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3/5

douloureuse

「ミネルヴァ! やめなさい」


 聞こえないはずの音が響く。

 

 気が付けば俺は、砂浜と海の境界にいた。

 体が生きようと、呼吸を繰り返す。口から海水を吐くと、視界が鮮明になっていく。

 男性が近づいてきた。

 心なしかその人は、ミネルヴァに似ている気がする。

 

 「大丈夫かい、君」と、心配そうな顔で聞かれた。

 

 俺は返事をすることさえ忘れ、ミネルヴァを探す。

 すると彼女は何事もなく、二本足で砂浜に立っていた。

 

 服が濡れていない。

 海に入る前に、脱いだのか。


 俺だけ全身びしょ濡れなのが、気に入らなかった。

 体を無理にでも、動かす。

 

 ミネルヴァは、怪訝そうな顔をしている。

 

 俺はその顔に向けて、海水をこれでもかと浴びせた。

 

 彼女は、あっけにとられた様子で、自身の服を見ている。

 そして、さきほどまでの、すました顔に怒りの色が滲んでいく。

 

 俺は心の中で、ざまあみろと思った。

 

 すると男性が噴飯ものだ、というように腹を抱えている。


「元気そうで何よりだ。それにしたって一杯食わされたな()()()()()

「お父様。笑いすぎです」

「すまない、あまりにもミネルヴァの表情が四才の頃みたいな怒り顔だったから。つい思い出して」

 

 男性いや、ミネルヴァの父は、今にも笑い死にしそうな様子である。

 ミネルヴァの性格は、父親譲りだと痛感した。

 

 すると突然ミネルヴァの父が、思いがけないことをいう。


「少年、さすがにびしょ濡れで家に帰すのは申し訳ない。家で着替えを準備しよう」

「え、」

 

 困惑し、漏れた声を了承と間違えたのか、ミネルヴァの父に家へ(無理やり)連れていかれた。

 幾度いくどとなく帰ろうとした、がこの男、勘が良くすぐ退路をふさがれる。

 

 

 気づけば、大きな屋敷の前に、俺たちはいた。

 見るからに、俺の家の三倍いや、四倍ほどある大豪邸だ。

 だから昨日、嫌味を言いに行った親父が、怒って帰ってきたのか。

 「さあ、入って入って」と、背中を押され、家の中へ。


 此処ここは宮殿か何か、か?。

 そう思わせるほど、部屋は広く天井は高い。シャンデリアの煌びやかに、息をのむ。

 呆然と立ち尽くしていると、ミネルヴァに似た顔が五人。いや九人、寄ってきた。


 「お兄さん誰?」や「うわぁびしょ濡れだ~」とか、思い思いに話しかけてくる。


「こらこら、お客さんに迷惑でしょ」

 

 母親らしき人が、子供たちを連れていく。

 いったいこの家には何十人住んでいるんだ、とせつに思った。


「少年、この廊下の先に、客人用のシャワー室がある。服はすでに部屋に用意されているから、行ってきなさい」

 

 俺は会釈をし、シャワー室に向かった。

 

 

 服を脱ぎ、シャワーを浴びる。

 体をタオルで拭き、シャワー室から出ると、言われた通り洋服が準備されていた。

 あまりにもシワがなく、もしかして新品を用意させてしまったのではないか。

 罪悪感を抱きながらも、袖に手を通す。

 

 部屋を出て、大広間に戻ると、ミネルヴァ達がいた。

 お礼を言おうと、近づくが二人は、何やら相談事をしている様子だ。

 邪魔をするのも悪いと思い隠れる。

 すると二人は、こんなことを言っていた。


「ミネルヴァ。

 確かに人に知られてはいけない、とは言った。そのうえ、もし勘ぐられたか、正体を知られた場合は、口封じをしろとも。

 だが、殺すのは悪手だ。

 もし彼を殺すとして、死体はどうする。

 隠したとしても、あの子の両親は探すだろうね。そのうえ、疑心というものは伝染する。

 島の人々は私たちを一番に疑うだろう。何故ならよそ者だから」

「ごめんなさい。お父様。私頭が真っ白になってそれで——」

「家族を守りたかった、気持ちはわかる。だが、ミネルヴァ。君は自分の感情を、大切にするべきだ。

 本当は殺したくなかったんだろう?」

 

 ミネルヴァは、声を上げて泣いていた。

 手でぬぐいても、彼女の頬には涙が流れる。

 すると彼女の父は、ミネルヴァを抱きしめた。

 背中をさする姿は、親そのものである。

 

 その時俺は、自分の父親のことを、思い出していた。

 親父は俺が覚えていないだけで、こんなふうにしてくれたのだろうか。

 だが記憶の中での親父は、母に暴力を振るい、俺に対しては悪口と嫌味しか言わなかった。

 母が死んでからは、関心をあまり向けられなくなったが。

 

 ミネルヴァたちを見ていると、心が空っぽになってしまったような気持ちになる。


「ミネルヴァ。わかっているね、もし()()

「わかってます、お父様」

「もしもに備え、荷造りはしておきなさい」

「はい……」

 

 ミネルヴァの目元は、赤くなっていた。時々、まだは鼻をすすっている。

 俺が姿を現すと、ミネルヴァは顔を背けた。

 

 「洋服は、ちゃんと、返します」と俺がたどたどしく言うと、ミネルヴァの父が茶封筒を取り出した。それを俺の胸ポケットに入れる。

 そして、鋭い眼差しで「今日見たことは、誰にも言ってはいけない。分かったね」という。

 つまりこの茶封筒は口止め料ということか。

 俺がうなづくと、ミネルヴァの父はニッコリと、優しい父親の顔へともどる。

 「帰り道、気をつけるんだよ()()()()


 

 家では、島の人々が集会をしていた。

 もし今、ミネルヴァたちが人魚だといったらどうなるだろう。

 きっと追い出すか、最悪の場合殺してしまうだろうなと思った。

 

 ミネルヴァと、その家族の顔が頭に浮かぶ。

 その顔は幸せそうであった。


 俺は足音を消して、二階の自室へと向かう。

 服を着替え、茶封筒の中身を見た。

 中には、お金が入っている。それも、子供にとっては大金が。

 親父にもし、これを見られたら、きっと盗んだと思われるだろう。

 明日、機会を見て返そう。

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