14:期待外れなんて絶対起こり得ないし
『外』とちがって広間の中は時間の進みがよくわからない。
戻ってきた誰かが「二十三時に眠った」と言えばそれを基準にして次の日担当のやつが眠り、目が覚めたら外に出ていく。わたし含め全員、七~八時間で目覚めるので扉から出ていくやつを見て「いま朝の七時くらいか」と理解する。
そこからはずっと、ぼんやりした時間が流れる。
燈火みたいにトークの練習したり、逆に吉埜みたいに意図的にうつらうつらしてやり過ごしたり。
わたしたちそれぞれ、なんらかのかたちで時間の潰し方を心得てはいるが。だからと言って暇つぶしの達人じゃぁない。
「……うふへへ」
しかしいまのわたしはちがった。
無限に脳内再生できる新鮮な早田君像がある。楽しかった会話の記憶がある。わりとこれだけでもうずっとやっていけてる。
けれどまあ、これを語って聞かせようものならそれこそ木花に言われた通り無神経そのものだ。仕方ないのでわたしは吉埜をならってうつらうつら、舟をこぎながら楽しい記憶の再生につとめた。
そうしているうちに翌週になっていた。
「早っ!」
「なにがよ」
思わずぼやいたわたしに、外から帰ってきたところの燈火が返して来た。
こいつがここにいるということはもう二十三時ごろ。配信が長引くと零時まわることもあるが、態度に急いだところとかが見えないから今日はそういうのではなさそう。
「あー。まーそのね、『楽しい時間はあっという間』ってなんかで読んだことあるけど……こんなに早いの? びっくりした」
「ああ、一週間が早いってこと」
理解してくれたらしい燈火は肩をすくめる。
「毎日が充実してて結構なことね」
「まあ毎日っていっても、ここで過ごしてるだけだけど。でも楽しい時間だとこんなに、時間経つの早いんだね」
「そういうものかもしれないわね」
「かもしれない、って。燈火は毎週楽しいんでしょ? 配信とか」
「楽しいは楽しいけど、たぶんいまあんたが感じてるような楽しいじゃないわ」
輪郭のぼやけた返事をしながら、燈火は定位置の椅子に腰かける。
机の上へ伸ばした片腕に顔を載せながら、ぐでっとして私に片眉を上げてみせる。
「楽しいだけってのも、つかれるし、ね」
「? そりゃまあ、全力で楽しもうとするとつかれるだろうけど」
「わかってないわねー。しあわせって、しあわせであるだけじゃ感じられないものよ」
あんまりすることのない、皮肉ったような卑屈ったような顔を見せてから燈火は机に突っ伏した。
ふりふりと手首から先だけ揺らして「さっさと寝なさいよ。明日早田と会うんでしょ?」とうながしてくる。
めずらしい。普段はなんだかんだで配信の話したりわたしに嫌味かましてきたりで多少雑談に付き合わせるのに。
「そういうんなら、寝るけど」
「おやすみ」
よほど今日はつかれたんだろうか。
疑問に思いながらも追及すれば長引くかもだし、わたしも明日に備えたい。ちょっと後ろを気にしつつ、結局隣の部屋へ移って、眠りに落ちることにした。
扉が閉まる直前に、燈火のため息と「好きなだけ楽しいだけじゃ、つづかないのよね」という声が聞こえた。
#
映画はいいなぁと思った。
普段見ることがあまりない彼の横顔を、じっくり見ることができるから。
「氷雨さん、どうかした?」
「んーん。なんでも」
今日もまた、学校が終わってから会うことにした。前に話していた映画を、早田君の持ってきたタブレットで鑑賞することにしたのだった。
夜間部でも相応に部活動はあり、そのための教室は開かれているのでうちひとつにお邪魔して。机に置いたタブレットを、二人で眺める。
時折わたしは、横に腰かける早田君を眺める。楽しい。
懐かしい映画そのものも、もちろん楽しかった。
ふるーい記憶が呼び覚まされるというか、なんというか。
「とくになんも考えずしあわせだった頃を、思い出せるっていうか」
「えっ?」
「あ……声に出してた?」
「わりとはっきりと」
「うう……クセだから、抑えるようにしてたのに……」
広間であいつらに語り聞かせるときなんかがとくにそうだけど、『そんなに話す気はないけどまあ聞いてほしいかなー』くらいの気分とか、『重要だから話さなきゃいけないけど正直内容的に気乗りしない』ときとか、わたしは独り言を口にする体でしゃべることが多い。
そのせいでどうにも、たまに出てしまうのだった。思ってることがそのまんま。
「あーでも、深い意味はないから。だいじょぶだから、早田君」
「いや結構意味深な言い回しだったけど」
「しあわせについて考えてるっぽい言葉はだいたい意味深に聞こえると思うの」
「そうか? そうかも……」
「でしょ」
「まあそれはともあれ気になるんだけど」
「え、ええー……」
意外と踏み込んでくる早田君だった。
訊かれて困ることじゃ、ないけどね。
「んー。たぶんあいつらも、まだ話してないと思うけど。わたしたちがこうなったのって、だいたい三年前なんだよね」
「中学くらい、か」
「そ。早田君、わりと解離について調べてくれてるみたいだけど、解離って文字通り、意識が離れちゃう状態が多いから」
あいつらとわたしと、七人。
七原■という個人が分かたれた三年前から、約二年間にわたってわたしたちの記憶は非常にあいまいになっている。……どれくらいあいまいかというと、そもそもわたしたちは誰が主人格だったのかも、わからないのだ。
というのも、その頃は出る時間も頻度もばらばらで、唐突で。
家事手伝いをしていたと思ったら一分後にはぼーっとして釣り具片手に出かけたり、
ドラマをずーっと見てるかと思いきやあたふたとスマホ片手にライブをはじめたり、
やけに子供っぽくゲームに熱中したかと思えばまあなんかとくになにをするでもなく手持ち無沙汰になったり……これはわたしだけど。
ともかく、ランダムだった。
そして当然、情緒は不安定だった。
「だから、この映画を見てたくらいのころ。小学校低学年くらいのころは、そういうわずらわしさとかなかったなぁって。『実感が、普通にあった』っていうのかな」
「実感。また聞いたな、それ」
「どうしてもねぇ。自分のことなのに自分の責任じゃない範囲で起きることが多くなると、実感っていうのが薄くなっちゃうの」
「ほかのみんながやったことだから?」
「そ。でも、『ほかの、あいつらがやった』なんて言っても、なかなか信じてもらえないから」
夢から覚めた夢を見ると、現実感がなくなるってなにかで聞いたことがある。
夢の中ではそここそが現実だと思っているから、そこから覚める夢を見るとどこまでが地続きの現実かわからなくなる、ってことみたい。
わたしはそんな夢を見た経験はないけど、でもなんとなく気持ちはわかる。
実感がないって、すごくこわいこと。
「で、わたしたちは自分の責任を自分でとれるように。この日起きたことはそいつの責任、ってするために、出る曜日を決めたの。それが定着して安定してきて、やっと学校に通い直すことになって、夏休み終わりに許可もらいに行って……で、いまに至ります」
夏休み明けなんて半端な時期から早田君に出会ったのも、そういう流れのおかげだった。
……あ、素直に『おかげ』なんて思えた。わたし、前向き。早田君といるときだけは。
「そういう事情があったんだ」
「うん。まだ月1で、病院通ってるしね……あ、そうだ! そういう病院通いの週が月末にあるんだけど、このときは出る曜日を交代することがあってね、」
「今週は日曜日も、氷雨さんが表に出て来るんだったよね?」
「もうだれかに聞いたの!? うー、わたしから伝えたかった……誰ぇ、勝手に伝えたの……」
「ごめん。釦さんからだけど」
「あーいーつー……」
「そ、そんなに恨みに思うことかな? 先に教えてもらえたからこっちとしては予定組みやすかったんだけど」
「それはいいと思うんだけど。思うんだけどでも」
できればわたしから伝えて。
日曜日に一緒に過ごせる! ってなった瞬間の早田君の顔を、目に焼き付けたかった。いい顔してくれたと思うのに。見たかった……ずるいよ釦。
でも予定組めたって言うし、気を取り直そう。
「こほん。それで、今週は日曜日も会えるんだけど」
「うん……あー、うん……」
「……早田君、なにか言いたげな感じ? 間が意味深」
「えっまあそれはまぁ。予定、組みやすかったから。早速組んだー、わけなんですが」
「そうなの?」
「ざっくりだけど。朝九時から駅前集合で、それで」
「あっあっ、言わなくていいなんかすごいしっかり組んでくれてそうだしせっかくだから当日知りたい!」
「そ、そう? そこまで期待されると僕、それはそれでこわいんだけど」
「期待はしてるよすっごく。けど、こわがらなくてもいいよ」
期待外れなんて絶対起こり得ないし。
どこに行ったって、きっと楽しいから。
……って言ったらどんな反応するのかなぁ、見たいなぁと思うものの気恥ずかしくて口に出すことはできなかった。
早田君はむずむずした顔で笑みを抑えながら「わかった。当日、ね」とタブレットを操作してごまかした感じになった。反応が逐一かわいくって困る。わたしもむずむずした。
それから帰り道。
早田君とバスに乗り、彼と分かれたあとで。
わたしはスマホを取り出し、メッセージで『心配してないよ どこに行ったって、きっと楽しいから』と、言えなかった言葉を送った。
彼からの返信は『ご期待にそえるよう がんばります』だった。まじめか。でもそういうちょっとズレたとこ好き。
あー。
はやく日曜が来ないかな。
まあわたしにとっては、それって明日のことなんですが。




