第十二話「良くない兆し」
テーブルの上には、種と蔕を取ったブラックチェリーがふんだんに使われたパイと、三種のベリーが彩り良く並べられたタルトがあった。
過去形なのは、既に食事を終え、食後のレモンティーも飲み干したところだからである。僕も一切れずつご相伴に与かったよ。
余談だけど、ズヴォネクさまがティースプーン山盛り七杯も砂糖を入れるのを見て、イヌ科の獣人や魔獣は、ネコ科と違って甘味に敏感だということを知らなかったご主人さまは、四杯目から彼女の手元が気になって話が頭に入らず、ちぐはぐな受け答えをするという場面もあった。種族による身体的特徴の差異は、ミドルスクールで習うはずなんだけど。おかしいなあ。
他し事はさておき。会話が止まったタイミングで、カップが二つとも空になっているのに気付いたギャルソンが、ご主人さまに声を掛けてきた。
「歓談中、失礼いたします。お飲み物のお代りをお持ちいたしましょうか?」
「お気遣いありがとう。でも、そろそろ街歩きを再開しようと思ってるところだから、遠慮するわ。お勘定をお願い」
「承知いたしました。別々でお支払いになりますか? それとも、ご一緒で宜しいですか?」
「一緒で良いわ。――あれ? ここに入れといたはずなのに、おかしいな~」
足元の荷物を入れるバスケットからサコッシュを引き出し、中から財布を出そうとするが、なかなか見当たらない。ご主人さまが軟膏が入った缶やら、サイン用の万年筆やら、小ぶりな懐中時計やら、いちいち中身を出して探し始めた。すると、ズヴォネクさまはクスクス笑いながら小腰を浮かせ、ジーンズのポケットに片手を突っ込み、何かを掴んだまま、その手をご主人さまの目の前に近付けた。
「これ、な~んだ?」
「あっ、私のお財布! ――すみません。これで足りますか?」
「はい。千シグリン、お預かりします。精算して参りますので、今しばらくお待ちください」
紙幣を受け取った後、ギャルソンが店内へ移動してテラスから姿を消すと、ご主人さまは片眉を吊り上げながら、ズヴォネクさまに物言いを付けた。
「ゾラさん。何か私に言うべきことがあるんじゃなくて?」
「ご馳走さまです!」
「いや、そうじゃなくて。いつの間にくすねたのよ。手癖が悪いんだから」
「悪い、悪い。ここへ来る途中、転んだ時に支えただろう? あの時だよ」
「もう。油断も隙も無いじゃない。ただの親切だと思ってたのに」
「そう、不貞腐れるなよ。今回はあたしだから良かったけど、同じようなことをする輩は少なくないから、貴重品から意識を逸らすなって戒めも込めてるんだぜ?」
「……本当?」
「ホント、ホント。ここに大事な物を入れてますって丸分かりの格好は、オノボリさん確定で、スリにとってはいいカモだから、気を付けなきゃいけない」
「本当かなあ……。まっ、ひとまず信じてあげるけど、試すような真似はしないで。いい?」
「分かった。悪戯は、時と場所と人を選ぶことにするよ」
「そういうことじゃないんだけど、……まぁ、いいわ」
このあと、店内から戻って来たギャルソンから銀貨を受け取り、そのうち何枚かを心付けとして渡してから、二人はカフェをあとにした。
「次は、どこへ行こうか?」
「この街にしかないモノってある?」
「ウーン。この街を出たことが無いから、比べようがないな」
「そっか。なら、何か面白い催し物は?」
「やってるかなあ……。祭日ならミュージカルやショーをやってるんだが、今日は何でもない日だから」
そんなことを話し合いながら歩いていると、ご主人さまが急に立ち止まり、その場にしゃがみ込んだ。
「どうした? 足でも捻ったか?」
「紐が切れちゃったみたい。結び直すから、ちょっと待って」
黒猫が横切ると不吉なことが起きる。鏡が割れると縁起が悪い。溜め息を吐くと幸せが逃げる。
言い伝えやジンクスには色々あるけれど、大抵は迷信だから根拠の無い物ばかりなんだけど、この時ばかりは違ったみたい。まったく。嫌な予感ほど、よく当たるものだね。
どういう意味かって? それは、この後すぐに分かるよ。




