10:付き合えた、なんてのは最初のハードルを飛び越えたにすぎないでしょ
家に帰ってベッドで目を閉じたあと、ふと気づくと扉の前にいる。
暗い中に扉だけが浮かんでいるような感じで、その現実感のなさにわたしは「身体が眠った」ことを知る。
ここを越えると、六人と共有している広間だ。
わたしは気持ちを落ち着ける。
「落ち着こう……冷静に冷静に」
すー、はあー、と深呼吸。
けれどそのあいだも脳裏をよぎるのは、ついさっきの早田君とのやりとり。
好きって、言っちゃった。
SNSの連絡先も聞いちゃった。
お付き合い、することになっちゃった。
「……うふふへへ」
やばいやばい。
気を抜くとゆるい顔しちゃってるぞ、わたし。
動悸も激しくなっていたけど、わたしはその場でしばらくぐるぐると歩いて気持ちを落ち着けることにした。
クールに。沈着冷静に。
そしてみんなに伝えよう。……みんなには、悪いけど。お付き合いするのはわたしだけだけど。
わたしは扉を開けて、んー、と伸びをする。いつも通りな感じを装って。低く視線を走らせて。
だれに目を合わせることもなく。
「あー、っと。そのね。お付き合いすることに……なったよ」
さりげない感じに報告すると、六人の反応はそれぞれだった。
でも総じて言えるのは「へぇー」みたいな態度だった、ってこと。
ん、なになにその反応。想定とちがう。
「な、なんか反応薄くない?」
「……だってここ入ってきたときの表情で、うまくいったのはわかったし」
燈火が呆れた顔で頬杖つきながら言う。
わたしはぺたぺたと自分の頬を触ってみた。
はっ、これ以上ないくらい締まりのない顔してる! ほっぺたぐにゃぐにゃだ! さっき気を付けたのに……!
「そんなうれしかったの? 早田と、お付き合いできたのがさぁ」
「いぃいいぃやいやいやそんな、うれしいって言ってもその、これは……うん、まあ、うれしいだけです。はい」
「はぁ」
燈火の目は冷めていた。
わたしが先にうまくいっちゃって、面白くないと思ってるのかもしれない。いやでも、焚きつけたのあんたでしょ……
そう思いつつも、早田君はわたし以外の全員をお断りすると言っていた。
つまり燈火も。
断られる、ことになっている。
……さすがにその眼前でめちゃめちゃに喜んでいるというのは、どうなのか。さしものわたしもさらに強く、冷静であろうと努めた。あまり喜びすぎるのははしたない。
そして誠実であろうとするなら……わたしの本心はちゃんと、伝えておくべきだ。
「……興味ないふりしてごめん」
「ん?」
「本当はわたしも、早田君のことすごく、好きだったの」
「……はぁ」
燈火は椅子の背もたれに肘をかけながら、こちらをかえりみた。冷めた視線がとてもこわかった。でも言いかけたことは、最後まで口に出す。
「七重人格だって知られたら、断られるんじゃないかと思って。こわくて。だから興味ないふりして、遠ざけようとしちゃって……それでも、好きって言ってもらえて、うれしくて……だから、付き合うことに、したの」
わたしもキャパがいっぱいいっぱいで、そう告げるのが限界だった。
どきどきしながら、燈火の顔をうかがう。
奴は下唇をひん曲げた感じで、「はぁ」と繰り返した。
「……ま、いいんじゃないの。付き合えたなら。まずはおめでとう」
「『まずは』ってなんか含みあるよね……」
「当然。付き合えた、なんてのは最初のハードルを飛び越えたにすぎないでしょ」
「それは、そうだけど」
「お次はどう進展していくかよ。あたしたち六人がお断りされるとしても、だからって、早田のことあきらめるわけじゃないから。もたもたしてたら追い抜くわよ?」
「お、おおお断りされるってなんのこと……?」
ズバっと燈火に今後の展開を予言されて、わたしは挙動不審になった。
今日だけで何度目になるかわからないため息をこぼしながら、燈火は「顔に書いてあんのよ」と言った。
「『先にしあわせになってゴメンね?』感が顔に出てんのよ。男がデキた余裕アピと調子爆乗り感がめちゃめちゃ滲んでるの」
「そっそこまで滲み出てないよ!」
「内心、そう思っているという事実については否定しないのですね……」
木花にドン引きした感じで言われた。
いやっ……まあそれはその、申し訳ないながらも多少の優越感とかは……あったかもだけど。
「でもあんたたちだって、同じ状況だったらこうならないって言える?!」
「開き直ったわね」
「だれにでも当てはまる悪癖を自虐することで広範囲を自爆に巻き込む論法ですね」
「話題のすり替えではないかしら、それ」
「卑怯」
「ひきょーものー」「ひれつかんー」「漢だと男子じゃない?」「そうかも」
六人がかりで容赦なかった。わたしの心がめきめきへし折れそうになる。弱いなぁわたし。こいつらみたいに芯が強くなれそうにない……。
「ま、でもいいわよ」
「え」
燈火がふっと気の抜けたようなトーンで言うので、わたしはうつむきかけていた顔を上げた。
机に頬杖ついたまま、あいつは片眉を吊り上げながら言う。
「調子乗ってて開き直ってるとは思ったけど、べつに悪いとは言ってないでしょ」
「いやあきらかに攻める口調だったけど……」
「イラっとする態度をとられたら、攻撃はするでしょうとりあえず。ぼくはそう思いますね」
「木花こわいんだけど」
「ふん」
めずらしい反応を見せて、木花はそっぽ向いた。
釦が話題を継いで、唇に人差し指を当てながらぼやく。
「ともあれ、氷雨がすこしは前向きに素直になれたのなら、よかったとしましょう」
「まとめ方がなんか雑じゃない……?」
「ほかに言いようがないのだもの。しょせん、他人ごとよ」
「たまーにドライなとこ見せるわよね、釦って」
「ドライとか言うんじゃありません。状況を見直したら、そうとしか言えないでしょう?」
「……たしかに、そう。思う」
「なにかがそれほど」「進んだわけでもないね」
さらっと流すように言われて、わたしも考え込む。
それほど進んだわけでもない……まあ、たしかに……。
飛び上がるほどうれしかったし、実際帰り道何回か跳ねたけど。でもこれはスタートに過ぎないといえば、そうなのかもしれない。
「早く進展すること考えないと、本当に追い抜くわよ」
「うぐ。な、なんか燃えてない燈火? 略奪趣味?」
「釦の特殊性癖の真逆いく気なんてないわ」
「ひとのこと特殊性癖とか呼ぶのやめてくれないかしら?」
「しかし、燈火さんの言うことも一理あります。たとえぼくらのような状況でなくとも、恋愛など元より競争なのですから。常に自身がチャレンジャーであるとの意気込みのほうがよいのです」
こっちに視線向けないままで、木花は断言した。え、えっ。わたし、結構重大な局面を乗り切ったと思って、安心しかけてたんだけど……。
「……トンビに油揚げ。を、さらわれる」
ぼそっと吉埜が不穏なつぶやきを放って、机に突っ伏した。
わたしはまた、新たな焦りに駆られ始めた。ど、どどどうしよう。早田君になにかこう、連絡とかしといた方がよかったかな? SNS教え合ったけど、メッセなんも送ってなかった。こんな不安に駆られるなら『超好き、愛してる、だから他の女の子は見ないで』くらい送っておいても……いやこんなはずかしい文面送れるか!
「ともあれ、そろそろ交代していただきましょうか」
すっくと立ちあがった木花が、広間の扉へ向かい始める。あわわわわ。
「ちょ、ちょっと木花。ま、待ってもらうことは……」
「ぼくも溜まったドラマを消化したいので」
「いやあの、三分。三分だけ時間をください」
「毎回三分以上かかっている場面のセリフで懇願されても、逆効果です」
取り付く島もない木花は、そのまま扉の向こうへすっと消える。
うわー、わー! また一週間先まで、ってわたしには明日だけど、今度は油揚げとられてないかって悩みと心配しなきゃいけないの……!?
「いやそこは信じなさいよ、自分が選んだ男でしょ」
顔に書いてあったのか、燈火にまたずばっと言われた。
「……たしかに」
わたしはちょっと落ち着いた。
といって、自分に自信がないし魅力があるとも思っていないので、しばらくするとまたあわあわと、してもしょうがない心配と不安のめくるめく妄想に沈み込んでいくのだった。




