15:……釣れたら、半分あげる
土曜日。
僕はプランの最終確認のため、予定している行き先をぐるっとめぐっていた。
「よし……地下鉄乗って移動で、これくらいの時間か。氷雨さん僕より歩幅だいぶちいさいし、駅から歩くと目的地までで二十分てとこかな」
こまかくチェックしながら、僕は行程を歩いて確かめる。
もちろん全部がぜんぶ、予想通り理想通りにいくとは思ってないけど。
ただ居てもたってもいられなくて、気持ちのおもむくままに動いてしまっていた。……我ながらだいぶどうかしてきてるな、とは思う。思うけど、どうにもならない。しょうがない。
駅から歩いて少しのところにある海沿いの水族館が、目的地だった。横にはちいさな遊園地もあり、観覧車なんかもある。わりと一日中ここだけで過ごせそうな場所だ。
青く暗い海上から吹く風はつめたく、季節の移り変わりを感じさせる。
氷雨さんに会ったのは九月頭だから、あのころはまだ暑かったのに。急に気候が変わっていくように感じて、なんだか妙な気持ちだ。
「氷雨さんと過ごした日の気候ばっかり、覚えてるからかな」
寒いから手をつなげたとか、覚えてるのはそんなんばっかだけど。
手持ち無沙汰な掌をぐっぱしながら僕は歩く。明日は……手をつないで、歩きたいな。
可能なら。
その先も――
「いや早いか。でも付き合って何度目で、とか。そういうのよく聞くし……」
「……なにを、よく聞くの」
「そりゃ、お付き合いには進展がつきもので……え?」
氷雨さんからうつったのか、つい独り言を口にしていた僕と会話を成立させていた相手がいる。
すーっと薄闇の中から現れたのは小柄な人影。
どことなく冷めた抑揚のない口調と、だるそうに区切り区切りでしゃべる億劫そうな態度。
それでいてどこか憎めない、なぜだか『そういう子だからしょうがない』と思わされてしまう不思議な雰囲気。
僕が振り返ると、僕の好きな彼女とまったく同じ容姿で、けれど不思議雰囲気をまとった子が立っていた。
有名アウトドアメーカーでキャップから足下までそろえた様子で、ほぼキャメル一色。無造作な髪型の間からぼんやりした半目をのぞかせている彼女は、クーラーボックスを提げていた。
もう片方の手は釣竿を担いでいる。
「吉埜さん?」
「……吉埜でいい」
「や、氷雨さんもさん付けなのにほかの人の敬称外すのは、ちょっと」
「……早田、弱そうなのにたまに芯強い」
からかってるのか素なのかわからないテンションで、吉埜さんはぽけぽけと僕の横を歩いていく。
視線だけ追っていくと、ふいに、僕の身体もそっちの方向に動いた。おおお?
「ちょっ、なんで僕の袖引っ張ってんの吉埜さん」
「……人けの無いとこに、連れてく」
「えっ!?」
動揺するも、ずるずると引きずられていく僕。
おっ思ったより力強い……! 氷雨さんと同じ身体なんだし細っこいから、とても力ありそうに見えないのに……!
「ていうか吉埜さん、今週って入れ替わりでみんな普段の曜日に出てきてないはずじゃ?! 今日土曜だけど!」
「……月乃、今週は学校で当番ある、とか。だからどうしても、って言われて交代した」
「なるほど。いやそれで、僕がいま引っ張られてる理由は!?」
「……人けの無いところ、行くから」
「いやいやわからないなにもわからない」
どうにも吉埜さんは言葉足らずというか言葉を発するのを面倒がっているふしがある。
言ってるうちに港の方を回り込み、いよいよ海に面した。たしかにひとの気配はない。
どうするんだ、と思っていると彼女はどこからともなく、折り畳み式の椅子を取り出した。
そしてその場に置き、僕に座るよう促す。
「……場所取り」
「へ? 場所取り?」
「……お願い。お手洗い、いきたい」
そしてがちゃがちゃと釣竿やクーラーボックスその他を置くと、すうーっとまた薄闇の中へ溶けるように消えて行った。
よく見ると、周囲の薄闇の中にはちらほら、ひとがいた。
どうやらみんな目的は同じらしい。
釣りか。
「こんな朝早い時間からなんだなぁ」
デートは明日だというのにまったく眠れなくて、始発すら待たずに夜更けのなかをここまで来てしまった僕は、そんなことをつぶやくのだった。
少しして戻ってきた吉埜さんは、ポケットに手を突っ込んだ姿勢で「助かった」とつぶやいた。
「べつに構わないけど。……体調、大丈夫かい? 少し顔白いけど」
「……だるい」
「風邪かな。帰るなら付き添うよ」
「……風邪じゃ、ない。生理」
「……ああなるほど……」
負担が偏らないように入れ替えてる週があるって、そういうことか。
というかさらっと言わせてしまったけど、これは察しておくべきだったな……。
「……三日目」
「いやそこまで細かく言わなくても」
「……明日はまだ、だいぶマシだと思う。楽しんで、きて」
「気を遣ってくれてありがとう……」
なんだか申し訳ない気分になりながら、僕は頭を掻いた。
そこに、吉埜さんは「ん」と言って手を突き出して来た。
「ん? ……こう?」
僕も拳を突き出してこつんとぶつけた。
吉埜さんは半目をもう少し細めた。
「……ちがう」
もう片方の手で僕の拳を取ると、指先をほどいた。そこに、ぽすんと軽いがあたたかなものが置かれる。カイロだった。
「ありがとう」
「……ん」
場所取りの御駄賃だろうか。
そのまま、彼女は釣竿をごそごそといじくりはじめる。リール、とかだっけ。そうした器具を手際よく取り付けて魚に立ち向かう装備を整えていった。
うねり動く細長い虫を、まるで気にした風でもなくひょいと針に差し込み。フュオンと風切りしなる先端から、遠くへと糸を垂らす。
僕はなんとなく、その様子を見ていた。
釣りに興味があった、というよりは吉埜さんの表情の変化に興味が湧いた。
いつも半目の彼女が、ずいぶんと目を見開いていたから。
「……釣れたら、半分あげる」
「へ? 僕に?」
「……欲しいんじゃ、ないの? こっち、見てた」
きょとんとした顔でこちらを見る。
氷雨さんは見せないような表情だった。あけすけな感情。
「うれしいけど、どうやって持って帰ろう」
「……保冷バッグ、あるから。……持って帰って、食べて」
短く言って、竿を構えた。
ぼんやり、のっそりした印象だった彼女だけれど、海風に向かって立ち尽くす様はなんだかちょっとかっこよかった。
僕はうなずきを返して、たぶんそれは彼女には見えていない。暗い海へ伸びる糸を真剣に目で追うのに夢中なようだった。
――ただまあ。
こういうのは時の運なのか。
三十分ほど経過。待てど暮らせどかからないので、そのうち吉埜さんはちいさい三脚みたいなものを取り出してそこに竿をかけると、ぼんやりしはじめた。真剣なのかそうでないのかよくわからない。
途中、横を通るおじさんたちが「釣れてる?」と訊ね、首を横に振る吉埜さんを見るとうれしそうな顔をして「あっちの方が釣れっぞ。雨上がりとかじゃないときはな……」とかなんとか、うんちくを垂れて去っていった。吉埜さんは聞いてるんだかそうでないんだかわからない反応をしていた。
さて、僕もなんだか受け取ると言った手前、「じゃ、明日のデートプラン考えるから」と離れるのも非人情だなと思ってそのまま待機。
やがてさすがに、僕が暇してると思ったのか。
「……釣る?」
と言って、吉埜さんは別の竿を取り出した。
「貸してくれるの? 立派そうなやつだけど」
「……だいたい、貰い物」
「あ、そうなんだ。綺麗だから結構新しいのかと思った」
「……手入れしてるから。釣りしたこと、ある?」
「ないなぁ。糸のことも針のこともさっぱりだ」
「……初心者。なら、PEじゃなくナイロン。場所も場所だし……根魚狙いで」
「根魚ってどんな魚?」
「……おいしい」
そこからは、手取り足取り吉埜さんが釣り方を教えてくれた。
ぼうっとしてる印象の強い吉埜さんだが、好きなことについては少し饒舌で、結局すっかり明るくなるまで二人でロッドを垂らしながらぽつぽつおしゃべりしていた。
釣果はカサゴが二匹。
僕は釣れず、ビギナーズラックには恵まれなかった。
「……たのしかった」
ぼそっとぼやき、吉埜さんはクーラーボックスを閉めた。
「釣れて、よかったね」
「……うん。釣れないと、ずっと、次はどうするか考えてる」
思ったよりぼんやりしてるわけではないらしかった。
ボックスとロッドを担ぎながら、吉埜さんはぼやく。
「……冬は釣り。夏は山」
「アクティブだなぁ」
「……しらないところで、しらない人と知り合う」
「さっき話しかけられてたみたいに?」
「……ん。そこに自分がいる、自分だけがいる、って実感できる」
あんまうるさいひとは、嫌いだけど。
そう言いながら、吉埜さんは帰路につく様子だった。
なんとなく僕も彼女のあとにつづく。氷雨さんから家の住所は聞いているけど、ここから帰るなら途中までは道が一緒のはずだ。
「途中まで持つよ。クーラーボックス」
「……いいの?」
「半分くれるんだし。運ぶくらいはね」
「……ありがと」
デートプランの確認は、送り届けてからでいいや。
そう思って家まで行った僕は、吉埜さんから保冷バッグに入ったカサゴをもらった。
調理の仕方とか調べなきゃなぁ、と思っていたら、彼女はドアを閉じる間際に「バッグ、今度、返して」と言った。
……あ、これまた早朝釣りに付き合うことになったのかな?




