カ―テンコ-ル
【エピソードタイトル、カ―テンコ-ル→カーテンコ-ル】 今日、誰かが引っ越してくるらしい。
なので親父がいない。漁師である父は、この島の村長的役割をになっているからだ。
きっと新しく引っ越してきた家にでも、嫌味を言いに行ったのだろう。
白い壁ばかりの家々を横目に、俺は海へ行く。
海辺には、開放的なカフェが一軒。
そこのドリンクを一杯だけ頼む。
ドリンクを渡されるとき、いつものように嫌な顔をされるが気にしない。
テラス席に行き、座る。あたりを見渡すと相変わらず、閑散としている。
風が吹くと磯の匂いがただよう。
親父はこの海の匂いが嫌いだと、今はいない母にこぼしていた。
俺は親父とは違い、この匂いが好きだ。海辺でよく母と、遊んだ記憶を思い出すから。
学校の図書館から、借りてきた本を開く。
タイトルは「人魚姫」。
人魚が王子に恋をする話だ。
人魚が王子を助けたシ-ンの、続きを読み進める。
本当は家でも読みたいが、その姿を親父に見られたとき嫌味を言われた。
「そんな女々しい話の本なんか読むな、もっと男らしい冒険談でも読んでろ」
本の内容に性別は関係ないだろう、と言い返したかったが、俺がしゃべると火に油を注ぎそうなのでぐっとこらえた。
風が頬なでる。
ページを一枚。また一枚とめくっていく。
しばらく時間を忘れ、読み耽ていると肩に手を置かれる。
以前にも店員に「もう家に帰りなさい」と言葉をかけられたことがあり、追い出されるのだと思った。
しかしそこに居たのは年の変わらない少女だ。
見かけない顔だったので、もしかしたら引っ越してきた子だろうか。
少女は「あなたも本が好きなの?」とたずねてきた。
頷くと、少女は向かいの席を指さして言う。
「前、座っていい?」
他にも席があるのにナゼ、此処に座るのだろうか。
だが断る理由もないので、縦に首をふる。
それからお互い会話もなく、時間だけが過ぎていく。
ふと、気になり少女を見る。
彼女は海を見ながら、ドリンクを飲んでいた。
入れ物には、黒い液体。
炭酸の泡がないので、アイスコ-ヒ-なのだと分かった。
その年でもうコ-ヒ-が、飲めることに憧れを感じる。
それに対して、俺はオレンジジュースしか飲めない。
自分でも、お子ちゃまだと分かっている。
でもコ-ヒ-だけは無理だ。
過去に家の冷蔵庫から、缶コ-ヒ-を盗み飲んだことがある。
その時、苦すぎて口から吹き出し、服を染みだらけにしてしまった。
帰ってきた親父に怒られ、殴られたのは言うまでもない。
まだ幼かった俺はコ-ヒ-というものは、数世紀前の薬なんだと考えていた。
一方少女は数世紀前の薬を飲みながら、海を見ていた。
彼女は虚ろな表情を浮かべている。
その姿は絵画のようであった。
もしタイトルを付けるなら、そう『海辺の泡沫人』というべきか。
だが彼女は絵画ではないので、ゆっくりと視線をこちらに向けた。
頬杖をつきながら彼女は言う。
「あなた、名前なんて言うの? 私はミネルヴァ。今日、引っ越して来たの」
困った事になった。
返事をしようにも、俺は昔からしゃべるのが苦手なんだ。
そのうえ島の人々は、俺が声を発すると奇異な目を向けてくる。だからといって、無視するのは良心が痛む。
なので呼吸を整え、「ネモ」とだけ言う。
少女、いやミネルヴァは目を見開き、驚いている。けれども瞬く間に、凛とした表情に戻る。
俺は内心穏やかではなかった。
きっとまた変な声が出てしまったのだろう。彼女も俺のことを、指さして笑うのではないかと。
しかしミネルヴァは、気にも留めていない様子で会話を続ける。
「そう、あなたネモっていうのね。まるで船長みたいなお名前」
そして物思いにふける様な、目をしながら質問してきた。
「ねぇ、ネモあなたってホ-ムシックになったこと、ある?」
俺は短く「ない」といった。
彼女はドリンクを一口飲み、海を見つめている。
「私は今がそうよ。帰れるものなら帰りたいわ」
きっとミネルヴァは、海のずっと向こうから引っ越してきたのだろう。
「でも、もう戻らなくちゃ。お母様に心配されるわ。ねぇ、あなたって明日もここに来る?」
「わからない」
「明日も来ていい?」
「…………」
「だまってるってことは、嫌じゃないのね」
そういってミネルヴァは微笑を浮かべながら、椅子から立ち上がる。
「また明日」と手を振りながら、彼女は帰っていった。
左足を少し引きずりながら。