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浮気公認、日替わり彼女  作者: 空上タツタ


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24/26

24:自分が自分じゃないみたいで、つらい


 もう、デートをするどころではなかった。


 無言のまま僕は、木花さんと七原家へ行く。眠らないと交代ができないことは知っていたが、そもそも「自室以外では眠れない」のだということを、僕はこのときはじめて知った。


 部屋に上がる気にはなれず、家の表で待つこと四十分。


 出てきたのは、今度こそ氷雨さんだった。


「氷雨さん」

「……ごめん、早田君。こんなことになって、本当にごめんなさい」


 眠って、起きて、出てくるまでの短い間にも相当泣きじゃくった様子だった。


 手の甲で目の端を何度もぬぐいながら、氷雨さんは謝った。


 眠ってから目覚めるまでの間に、木花さんからことの顛末てんまつを聞かされたのだろう。


 僕は黙って、首を横に振る。


「氷雨さんが悪いわけじゃない。木花さんも……今日、僕らを騙そうとしたことはともかく。それ以外は、悪いことしてない」

「でもっ、わたしは、…………っ、ぅ、えっ、」


 言いかけて、言葉に詰まる。


 たぶん、口にしようとしたのは木花さんが指摘したこと。


 身体の記憶と感覚。刻まれたそれを、氷雨さんが感じていたこと。


 自分の――自分だけの感情と感覚だと思っていたものが、ほかの誰かに由来していたということ。


 けど口にできなかったのだと思う。


 おそろしくて。


 それは自分が自分であるという実感を、失わせてしまうことだから。


「今日、は……これ以上会うの、なしに、しよ」

「……うん」

「ごめん、早田君……本当に、ごめん」

「謝らなくていいんだ。氷雨さん」


 僕が一歩踏み出すと、氷雨さんはびくりとした。


 少しだけ、傷つく。


 でも感情の置き場がわからないからだろう、と思った。


「……待ってる。ただ、待ってる」


 それだけを伝えて。


 僕は、帰り道についた。


 後ろでずっと、泣き声が追いかけてきているような気がしていた。


       #


 早田君に帰ってもらったあと、玄関のドアにもたれてずるずると座り込んだ。床の石材が、お尻と足の裏に張り付き剥がすように冷たい。


 でもその感覚すら、自分の実感なのかいまは疑わしい。


 だれかの気持ちを、感覚を。またわたしは、盗んでいるだけじゃないのかって。


 …………、

 ………………、


 昏々と、眠る。


 いつもの扉を抜ける。


 広間ではみんな無言だった。


 燈火に先ほど、頬を張り倒された木花が、部屋の隅からわたしを見ている。


 その目には後悔もあったけれど、まだ憎々しくわたしを睨む気持ちものぞけた。


 振り切って隣の部屋へ行く。


 昏々と眠る。


 自分が自分じゃないみたいで、つらい。


 いや。


 わたしの思う自分なんて、そもそもいたのかな。


 わたしたちはだれが最初からいた自分で、どこから分かたれていったのかがわからない。


 だったら、もう。


 ほかの自分だれかにまで影響するような強い気持ちを持った誰か(自分)が、七原■ということで、いいんじゃないかな。


 もう、それで。


        +


「私たちは、ずっとこの感覚を氷雨の影響だと思っていましたから。大本になるその気持ちを抱いていたのが木花だったなんて、まるで気づけなかったのよ……」


 翌日、僕は釦さんのバイト先であるメイド喫茶を訪ねた。


 少し離れた位置にある純喫茶で向き合った、私服姿の釦さんは現状を話しづらそうだった。


 僕は踏み込んで、尋ねる。


「いま、氷雨さんは?」

「眠っているか、広間の隅でなにも言わずにうずまっているわ。木花とは顔を合わせないようにしながら」

「そうですか」

「木花も、投げやりな態度でずうっとうずくまっています。もうどうにでもなれって、そういう意志表示みたいに。それを見て燈火が苛立って……まあ、荒れているわね」

「……僕が、」

「あなたのせいではないわ。どうしようもなかった、止める方法なんてなかったでしょう。だれかが誰かを好きになることは、事故のようなものです」


 でも、と一拍置いて釦さんは紅茶を口に含む。嚥下する。


「自分が自分じゃない気持ち、っていうのは。本当にこわいのよ。足下がぐらついて崖に落ちていくような気分になる。いまの氷雨は、好きになるとかそういう『気持ちの事故』を極端に恐れているの」


        +


「……氷雨、今日もふさぎ込んでる」


 港の釣り場で会った吉埜さんも、そう言った。


「木花さんも、出てこない?」

「……心配? 木花のことも」

「どうだろう。怒ってるところはもちろんある。でも仲良く、……そうだな。木花さんとも仲良くやっていけるんじゃないかと、そう思っていたんだよ。だからいまは悲しい」

「……早田は、たぶん誰とでも仲良くできる」

「?」


 唐突に誉め言葉のようなことを口にして、吉埜さんはあの眠たげな瞳で僕を見た。釣竿から目を逸らして、言った。


「でも、近づくと傷つける距離もある」


        +


「夢から覚めたゆめー」

「……劇団四季のアレ?」

「じゃなくてー」


 ゲームの中古ショップ前で日乃さんと出くわし、僕は意味深な言葉を投げかけられていた。


「それがすっごいこわい、って話」

「どういうことだろう」

「夢の中って、現実感すごいじゃん」


 店頭デモのゲーム画面を指さしながら、日乃さんはぼやく。


「夢の中って、だいたい夢だと気づかないでしょー」

「基本的にはそうだよね」

「じゃあ夢の中で『目が覚める』って感覚になったら?」


 デモの画面の中で、プレイヤーキャラが死んだ。


        +


「その目覚めた夢のあとに見ている『そこ』って、夢じゃないって言い切れるー?」


 駅前のロータリーで柵に腰かけた月乃さんが言う。


 言葉の意味を考えて、僕は納得する。


「現実感……『実感』か」

「そゆコト。月乃たちがかつて経験して、パニックになったのはそれが近いんだー」


 つまり、自分で自分に責任が持てない。


 自分がした覚えのないことが積み重なっている自分の存在に気づく。


 自分はどこからどこまでがちゃんと連続した感覚と感情で、


 どこからが、別人格べつのだれかなんだろう?


        +


「あたしたちはその実感のために、他人と繋がりを求めるのよ」


 家の近くにやってきた燈火さんは、そう言った。


「だれかが覚えていてくれたら、あたしたちは『そこにいた』って思える」

「……ああ」


 燈火さんは配信。


 木花さんはブログ。


 釦さんはバイト。


 日乃さんはゲーム。


 月乃さんは学友。


 吉埜さんは、……まあよくわからないけど。あえてひとりを選ぶのは同じ心情の裏返しなのかもしれない。


「だから、どうすればいいかもうわかるでしょ。早田」


        +


 そうして僕はどうすべきなのかを自分で選ぶ。


 年の瀬、十二月三十日。


 入れ替わり週だが氷雨さんはいつも通り、水曜を割り振られているという。


 出て来てくれるかはわからない。ずっと眠ってるかもしれない。


 だからって、なにもしないのはナシだ。


 SNSで、メッセージを投げかけた。


『家の前で待ってる』と告げた。


 会おうとはしてくれないかもしれない。


 それでも、いまの僕にできるのは僕の気持ちを示しつづけることだけだった。


 寒空の下できみを待つ。


 朝の九時から待って、一時間経ち、二時間経ち。


 昼を回って座り込み、それでもまだ待つ。


 ……やがて、玄関ドアからひとが動く気配がした。


 あわてて立ち上がり、じっと見すえる。


 ところが出てきたのは、氷雨さんではなく。どことなく氷雨さんと似た面立ちの女性だった。


「あれ、きみ……」

「あ、その。こんな形ですみません、はじめまして。早田隼太といいます」


 怪しまれたらいやだったので、先制して名乗った。


 頬に手を添えながらじろじろとこちらを見る女性は、ふぅん、と鼻にかかる声で言って。


七原長閑ななはらのどか。氷雨たちの母、やっとります」


 と名乗った。


 僕はあらためて頭を下げる。氷雨さんのお母さんも、ぺこぺこと頭を下げてからドアよりこっちの門扉に駆け寄ってきた。


「その。今日は氷雨さんって――」

「あの子だったらおらんよ。今朝は早くから起きて家出とったわ」

「え。いないんですか」

「たぶんだけど。きみが来るって予測しとったのかもしらんね」


 じゃあ徹底して避けられてるってことだ。


 いささかならずショックな事実だったけれど、仕方がない。現実は現実として受け入れよう。


 SNSは既読がついていたので、メッセージ自体は見てる。その上で帰らないことを選択したのだとすると、一体どこにいるんだろう。


 ぼんやり考えこんでいると、僕の顔をのぞきこみながら氷雨さんのお母さんが言う。


「喧嘩したん? 先週もあの子泣きながら家の中さまよっとったけど」

「うう、その節はご心配おかけして、申し訳ないです」

「いやぁべつに。付き合っとったらそんくらいあってもしょうがないがぁ。関係性てのは、そういう苦難をどう乗り越えるかだがね」


 娘を泣かせたような感じになっている僕に対して、じつにあっけらかんとそう述べるのだった。


「あの子らの間に挟まれて、難儀しとるでしょぉ。私だって大変だと思っとるもの」

「それは……ええ。でも、いまはどうしても会いたいです」

「そ。だったら、探すしかぁわ。あの子のことだしそんな遠くには行っとらんと思うけど。長距離移動できるほどのお金持たせとらんし」

「ですか」

「小心者だからひと所に留まるのも考えられんかな。うろうろ動いとると思う」


 私から言えるのはこんなトコ、と言って頭を掻き、氷雨さんのお母さんは家の中へ戻っていった。


 僕が感謝して頭を下げていると、ドアを開きかけた状態で足を止める。


「ね、氷雨のこと好き?」

「だれより、好きです」

「んふふ。いい返事、男の子だぁね。……木花のことも、許せとは言えんけど。もし可能だったら気に留めておいてくれると、親としてはうれしい」


 あの子も娘だからさ、と言いつつドアを閉じる。


 言われなくとも、そのつもりだった。僕としては怒っている部分、もちろんまだあるけど……でも木花さんも氷雨さんのそばにいた人で、口にはしなかったけど氷雨さんたちにとって大事な存在のひとつ、ではあるのだと思う。


 だったら。


「とりあえず、行きそうな場所を探してみよう」


 僕は走り出し、氷雨さんと行ったことある場所をかたっぱしから回ることにした。



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