第二十九話「賑やかな食卓」
初めから易々とこなせる達人は、全然出来ない凡人の気持ちを理解出来ないばかりに、指導者には向いていないという場合がある。例えるなら、いくら優秀で立派な戦績を残したスポーツ選手であっても、現役引退後に名コーチになるとは限らないというようなものである。裏を返せば、習得までに四苦八苦してきた努力家の方が、初心者が躓きやすいポイントをよくよく心得ているので、指南役には最適なのである。
長々と語ったが、結局何が言いたいのかというと、レシピカードが良く出来ていたおかげで、ご主人さまは、卵を割って黄身と白身を分ける作業以外には何も失敗しなかったということだ。もしも、このように初心者目線の懇切丁寧なレシピカードが青リンゴ村のローズ家にもあれば、きっとご主人さまも、そのお母さまも、そこまで料理に対する苦手意識を持たずに済んだだろうに。
ちなみに、レシピカードには、以下のような文章が、もう少し易しい言葉で書かれていた。図解もあるが、そちらは紙面の都合で省略させていただく。
~馬鹿でも分かるライ麦ショートブレッドの作り方~
■材料(2枚分)
小麦粉:カップ1杯と半分
ライ麦粉:スプーン1杯
砂糖:カップ半分
バター:ケースいっぱいの5分の1
卵黄:1個
好みでレーズンやナッツ類をトッピングしてもよい
■準備
小麦粉とライ麦粉を合わせ、漉し器でボウルに篩い合わせる。 天板にはオリーブオイルを塗っておき、竈は高めに温めておく。
■手順
①篩い合わせた小麦粉とライ麦粉にグラニュー糖を加えて混ぜ、バターをダイス状に切って入れる。指先でバターを潰すようにしながら粉と混ぜていく。
②バターが細かくなったら、粉全体を混ぜ、手の平で軽く擦り合わせるようにしてポロポロのそぼろ状にする。
③卵黄を加え、手早く全体に散らすようにして混ぜ合わせる。ひとまとめになったら半分に千切り、1つずつ丸くまとめる。
④天板に半量の生地をのせ、手の平で押して丸く平らに広げる。洗面器程度の大きさまで伸ばしたらよい。
⑤包丁の背で8等分になるように対角線の筋を入れる。刃を下まで入れず、少し深めの切り込みになるくらいにする。生地を切り離さないように注意。
⑥トッピングがある場合は、ここでナッツ類を指で押しつけるようにして生地にのせる。軽くのせただけだと、焼いたときに取れやすいので注意。
⑦フォークでポツポツと生地に穴をあけ、温めておいた竈で4分の1時間ほど焼いて冷ます。残りも同じようにする。
まっ、悔やんだところで過去は変えられないので、今を生きることにしよう。
生地を竈に入れるところまで見守った後、僕はひとっ飛びしてゲルハルトさまにランチはご馳走になる旨を伝えに行った。そして、再びズヴォネクさまのアパルトマンへ蜻蛉返りすると、バターの香りとライ麦の焼ける芳醇な薫りが窓の外へも漂っていて、ダイニングテーブルの中央には湯気立つショートブレッドが置かれている。テーブルの上には、余った白身と殻を除いた全卵を使ったスープもある。
「ねぇねぇ、まだたべちゃダメなの?」
「おなかすいた~。おへそがしっぽのねっことくっついちゃいそう」
「まったく。朝っぱらまで熱出して寝てたってのに、変わり身の早い奴だな」
「まぁまぁ。スノウも戻ってきたことだし、ランチにしましょうよ。――スノウは、そっちに座って」
「お待たせしました」
この後は、切り分けたショートブレッドのどの部分を誰が食べるかを決めるためにカードを使って抽選をしたり、洗濯物を集めて回った時に小耳に挟んだ噂話で盛り上がったりしながら、ランチタイムは和気藹々とした雰囲気のまま進んで行った。
その後、食休み中に抽選に使ったカードを束に戻して簡単なゲームをしたあと、ズヴォネクさまが「そろそろ乾いた洗濯物から畳んでいこう」と言い出したので、ご主人さまは、残った魔法薬を小瓶ごとズヴォネクさまに渡したあと、僕たちはゲルハルトさまの家へ帰った。




