第九話「疑心暗鬼を生ず」
カランコロンとカウベルを鳴らしてドアを開けると、店の中から様々な薬草の匂いが混ざり合った空気が鼻を抜けた。店内には、両サイドに茶色いガラス瓶に入れられた薬品類が鍵付きの戸棚に並び、奥のカウンターの向こうでは、半白の髪をした男性店主が何やら細かい作業している後ろ姿が見える。店主の後ろには、ズヴォネクさまが言っていた通りの薬棚がある。
「ごめんください。あの、私、魔女なんですけど、薬草を買いに来ました」
作業を邪魔しないように、ご主人さまは控えめに声を掛けた。しかし、まったく反応が無い。
「あー、ダメダメ。そんな小声じゃ、あの爺さんの耳には届かない。――おい、大将! 客を連れてきたぞ!」
店主の耳が遠いことを説明した後、ズヴォネクさまは大きく息を吸い、腹の底から声を出した。やれやれ。急に声を張るものだから、鼓膜がビリビリするじゃないか。
ズヴォネクさまの大声で、ようやく店主は来客に気付き、こちらを振り返り、柔和な笑みを湛えながらカウンターの向こうからやってきた。
だが、その動きが予想と大きく違ったため、ご主人さまは思わず目を丸くして驚いた。
「お客さんというのは、そちらのお嬢さんかな?」
「あっ、はい。――マスターが半人半蛇なら、そうだと先に言っといてよ、ゾラ」
「悪い悪い。そんなに驚くとは思わなかった。見慣れてると、最初に会った時の衝撃を忘れるもんだな」
ズヴォネクさまとヒソヒソ話をしていることを気にも留めず、店主は自己紹介を始めた。
「小生は、ヤーコプ・ユンガー。この店の九代目で、この街で生まれ育った王都人だが、若い頃には希少な動植物を求めて様々な島を渡り歩いた経験があるゆえ、古今東西の薬草に詳しいと自負しておる。ところで、お嬢さん。今日は何をお求めかな?」
「えーっと。この薬草が欲しいんです」
人間なら足がある位置にあたる蛇のような下半身や、口を開くたびに見え隠れする短い牙と先が割れた長い舌に興味を隠せないながらも、ご主人さまはサコッシュから一枚の書き付けを渡した。
受け取ったユンガーさまは、ベストの胸ポケットからモノクルを取り出して掛け、書き付けを持った手を前後させてピントを合わせた。そして、目線を左右に走らせながらフムフムと納得したように呟くと、カウンターの奥へ移動した。後ろ姿しか見えないが、書き付けにある通りの薬草を、順々に棚から引き出して回っているようだ。薬棚は、床から天井近くまでズラリと小抽斗が並んでいるが、ユンガーさまは身体の蛇部分を活かし、自在に高く伸び上がったり低く縮んだりして集めている。
それでも、新米魔女には細々と何種類もの薬草が必要なため、少し手間が掛かる様子だ。待っている間、ご主人さまはズヴォネクさまとお喋りを始めた。
「ねえ、ゾラ。お薬の値段って、覚えてる?」
「あたしは払わなくていいから、わかんない」
「どういうこと?」
「稼ぎが少ない奴は、風邪薬や痛み止め程度の飲み薬や、病気にならないための注射は全部無料なんだ。まあ、変な噂が流れてるせいで、いよいよ薬じゃ治らないレベルに達するまで痩せ我慢する馬鹿も多いけど」
「どうして無料になるの? 噂って、どんな噂?」
「質問が多いな。あたしも詳しくは知らないけど、女王が作った救貧財団っていうデッカイ組織があって、そいつらが金持ちから寄付を集めて回っては、貧乏人に必要な品物が届くように手配してるんだ。だけど、飲み薬にしても注射にしても、どっちも直接身体に入れるものだから、本当に大丈夫だと信じられないっていう疑り深い連中がいるんだよ。その中には、タダで薬が手に入るのは、実は危ない薬の効き目を実験してるんだっていうデマを流す迷惑な輩もいてさ。あたしも婆さんが居なかったら、そいつらの尤もらしい出任せに騙されてたかもしれない」
「ムムム。病膏肓に入るまで受け取りに来ない患者も少なくないのは、残念ながら事実だ。仕入れの元手は、医学的にも法的にも正当な金銭だというのに、嘆かわしい。――さて。これで揃ったかい、お嬢さん?」
「わっ。ありがとうございます」
話し込んでいる間に、いつの間にかユンガーさまは作業を終えていたらしく、二人のお喋りに割って入り、カウンターの上に並べた薬草をご主人さまに確かめさせた。二人の声がさほど大きくなかったのに聞こえてたということは、ユンガーさまは、本当は耳が聞こえているのにもかかわらず、聞こえていないフリをする時があるのかもしれない。まっ、猜疑心を持ち出すとキリがないので、ユンガーさまのことは、ひとまず大らかで楽天的な好々爺ということにしておこう。




