第二十八話「愉快な正午」
リビングからベランダを見やると、紺碧の空に洗濯物が満艦飾のようにはためいている。これだけ清しくカラリと晴れ渡っていれば、シャツも、タオルも、ジーンズだって、夕方には乾いていることだろう。
「それじゃあ、バンザイして」
「バンザーイ!」
「お前じゃないぞ、ニーナ。レベッカは、ノーラに言ったんだ」
僕の背後では、リビング側でご主人さまが寝汗を掻いたノーラ・ネレムさまを着替えさせ、ダイニングキッチン側でズヴォネクさまがニーナ・ネレムさまとランチを拵えている。まだ5歳とはいえ女性には違いないので、僕は着替え姿を見ないよう、リビングの窓際でベランダ側を向いている。
「こっち向いても良いわよ、スノウ」
「ねこさん、どう? あたし、きまってる?」
「ええ、よくお似合いですよ」
僕が少し褒めると、ノーラ・ネレムさまはフサフサの尻尾を振り振り、ダイニングキッチンの方へ駆けて行った。病み上がりに無理をするとぶり返すので良くないが、ノーラ・ネレムさまには、そんな心配を跳ね返すほどの元気が漲っているように見受けられる。
ちなみに、この世界の獣人の幼児は、男女問わずチュニックワンピースのような洋服を着ていることが多い。これは、小さな子供にはズボンの後ろにあるファスナーから尻尾を出すのが難しく、また、ボリュームや長さによっては獣毛が挟まったり擦れたりして怪我をする危険性が高いためである。まっ、チュニックワンピースなら、背中側に尻尾を出すファスナーを設けなくても、上から羽織るだけで不自由なく尻尾が動かせるというわけだね。逆に言えば、尻尾を出すファスナーがあるズボンやロングスカートを穿けるようになることが、獣人の子供にとっては大人に近付く第一歩なのだ。
「なぁ、レベッカ。そいつ、玉葱と葡萄が駄目だったんだよな?」
「ああ、スノウのことね。そうなの。あとは、ピーナッツや海老も」
「了解。それなら、レーズンやナッツ類は無しで作るか」
「あっ、私とスノウの分まで作らなくていいのに。そろそろ帰ろうと思ってたところだし」
「おいおい、水臭いな。遠慮するなよ、レベッカ。面倒を看てくれた礼くらいさせてくれ。――いけねぇ。竈に火を入れておかないと。熱いから離れてろ、二人とも」
「はーい」
「たいきゃく~」
「待ってるだけでは申し訳ないから、私もお手伝いするわ」
「じゃあ、レベッカおねえちゃんは、こっちにきて。ここに、これのとおりにいれてほしいの」
そう言いながら、ネレム姉妹はズヴォネクさまの傍に置いてあったレシピカードを持ってきたり、ご主人さまにサラダボウル、マグカップ、スープスプーンなどを手渡したりした。ご主人さまに近付いて文字を読んだ限りでは、どうやら今日のランチはショートブレッドになりそうである。僕としては、ご主人さまが材料や分量を間違えたり、変なオリジナリティを発揮したりして暗黒物質が完成しないかと心配なのだが、ご主人さまは別のことが気になった様子。
「ねぇ、ゾラ。このレシピカードは、ゾラが作ったの?」
「もちろんそうだ、と言いたいところだが、あたしはそんな達筆じゃねぇ。そいつは、婆さんが書き残しておいてくれたものだ」
「へえー、優しいところもあるじゃない。ちゃんと将来のことを見据えてたのね」
「そんなんじゃねぇよ。あたしが人並みの料理出来るようになれば、自分が朝昼晩と食事を作る手間が省けるし、作り過ぎて食材を無駄にしたり、使い方を誤って道具を破壊したりして、余計な出費が嵩むのを防ぐことも出来るからだよ」
「まっくろにこがしても、すっごくしょっぱくなっても、ぜったいにのこしちゃだめだったんだってさ!」
「じごうじとくなんだって!」
「あら、意外とシビアなのね。うまく作れるかな……」
「なんだ、なんだ。やけに弱気だな、レベッカ」
「ひょっとして、おりょうりがにがてなの? しんぱいしなくても、だいじょうぶだよ。いいかげんなゾラでも、ちゃんとつくれるようになってるから。ねっ、ニーナおねえちゃん?」
「そうそう。ガサツなゾラでも、ちゃんとよめば、ちゃんとできるようにかいてあるから」
「おい、お前ら。聞こえてるぞ!」
ネレム姉妹は、戸棚や引き出しを開けて作業台の上に材料を並べていたが、余熱の準備が整ったズヴォネクさまが竈の傍を離れて近付いてきたので、作業台の前に立ってレシピを読み込んでいたご主人さまを盾にするように背後へ回った。
この調子だと、料理が出来上がるまで少々時間がかかりそうだが、4人の調理風景は見ていて飽きないので、このまま余計な口出しをせず、気長に完成を待つことにしよう。そう心に決めた僕が再びリビングの窓辺に戻ると、風に乗って正午を知らせる鐘の音が聞こえてきた。




