第二十四話「ディオゲネスの厩舎」
一つの分野に類稀なる才能を持っていたり、常人には為し得ない技術を持っていたりする人物を、鬼才とか天才とか呼ぶ。そして何かに秀でた人物は、どこか感性がズレていたり常識がすっぽ抜けていたりすることが往々にしてある。
「ねぇ、スノウ。起きてよ」
「起きてますよ。どうかしましたか?」
今は草木も眠る深夜帯。一階のお手洗いから戻って来たご主人さまは、窓辺で目を瞑って休んでいた僕の身体を両手で揺すった。僕が目を開けて軽く伸びをすると、ご主人さまは出窓の外を指差しながら言った。
「ガレージの中に、誰か入っていった気がするのよ」
そう言われてガレージの方を覗けば、たしかに微かな明かりが漏れている。おそらく、誰かが中でランプを灯しているのだろう。
「ゲルハルトさまではないのですか?」
「ううん、たぶん違うわ。スラッとした長身で、スノウみたいに背中に翼が生えてたもの。ひょっとしたら、グレーテさんが言ってた紅茶好きな男の人じゃないかな?」
「あるいは、用意周到な泥棒でしょうね」
「どうしよう。こういう時って、やっぱりグレーテさんに知らせるべきかな?」
「そうですね。深夜に起こすのは気が引けますが、謎の人物エックス氏の正体を判明させておきたいところですね」
「そうよね、スノウ。それじゃあ、私はグレーテさんに知らせてくるから、スノウは先にガレージの前に行ってて」
「了解しました。ここなら、この窓から飛んだ方が早そうですね」
ご主人さまに窓を開けてもらい、僕はひと足先にガレージの前へ降り立った。元は厩舎として使われていただけあって、どこか壊して侵入することは出来そうにない頑丈な構造をしているし、グルッと外周を見て回ったところ、正面にある南京錠タイプの鍵を開けて入ったとしか考えられない。
そんな調子で様子を伺っていると、ネグリジェの上に薄手のカーディガンを羽織ったゲルハルトさまを連れ、ご主人さまがやって来た。ゲルハルトさまは燭台と雪かき用のスコップを、ご主人さまはランプと箒を持っている。
「戦う気満々ですね」
「グレーテさんに言われたのよ。自分の身は自分で守るようにって」
「まぁ、十中八九ルシアンだろうけど、万が一にも盗人だったら困るからね。それじゃあ、開けるよ」
ギギーッと金属が軋む音を立てながら引き戸を開け、人ひとり分が通れるくらいのスペースを確保すると、ゲルハルトさまを先頭にして慎重に中へと進んだ。ガレージの中は、到着初日に不用な家具類を運び込んだ時とさほど変わらないが、日が落ちた夜闇の薄暗い視界で見ると、そこはかとなく不気味な雰囲気が漂っている。
「ルシアン! ルシアン! 居るんでしょう? ちょいと顔を見せてちょうだい」
「呼んだかい?」
「キャーッ!」
「大丈夫ですか、ご主人さま!」
ガレージの奥へ向かってゲルハルトさまは声を掛けたが、返事があったのはそれとは正反対からだった。しかも、まるで蝙蝠のように梁に両脚を掛けて上下逆さまで現れたものだから、いきなり目が合ったご主人さまは驚いてランプを手落とし、闇雲に箒を振り回した。そして、運の悪いことに、そのうちの一撃が男性の鳩尾にクリーンヒットしたらしく、男性は翼を下にして、そのまま真下にあったボロボロのソファーの上に落下し、ぐったりとのびてしまった。
箒を両手で抱きしめながらご主人さまがオロオロしていると、ゲルハルトさまは燭台を近くの木箱の上に置き、手落としたランプも拾ってスコップと一緒にその横へ置いた。そして、男性の傍に近付いて聞き耳を立てた後、大きな溜め息を吐いて言った。
「気絶してるだけよ。じきに目を覚ますわ」
「よかった」
「だけど、シャツもズボンもずぶ濡れだから、適当に着替えさせなきゃ。バスタオルと着替えを取ってくるから、ちょっとの間、ここで様子を見ててちょうだい」
「あっ、はい」
ゲルハルトさまが居なくなったあと、ご主人さまと僕は謎の男性を観察することが出来た。よく見ると整った容姿をしていて、先程のような奇行がなければ充分に二枚目として通用しそうなルックスである。ぐっすり眠りこけているのを黙って待っているだけは退屈なので、僕たちは雑談をしながら時間を潰した。
「ルシアンという名の貴族は、聞いたことがありません」
「じゃあ、妖精さんかな? 天使かもしれない」
「後光も輝く輪がありませんから、堕天使では?」
「そこで悪魔と言わないあたりが、スノウらしいわ」
とどのつまり、このずぶ濡れの堕天使の正体は何なのか? それはまた、この次に話そう。




