第十六話「コンプレックス」
同性の親であったり、あるいは異性のきょうだいであったり、はたまた無生物であったり。人間であれ獣人であれ、何某かに対する愛着や嫌悪、また対抗や葛藤は付き物である。
そういう複雑な要因が組み合わされることによって起こる心理を、専門家はコンプレックスという言葉を使って説明している。中でも劣等コンプレックスは、時に自己肯定感を得るのを阻害してしまうので、厄介なものであると思う。
「その場の流れで安請け合いしちゃったけど、大丈夫かな。もし空を飛べなかったら、期待が外れてガッカリさせちゃうかも。私のことを、法螺吹きや裏切り者と思うかも」
また始まった。昨夜に続いて今夜も、ナイトガウンを羽織ってベッドに入った途端、ご主人さまの心に不安が押し寄せてきたようだ。きっと、幼少時の人格形成期に経験したことが尾を引いているのだろう。ひとまず、情けなく垂れ下がった眉を戻すためにも、論点をご主人さまから逸らそう。
「ズヴォネクさまの魔力の素質なら、問題無いでしょう」
「どうして言い切れるの? まだ確認するテストもしてないのに」
「いいえ、テストなら済んでますよ」
フフフ、開いた口が塞がらない様子だ。この僕が、操り主に動かされる通りにしか出来ない傀儡だと思ったら、大間違いだ。こちとら伊達に90年以上生きていないし、最初のご主人さまに頂いてからずっと首に下げている勾玉だって、只のお飾りじゃない。
「ご主人さまには申し上げませんでしたが、安定飛行に入ってから、僕は浮遊の手助けを一切していませんでした」
「ええっ、嘘! じゃあ、私の魔力と、ゾラが無意識に持ってる魔力だけで飛んでたってこと?」
「左様です。魔素が豊富なのも幸いしてますが、それ以上に、ズヴォネクさまの中には底知れぬダイヤの原石が眠っています。素質を少し引き出して磨きあげれば、飛行術だろうが占星術だろうが、乾いた熱砂が水を吸うようにすぐに習得しますよ」
「そうだと良いんだけど……」
おやおや、まだ納得いかない様子。同じ考えが堂々巡りする前に、いよいよ劣等感の根っこを引っこ抜く必要がありそうだ。
「お世辞やおべっかと思わないでいただきたいのですが、これまでご主人さまは、ジュニアスクールでもミドルスクールでも、況や魔法専門学園でも、直向きに努力を続けて来られました。その真摯な姿勢は、何物にも勝る財産として、ご主人さまの心身に深く刻まれております」
「でも、パパやママみたいに、級長や寮長になれなかった。ちゃんと理解できてなくて、キチンと教えられない虞が、ないことはないんじゃない?」
やはり、立派過ぎる両親と自分を比較して、今ひとつ自信を持てなくなっていたのか。魔法専門学園を首席で卒業し、魔学術院の学者として研究の第一線で活躍している才媛である母と、神童と呼ばれ、最難関の試験を史上最年少で合格し、魔法務省の高等役人を務めている父との間に生まれてしまっては、周囲から平均以上を求められ続けてしまうもの。
しかし、いくら両親が優秀だからといって、生得的な素質に恵まれた子供が産まれるとは限らないし、更に言えば、むしろ平均的な子供に育つ可能性の方が高いように思う。潜在能力が高いと推定して英才教育を施すのは勝手だが、揣摩臆測が外れたからといって落胆するのは、拒否権無く受けさせられた本人が、あまりにも可哀想過ぎる。
「お父さまも『そのままのレベッカで良いんだよ』と仰ってました。これは、ご主人さまのことを認めている動かぬ証拠ではありませんか?」
「パパは、例外的に甘いのよ。正しいのは、いつもママの方だもん。蝋で出来た翼は、太陽に負けるのがセオリーでしょ?」
「しかし、翼を作る前に諦めるのは、いくら何でも早過ぎます。初手で蝋が駄目だと分かったなら、今度は鉄で作って再挑戦すれば良いのです。チャンスは一度しかないと思い込まず、トライアンドエラーの精神で参りましょう」
「ふうん……。なーんか美味しい話術で誤魔化されてる気がするけど、反論できないから負けとくわ。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいませ」
数分後、ご主人さまは天使のような花の顔でスヤスヤと寝入った。僕は、それを夜目に覗ってホッとひと安心してから、静かに瞼を下ろした。ああ、今日も長い一日だったな~。




