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第十四話「空への憧れ」

 喉元過ぎれば熱さを忘れるという(ことわざ)がある。言うまでもなく、苦しい経験をしても、時が経てば過去の痛みを忘れてしまうという意味だ。(もっと)も、喉を通る以前に熱い食べ物を敬遠する僕には、縁遠い言葉だけれど。

 まっ、一度慣れてしまえば、得体の知れなさいが消えて怖くなくなることは、往々にしてあるという風に理解してもらえたら、それで結構。


「あの白い建物、立派ね~」

「あの辺りの城壁に囲まれてる石造りの建物は、みんな王室の宮殿さ。で、城壁の角ごとに建ってるあの(とが)った屋根の塔では、(わし)とか(たか)の獣人が見張りをしてるんだってさ。新聞や絵葉書でしか知らなかったから、こうして生で見られるとは思わなかったな」


 やれやれ。飛び立つ前はあれ程恐れていたというのに、いざ上空まで来てしまえば、未知への好奇心が勝ってしまうのだから、単純なものだ。普段は大人の真似をしていても、新鮮な刺激を受けると、隠している童心が(うず)き出すのだろうか。

 あっちは何某で、こっちへ行くと何とやらがあってという具合に、ズヴォネクさまは、空からでも街案内を果たしている。


「ねえ。ゾラのお家は、どこなの?」

「あたしが住んでるのは、あの川辺のガチャガチャした場所だよ。こうして見ると、ちゃんとした家とは程遠いな」

「もう少し近くで見ても大丈夫かな? ひょっとしたら、おチビちゃんたちが見付かるかも」

「あたしは構わないけど、綺麗(きれい)な場所ではないぜ?」

「いいのよ。ゾラのこと、よく知っておきたくて」

「物好きだな、レベッカは。よし。それじゃあ、もう少し低く飛んでくれ」


 (かじ)を右に切って川沿いの土手の近くへ移動すると、そのまま流れを追い駆けるように飛びながら、徐々に高度を下げていく。

 川は、下流へ向かうに従って川幅が広くなり、水の色は濁っていく。両岸に並ぶ建物も、大きな邸宅が点在していたものが、小さな家屋が密集するようになってきた。たしかに、ズヴォネクさまの言う通り、お世辞にも美しい街並みとは言えないが、雑然とした中にも、それなりに独自の秩序を保っているように見える。


「この見当で良いの? うっかり通り過ぎてない?」

「いや、このまま行けば、……あっ、ストップ!」

「おっとっと。急に引っ張らないでちょうだい」

「へへっ。あの家だよ。ほら、手を振ってるだろう? ――おーい!」

「えっ、どこ?」

「花柄の毛布を干してるベランダのすぐ下ですよ、ご主人さま。半人半(きつね)の少女が二人居ます。周囲で遊んでいた少年たちや、保護者らしき大人たちも集まって来ました」

「花柄って……、ああ、本当! ジャンプして手を振ってる~」

「みんな、ご近所の顔見知りだよ。これは、帰ってから質問攻めに遭いそうだ」


 声がハッキリ届く距離ではないものの、姿形が分かるくらいまで近付き、しばらく周囲を旋回してみせた後、ご主人さまとズヴォネクさまは手を振り返し、僕らはその場を後にした。


 相対性理論を持ち出すまでもなく、楽しい時間というものは、体感として早く過ぎるもの。ゲルハルトさまの家へ戻って来た時には、空は夕暮れの(あかね)色に染まっていた。

 途中で因縁に巻き込まれる不幸はあったものの、街中を色々と見て回れたのだから、ご主人さまとしても、満足のいくものになったに違いない。


「今日は楽しかったわ。ありがとう、ゾラ」

「お安い御用さ。あたしとしても、懐が温かくなって助かった」


 そういうと、ズヴォネクさまは背負っているリュックサックの方へチラッと視線を向けた。その下膨れのリュックサックの中には、案内料と今日の売れ残り分のドーナツが入っている。


「また道案内が必要になったら、お願いしてもいいかな?」

「もちろん、いいぜ。ただし、あたしのガイドは高くつくからな?」

「ふふっ。ちゃっかりしてるわね」

「この世の中は、ギブアンドテイク。サービスに対価は付き物だからな。タダ働きだけは御免だよ」


 ズヴォネクさまは得意げに言い放った後、少し表情を強張らせながら小さく口を開いた。


「……なあ、レベッカ」

「なあに、ゾラ。言い忘れたことでもあった?」

「あたしでも、練習すれば(ほうき)で空を飛べるようになるかな?」

「えーっと。大事な質問だから、答える前にいくつか整理させてね。ゾラは、今いくつ?」

「十一歳。誕生日までは分からないし、教会の洗礼も受けてない」

「これまで、一度でも学校に通ったことはある?」

「一回もない。読み書き計算は、全部婆さんに教わった」

「うーん。そうなると、魔法専門学園で習うってわけにもいかないわね」

「何をするところなんだ? そこで習わなきゃ、空を飛べないのか?」

「そういうわけでもないんだけど、どうやって説明したらいいかな……」


 ご主人さまが困っているので、僕は助太刀することにした。


「魔法専門学園は、ジュニアスクール、ミドルスクールを卒業後、魔法についての基礎を学習する教育機関で、魔法語、魔法史、魔法薬学、飛行術、占星術などを修めることが出来る場所です。公的に魔女として認められるためには、専門学園で資格を取得してから、修業による実地体験を経て免許状を発行してもらわなくてはなりません。要するに、魔女として将来的に魔法を使った仕事に就くつもりなら通学しなければいけませんが、ただ空を飛びたいという夢を(かな)えるだけなら、独学でも不可能ではありません」

「ん? 結局、あたしは、飛び方が分かれば、好きに飛べるようになるのか?」

「そうそう。ゾラさえ覚える気があれば、ここで修業している間に、私が教えてあげるわ。た・だ・し」


 ご主人さまは、ズヴォネクさまにずいっと顔を近付け、口の端をニヤリと(つり)り上げながら言った。


「私のレッスンも、安くないわよ?」

「ハハッ、あたしの負けだな。じゃあ、いつでもどこでもタダで案内するのと引き換えってことで、どうだ?」

「私も、それが良いと思ってたの。決まりね。――スノウも、もちろん賛成よね?」

「ご主人さまの意思に従います」


 こうしてご主人さまは、友人兼ガイド兼飛行術生徒の獲得に成功したのであった。この決断が英断だったのかどうかは、後々に判明することだろうから、今はコメントを差し控えさせていただくこととする。

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