第十一話「カフェへ」
結局、今から追い駆けても間に合わないし、それより先に喉を潤し小腹を満たしたいということで、ご主人さまはハンカチを畳んでサコッシュに仕舞い、再びカフェへ向かって歩を進めた。
「若さまって呼ばれてるくらいだし、ハンカチも綺麗な物だし、きっと良家のご子息ね」
「ヘンッ! いくら金持ちだからって、謝らなくていいって道理はないだろうが。拾ったのがあたしなら、そんな布切れ、便所で尻を拭いて捨ててるところだぜ」
「ズヴォネクさま。いささか言葉が過ぎますよ」
「おお、悪い。育ちの悪さが出てしまったな」
軽い冗談を飛びつつも、道なりに足を動かして行くと、徐々に道幅が広くなり、行き交う人々の数も増えて賑やかになってきた。
ご主人さまは、店員が客に正方形の包装紙を慣れた手つきでピラミッド状に包んで渡している焼き菓子店の前を通り過ぎたり、香ばしい薫りのするバゲットを入れた紙袋を小脇に抱えたお洒落さんとすれ違ったりするたびに、キョロキョロと視線を動かしたり、興味津々に瞳を輝かせたりしている。王都の住人の目から見れば、きっと「オノボリさんが雇われガイドを連れてやって来た」と映っていることだろう。
「この街の大人の女性って、凛としてる人が多いわね。口に手を当てて笑ったり、気安く他人と接したりしない感じがする」
「それは多分、女王陛下がアレやコレや女性の待遇を改革して、男に媚びを売る必要を無くしたからだな。詳しい内容は知らないけど、ちょっと古い新聞に載ってた女王陛下の功績を讃えるコラムには『コケットリーな女は碌な目に遭わない』とか『コケティッシュな仕草は勘違い男の誘蛾燈』とかいった見出しが並んでたぜ」
「へえ~。所変われば品変わるわね」
「政略の道具にされる王室女性の在り方を変えたかったってのが、そもそものキッカケらしいけどな。――あの店は、どうだ? ちょうど、テラステープルが一つ空いてる」
「あっ! ここは、来た時から可愛いお店だなあと思ってたの。スノウが邪魔して、立ち寄れなかったのよ」
心外だな。僕は、使い魔として当然のことをしたまでなのに。僕だって、落ち着いた雰囲気の良い店だとは思ってるさ。
僕の心の声を知ってか知らずか、ご主人さまとズヴォネクさまは、煉瓦と漆喰の壁に向かって屋根の上からアイビーが垂れているこじんまりとしたカフェに入ることに決めた。
ギャルソンの案内でシックなパラソルとアイアンのテーブルがお洒落なテラス席へ移動したあと、ズヴォネクさまが二つのうちどちらにするか悩んだので、ご主人さまが二つとも頼んで半分こしようと提案するという微笑ましいやり取りを含めて恙なくオーダーが済み、二人は料理が届くまでの間、再びお喋りに興じ始めた。
内容は、苦くない薬や痛くない注射は出来ないかという話から派生して、魔法薬のことについての質問になった。ちなみに、ズヴォネクさまのような獣人用の注射器は人間用より針が太いので、注射を嫌がる獣人は結構多い。
「魔女の薬っていうと、鷲鼻の皺くちゃな婆さんが、大きな釜に蜥蜴だの蠍だの蜘蛛だのを抛り込んで、気味悪い色になるまでグツグツかき回してるイメージだけど、実際は違うのか?」
「絵本の世界じゃないんだから、そんな変な魔女、どこにも居ないわよ」
「じゃあさ。毒を塗った林檎を食わせたり、ジュースに眠り薬を混ぜて飲ませたりすることは、出来ない相談なのか?」
「うーん、現実的には無理ね。ただ、そういう魔法薬自体は、材料さえ揃えば作れないことも無いんだけどね」
「えっ! たとえば、あたしが惚れ薬を作ってくれって頼んだら、作れるものなのか?」
「ええ、不可能ではないわ。ただ、消化されたら効果が切れるから、せいぜい数時間が限度ね。飲ませ続けると耐性が出来て効かなくなるから、ずーっと惚れさせることは無理だけど。ひょっとして、誰か好きな子でも居るの?」
「いいや、まったく。その数時間でその気にさせて、貢がせるだけ貢がせてトンズラすることは可能かと思ってさ」
「あっ、そういう使い方は絶対駄目なの。加担したのがバレたら、魔女の資格を剥奪されちゃう」
これは「魔法律『刑法典』」第一条の規定によるものだ。
魔法を悪用した者は、理由を問わずに杖を取り上げられて二度と魔法を使えなくなるから、現代では魔女の魔術に起因する凶悪犯罪は、殆ど起きていない。
ウウム。一瞬でも恋バナにならないかと期待したけど、相手がズヴォネクさまでは、そういうガールズトークが花咲くことは無さそうだ。




