6:手の届かないものであればこそ、その価値をもっとも理解できる
『――手の届かないものであればこそ、その価値をもっとも理解できる。』
先ほどマンションのお隣さんとばったりシネコンで遭遇し、一緒に見ることになった映画で、失恋したヒロインキャラが言っていたセリフだ。
おしゃべりなお隣さんは映画のあと帰り道で「俺こういう健気なのに弱いんだよな、『わたしじゃ――ダメかな?』みたいな誘って受ける感じのによぉ。消極的積極性っつーやつだぜ。あんまりぐいぐい来るのよりもシチュに応じてちょっと引き気味ながら芯のとこではいや全然ヤる気ありますよ、って方が俺的にはクるんだよなぁ。あ、お前はどう? こういうの可愛いと思う? 男なら性癖のひとつやふたつあるだろほれほれ」とかべらべらまくし立ててきた。
僕はぼちぼちそれに答えつつ、このセリフを自分の身に置き換えて考えていた。
……ついさっきの話。
こんな風に気晴らしに、映画を見に来る直前の話。
氷雨さんは僕が「六人に告白された」と告げたあと――あわてた様子で走り去ってしまったのだ。
呆然とたたずむ僕。
告白の返事など当然聞けてはいない。
今後も聞くことはできないかもしれない。
すっかりと、手の届かない存在になってしまった……。
「ああ……失敗したなぁ」
帰宅した僕はリビングのソファに倒れ込みながらぼやく。
失敗というのは、『返事聞けなかった』という点ではなくて。
告白されたことを伝えたのが、失敗だった。
いや、もちろん伝えておかないのは不誠実だと思うのでその選択肢はないけど。
でもタイミングとか言い方とか、いろいろあったはずで。
「そりゃあ、身体を共有してる別人たちに好きなひとができて、しかもそれが自分に告白してきた男だっていうなら……取り乱すに決まってるな」
自分のあずかり知らぬところで自分と共有しているこの身体に、なにかあったかもしれない……なんて考えても、おかしくはない。いや、僕は絶対しないけど。そんなこと。
ともあれ、負担をかけてしまった。
そのことが悔やまれる。
こんなにも、好きなのに。
僕は彼女を傷つけてしまうんだろうか。
「もう、会えないのかな」
口にすると本当になってしまいそうで、言わなきゃよかった、と僕はまた後悔した。
+
ところが翌日の朝。学校に行こうとバスに乗ると。
見覚えのある、しかし見飽きない、すごく見惚れる姿に出くわした。
朝の陽ざしの中、窓辺の席に腰かけて外を眺めていた氷雨さんは、僕に気づくといつものように少し顔を上げ、会釈した。
「……こんにちは、早田君」
「ひ、氷雨さん?」
「うん」
座る姿勢、表情、返答のタイミング。
どれもまちがいなく、氷雨さんだった。
僕は予期せぬ遭遇にうろたえて、近づいていいのか、どうなのか? と迷った。
「発車します」と席に座ることをうながすアナウンスが流れるが、まだ立ち止まったまま。
そこに氷雨さんが、ちょいちょいと手招きをした。
「ここ」
「え?」
「横。座ってよ、早田君」
「へ、あ、そ、そう……じゃ、うん。失礼して」
「ん」
短い返事で区切る氷雨さんが、窓辺ぎりぎりに身を寄せた。
僕は近づき過ぎないよう、氷雨さんとの間に拳二個分のスペースを空けた。
ふわり、と宙を漂った氷雨さんの色素薄い髪から甘く香るものがあって、ピーチ系の匂いだな、と僕は思った。
「……、」
「…………、」
「………………、」
「……………………、」
そして会話が、はじまらない。
なにか話があったから手招いたのだろう、と思って向こうが切り出すのを待っていた僕。
しかしチラとうかがった彼女の横顔は、いつもの愛くるしさがなりをひそめていて。
真剣に眉根を寄せ――口を開けたり、閉じたり。
目線が左上から右上へ泳ぎ、往復し、目を閉じ、うつむき。
空気をのみこもうとあえぎ、でも喉が動くことはなく。
苦し気に、浅い息を繰り返す。
……この様に僕はなんとなく覚えがあった。
というか先週の僕がまさしく、こんな感じだったはずだ。
「……ひょっとしてだけど」
「……?」
「六人の話とは、べつで。僕の告白の返事、しに来てくれた、とか?」
自意識過剰かなと思いながらも、一縷の望みをかけて訊いてみる。
すれば、彼女は一瞬だけこっちを見て、すさまじい勢いで窓の外に視線を放り投げた。
「ん。……そのぉ、まあ。返事といえば返事……かな」
「わかった。聞くよ」
僕は背筋を正し、耳を傾ける。
彼女は肩を縮こまらせながら、ゆっくりと僕の方を見ようとする。
秒が分より長く感じる時間だった。
やがて氷雨さんが、前髪越しにこちらを見上げる。
「……お付き合いは――」
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「――――します!!」
ふて寝して、考えこんでから目覚めて。
『内側』に存在する広間の隣、寝室とでも呼ぶべき場所から出て来たわたしは開口一番そう言った。
すでに揃っていた六人は、わたしの叫びに顔を上げる。
きょとんと、驚きに満ちた顔だった。
「……え、誰とだれが?」
吉埜相手にトーク練習をしていたらしい燈火が言う。ちなみに机の対面で練習相手になっていた吉埜は、聞いているのかいないのか中空をぼんやり眺めていた。
「わたしと、……その、彼」
「彼?」
「言わなくてもわかるでしょ。文脈で読んでよ、文脈で」
「いやわかんないわよ。悪いけどいまあたし、思考形式を配信のお客さんである男子寄りにしてるから」
「ああ、男性の会話で読み解く文脈は主張そのものではなく、あくまで主張の解決という目標に向けた効率と合理の道筋ですからねぇ」
「そうそう。感情の筋道に寄り添ってくれないことが多いのよね」
「話題の移り変わりを好みませんからね。やたらとオチを付けたがると言いますか」
ごろ寝していた木花と会話を発展させる燈火(と、ぼんやりしてる吉埜)を無視し、わたしは隅っこで車座になっていた釦と日乃と月乃に語りかけた。
「とにかく。わたしも、早田君、と……お付き合い、します!」
「……どういう心境の変化かしら」
とんび座りしている日乃と月乃の奥から、釦が小首をかしげて問いかけてきた。
「あなた、好きじゃないと言っていたはずだけれど」
「それはその、そうなんだけど。でも可能性として、可能性としてね。みんなが好きになったひとなら、わたしも好きになるかもしれないでしょ?」
シラを切りつつわたしが言えば、燈火がハ、と鼻にかかる声で笑った。
「なに、キープしようっての? ナマイキね、氷雨」
「う、うるさいなぁ。べつにいいでしょ。とにかく決めたの」
このなかのだれかが早田君とくっつくのを、指をくわえてただ見ているなんてできない。
こいつらみたいな積極性なんて、持てないけど。
自分に自信なんてないけど。
なにもせず不戦敗なんて、それこそ耐えられないから。
「まあ、その。お試しというか。みんな付き合うのにわたしだけそうじゃないと、早田君も気を遣うかもしれないし……遣うでしょ? 遣うよね、うん」
「なにをひとりで想定問答しているのですか」
「はじめてのことなんだからいろいろ妄想して備えなきゃでしょ」
「想定と言ったのであって妄想とは申しておりませんが」
しらーっとした目で木花に見つめられた。
しまった、普段は「もし付き合えたらー」とか「好きになってもらえたらー」とか、『妄想』ばかり働かせていたからつい口から出る言葉もそれになってしまった。
赤くなりそうな顔をうつむかせて隠し、わたしはつづける。
「んん……とにかく、とにかく。わたしも、付き合お。って、言ってくるから」
「へー」「だいたーん」
茶化すような日乃と月乃。わたしが睨もうとすると、察したように釦がぽんぽんと二名の頭をはたいて注意を引いた。む、昨日だいぶ株を下げたとはいえ、こういうところの振る舞いは相変わらず年長者っぽいな……。
「なら、私たちみんな横並びね」
「そうなる?」「なるなるー」
日乃月乃の相手をしながら、釦はくすりと笑っていた。
そう、『付き合うとお返事する』なんて、ずいぶんクライマックスな気分でいたけど。
これでやっとスタートラインだ。みんなで位置に着いたかたち。
あとはここから、どのようにして自分を早田君に選んでもらうか。どのように横並びを抜けるか、だ。
全員の視線が巡る。
互いの目と目が合った瞬間に、火花が散るようだった。吉埜だけはついに寝たのか目を閉じていたけど。
こうして、対等になるという宣言を終えて。
わたしはひとまず、木花に頭を下げることにした。
「……すいません、そういうわけで早田君に一刻も早くお返事したいから、今日の午前貸してくれませんか……」
「堂々としたと思った直後に背を丸めてちいさくなってしまわれるとこちらも対処に困るのですが」
「ごめん……」
「まあ、いいでしょう。今度ぼくの良きときに、曜日や時間を交代してくださいね」
「ありがとう」
「いいえ。ぼくらは七人で、【七原■】なのですから」
木花はわたしたちがとある一人のだれかだった頃の名を口にして――それはわたしたちの根幹に触れるからか、声として発しても音としてはなぜかうまく聞こえない――ごろ寝に戻った。
基本的に曜日固定で『外』に出るわたしたちだが、互いに了承をとればこのように表出するのがだれかを変えることもできる。そうしないと割を食う状況というのも、ちょくちょく発生するからだ。
……さて、腹は決まった。
わたしは深呼吸して『内側』から出る扉に手をかける。
それから振り向いて。
全員の顔を見て。
眉尻が垂れ下がるのを感じながら、言っておいた。
「……でもあの、わたし的にはこれ、お試しだから。もしもわたしが付き合ってすぐフラれても、みんなは気にしないで」
「……はあ?」
燈火が珍妙なものを見たような顔をする。
わたしはつづける。
「大丈夫だから。わたし、軽い気持ちで付き合ってみよっかなってだけだから。みんなと横並びでないとみんなが気にすると思って、ちょっとそういう配慮してみただけで」
「……、」
吉埜がなんとも感情の消えた顔でこちらを見る。手は微動だにしてない。
わたしは予防線についての話をつづける。
「だからもし。仮に。わ、わたしだけ、すぐフラれるとか……あっても……あの、気にしないでね。ホント。お願いだから。わたし大丈夫だし平気だし。だから、」
「はよ行けや」
しゃべってるうちにのしのしと近づいてきた燈火に、ゲシっと蹴り押されて扉からはじき出された。
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ベッドから落ちた体勢で起床して、しばらくのあいだ燈火への恨み言をつぶやいたけれど、まあそれはさておき。
借りた木曜日の午前、緊張しながらバスに乗って、わたしはイヤホンを耳に突っ込んだまま早田君が乗ってくるのを待ち。
彼のたたずむバス停が近づいてきたらすぐ音楽を切って身だしなみ整え、「……こんにちは、早田君」と声をかけたわけだ。
それから横に彼が腰かけ、心臓ばくばくでなにもしゃべれなくて。彼が、返事をしにきたのかとうながしてくれて。
やっとわたしは――言えた。
「……お付き合いは――――します」
我がことながら、「お付き合い『は』ってなんだ、『は』って」と思った。




