23:それだけが理由ではありませんよ
そして、木曜日がやってきた。
朝起きて、今月はじめからずっと悩んでいた服装を再確認して、身支度を済ませて、部屋をあとにする。
外気は肌を刺すようで凍えるつめたさだった。
けれど駅につけば彼と、手を繋げる。
そうしたらすぐに温かくなると思われて、むしろこの寒さつめたさがいまは愛おしかった。
えっちらおっちら歩いて十時半ごろ。
駅前にたどり着くと、雑踏がすごい。
そわそわして見える顔、顔、顔。……みんなカップルとかで、相手を待っているんだろうか。
でもそんな中でも彼を見逃すはずはない。
すらっとした細身で、骨ばっているが美しい指先と、襟元の黒子が悩ましい。
ちょっとかわいいな、と思えるデザインのダッフルコートを着込んで髪型を整えた彼は、襟元に口許を埋めながらスマホも見ずに待っていた。
こちらを一秒でも早く見つけるため――みたいな理由を聞いた気がする。そういうところもなんだかかわいい。
すたすたと近づいていく。
横から急に声をかけたらびっくりするかな。
はじめて会った日を思い返しながら。
そっと、肩に手を置く。
彼が、振り返る。
満面の笑みで「おはよ」と声をかけようとして――――
「……木花さん?」
――――ぼくの表情は、ひび割れました。
+
「……今日が木曜だからって、木花呼ばわりはちょっと。冗談やめてよ早田君」
肩を叩かれて振り返った僕の、つい口をついて出た言葉に、彼女は悲しさを笑みでごまかしている風な表情を見せた。
大好きなひとの顔でそのような態度を見せられると、正直弱る。気のせいじゃないかと思うし、申し訳ないことを言った、ごめんと謝ってしまいそうになる。
でも。
直感で抱いた違和感は、どうしても拭い去れなかった。
「……氷雨さんになにかあって、出てこれなくなった。だから代わりを務めようとしてくれてる、とか」
「え、なにそのストーリー。即興にしてはおもしろいけど。さすがに怒るよ?」
「あるいは、その。僕も、こうは考えたくないけど。先週急にチケット発売のため代わるって言ってたところから……このイタズラのための、仕込みだったとか」
「なにそれ……あのさ、早田君。クリスマスだよ? こんな日にそういうの、わたしもさすがに傷つくんだけど……」
「ねえ。僕と連絡するのに使ってるSNS、開いてみてくれないかい」
氷雨さんたちはSNSを個々でアカウント切り替えて使っている。
パスワードは当然、ほかの六人には教えていない。日乃さん月乃さんは、まあ曖昧なところあるみたいだけど。
すると僕の目の前にいる彼女は。
少しだけ目を見開いて、唇を閉じ、うつむき加減になって。
自分のポケットに両手を差し込んだ。
……やっぱり、その立ち方にちがいを感じた。
視線の動きに異なる部分があった。
言葉を発する前のタメが長かった。
笑顔が「うふへへ」って感じじゃなく「ふふ」って感じだった。
木花さんは、ととん、と後ずさるように二歩下がる。
「……どうしてバレたのですかね?」
「細かい積み重ね。いまの歩き方も、なんかバランスがちがった」
「まるで人力歩容認証ですね」
科捜研とかで出てくる捜査法のネタをぼやきながら、木花さんは天をあおいではぁー、とつぶやく。
「後者です」
「?」
「氷雨さんになにかあった、のではありませんよ。先週のチケ発の流れからすべて、ここであなたを騙すためのウソでした」
上を向いたままの木花さんから吐かれた白い息が、空気に溶け消える。
しばらく沈黙がつづいた。
雑踏の、カップルたちは相手を見つけて徐々に場を離れていく。
僕らはずっと立ち尽くす。
あまりに黙ったままなので、僕からまた口を開いた。
「どういう、目的だったんだい」
「……わかってもらえていませんか」
また、悲しさを笑みでごまかしているような顔になり、木花さんは天から視線を下ろした。
「ぼくたちはほかの人格が得た強い感情の影響を、身体の記憶や感覚として共有しています。食べたことないものを食べたことある、おいしい、と感じるなどですね」
「……? それは、聞いたけど」
「氷雨さんが早田さんの襟元の黒子や、骨ばった手にフェチを感じているのはご存知ですか」
「えっ、それは初耳だけど」
「まあ性癖など他人に、それも欲情している相手本人に伝えることなどそうそうないでしょうからね。ご存知ないのも無理はない」
「欲じょ、って……。で、それが……どう今回のことに繋がってくるのさ」
「氷雨さんがそうして『フェチ』という感覚を抱くのは、氷雨さん自身がその部位を魅力的だと感じて、強い感情を成して、身体の記憶と感覚に刻んだわけではない――ということです」
もったいつけた言い回しに、やっぱり木花さんだなと感じつつ。
遠回りな物言いに、理解を阻まれつつ。
数秒して、僕は理解した。
「……まさか、」
「ぼくが、最初に会ったんです」
悲し気な笑みは、いまや凄絶な感情の煮詰まり具合を示していた。
「ぼくが、最初に、あなたを好きになったんです」
一歩、踏み出してくる。僕は固まっている。
「月末の入れ替わり週。偶然バスで、ぼくは、あなたに会った。一目で、恋をした」
もう一歩、踏み込んでくる。彼女の手がポケットを這い出る。
「次に会えたとき気持ちを伝えようと、思った。また氷雨に入れ替わってもらおうと考えてた。なのに――あなたに告白されたのは、氷雨だった」
僕の両腕がぎゅっとつかまれる。
痛むほど指が食い込む。でも敵意や害意じゃない。
離さないでほしいという、哀願に見えた。
「ぼくの――――ぼくの恋心が身体に刻んだ胸の高鳴りを。あなたを思うときの狂おしい脈拍を。あいつは、自分のものだと勘違いして、あなたの告白を受けたんだ!」
ぼくが先に好きだったのに、と消え入りそうな声で言う。
瞳の奥に、感情が渦巻く。
「どうして……どうしてぼくではないのですか? 先に出会って先に好きになっていたのに。どうしてあなたは氷雨を選んだのですか? どうせすぐに別れると思っていたのに。だってあいつはニセモノなんだから……どうせはかなく散ると思っていたから、無理に背を押してやったのに。今日だって、あなたが騙されてさえいてくれたら、それでみんな台無しにできたのに!」
「僕と氷雨さんを傷つけようと。今日氷雨さんのフリをして出てきたの?」
「……それだけが理由ではありませんよ」
激した直後にすうっと落ち着いて、木花さんは笑った。
もうなにもかもどうにもならないと諦めた、乾いた笑みだった。
それから、彼女はつぶやく。
「せめて、あなたと手くらいは繋いでみたかったんです」




