第三十七話「半羊の執事」
城内は、背筋を伸ばして歩かないと様にならないほど、塵ひとつ落ちていない清潔な空間で、自分の声の大きさとエコーに驚いてしまうくらい森閑としていた。さりげなく飾られている絵画や彫像といった美術品やガラス細工や金銀の糸が織り込まれたタペストリーなどの工芸品は、どれ一つとっても不用意に触ってはならないオーラを放っている。足元の絨毯とて、一フィート四方で万単位のシグリンがヒラヒラ飛んでいくだけの価値があるに違いない。
「このまま真っ直ぐ行って、奥に見えている階段を降りてすぐの部屋だ。ドアが一つしかないから迷いようがない」
「わかりました。助かります」
「なに、大したことではない。ひとりで徘徊して、他の見張りに同じ説明をするのも手間だろうと思っただけだ。では、私は報告書を提出してくるから、気を付けて行ってこいよ」
「ありがとうございました」
廊下の途中にある丁字で僕を背中から降ろすと、イバルロンドさまは左へ曲がってすぐの部屋をノックし、返事を待ってから入室した。
僕は、毛足の長い絨毯の踏み心地の良さを堪能しつつ、真っ直ぐ奥へと進んだ。
*
窓の向こうが薄暗くなってきた。外の空では、地平線から月が顔を出している頃かもしれない。早く帰らないとディナータイムを過ぎてしまうな。ご主人さまは、今頃はゲルハルト家に着いている頃だろう。
そんなことを考えながら階段を降りると、イバルロンドさまの言う通り、ドアが一つだけあった。ドアには金色のプレートが固定してあり、そこには「上級使用人」の文字が刻まれている。
ノッカーもなければベルもないので、前足でドアをコンコンと叩いた。すると、あたかもドアの前で待ち構えていたのではないかと疑いたくなるほどの素早さでドアが開いた。
「若さまのお料理なら、いつも通り配膳室に持って行けと言ったはずだが、――おや、メイド長ではなかったか」
「ごきげんよう、執事さま」
ドアを開けて現れたのは、いつぞや若さまを追い駆けていた燕尾服姿の半人半羊の紳士。髪粉のせいで白い頭をしてるけど、よく見ると地毛は黒々としている。山羊髭を生やしていて、口元に深々とマリオネットのような皺が寄ってるけど、生真面目そうな性格で日頃から苦労を強いられているところを差し引いて、実年齢は五十代ってところかな。
「まったく、警護の連中は何をしてるのやら。このようなドラ猫一匹追い払えないとは、公費を溝に捨ているようなものだ」
「ドラ猫と言わないでくださいな。これでも僕は、空飛び猫として陸歩き猫とは違うというアイデンティティを持ってますから」
「ああ、そうかい。それで、その空飛び猫さまが何の御用なのかね?」
「若さまとお話したかったのですが、公務で多忙なようですので、その代わりに……」
「私とて暇ではないがね。第一、気安く若さまに謁見しようなど、図々しいにも程があるぞ」
「申し訳ない。引っ掛かることがあると、探らずにはいられないものですから」
「好奇心は猫を何とやらというがね。……まあ、断っても食い下がりそうだから、話だけは聞いてやろう。入りなさい」
「ありがとうございます。失礼します」
部屋に入ると、僕はヒョイと両脇を白手袋をはめた手で下から抱え上げられ、そのままクッションを乗せたオットマンの上に降ろされた。執事さまは上着をハンガーに掛けて壁際のフックに吊るすと、ローテーブルを挟んで向かい側にある革張りの長椅子に腰を下ろした。
「改めて聞くが、名前は何という?」
「スノウと申します。そちらは?」
「私は、オイゲン・エンゲルブレヒテという。女王陛下即位以前からこの王室に仕えていて、今は殿下付添筆頭を任されている」
「わあ。エンゲルブレヒテ家と言えば、海ブドウ町の名家ですよね。どうして、王都で執事になろうと思われたのですか?」
「その質問は、採用試験の時に面接官へ回答済みだ。引っ掛かるところというのは、そこではあるまい?」
「あっ、そうでした。どうも合点がいかないことがありまして……」
この先、一対一で話し合った内容については、長くなるので次回に持ち越すことにする。まっ、結論だけ言うと、ご主人さまに青春が訪れることになるんだけどね。




