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70歳の一人部活  作者: 種田潔
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真実の瞬間

4月18日


右肩を痛めた。

3月の下旬に屋外での投擲練習を始めるのが毎年の恒例になっているが、今年はその初日に砲丸と円盤をむきになって投げすぎた。気が付いたら3時間も連続で投げてしまい、(しまった)と思った時には遅かった。

その夜は肩の痛みで夜中に目が覚めてしまう程で、翌朝には腕が肩から上に上がらなくなってしまった。

シーズン当初、実際の投擲に慣れていない肩が痛むのは毎年のことだが、日がたつにつれその痛みは消えていくのだが、今年は症状が悪化する一方で痛みは肩から背中、腰、大胸筋、腕と右半身全体に広がってきた。

それでも「痛いのがどうした。根性で乗り切れ」とばかりに投げ続けていたところ、とうとう日常生活に支障が出るほど悪化してきた。

マッサージに行っても、整体に行っても一時的に楽になるだけで一向に良くならない。

今年の初戦、岡山県マスターズ陸上選手権(5月5日)まで一ヶ月を切りいささか焦る。


砲丸にしろ円盤にしろ「数うちゃ当たる」とばかりに投げすぎる「投擲過多」、いわばオーバートレーニングが原因なのは私にも分かっている。70歳の老アスリートが5kの砲丸を1時間半も休みなく投げ続ければ肩が悲鳴を上げるのは当然だろう、

そもそもマスターズ陸上の試合では投擲種目(砲丸、円盤、ハンマー、やり)の試技回数は4回だ。

それをいくら練習とはいえ50回近くも投げること自体間違っていると考えることもある。50回も投げれば一本くらい「まぐれ当たり」で飛ぶこともあり、そのまぐれ当たりがあって初めて「今日はいい練習が出来た」と自己満足して練習を終えるのが私の常だった。

しかし試合では四回の投げで結果を出さなければならず、質より量だとばかりに「数うちゃ当たる」という私の練習態度は実際の試合の現実を直視しない、思考停止の根性主義と言えるかもしれない。

「今日は10本で練習を終えよう」と思いながら河川敷で投げ始めはするのだが、いざ練習を始めると「次の投げこそ飛ぶだろう」と期待し、山本リンダの歌のごとく「どうにも止まらない」状態になるという宿痾が私にある。

「どうしてこうも自制心がないんだろう」と何度反省したことか。今までの無反省の報いが、長年文句も言わずに耐えてきた肩の、ついに堪忍袋の緒が切れての痛みなのだろうか。


スペイン語で「真実の瞬間」という言葉があるが、これは闘牛の最後に、闘牛士が牛にとどめを刺す時を表す言葉である。

いかにも大げさすぎる表現だが、70歳の老アスリートとっても真実の瞬間がある。

河川敷で「今度こそ」と投げている時、タイミングがぴたりと合って円盤がさっきまでとは違う高さで大きなアーチを描き、それまで円盤が落ちていた地点を超えてはるか先にまで飛んでいくことがある。

一難に何度かやって来る恍惚の瞬間だ。

その感覚を忘れないようにともう一度投げてみると、また同じようなアーチを描くではないか。

「ついにつかんだ」

別次元の自分になったという高揚感にひたりつつ、さらにもう一度と投げると、何たることかその感覚は消えており、元に私の戻ってしまっている。

あれはいったいどういうことだろうかと「真実の瞬間」に出会うたびに思う。

刹那は一瞬にして消えてしまう。

しかしこの一瞬は「数を打た」なければ訪れてはくれないのだ。

数を投げれば肩が痛むし、かといって数を投げなければ「その時」はやって来ない。

広島弁で言うと「わしゃあどうすりゃあええんかのう」と迷う。


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