第十話「ハンカチ若さま」
薬も過ぎれば毒となるという言葉があるように、何事も程々に収めることが、途中で嫌気が差したり飽きが来たりせずに長続きする秘訣である。
温室で全く雑菌が居ない状態で育てた水耕野菜は、たしかに見た目も美しく大きさも申し分ないかもしれないが、露地栽培した野菜と違って気候の変化や病気にやられやすいという傾向がある。子育てや人材育成も同じことで、スプーンの上げ下げまで指示するような神経質極まりない教育指導を行ってしまうと、反抗して全く言う事を聞かなくなったり、過度に適応して命令通りにしか動かなくなったりしてしまう。
僕は、頭ではその理屈が分かっているので、なるべく自然にスクスクと育つよう心掛けている。だが、言うべきところ、止めるべきところでは、ついつい口や手が動いてしまうため、新米魔女側にとっては、僕は小煩いタイプに属するらしい。
さて、閑話休題。
ユンガーさまの薬局を出たご主人さまとズヴォネクさまは、次なる場所を目指して石畳の道を歩き始めている。 買った薬草類が入った紙袋は、ズヴォネクさまが背負っている帆布のバックパックに入っている。ご主人さまは自分で持つと言ったのだが、片手が塞がっていると不便だからとズヴォネクさまが譲らなかったので、このような体制になった。
道なりに進んでいると、三叉路に行き当たった。先を歩くズヴォネクさまは足を止めてこちらへ振り返り、左右の道を指し示しながら説明した。
「さてと。こっちへ行くと、洋服とかカーテンとか刺繍とか、糸に関係する物を売る店が多いエリアに入る。反対に、あっちへ行くと、パン屋とかピザ屋とか、食べる場所が多いエリアに行き着く。どっちが、……スマン。今のは、聞かなかったことにしてくれ」
「ウフフ。それじゃあ、右へ進んでティーブレイクしましょうね」
グルルルという低い音でズヴォネクさまが空腹であることに気付いたご主人さまは、手頃なカフェへ案内するよう頼んだ。ズヴォネクさまは、自分のことは気にしなくていいと言ったものの、ちょうど喉が渇いてきたところだったというご主人さまに押され、右へ進むことにした。右の道は、それほど広くないので、僕は柵の上を歩くことにした。
「ゾラは、何か食べられない物はある? スノウは、玉葱とか葡萄とかが駄目なんだけど」
「煉瓦とか鉄板は、歯が立たないから無理だな。鼻が利くから、ニオイが強烈な食べ物も遠慮したい」
「えーっと。ひとまず、普段からよく食べられている物は平気っていう理解で良いのかな?」
「たぶん、それで問題ないと思うぜ。日頃、レベッカが何を食べてるか知らないけどさ。――おい、後ろ!」
「えっ? ――キャア!」
「おっと、危ない」
「大丈夫ですか、ご主人さま!」
進行方向に見通しの悪い四ツ辻があり、ご主人さまは辻の先から走ってきて角を曲がった青年に後ろから衝突された。咄嗟にズヴォネクさまが両腕で支えたので、ご主人さまは無事だったものの、一歩間違えば擦り傷の一つでも出来ているところである。僕は柵の上から飛び降り、ご主人さまの傍に寄った。
その間に、青年は黙って立ち去ろうとしたため、ズヴォネクさまは青年を呼び止めるように吠え叫んだ。
「ちょいと待ちな! 自分からぶつかっておいて逃げるとは、どういう了見だい、この意気地なし!」
「……聞き捨てならないね。君、この俺が誰だか分かっての発言かい?」
「フンッ! あんたが誰かなんか、関係ないわよ。どう見たってあんたが悪いんだから、レベッカにキチンと謝りな!」
立ち止まって振り返った青年に対し、睨みを利かせながらズヴォネクさまが詰め寄り、周囲にピリピリとした緊張感が張り詰めた。
その時、通りの先から「若さま、探しましたぞーっ!」と叫びながら、燕尾服を着た山羊髭と羊のような角が特徴的な紳士が走って来た。
「チッ! もう追って来たか。――この決着は、また今度にしよう」
「あっ、コラーッ! 勝手に決めるな!」
「若さまーっ! お待ちくだされーっ!」
青年が走り去り、紳士がそれを追い駆けて通り過ぎて行ったあとも、ズヴォネクさまは威嚇するように拳を振り上げたまま、二人の後ろ姿を睨みつけていた。そして、人影が通りの向こうへ消えてしまったのを確かめてから、ズヴォネクさまはご主人さまの横に歩み寄り、先程までとは打って変わった優しい声音で心配し始めた。
「どこか痛むところは無いか? 内臓をやられてたら、あたしがあの無礼者を懲らしめてやるぞ?」
「平気だから、つまらない復讐計画は白紙にしちゃって。――ねえ、スノウ」
「はい、ご主人さま。何でしょうか?」
「あの人、ぶつかった時にコレを落としたんだけど、このマークが何か知ってる?」
そう言ってご主人さまが見せたのは、一枚のシルクのハンカチだった。そして、そこにはある名家の紋章が描かれていたのだが、それがどこの何を表す紋章なのかは、また機会を改めて説明しよう。




