13:可愛さ余って憎さ百倍
「どこまで進んだー?」
ゲームの進み具合を訊いてくるような感じで、燈火はわたしに問いかけてきた。
あのあと早田君とごはんを食べて、しあわせな気分で帰宅して眠り、広間に入った直後の先制。
けれど今日のわたしは、ひとあじちがう。
燈火に向かってふっふと笑い、机に向かう彼女の後ろへ大きく回り込みながら返した。
「……まあ? それなりに? 進展させて、いただきましたけど?」
「どうせ手ぇ繋いだくらいでしょ。しかも早田の方から」
「そそそんなことないし」
「ホント顔にすぐ出るのよね……」
あわててかぶりを振るわたしにじとっとした目を向けて、燈火は鼻で笑った。わたしはしあわせ気分に水を差されてむっとした。
「し、進展なんてそれぞれのスピードでいいでしょ」
「本心でそう思ってるならわざわざウソつかねーでしょ」
「こいつぅ……! なんなの、なにが言いたいの燈火」
「いやべつに? あんまりスローな進展だと、どこかで追い抜かすかもしれないわよってだけの話」
ふふんと鼻にかかった声で笑い、燈火はわたしを動揺させた。
せっかくいい気分で眠れそうだったのに……底意地の悪いやつ!
「でも早田君は、あんたたちになびいたりしないもん。大丈夫だから。わたし、信じてるもん」
「お、少しは強くなった。ひとを信じる心を手に入れたのねー、よかったねー」
「上から目線の反応がむかつく!」
「あたしはちゃんとひとを信用するようにしてるもの」
ふんふーん、と鼻歌混じりに、またトークの練習をはじめる燈火だった。くう、ちょっとコミュ力あってちやほやされてるからって調子に乗ってぇ……!
「あんまり氷雨さんで遊ぶのはやめましょう、燈火さん」
わたしが食って掛かろうとすると、燈火の対面に座る木花がぱんぱんと手を叩いて制止してきた。
そうだそうだ、と尻馬に乗ろうとするわたしに、木花は視線を向けてくる。
「それに、氷雨さんも」
「え、わたし?」
「あまり調子に、乗り過ぎないことですよ」
「それ燈火に言うべきじゃないの?」
「……あのですね。ぼくたちみんな、早田さんにフラれているのですよ? やたら食ってかかって略奪をほのめかす燈火さんも問題ですが、あなただって煽るようなことをしてはだめでしょう」
「? 煽るって……なにが?」
返す言葉に、木花がピキった。ような気がした。
「なびいたりしないもん、とか。信じてるもん、とか。ノロけ話を聞かされる身にもなっていただきい」
「……無意識でした、そこは、ハイ」
「無神経の間違いでは?」
ざくざくと言葉のナイフに刺されるわたしだった。
離れたところで日乃月乃とおしゃべりしていた(その横では吉埜が寝転がっている)釦が、そんなわたしたちを見てくすりと笑う。
「それくらいにしてあげなさいな、木花。あまり追い詰めるとかわいそうよ」
「ぼくたちの方がかわいそうでは?」
「不幸合戦をはじめるとキリがないわ。下がいると慰めるのも、自分のほうが下だと憤るのも、だれもしあわせにしない行動でしょう……それと、熱が入り過ぎよ」
「……失礼」
ドラマとかで監督役が俳優役に注意するときみたいな、妙にたしなめる感じで釦は言った。大きくのびをして髪を撫で、流し目でこちらを見やる。
「ま、無意味だとわかっていても壁を殴りたくなるときは、ありますけどね」
「まとめ方がこわいんだけど、釦」
「ふふふ」
なんだかこわい笑みを浮かべた釦は日乃月乃の傍らから立った。
「不幸はそれを思い出すだけでもまた不幸になるもの。しあわせはしあわせなときに、そうと知って噛みしめておくのが一番、よ」
「釦のしあわせって、なに?」
ふいに気になって、わたしは問いかけた。
眠りにいくらしく隣の部屋のドアに手をかけていた釦は、足を止めて唇に人差し指を当てる。考え込んでいる。
ややあってそのポーズのまま振り向いて、
「秘密」
と返してドアの向こうに消えた。
#
まだ二日。二日しか経っていない。
「来週また氷雨さんに会えるまで、あと五日か……」
学校で部活を終えて帰りのバス。僕はポケットの中で手を握ったり閉じたりして、一昨日の夜のことを思い出していた。
もう何度目になるかわからないくらい思い出しているし、今日は部活の間もそんな感じでうわの空だった。
部長はそんな僕を見て苦笑し、「記憶は良いよ。テープとちがっていくら再生しても擦り切れないから」と言って、後ろに積まれたVHSの山を見つめた。
相当古いテープなども集まっているここ、映画研究部は先輩である部長が彼女さんと二人きりになる時間をつくるために創設したとかいう、なかなかの逸話のある部活だ。
ちなみに部長の彼女さんはたまに出くわすが、ぽわぽわしてても節度あるひとなので、彼らが実際二人きりになってもその、いかがわしい空気は一切ない。
閑話休題。
そんな部活(基本部長、彼女さんと映画観てだらだらするだけ)のあと、一人でバスに乗っていた僕は乗り込んできた人物に目を留める。
何度まぶたの裏に映したか、わからないくらいの人物。
それでも擦り切れることなくどこまでも鮮やかに、僕の記憶の真ん中に立ってる人。
と、同じ顔身体をしているだけのひと。
彼女は僕に気づくと、軽く会釈した。
「今日は金曜……ってことは」
「釦です。部活帰りですか? 早田さん」
「うん。そっちは学校……にしては遅くない?」
「バイトが長引いてしまったので今日は遅刻です」
しれっと言って、僕の横まで来る。「かけても?」と言われたので「どうぞ」と僕は通路側の席を譲る。
ボリュームスリーブのトップスにハイウエストのロングスカート、タイツにパンプスというモノトーンコーデで装った釦さんは、あんまり物が入らなさそうなサブバッグと思しきものだけ片手に、髪を手で梳いていた。細く小さな銀のイヤーカフと、同色の小さなロケットが首に下がっている。
「なにか?」
「あ、いや。少しずつ慣れてきたけど、みんな服装とかも結構バラバラだなと思って」
「そうね……服の貸し借りもたまには致しますが、基本的にクローゼットと個々で使う棚は、分けているもので」
ふふ、と笑ってスリーブを撫で、釦さんは目尻を下げる。
「だから氷雨のプライベートについては、私からは聞き出せないと思ってくださいな」
「そんなことする気は……」
「ないですか?」
「ちょっとしか」
「正直ですね~」
袖を撫でていた手を伸ばし、ちょんちょんとつつかれた。
手を繋いだばかりなのもあって、身体接触には過敏に反応してしまいそうな僕だ。別人だとは、思っているのだけど。
「でも実際、こうやって氷雨さんと会えない時間も多いからさ」
「?」
「その間に釦さんやほかのみんなと話して、いろいろ氷雨さんのこと聞いたりできるのは。うれしいし、楽しいとこではあるよ。ちょっとだけ、そういう打算込みで、みんなと接してるところはある……」
「正直ですね、本当に」
苦笑まじりに返された。
そりゃそうか。暗に、眼中にないと言ってるようなものだし。
「でも、それだけ愛されているひとがいるのを見るのは、いいものです」
「そう?」
「ええ。あなたみたいな人に好きになってもらえるの、きっとしあわせよ」
「なんか、すごいさっぱりした感じで言うね」
「応援してないわけではないもの。私は早田さんとは結ばれなかったですけれど、『だったら可愛さ余って憎さ百倍、早田さんも不幸になれー』なんて思わないわ」
しあわせの総量が増えるなら、そのほうがいいのよ。
そう区切って、釦さんは立てた人差し指をくるくるさせた。
「そう思っていれば、私はそうなったときにそれを私の実感として得られる」
「実感?」
「ええ。実感です。大事なことよ」
「氷雨さんと木花さんからも、同じ言葉聞いたような気がする」
「あら。それは私たちにとって、たぶん共通で大事なことだからですね」
「それは氷雨さんのプライベートにも関わるヒント?」
「さあ、どうでしょう」
意味深なことを言って口角を上げる。表情や仕草の端々に、どうも年齢にそぐわないものを感じさせるのが釦さんだった。
ほとんど同時期に出て来た、とのことだったけれど。解離性同一性障害は表出する人格によって年齢のちがいもあるとのことだし、釦さんはみんなの中でも年上の人格なのかもしれない。
「でも面倒見いいよね、釦さん」
「これでも自分がしたいようにしているだけ、なのですけれど」
「じゃあ周りと相性が良いってことなのかな」
「それもどうでしょう……なんだかんだ言っても、私たちとあの子たちのかかわりは、複雑ですから」
また苦笑する。
そういう、少しヒクツというか自信なさげに見せる表情は、氷雨さんがたまに見せるそれとよく似ていた。
「でも、しあわせになればいいと思ってはいますよ。推しみたいなものです」
「推しかぁ」
「ええ。私にとってもっとも欲しい実感は、あの子たちがしあわせであると認められること、ですから」
「……ふうん」
「あら、なにか警戒したような声」
「いや警戒とかでは、ないんだけど。昨日こんな感じの会話の流れから、木花さんに『やはり、全員とのお付き合いは難しいですか? そうしたらしあわせなひとが増えるのですが』って言われたから」
「あの子もよくよくこだわりますね。熱が入り過ぎていると言ってますのに」
嘆息して膝に頬杖つき、あさっての方を見る釦さんだった。
木花さんとは雑談こそ弾むものの、どうも彼女も自分の周囲全員への思いやりが強いのか、ちょくちょくジャブのようにそのテの話題を投げ込んでくる。
「こだわるのはわかりますが、あまりつっこみ過ぎないように、と伝えておきます」
「ありがとう」
「いえ。それと木花、氷雨から聞いているかもしれませんが来週は私たち入れ替わる曜日が異なりますので。気を付けてちょうだいね」
「来週?」
そういえば前に氷雨さんから、負担が偏らないように入れ替えてると聞いたような。
「通院などで、自分の時間が削られることがありますので。そういう週は交代しているのですよ」
「なるほど。そういえば前に一回、病院行ってるからって氷雨さん来なかった週があったか」
「そのとおり。だいたい毎月末です」
ですから、とくすり微笑んで釦さんはスマホを振る。
「来週は水曜のあと日曜日に、氷雨が空いています」
「えっ」
「もっとも知りたかったプライベートじゃありません?」
「そ、それはもちろん……日曜、空いてるんだ」
この前の夜に会ったとき、サボって会おうかとまで考えていたけど。来週は二回会えるし、しかも休日だから日の高いうちから会える。
我知らず笑顔になってしまっていたらしく、釦さんはそんな僕を見てますます笑っていた。
周りにしあわせが増えてほしい、という釦さんの気持ちは、どうやら相当強いらしい。




