第十三話「禍を転じて」
籠の鳥だとか、袋の鼠だとか、容れ物に入れられた動物を引き合いに出して、逃げ場のない絶体絶命の状況であることを示す慣用表現がある。
現在の状況もそれに近いところで、ご主人さまとズヴォネクさまは、大通りから一本裏の路地に入ったところで、たまたま捨て置かれていた荷車の後ろに回り、追っ手を撒いたところである。二人とも肩で息をしているし、僕も追い駆けるのに必死だったので足にも羽根にも疲労が溜まっている。
足音が遠ざかり、呼吸も落ち着いたところで、ご主人さまは恐る恐る小声で話し始めた。
「とにかく逃げろというから一緒に走ったけど、あの人たち、ゾラとはどういう関係なの?」
「説明するのも嫌になるくらい、厄介なチンピラだよ。今、家でチビ共を預かってるって話はしただろう?」
「ええ。女の子が二人居るのよね?」
「そのチビ共を、下っ端の方が腕力で連れ去ろうとしてたところを、偶然、仕事終わりのあたしが目撃してさ。後先考えずに蹴散らしたんだけど、それが気に食わなかったんだろうな。間に入って邪魔しやがったと思われて、逆恨みを買っちまったんだ。まさか、こんなところで出くわすとは」
「でも、それならゾラは悪くないじゃない。誘拐されそうになったのを、助けてあげたんでしょう?」
「あのな、レベッカ。そんな綺麗事で片付かないことが、世の中にはゴロゴロ転がってるものなんだよ。――あんたからも、何か言ってやってくれよ」
「ご主人さま。昨夜のゲルハルトさまのお話を思い出してください」
「ああ、あの自力では悪循環から抜け出せないっていうお話ね。そうか。良くないことだと分かっていても、そうして生きていくしか他に仕様が無い人が居るってことか。――わっ!」
間の悪いことに、荷車は経年劣化が激しかったようで、立ち上がろうとしたご主人さまが軽く片手を乗せて体重を掛けた瞬間、メリメリという乾いた音を立てて片方の車輪が軸から外れ、傾いた荷車は、そのままバリバリと激しい破砕音とともにスクラップになってしまった。
これほど大きな騒ぎを起こせば、近くにいる誰かが気付かない筈もない。
「ボス、こっちです。――そこを動くな!」
「まずい! 逃げるぞ、レベッカ!」
「あっ、待ってよ、ゾラ!」
一難去ってまた一難。追っ手に見付かってしまったがために、再び逃走しなければならなくなった。
そして、不運は重なるもので、緊急事態によって正常な判断力を失いかけているズヴォネクさまは、脳内地図が曖昧になってしまったらしく、両サイドを鉄柵と煉瓦塀に囲まれた小道に追い詰められた挙句、その先が工事中で進入禁止だという。
ズヴォネクさまは、作業服を着た半人半土竜の獣人に掛け合うが、まったく聞く耳を持ってもらえない。
「頼む! ここを通してくれ!」
「駄目駄目。ここ数日雨続きだったから、工期が遅れてるんだ。部外者は引き返してくれ」
「戻れないから、困ってるんだって。――どうしよう、レベッカ」
「参ったわね。……あっ、そうだ!」
ご主人さまは工事中の現場を見渡してから、隅に立て掛けてある物に気付き、指差して訊ねた。
「すみません。それ、お借りできますか?」」
「えっ、この箒かい? 構わないけど、何に使うんだ?」
「ありがとうございます! ――ゾラ、ここに跨って?」
作業員が頭に疑問符を浮かべながら見守る中、ご主人さまはズヴォネクさまに箒を渡した。ズヴォネクさまは受け取りながらも、ご主人さまが何をさせようとしているのか、全く見当がついていない様子だ。
「はっ? あたしは魔女じゃないぞ」
「いいから、今度は私に任せて」
「おっ、おう。レベッカの言うとおりにするよ」
訳も分からぬまま、ズヴォネクさまが馬の背に乗るような形で箒に跨ると、ご主人さまは、そのすぐ前に跨り、後ろを振り向かずに言った。
「しっかり捕まっててね」
「レベッカ。まさかと思うけど、飛ぶつもりじゃないだろうな? あたし、高い所は……」
「スノウ、応援よろしくね!」
「なるほど。前後左右が塞がってるなら、上に逃げようという訳ですか」
「待て、レベッカ。あたしの話を……」
「そういうこと。一人じゃ無理だから、スノウの力も貸して」
「畏まりました。では、心を静めて同時に唱えてくださいね」
ご主人さまの背後で、ズヴォネクさまが何か訴えてるのが感じられるけど、詠唱の邪魔だから無視しちゃうね。
<樹炎城鋼氷、箒よ飛べ!>
ご主人さまと息を合わせて呪文を唱えると、箒は少しずつ浮かび上がり始める。最初はゆっくりと、徐々に加速度を増して地表からグングンと離れていく。僕も、それに合わせて羽根をはばたかせて宙へ向かう。
ちなみに、箒の乗り方にはいくつかパターンがあって、柄に跨がる古典乗り、今みたいに同じ姿勢で一本を二人で共有する二人乗り、柄の上に横向きに立つ波乗り、両手でぶら下がる猿乗り、横座りするお嬢さま乗りなどがある。流行り廃りも関係するけど、前後反対に乗る方法だけは命知らず乗りと言われ、見つかると危険飛行の現行犯で罰金を科されるので、絶対にやってはいけない。
「下を見てごらん、ゾラ。さっきまで追い掛けてきてた困ったさんたちが、地団駄を踏んで悔しがってるわ。流石に、ここまでは追って来られないものね」
「呑気な事を言うな、レベッカ。落ちたらどうする?」
「大丈夫ですよ、ズヴォネクさま。ズヴォネクさまの身体は、どこか一部でも箒に触れている限り、ご主人さまと僕の魔力によって浮遊してますから。それと、そんなにギュッと目を瞑っていては何も見えませんから、却って恐怖感が募るばかりですよ?」
「ほらほら、ゾラ。私の言うとおりにするんじゃなかったの?」
「わっ、わかったよ」
そう言うと、ズヴォネクさまは薄く目を開きはじめた。
この後、彼女は初めて見た上空世界に感動し、ある大きな夢を抱くのだが、それは次話に持ち越そう。




