第二十七話「良薬を口に甘く」
まずは現状を説明しよう。
只今ご主人さまと僕が居るのは、ズヴォネクさまの家のリビング。ご主人さまはソファーベッドのアームレストに軽く腰を下ろし、僕は少し離れた窓の枠で香箱座りして様子を伺っている。ここへ来てから、風伝えに定時を知らせる教会の鐘が3度聞こえたので、少なくとも2時間以上は経っているだろう。
ソファーベッドのマットレス上ではノーラ・ネレムさまが横になり、スースーと穏やかな寝息を立てて眠っている。そしてニーナ・ネレムさまは、ズヴォネクさまと共に近隣から預かって来た洗濯物をベランダで干している。
「……んんん。あっ、レベッカおねえちゃん!」
「目が覚めた? お熱が下がったかどうか確かめるわね」
そう言いながら、ご主人さまはノーラ・ネレムさまの額に手の平を当てた。
*
ここでこの2時間あまりに起きた出来事を、なるべく簡潔に順を追って説明する。
ゲルハルト家で平和な朝食を終えようとしていたところへエマージェンシーを知らせに来たのは、ニーナ・ネレムさまだった。ズヴォネクさまは、勝手にひとりで家を飛び出して来たニーナ・ネレムさまを叱ろうとしたが、ただならぬ様子を察したご主人さまが制止して事情を聴き出した。
そして、ニーナ・ネレムさまが興奮状態で発したいくつかの単語から、ノーラ・ネレムさまの具合が悪そうだという状況を把握したご主人さまは、すぐに二階へ上がって昨日の午前中に作っておいた回復薬を取って来た。それから「今朝の配達に行く前は、特に変わった様子は無かったのだが」と首を傾げるズヴォネクさまと共に、この場へ急行した。
「馬鹿でも風邪引くんだな」
「うるさい。ゾラにだけは、いわれたくない」
フェイスタオルで汗を拭いたり、口を開けさせて喉の調子を診たりした結果、ご主人さまは、ノーラ・ネレムさまは風邪であると判断した。安静にしていれば自然治癒力で治るのだが、こんな天気の良い日に家の中で大人しく寝かせ続けるのは、まだ幼いノーラ・ネレムさまにとって難しいのではないかと考えたご主人さまは、早く熱が下がるよう、持参した回復薬を渡そうとした。
しかし、ズヴォネクさまは対価も無しに施しを受けるのは性に合わないことや、なるべく薬に頼る癖を付けさせたくないという主張から、素直に受け取ろうとしない。
「気持ちは嬉しいけど、そこまでしなくても大丈夫だって。寝かせときゃ、じきに治るんだから」
「でも、どうして寝てなきゃいけないのかって理屈も分かってないのに、ただただ治るまでじっとしてなさいっていうのも無理があるわよ。それに、ゾラだってお仕事があるんでしょう?」
「お二人とも。ニーナ・ネレムさまが戸惑ってますから、言い争いはそこまでしてくださいな。お二人が険悪なムードを醸し出していることこそが、ネレム姉妹に、特にノーラ・ネレムさまに悪影響を及ぼすと思いませんか?」
「ねこさんのいうとおりだよ、ゾラ。おともだちとは、なかよくしなきゃ」
ニーナ・ネレムさまのイノセントな訴えに毒気を抜かれたズヴォネクさまは、自分の主張を押し通すばかりが正義ではないとでも考えを改めたのか、ご主人さまから小瓶を受け取った。そしてズヴォネクさまは、ソファーベッドの枕元に移動して小瓶を見せた。
「ほら、ノーラ。この薬で、熱を下げてやるからな」
「うえ~。ノーラ、おくすりきらい! にがいもん」
「苦いのは一瞬だ。一日中ベッドで横になってるよりマシだろう。――どれくらい飲ませれば良いんだ?」
「ティースプーン一杯くらいで充分よ。でも、その前にちょっとスプーンを貸して」
ご主人さまはスプーンを受け取ると、小声で詠唱した。
<樹炎城鋼氷、味覚よ塗り変われ!>
詠唱が終わっても、スプーン自体に見た目で分かる変化は無いため、再び受け取ったズヴォネクさまも、近くで見ていたネレム姉妹も不思議そうにしている。
「いまのはなぁに、レベッカおねえちゃん?」
「まぁ、すぐに分かるわよ。――早く飲ませてあげて」
「おっ、おう。――そら、口を開けろ。開けないと鼻をつまむぞ」
「あーん。……あれ、あまい! えっ、なんで?」
「ウフフ。獣人の舌にも変わらず効果があるみたいね」
ご主人さまがスプーン掛けたのは、口に入れた食べ物の味を一時的に変える魔法だ。持続性は無いので、喉元を過ぎて胃袋に収まる頃には効果が切れている。本来は味覚障害の治療魔法として考案されたものだが、最近では今のような応用的使用法が一般化している。
一方、回復薬には服用すると眠くなりやすいという副作用がある。その効果覿面で、ノーラ・ネレムさまは、すぐにうつらうつらし始め、程なくして眠りの森へと分け入って行った。
「ノーラちゃんの様子は、私とスノウが責任持って看ておくから」
「頼んだ。あたしは、ニーナを連れて洗濯物を集めに回ってくるから。――行くぞ、ニーナ」
「はーい! ――ノーラのことおねがいね、ねこさん」
「お任せください」
共用部へ繋がるダイニングのドアが閉まると、籐で編んだ大きなバスケットを抱えたズヴォネクさまとニーナさまが急いで階段を駆け下りる足音が聞こえた。きっと、仕事の予定時間が押していたのだろう。




