第一話「すれ違い」
公正な裁判において、判事が魔法を用いて故意に奸計を巡らせたと判断せし者は、例外なく即時に魔杖を剥奪し、以降いかなる魔法の使用も禁ずるものとする
――「魔法律『刑法典』」第一条
青リンゴ村からの空旅を終え、ご主人さまと僕は、ようやく王都ヒマワリ市に到着した。
僕としては、長旅の疲れを取るためにも、文字通りの意味で羽根を休めたいんだけど、ご主人さまときたら、目に入るものすべてが珍しく感じるみたいで、ちっとも僕の案内通りに進んでくれない。
まあ、僕にとっては見慣れた街並みだけど、ご主人さまは、まだ十六歳になったばかりで、これまで村を出たことが無かったことも踏まえると、当然の反応なのかもしれない。
「わあ、みてみて! あのお店、可愛い!」
「ご主人さま。街の探索くらい、修業中にいつでも出来ますから、先にご挨拶を済ませましょう」
「ええー、寄り道しても良いじゃない。チョットだけだから」
「いけません。ご主人さまのチョットは、タップリという意味ですから」
「そんなことないもん」
「いいえ、そんなことあります。行きますよ」
「あっ、もう! ローブを引っ張らないでよ」
ご主人さまのローブの紐を尻尾で引っ張りつつ、街道と街道を繋ぐように伸びる網目状の入り組んだパサージュを歩き続け、ようやく目的地に辿り着いた。
この古風な煉瓦造りの家屋は、ご主人さまのお母さまの従妹にあたるゲルハルトさまのお住まい。ゲルハルトさまは人間ではなく半人半火鼠の獣人で、一階のパサージュに面している側では、ドーナツの販売をされているんだ。
ただ、今日はお客さんではないので、僕たちはパサージュとは反対側の路地から伺うよ。
「ここですよ、ご主人さま。……ご主人さま?」
掌に何か書いては飲み込む仕草をしているご主人さまに声を掛けると、ご主人さまは手を止め、眉を寄せながら言った。
「ねえ、スノウ。グレーテさんって、おっかない人?」
グレーテというのは、ゲルハルトさまのファーストネームだ。
「おやおや? 空の上とは打って変わって、急に不安になりましたね」
「だって、初対面なんだもの。緊張しちゃうじゃない」
「大丈夫ですよ、ご主人さま。リハーサル通りにドヤ顔で言えばいいのです」
「ドヤ顔は余計よ」
少しばかり茶化してあげると、ご主人さまは腹をくくった様子でキリッと口を引き結び、ドアノッカーをコンコンと鳴らして来訪を告げた。
だけど、誰も出てくる気配がない。
「……お留守かしら?」
「お店や二階の方におられるのかもしれませんよ。呼び掛けてみてはいかがでしょう?」
「そうね。――ごめんくださーい!」
ご主人さまが声を上げた直後、ドアが開き、中からネズミのような耳と尻尾を持った女性が姿を現した。ゲルハルトさまに間違いない。
ゲルハルトさまは、魔女特有の黒いハットとローブを身に着け、飛行用の箒を持ったご主人さまとを見て、この少女が自分の従姉の娘であるレベッカ・ローズ本人だと分かったらしい。
「あら? ひょっとして、レベッカちゃん?」
「はい! はじめまして。私は、新米魔女のレベッカです。この子は、使い魔のスノウ。よろしくお願いします!」
ご主人さまの挨拶はバッチリだったんだけど、ゲルハルトさまは困った顔をしてしまった。それというのも、事前の連絡がうまく伝わっていなかったかららしい。
「うーん、困ったね。お従姉さんの手紙に日付を書いてなかったものだから、てっきり、もっと先の話だと思ってたわ」
「ええっ! じゃあ、どうしたら……」
「まあ、立ち話もなんだから、上がりなさい。――スノウちゃん」
「はい、なんでしょうか?」
「悪いんだけど、お店を休むわけにはいかないから、レベッカちゃんを二階に案内してあげて。それと、お腹空いてるんだったら、キッチンにあるものを適当に食べて構わないから」
「わかりました」
こうして、ご主人さまの魔女修業の第一歩は、二階の部屋を片付けるところからスタートしたのだった。