったのか?」イトが怪訝な表情で訊く。

「いいの!思い出したくも無い!」お紺がそっぽを向いた。


チリン・・・

もうすぐ箱根に着くと言う頃、聞き覚えのある鈴の音を聞いた。

「あっ!あの巡礼の父娘!」お紺が叫んだ。

見るとずっと先の方を、大小二つの白装束が旅人に頭を下げている。

旅人は鷹揚に手を上げて笑っているようだ。

「あいつらまた旅人をカモにしてやがる!」お紺がギリギリと歯軋はぎしりをした。

「あっ!」

「どうしたのお紺さん?」

「予定変更、二人とも手を貸してくんない?」

「予定変更って、何すんのよ?」

「前の二人に一泡吹かせるのさ」

「だって、一度あげたお金を返せだなんて言えないわよ」

「このお紺姐さんがそんなケチな真似するもんですか」

「だったら・・・」

「まぁ、いいから任せておいて・・・イト!あんたにもいい思いさせてあげる!」

「いい思いって・・・なんだ?」

「それは後のお楽しみ。さあ、少し足を早めるわよ!」


お紺は巡礼の父娘を追いかけて、ズンズンと歩いて行った。


*******


「あらっ!奇遇ね、こんな所でまた会えるなんて!」

お紺は大仰に喜んだ振りをした。二人の巡礼は明らかに動揺している。

「そ、その節は大変有難うございました・・・」父親が深々と頭を下げる。

「小田原ではお姿をお見かけしなかったけれど、どこに泊まったの?」

「へい、久し振りに木賃の安宿でゆっくり眠りまして御座います」

『嘘ばっかり・・・』

「そう、それは良かったわ、私も報謝した甲斐があると言うものよ」

「誠におかげさまで・・・」

「でも私、あなた達に悪いことをしちまった気がしてねぇ・・・ずっと悩んでたの」

「へ、何をおっしゃいます・・・?」

「ただお金を上げただけじゃ失礼じゃ無い?それでご利益が頂けるなんてとっても虫のいい話だと思うのね」

「ま、まさか・・・そんな事は」

巡礼は当惑しているが、お紺は最後まで言わせない。

「それでね、今夜私たちの泊まる宿にご招待したいのよ!」

「そ、そんな、とんでもねぇ事で御座います!」

「遠慮しないで、そうしなきゃ私の気が済まないの・・・ね、いいでしょお嬢ちゃん?」

お紺は娘の方を見た。娘はお紺の目を真正面から見据えて答える。

「はい、お誘い喜んでお受け致しますわ」

「お、おい、お加代・・・」父親が慌てて娘を見た。

とと、せっかくのお誘い、お断りしては却って失礼ですわ。謹んでお受け致しましょう」

「お、お加代がそう言うなら・・・」

「あなたお加代ちゃんて言うの、ありがとね、お姉ちゃん嬉しいわ!」

「いえ、こちらこそ・・・」

「私の連れも喜んでるわ、ねえ、志麻ちゃんにイト?」

「ほ、本当!賑やかになって嬉しいわ!」志麻がぎこちなく応える。

「お、おらも嬉しいや、子供同士で話しが合いそうだ・・・ハハハハハ」イトもうまく調子を合わせた。

「その子は、あの時居なかったけど?」お加代がイトを見て首を捻った。

「ああ、道案内に雇ったのよ。箱根七湯、全部回ろうと思って」

お紺は苦しい言い訳をする。

「じゃあ、この辺りで一番大きな旅館を探しましょう!なんだかワクワクしてきちゃった!」

『お紺さん、あんまり悪ノリしないで・・・』志麻は声に出さずに呟いた。


*******


「ここが湯本じゃ一番大きいんだってさ!」

お紺の指差したのは、五段の石段を登った先にある瓦葺きの立派な建物だった。

石段を登ると石畳が入り口の大きな土間に続いている。

その上をゾロゾロと歩いて行った。

中に入ると上がり框に女将が指をついて頭を下げていた。お紺が客引きの女を先触れにしておいたせいであろう。

「いらっしゃいませ、お早いお着きでございますね?」

「道中で顔見知りと一緒になっちゃってさ、今夜は一緒に泊まろうという事になったのよ。一番良い部屋を頼むわね」

「はい、ですが今夜は大層混み合っておりまして、離れの最高級のお部屋しか空いておりませんが?」

「そこで良いわ。私はこれでも江戸の辰巳芸者、金に糸目はつけないわよ」

「ありがとうございます、では早速ご案内致します」

女中が持って来た木桶の水で足を濯ぐと、女将について奥へと入って行く。

大勢の客が思い思いにたむろしている大部屋を横目で見て、中庭の池に掛かった

渡り廊下で離れの濡れ縁に出ると、女将が膝を折って障子を開けた。

「こちらでございます」

中へ入ると、一間の床の間に山水画の掛け軸が掛かっており、品の良い一輪挿しに山茶花さざんかがひと枝挿してある。

「まあ、良いお部屋。畳も新しいし・・・十二畳はあるわね」

「はい、この人数様なら十分かと・・・」

「寝る時は真ん中に襖を立ててね、こちらの二人が気を使うといけないから」

お紺はてのひらを上に返して巡礼の父娘に向けた。

「承知いたしました、お食事はどういたしましょう?」

「そうね、今から温泉でひとっ風呂浴びてくるから、ここに用意しておいて。お酒も忘れずにね」

「はい、では後ほど・・・」

女将が一度畳に手をついてから、頭を下げて出て行った。

「さて、みんなで温泉入りに行こうか!」お紺が手拭いを肩に掛けて皆を見回す。

「ど、どうぞお先に。わ、私どもは汚れ物の始末をしてゆっくり入らせて頂きます」

巡礼の親父が遠慮がちに言った。

「そう、じゃあお先に入らせて貰うわ。志麻ちゃんイト行くわよ!」

三人が出ていくと、巡礼の親父が心配そうに娘に訊いた。

「加代、あの姐さん本当に気付いていないのだろうか?」

「大丈夫よお父っつぁん、あの人単純そうだから。それに後の二人も頭悪そうだし」

「もし、金を返せと言われたら・・・」

「うまく誤魔化ごまかしてドロンすれば良いのよ」

「そんなにうまくいくかなぁ・・・」

「お父っつぁんの気の弱さは救いようが無いわねぇ。そんな事じゃこのさき生きて行けないわよ」

娘に説教される親父であった。

「す、すまん加代、お父っつぁんが悪かった・・・ようし、こうなりゃあいつらの持ち金全部使い果たさせてやる」

「その意気よ、お父っつぁん!」


*******


カポ〜ン・・・

「ああ、良いお湯・・・」

「お紺さん、これからどうするの?」

「志麻ちゃん、あんたお酒飲める?」

「う〜ん、少しなら」

「よし、二人であの親父を籠絡ろうらくするよ」

「籠絡?」

「色仕掛けで酒飲まして酔いつぶすのさ」

「どうして?」

「朝、わっちらが出発するまで、起きて来ないようにする。そして宿の支払いを奴等に押し付ける!」

「あの子はどうすんの?」

「イトに任せる」

「え?」

その時お湯を掻き分けて、湯気の向こうからイトが現れた。

「俺がなんだって?」

「きゃっ!あなたどっから入ってきたのよ!」志麻が慌てて手拭いで前を隠した。

「この露天風呂、奥の方で繋がってるんだぜ。知らなかったのかい?」

「え〜〜!」

「あんた、わっちらの裸見ただろ?」

「見たよ、おっぱいお紺さんの方がデカかった!」

「ち、ちっちゃくて悪かったわね!」志麻の顔が真っ赤に染まる。

「そんなに恥ずかしがることはねぇ、オラの村は貧乏なんで裸なんて見慣れてら」

「どうして貧乏だったら裸を見慣れるのよ!」

「みんな着る物なんか持ってねぇんだよ。夏は男はふんどし一丁で女は腰巻だけだ、冬だって薄い麻の単衣一枚で過ごすのさ」

「ふ〜ん、大変なんだね」お紺がしみじみと言った。

「だから、おらがこうやって稼いでんのさ」

「そうだったの・・・」

また、お紺の目が潤む。

「お紺さん、そんなだから騙されるんだよ。もうちっと人を疑いなよ」イトが言った。

「え、今の嘘なの!」

「嘘じゃないけど・・・」

「本当?」お紺が疑いの目でイトを見ている。

「ま、いいさ。で、俺に何をしろって?」

「あの、お加代に薬を飲ませて欲しいんだ」

「え、毒を飲ませるのかい?」

「違うわよ、小田原の木賃宿で薬売りのおじさんから貰った反魂丹、痛み止めにもなるんだけど子供が飲むと眠くなるんだって、効能書きに書いてあったのよ」

「そうか、それで朝までぐっすりってわけだ」

「そう、だけどあの娘頭良さそうだから、気付かれ無いようにね」

「分かった、任せとけ!」


イトは頷くと湯気ゆげの奥へと消えていった。


*******


部屋へ戻ると入れ違いに巡礼の父娘が出て行く。お加代はじっと三人を観察するように見ていたが父親に促されてついて行った。

「さて、これからが本番だよ」お紺が浴衣の袖をまくる。

志麻は料理を運んでもらうよう、調理場に頼みに行った。

イトは反魂丹をこっそりと懐に忍ばせる。

父娘が戻ってきた時には、もうすっかり宴の準備が整っていた。

「では、旅の安全と再会を祝して!」お紺が盃を上げると宴が始まった。

それぞれの箱膳の上には通常の料理がのっているが、部屋の中央に置かれた卓の上には芦ノ湖で獲れた新鮮な魚や山で採れた山菜や獣肉がずらりと並んでいる。

「スゲェ!おら、こんな料理見た事もねぇ!」イトが興奮して叫んだ。

加代がそんなイトを、冷ややかな目で見ている。

「お加代ちゃんもいっぱい食べてね」

加代はにっこり笑って頷いた。『このおばさん、ちょろいわ・・・』

「ありがとうお姐さん、私こんな料理初めて!」

お紺は満面に笑みを浮かべる。『目が嘘だって言ってるよ・・・』

「良かった!お加代ちゃんにそう言ってもらうと私も嬉しい!」

狐と狸の化かし合いである。

場が落ち着いてくると、お紺が浴衣の襟元えりもとをくつろげて立ち上がった。手に銚子を持って親父の横に膝を折る。

「ささ、親父さんイケるクチなんでしょ?」

「ね、姐さんそんな勿体無い・・・」親父は目元を赤くして恐縮している。

「遠慮しないで良いのよ、今夜はわっちのおごりだから」

「そうですか、なら遠慮なく・・・」遠慮がちに盃を差し出す。

親父の盃に酒を充すとお紺が言った。

「志麻ちゃん、親父さんにお酌して、わっちは丁場で三味線を借りてくるから」

「は、はい・・・」志麻がぎこちなく立ち上がる。

「こんな可愛いお武家の娘さんに酌をしてもらうなんて、私ゃ幸せもんですよ」

『親父、鼻の下伸ばしちゃって・・・』お紺は北叟笑ほくそえんで出て行った。

ととさん、少しは遠慮してね」お加代が親父を睨んでいる。

「分かってるよお加代、固い事を言うない!」

いつも弱気な親父が、お加代に文句を言っている。だいぶ酒が回ってきているようだ。

お紺が戻ってきて三味線を弾き始めると、一気に座が盛り上がった。それに伴って親父の酒量も鰻登りだ。

「お紺姐さん、志麻ちゃん、いっちょ儂が裸踊りでも披露すっぺ!」

「おっ、いいねぇやっとくれ!」

早い三味線の調子に合わせて、親父の踊りも加速する。

加代がその様子を渋い顔で見ていた。


「おめ、生まれはどこだ?」いつの間にかイトがお加代の横に座っていた。

お加代が少し吃驚びっくりした顔をしてイトを見た。

「ひ、常陸の国だけど・・・」

「そうか、あっちは凶作で大変だってな?」

「どうして知ってんの?」

「なぁに、東海道はいろんな旅人が通るからな、いやでも噂は耳に入る」

「そう・・・」

「おめ、おっ母ぁは?」

「去年死んだ、兄さんたちも・・・」

「それで国を捨てて出てきたのか?」

「うん・・・」

「おらも親父が死んでおっ母ぁが病気で寝てる、んで、道案内をやって稼いでるってわけ」

「あんたも大変だね」

「そうでもねぇ、毎日変化があって楽しいぜ、今日みたいな事もあるからよ」

「強いね・・・」

「お前ぇもな」

「私、厠へ行ってくる」

「おう、中庭の北にあったぜ・・・気をつけてな」

「ありがと・・・」

加代が出ていくとイトが懐から反魂丹を取り出した。箱膳の汁碗の蓋をとると細かく潰して碗の中に入れる。親父は踊り狂っていて全く気付いていない。

「ごめんよ、これも仕事のうちなんだ・・・」


*******


翌朝、お加代は雀の鳴き声で目を覚ました。お酒も飲んでいないのに頭の芯が痺れている。

父は隣で大いびきをかいて寝ていた。

昨夜遅くまでどんちゃん騒ぎをやっていたからだろう、隣の部屋もシンとして静かだ。

悪い予感がして仕切りの襖を開けた。

「あっ!やられた!」

部屋はもぬけの殻であり、畳の上に一枚の紙が落ちていた。

拾い上げると文字が書いてある。

『ありがと、ご馳走様。これに懲りて悪いことはほどほどにね』

「お父ちゃん大変!」

お加代は大声で父親を呼んだ。


*******


「おはよう御座います、よく眠れましたか?」

加代が恐る恐る帳場に入ると、女将が挨拶を寄越してきた。

「あの、私の連れは・・・?」

「ああ、今朝早くたれましたよ」

ああ、やっぱりだ・・・

「御免なさい!」

加代は床に着くくらい深く頭を下げた。

「おや、どうなされました?」

「あの・・・皿洗いでも何でもします!だからお役人には届け出ないでください!」

「まぁ、一体なんの事ですの?」女将が怪訝な顔で訊いた。

「宿賃を払うお金がありません!」お加代が泣きそうな顔をした。

「ああ、それだったら・・・」

「掃除、洗濯、お風呂の三助、出来ることはたくさんあります!」

「いえ、宿賃なら済んでおります」 

「え?」

「お連れ様が払って行かれましたよ」

「全部?」

「はい、あなたたちの分も・・・全部」

「ああ・・・」


お加代はヘナヘナと板張りに膝をついた。


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