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70歳の一人部活  作者: 種田潔
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五右衛門のごとく

僕の盗みのターゲットはオリンピックや世界陸上選手権のメダリストたち。

その中でも1970年代から現代にいたる選手の中で、特に傑出した選手たちが主な対象だ。


例えば砲丸投げではアメリカのブライアン・オールドフィールド、アダム・ネルソン、ジョー・コヴァックス。

円盤投げではドイツのラース・リーデル、女子選手ではクロアチアのサンドラ・ペルコビッチ、キューバのヤイメ・ペレス達。

盗みの手口はただ一つ、ユーチューブの動画だ。

その動画に侵入して盗みを働くのだ。盗まれた本人も盗まれたことに気が付かない鮮やかな手口は、かの大泥棒石川五右衛門も舌を巻こうが、彼と違って僕は捕まって釜湯でにされる恐れはない。


僕は1960年代後半に高校の陸上部員だったが、誰かに技術的な指導を受けたことはなく、手本と言えばせいぜい上級生くらいで、要するに自己流で走ったり跳んだりしていたのだ。

「ウサギ跳び」が有効なトレーニングとして信奉されていた時代のことだ。

ところが今では上に挙げたオリンピック円盤投げの金メダリストのラース・リーデルが、競技生活の最後にたどり着いた技術を、パソコンの前に座ったまま居ながらにして見ることが出来るのだから有難い。

とりわけ僕のように57歳で初めて円盤投げを独りで始めた人間にとっては、目指すべき最高地点を動画で見ることが出来るということは、最高の動くお手本がいつも目の前にあるのと同じことだ。

歴代の名選手たちもそのフォームは千差万別だ。

しかし一つ共通しているものがある。彼らのフォームがいずれも「大きく」て「速い」ことだ。

この二つの要素は両立が難しいが、頂点に立った選手たちはそれを兼ね備えており、不肖僕の目指すところもそこにある。

ユーチューブの動画のおかげで、僕は57歳の時の30mから約10年をかけ、加齢に逆らって8m以上、円盤投げの記録を伸ばすことが出来た。

料理人は「仕事は先輩から盗んで覚えよ」と教えられるそうだが、僕もそうやって円盤投げを覚えてきた。


僕と同様の練習方法で、世界の頂点にまで駆け上がった陸上選手がケニヤにいる。

ケニヤと言えば長距離かマラソンと誰しも思うだろうが、そうではなくやり投げの選手だ。

ジュリアス・イエゴといい、ケニヤの田舎の農家の生まれで生家には電気もなく、毎日学校まで8キロを歩いて通ったそうな。まあ、ここまではケニヤではよく聞く話だが、彼は長距離走でなくやり投げに興味を持った。

教えを乞うコーチもなく一人で練習をしていたイエゴ選手は、ある時ネットカフェでユーチューブにやり投げの名選手たちの動画がアップされているのを知った。その動画を通じてやり投げの動きやトレーニング方法を学び。ついには2015年の世界陸上選手権で金メダルを取ったのだ。

イエゴ選手のことを知ったときは

(僕のやり方は世界のトップ選手と同じだ)

と我が意を得た思いがしたものだ。


この10年間、前に挙げたアダム・ネルソン選手の動画は、数えきれないくらい繰り返し見続けた。自分のフォームに迷いが生じる度に、彼の動画から解決のヒントを得たものだ。

何千回と見たその動画にもかかわらず、いまだに新たな発見をすることもしばしばだ。こちらのレベルが上がるにつれて、それまで見ても見えていなかったものが見えるようになってくる。

量の積み重ねが質を生み出すという言葉を実感したものだ。


最近の僕の「盗み」は円盤投げの動きだけにとどまらず、「表情」にまで及んでいる。

世界のトップに立ったアスリートたちは、内面の充実が表情やしぐさにまで表れており、試合中の彼らは何度見ても見飽きることがないほど興味深い。

例えばブライアン・オールドフィールドの「古き良きアメリカ」を感じさせる健康感にあふれた陽気な試合ぶり、アダム・ネルソンの「狂気」すら感じさせる集中力、「大姐御」と私が呼ぶサンドラ・ペルコビッチのパワフルな試合、ヤイメ・ペレスの好記録を出しても表情ひとつ崩さない「女哲学者」ぶり。


1960年代から80年代にかけて、ドイツに「皇帝」と呼ばれた名サッカー選手、フランツ・ベッケンバウアーがいた。

僕はそれに倣って、同じドイツ人のラース・リーデル選手を「皇帝リーデル」とひそかに呼んでいる。2mの長身と、端正な顔つき、華麗なフォームはまさに皇帝の名にふさわしく、その表情がまたいいんだ。

円盤投げサークルに立ち、投げる直前に一点を見つめて集中するその表情は、あたかも氷の中で燃える炎を思わせる。

(次の盗みはこれだ)

家族が見ていない時、僕は鏡を見ながら表情を研究中。


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