第三十九話「おはようは窓から」
一夜明けて、今朝は清々しいくらいの快晴に恵まれている。
でも、僕はすこ~し寝不足気味。燦燦と輝く日光を見上げたら、思わず欠伸が出た。そして、ご主人さまは大きく開けた僕の口に、脈絡なく人差し指を突っ込んで来た。舌に指の腹を置かれて下顎を押さえつけられているので、口を閉じられない。
「ご主人さま?」
「ウフフ、驚いたでしょ。眠気は覚めた?」
「覚めました」
「よろしい!」
ご主人さまは、僕の返事を聞いて満足そうに頷くと、朝の身支度を始めた。本音を言えば、この時点ではまだ半分寝惚けていた。
さて、今日は何の魔法を覚えてもらおうか。そう考えながら、着替え中のご主人さまを見ないように窓辺に座って外を眺めていた。
すると、いきなり窓のすぐ外に見覚えのある狼耳が出現し、次いで四本指の手が伸びてきてガラスをコンコンと叩いた。そして、聞き覚えのある声のおかげで、正体がハッキリ判明した。
「おーい、レベッカ。昨日の約束通り、箒を持って来たぜ!」
声を聞いたご主人さまは、慌ててこちらへ駆け寄り、持っていた櫛を適当に脇へ置いて窓を開けた。すると、背中に箒を背負ったズヴォネクさまが、まるでターザンのように勢いをつけてダイナミックに窓枠を飛び越え、両足を揃えて部屋の床へ着地した。窓の外には一本のロープが垂れ下がり、直前の振り子運動による慣性でゆらゆらと揺れている。
「ここは二階よ、分かってる?」
「知ってる、知ってる。でも、屋根の上に丈夫そうな煙突があるのが見えたから、投げ縄の要領で引っ掛けりゃ登れそうだなと思い付いちまってさ。――今朝も眠そうな顔をしているな、猫助」
「今しがたの一連の暴挙で、すっかり目が覚めましたよ。勝手に変なあだ名を付けないでいただきたい」
「大丈夫かい、レベッカちゃん。今、ドンッて凄い音がしたけど。――あら、ゾラちゃんじゃない。どういうこと?」
「何だか騒々しいね。レディの部屋へ入るのは気が引けるが、何があったか確かめずにはいられないレベルの響きが、こちらにも伝わってきたよ。――おや? これはこれは、随分とワイルドなお客さまだね」
物音を聞きつけ、階下からゲルハルトさまが、隣室からレオナールさまがやって来たことで、しばし爽やかな空気を忘れさせる、賑やかすぎる朝となった。
それから、およそ十五分後。ご主人さまと僕、ゲルハルトさま、レオナールさま、そしてズヴォネクさまは、一階で一緒にブレックファーストの席を囲んでいる。ズヴォネクさままで一緒なのは、ネレム姉妹の分を用意しているうちに新聞配達の時間になり、食べ損なってしまったという事情を知ったからだ。
「ねえ、ゾラちゃん。あれからノーラちゃんの具合は、どう?」
「健康そのものさ。元気過ぎて、もうちょっと大人しくしてて欲しいくらい。――これも、レベッカのおかげだよ。ホント、助かった」
「えへへ、どういたしまして」
会話の輪としては、女性陣三者と男性陣二者という二つに自然と分かれた。初めこそは、ズヴォネクさまに知的好奇心を擽られたレオナールさまが盛んに疑問を投げかけていた。だが、クロテッドクリームをジャムより先に塗ったのは何故かとか、角砂糖を入れずにラテだけしか加えないのは如何してかとか、本人も無意識にしている所作や気まぐれに逐一理由を尋ねてくるレオナールさまを、ズヴォネクさまは鬱陶しく感じたようで、次第にぞんざいな応じ方しかしなくなっていった。ならばといって、ご主人さまやゲルハルトさまに話を振ったところで、戸惑いか投げやりな返事しか得られない。そのため、結果的に消去法で僕が質問の回答をしなければならなくなった。
「ムシュー・シュヴァリエ(=騎士くん)。質問なんだが、プティットゥ・ソルシエール(=小さな魔女さん)は、ルー・ソヴァージュ(=ワイルドな狼ちゃん)に何をしてあげたんだい?」
「ズヴォネクさまのお宅で預かっている姉妹のうちの一人が風邪を引いたので、看病してあげたんです」
「マーベラス! 麗しい友情だね」
「ところで」
僕は一拍置き、女性陣が今朝の紙面に掲載されていた占星術の結果についてトークが弾んでいるのを確認してから、囁き声で訊ねた。
「レオナールさまは、フェルディナン・フレデリック・フランソワ殿下とお会いしたことがありますか?」
「藪から棒だね。正直に答えなきゃだめかな?」
「いえ、言いたくなければ、無理にお答えいただかなくても結構ですよ。たとえ嘘を吐かれたとしても、僕に偽証を糾問する権限はありませんし」
「ハハッ、それは尤もだね。でも、そう諦め半分で言われると、かえって真実を教えたくなるものさ。少しばかり、耳を寄せてくれるかな」
レオナールさまが前屈みになって僕の頭の方へ顔を近付けたので、僕は聞き逃すまいと片耳を立てた。
「公にはされていないが、現陛下の兄君である前国王の斂葬の儀で、偶然出くわしたことがあるんだ。儀式が始まる前に、まだ小さい殿下が式場の外で護衛とはぐれて迷子になっているのを見かけてね。本人は覚えていないだろうけど、広い庭園に一人ぼっちで泣いていたんだ。僕は、その直前に執事らしき半羊の男性が誰かを探している様子だったのを見掛けていたから、殿下をその場所へ連れて行ってあげたんだ。今思えば、最初に見付けたのが誘拐犯でなくて、本当に良かったよ」
「なるほど。ということは、レオナールさまも王室にゆかりのある人物と認識して間違いないですね?」
「鋭いね。まぁ、もしも僕が愛妾の子でなく、兄君が長生きしていたら、王位継承権がもらえたかもしれないけど。それでも、翼の無い身体に重圧を背負うのは、真っ平御免さ」
「失礼ながら、僕としてもレオナールさまは王子に向かないと思います」
「フッ。まったく、その通りだよ。――ストロベリーは、食べられるかい?」
「いただきます」
話を切り上げると、レオナールさまはフルーツが盛られているバスケットの中から2個3個苺を摘み、蔕を取って僕の平皿に載せた。




