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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【第三回】地の文コンテスト ~獏~

【獏】 サカナの心・君の心 蜻蛉

著者:N高等学校「文芸とライトノベル作家の会」所属 蜻蛉

 ここはシギルド教会に隣接されている墓場、この墓場は墓場としては何故か命を力強く美しく感じさせる雰囲気で、パッヘルベルのカノンが似合いそうな場所だった。

 僕は毎年決まった月の決まった日にこの墓場を訪れている。

 あの日のことは今でも忘れていないし、今でも黒い動物を見るたびに目の前の墓に眠るミケのことを思い出す。



- 「眠い」


 それはそうだろう。もうミケは死にかけていた。


「気のせいじゃないかな」


 気のせいではないのは僕もうすうす感じている。


「でも僕は確かに眠いんだよ」


 ミケは繰り返し僕に言葉を伝える。僕が最初に自分の動物と話せるという能力に気がついたのは十歳の頃、そ

 して最初に話せた相手が飼い猫ミケだった。


「気のせいだよ」


 ミケの繰り返す問いに僕はミケに言い聞かせるように気のせいだと断言した。


「そう...かなぁ」

「うん」


「でも眠くて眠くて仕方ないんだ」


 ミケはいつもの元気とはかけ離れたトーンで言う。


「気のせいさ、気にすることなんてないよ」


 気にすることはない…。


「だって、眠いのになんだか寒いんだ」

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 そう。大丈夫。これは僕からの贈り物なのだから。


「足が震えて前に動かないし」


 それはもうミケが天に登ろうとしている証拠だよ。魂がミケから抜けていっているんだ


「ほら、支えてあげるから、外に」


 なんて言葉ではいうがミケは支えても外に出られないのは知っている。


「頭がぼうっとするんだ」


 どんどん毒は君を蝕んでいくんだね。ようやく僕の思いが身をむずぶんだね。


「きっと平気さ、君なら」


 君なら安心して天国に行けるよ。ミケが良いやつってことは僕が一番知っている。


「もうダメだよ、僕、もう君と遊べない」


 でなきゃ困るよ。僕はミケと遊びたくないからこうして毒の罠を仕掛けたんだ。


「そんなことない!君、昨日までピンピンしてたじゃないか!」


 最高の気分だ。昨日まで鬱陶しく歩き回っていたミケがやっと消えるのだから。


「何回も困らせちゃったね」


 そう思ったならあんなことはやめて欲しかった。そうすればこんなことをしなくて済んだのに。


「そんなこと...そんなことっ、」


 そんなことない、訳が無い。死ぬ前に悔いるならもっとちゃんと生きている内に悔いて謝罪して欲しかった。


「昨日逃げ回ってたのはね、君と一緒に居たくなくて」

 

 それはそうだろう。そうミケが考えると思って僕はワザとあのノートをミケが見れるところに置いたんだ。


「なんで君はそう...今そういうことを言うんだよ...」 


 何回も困らせてしまったね、など死ぬ前にぬけぬけと言いやがるものだから心の声が漏れてしまった。

 だがそんな心の声もミケは間違った解釈をしてくれたらしく話を続けていた。


「でも君、泥んこになりがなら僕のこと見つけてくれちゃってさ」


 ミケにそういうふうに見えたなら僕の演技力は高かったのだろう。


「...」


「いつものかくれんぼの延長だと思ってくれればよかったのになぁ」

「なんか昨日は嫌な予感がしたんだ」


 『嫌』じゃなくて『良い』だけどね。


「予感的中じゃないか」


 予感ではなく全て僕が仕組んだことなので正しくは予測的中だろう。


「君は...君はなんでそう...」

「ありがと。今まで楽しかったよ」


 ミケはこのまま満足して天国に行くのだろう。正直それは腹立たしいが、ミケのあの行動は全てミケが善意でやったことだと知っている僕はあえてミケに本当のことを言わないことにした。


「...僕も。僕も、ミケと一緒にいられて、楽しかった」


 そんな心にもないことを口にする。


「みゃーお」


 その言葉は…動物と話せる僕にも「みゃーお」と聞こえた。要するにそれは意味のないただの響きだった。ただそれでも僕はひどく動揺した。「みゃーお」と鳴いたミケの瞳は僕にこう語りかけているように見えたからだ。

 君がやったんだね。

 と。

 僕は気がつけばミケの瞳に人差し指を入れて眼窩から眼球を抉り出していた。


「...冷たい」


 気がつけばミケの体は熱を失っていた。僕の仕掛けた毒の罠によってミケの身体は弱り、最後僕がミケの眼球を抉り取ったのがとどめとなった。


「おやすみ」


 両方の眼窩に眼球が存在しないミケを見下ろし、気がつけば僕はミケの骸を踏んづけていた。



 - ミケの墓場に来た僕はミケとの最後の記憶を無意識のうちに思い出していた。

 そしてそれと芋づる式になるようにして他のミケとの記憶も蘇ってきた。

 僕が動物と話せる能力に気がついたのは十歳の頃、最初に話した相手はミケだ。この能力を手に入れた時僕は可愛い動物と話せることに純粋に喜んだ。

 だがそれは僕に取って地獄の始まりだった。


 僕の家は近くに森がある人里からは孤立した自然に囲まれた一軒家であり、お隣さんの家は歩いて十分かかる距離があった。今振り返るとそんな自然に囲まれている環境のせいで僕はあんな地獄をあじあわなきゃいけなかったのだろう。

 

 弱肉強食という法則で自然界は回っているのは子供でも知っている事実であろう。強い存在が弱い存在を食らうということは、当たり前だが弱い存在は命を失うということだ。そしてそれは昼夜問わず行われており、動物の声が聞こえる僕は弱い存在の断末魔や、命を失われる恐怖の声が脳を揺らすように毎日毎日時間を問わず聞こえてきた。

 それに僕の動物と話せるという能力は音という空気の振動によって僕に届くのではなく、テレパシーのようなものだった。もっと詳しく説明すると、僕は動物の思考が勝手に聞こえるが動物は僕の思考は自分から聞こえず僕が発信することによって初めて動物は僕と会話ができるようになるのだ。そのせいで一定距離に入れば近くにいる動物の思考が僕の頭の中に入ってくるのだ。外を出ると雲の巣に体をとらわれた哀れな蝶の命乞いをする声、それから苦痛に悶える声、そしてその蝶の声が聞こえなくなる瞬間…その蝶の命が失われたのだと実感する。それは当時十歳だった僕には耐えがたい苦痛だった。

 外に出て聴こえてくるのは生きてくのに必死な動物達の悲痛な叫び、この能力に気がついてから三日後、僕は一切外に出られなくなってしまった。自分の部屋に引きこもったのだ。

 不幸中の幸いなのか僕の両親は虐待という概念の認識が薄かった当時には珍しい、子供のことを所有物だと思わず一人の人間として尊重できる存在で、少し前まで外に出て遊ぶのが好きだった僕がいきなり部屋に引き篭もってしまったのは何か理由があるのだと気がつき優しく接してくれた。


 僕は引き籠っている間ずっと今まで自分が行ってきた残虐な行いを悔いていた。例えば僕が五、六歳のころにアリ釣りという遊びを父親が教えてくれてそれを実行した後にアリを踏み潰したとか、森の中からカブトムシを虫かごに監禁し世話を忘れて殺したこともあった。アリを踏みつぶした時僕は何も罪悪感を感じなかったし、カブトムシを世話するのを忘れて殺した時は少し悲しかったが、別に罪悪感は感じなかった。だが動物の声が聞こえる今では違う。その行いは大罪だったことに気がついた。

 僕はこの能力に気がつくまできっと動物のことを玩具くらいにしか認識してなかった。アリは踏み潰すのを楽しむ玩具だったし蝶は捕まえて羽をもぐ玩具だった。

 当時僕は宗教に入っていなかったが、部屋の中で神に何度も懺悔をし、僕の殺した命の天国での幸福を祈った。


 そんな引き篭り生活から三週間ほど経った頃、飼い猫のミケがどこから入ったのか僕の部屋に現れ、外に出ないかと説得してきた。最初拒否したがミケは諦めないで僕のことを説得し続けた。ミケから親が心配していることと、このまま引き籠って生きていても未来はないということを言ってきた親が心配しているのは心の声を聞いて知っており罪悪感を抱えていたので、親を心配させないためにこの能力と向き合うためのリハビリを始めることにした。

 ミケはそのリハビリにかくれんぼという方法を選んだ。理由はかくれんぼなら外を自然と歩き回るので必然的に数多くの動物の声を聞くことになる。それによって僕が能力に向き合えるようにする考えだった。

 最初はかなり小さい範囲で短くかくれんぼをし、徐々に範囲を広げ長くかくれんぼをした。

 そうして僕は三年かかってやっと動物の命が失われていく声に心を激しく乱されないようになり外にある程度出られるようになった。


 そうすると今度はリハビリではなく遊びとしてミケとかくれんぼをするようになっていた。といっても僕はそんなことをしたくなかった。確かに外に出られるようになってはいたが、かと言って外にいたいわけではなかった。命が失われていく声が絶え間なく聞こえる外より、たまに聞こえる家の中の方が良いに決まっている。そこをミケは理解してなかった。

 ただそれでもミケからのかくれんぼの誘いを断れなかった。理由は単純。僕がこの能力と向き合い普通に外に出られるようになったのはミケのおかげだからだ。

 最初はまだ我慢できた…だが遊びとしてかくれんぼをやるにつれ遊ぶ時間がどんどん長くなり、さらにはかくれんぼ以外の外でやる遊びもするようになった。

 ここまでくると僕の心のダムに小さなヒビが入った。

 ミケは確かに僕の恩人(恩猫)だが、その時の僕にはそのことは完全に過去のことになっていた。僕のミケの認識は意味もなく僕に苦痛を強いてくる最低な黒猫となっていた。


 そして更にそこから一ヶ月ほど経った頃、心のダムに入ったヒビからダムは決壊した。僕はこの生き地獄を終わらせるために明確な殺意を持ってミケを殺すことを決意した。


 そこからは簡単だった。まず僕は殺す方法として森の中にいるある者に交渉することにした。

 森の住人で命を脅かすほどの力を持っている存在を僕はそれしか知らなかった。そう…蜂だ。

 僕はその日、朝から蜂を探した。方法は能力で蜂の声を拾うことだった。

 そこから三十分ほどで蜂と遭遇することができた。しかも幸か不幸か蜂の中でも一番危険な毒を持つと言われている雀蜂で、サイズが蜂の中でもとても大きいので大雀蜂だと思われた。

 大雀蜂は見た目と違って知的であり交換条件によってミケ殺害に協力すると約束してくれた。交換条件は食糧くれとのことだったので、僕は自分の能力を使って大雀蜂の餌探しに協力することを提案したら納得してくれた。

 とりあえずミケを殺すための凶器は用意できた。大雀蜂を凶器に使用するのだから僕自身のアリバイは作らなくて良いことになる。普通に外に出られるようになるまで、ミケとリハビリ(かくれんぼ)しているとき以外は音楽を聴く以外に家にあった推理小説を読んでいた過去の自分に感謝をする。その知識が今ミケ殺害計画に役に立っているのだから。

 アリバイ工作はしなくて良いということは残った問題は犯行現場とそこにどうやってミケを誘い込むかだが、ここでも僕は幸運に恵まれていた。ミケが遊びとしてのかくれんぼで本気で隠れる時、決まってミケが隠れる洞窟があった。誘い込むならそこしかないだろう。それにその場所にミケが隠れていることを僕が知っているのをミケは知らないのだ。理由は単純で僕は本気でかくれんぼをする時ミケを見つけたとしても気がつかないフリをしていたからである。それはミケが真剣勝負では人間でも稀に見ないほどの負けず嫌いな気質であることを知っているからだ。ミケは真剣勝負で負けるとしつこくもう一回やろうと迫ってくる。それくらいなら僕が負けてさっさとかくれんぼという遊びを終わらせ家に帰った方がマシだった。


 さて…一体どういう手段を用いてミケをあの洞窟に誘い出すか、最初に思いつくのは僕から真剣勝負を申し込むことだが、僕から真剣勝負をしかけるという行為をしたことないのでミケに怪しまれる可能性がある。それにかくれんぼというのはかくれる側も鬼がいつくるかドキドキしながら周囲に気を使っているはずなので、そんな時に大雀蜂にミケを襲わせても果たして殺害は成功するのか不安が拭えない。

 ここまで考えた結果ミケを例の洞窟に誘い出す理想の条件だが、怪しまれないようにそこにミケ単体で行くように誘導し、更にミケが周囲に注意を払っていない状況を作り出すことだ。正直かなり難しい問題だと思うがここまできたからには引き返す気は毛頭ないので、その理想の条件にどうすれば近づけるか思案することにした。

 その結果実現可能性の低いものと比較的高いもの合わせて五個ほど案が思いつき、そしてその中から一番実現可能性が高い案一つを選んだ。


 早速僕は大雀蜂に犯行時刻を伝えた。まあこの犯行時刻は結構大雑把なもので、計画実行した時に更に詳しい時間を伝えることにした。

 そしてその後僕は計画に必要なノートを机の引き出しから取り出し、そのノートに『あること』を4Bの鉛筆を使いページ全てが埋まるように書き綴った。

 その作業でその日の半日を潰してしまったが、これでミケを殺す準備は整った。予定通り明日にはミケを殺害できるだろう。

 犯行前日、僕は計画に使うノートを自室の真ん中に位置する床に開いて置いておいた。毎朝ミケが僕を起こしにくるため、ここにノートを置いとけば嫌でもノートの中身が見えるだろう。そしてこのノートの中身をみたミケはきっとあの洞窟に向かうだろう。

 その夜僕は緊張と興奮に揉まれてあまり眠れなかった。


 当日、僕はいつもミケが起こしに来る時間より三十分ほど早く起きたのでベッドの上で計画を繰り返し頭の中で思い浮かべていた。といっても殺害自体をするのは大雀蜂なので僕がすることはあまりない。ミケを洞窟の中に誘導するトラップはもう仕掛けてあるので、僕がすることといったらミケが洞窟にいるのを確認し、大雀蜂に襲わせるだけだ。そう考えるとあまり緊張はしなかった。というか今回の計画は失敗しても僕が仕組んだとミケに思われる可能性は限りなく零に近いので、あまり気負う必要はないのだ。

 と、そんなことを考えているうちにミケが僕を起こしにくるいつもの時間になっていた。自室のドアにはミケ専用の小さな入り口があり、ミケがそこを通るといつも木が軋んだような音がするので入ってきたらわかる。というか能力のせいでドアに近付いたらわかる。

 そしていつも僕を起こしにくる時間にミケは自室に入ってきたので、僕は能力で聞こえるミケの声に耳を澄ます。

 いつも通りに陽気な声が聞こえてきて、おっとどうやら部屋に配置しておいたノートに気がついたようだ。それからミケはその中身を見たようで、そこで能力による声が聞こえなくなる。おそらくだがノートの内容に衝撃を受けて一時的な放心状態になったのだろう。それからミケの酷く狼狽した声が聞こえ、声はだんだんと遠ざかっていた。どうやら自室からでたようだった。僕は念のため十分ほどベッドに寝たフリをしてから起き上がり、能力を使って家の中にミケがいないことを確かめ、僕はミケに合わないように迂回して例の洞窟に向かった。


 結論から言うと計画通りというより予測通りにミケは洞窟内にいることが確認できた。そして全くと言っていいほどミケは周囲に注意を払っていなかった。ミケの心の声を聞いていると後悔と罪悪感、そして疑問が頭の中で渦巻いているようだった。


 これも僕の計画通りだった。僕はミケがそういう行動をとるように、そういう心理状態になるようにノートに文章を綴った。それはもちろん超能力でもなんでもなく僕はミケの善性を利用しただけだ。ミケは僕の飼い猫で一日のほとんどの時間を共有している家族も同然だ。要するに僕は一日のほとんどの時間ミケの心の声を聞いていることになり、僕がミケの性格を熟知しているのは当然で、性格を熟知していればミケを想いのまま動かすのもできなくはないのである。


 僕はノートの内容を思い出す。ノートには僕の今までの叫びを綴った。能力で動物たちの断末魔を聴いた時の苦痛と絶望、引き籠っていた時の僕の今まで行ってきたことへの後悔と懺悔、そして自己嫌悪の気持ちを綴り、その後はリハビリが終わってからの僕の心境を綴った。僕がミケ向けに書いたのは『リハビリが終わってからの僕の心境』の部分だった。

 僕はミケの心の声を聴けるから知っているが、ミケは僕があのリハビリで動物たちの断末魔を聞くことへの苦痛を克服し、動物たちの断末魔を聞いても何も感じなくなった。という風に思っていた。

 

 だがそれは大きな間違いであり、僕は動物たちの断末魔を聴くと今でも酷い苦痛を感じるし、後悔と罪悪感を吐き気がするほど感じる。僕があのリハビリで得られたものは断末魔に慣れるということではなく、自分の中の負の感情を抑圧する技能を得られたのだ。そこが僕の心の実情でありミケには気が付けなかったところだった。そしてその実情とミケの想像のギャップがミケを苦しめた。ミケは動物たちの苦痛の声を克服した僕とリハビリをしていた三年間の楽しい時間を取り戻そうとして僕と遊びでのかくれんぼをしようと、僕に外の遊びの楽しさを思い出してもらおうとしたわけだが、実際は楽しむとは逆で僕はミケとかくれんぼをするたびに苦痛を感じていたのだ。そのことをノートに綴った文章で見たミケはさぞショックを受けたであろう。そんな僕の本心を知ったミケは罪悪感と後悔と自責の念に駆られてしばらくは一人でいたくなるはずだ。

 そしてミケが一人になれる場所と言ったらあの洞窟が第一候補にあがるはずだ。何故なら僕の両親はもちろんあの洞窟は知らないし、あの洞窟にはあまり動物が寄り付かないし、なんといってもミケの中では僕が知らない場所ということになっているのだ。あの洞窟ほどベストな場所はない。


 僕はそんな自分の計画に自画自賛を送りながら大雀蜂の元まで向かい、大雀蜂にミケが洞窟内にいることを伝え数十匹の大雀蜂を洞窟に案内し、いったん洞窟から十メートル手前くらいでとまり能力で聞こえる声に耳を澄ます。その結果ミケが洞窟内にいることとミケは今予測通り罪悪感と後悔と自責の念に駆られていることが確認できたが、それと同時に洞窟の中にもう一つ存在が確認できた。心の声は聞こえるがなんの動物だったかわからなかったし、その動物が万が一大雀蜂をも恐れる危険生物だったらミケの殺害は失敗に終わり大雀蜂から恨まれるかもしれなかったので、僕はそのことを大雀蜂に説明して、ミケ殺害はまた後日にして欲しいとお願いした。


 大雀蜂は自身の力に誇りを持っており、僕の提案に少々不服だったようだが今回のミケ殺害は僕との交換条件の上に成り立っていることを理解しているため僕の提案を呑んでくれた。そして僕は今後も大雀蜂とは良い繋がりを保っていたいため、その日は大雀蜂の餌探しにまた協力してあげた。


 その日の夜、ミケは家に帰ってこなかった。そうとうあのノートの内容がショックだったらしい。流石善良の塊であるミケだ。まあそのミケの優しさが僕の心を破裂させたんだけどね。


 次の日の朝、まだミケは帰っておらず洞窟に引き篭もり一夜を過ごしたことが伺えたので、僕はまたあの洞窟の近くまで行きミケが洞窟の内部にいるのか、そして昨日の洞窟内にいた謎の存在はいなくなっているのか、を確認したところミケは洞窟内におり、謎の存在はもういなくなっていた。

 これはチャンスだと思い僕は急いで大雀蜂の元に行き洞窟まで案内した。

 そして、その時ミケは一昨日までの様子とは異様なほど淀んだ精神状態で洞窟の内部にいた。昨日ミケが持っていた膨大な量の後悔と罪悪感は、全てミケ自身への自己嫌悪と変質をしてミケを蝕んでいた。ミケのその自己嫌悪の声は僕には美しいピアノの旋律のように聞こえた。自分を苦しめた相手の苦痛の声を聞くのは美しくも厳しい冬の森を想像しながら聴くシベリウスの樅の木を聴くよりも気持ちが良かった。


 ならば…ミケが命を失う瞬間をみるのはドビュッシーの月の光を聴いた時のように心が穏やかになるのだろうか、僕はそんなことを想像しながら大雀蜂にミケを刺すように命令をした。


「眠い」

「気のせいじゃないかな」

「でも僕は確かに眠いんだよ」

「気のせいだよ」

「そう...かなぁ」

「うん」

「でも眠くて眠くて仕方ないんだ」

「気のせいさ、気にすることなんてないよ」

「だって、眠いのになんだか寒いんだ」

「大丈夫、大丈夫だから」

「足が震えて前に動かないし」

「ほら、支えてあげるから、外に」

「頭がぼうっとするんだ」

「きっと平気さ、君なら」

「もうダメだよ、僕、もう君と遊べない」

「そんなことない!君、昨日までピンピンしてたじゃないか!」

「何回も困らせちゃったね」

「そんなこと...そんなことっ、」

「昨日逃げ回ってたのはね、君と一緒に居たくなくて」

「なんで君はそう...今そういうことを言うんだよ...」

「でも君、泥んこになりがなら僕のこと見つけてくれちゃってさ」

「...」

「いつものかくれんぼの延長だと思ってくれればよかったのになぁ」

「なんか昨日は嫌な予感がしたんだ」

「予感的中じゃないか」

「君は...君はなんでそう...」

「ありがと。今まで楽しかったよ」

「...僕も。僕も、ミケと一緒にいられて、楽しかった」

「みゃーお」

「...冷たい」

「おやすみ」


 そして僕はミケの両方の眼球を抉り取ってしまったのだった。大人になった今その終わり方を例えるならJ・ケッチャムの隣の家の少女を読み終わった時のような気分だった。まあ隣の家の少女の方が最悪だったが。


 僕は眼球を抉り自身の手でミケを葬ってしまったわけなのでこのままだとまずいと困り果ててしまった。これで少なくとも蜂がミケを殺したとは誰も思わなくなってしまったのだ。そんなこんなで迷っているとまだ大雀蜂が近くにおり人間に見つからない森の場所を教えてくれると言ってくれた。これは彼らからのサービスだったのだろう。僕はミケの抉り取った眼球をポケットに入れ、大雀蜂にその場所に案内してもらった。


 僕はそこにミケを置いて家に帰り、自室に入った後にポケットにミケの眼球を入れていたことを思い出し取り出した。その形の崩れた眼球を見た刹那僕の脳内に今までのミケとの思い出が駆け巡り、ミケは僕のためを思って行動をしていたということを思い出した。僕はミケを殺害したこと自体は後悔をしていないが、だとしても善意で動いた者に何も感謝をしないのはどうかと思った。ミケの眼球を森に捨てるというのは感謝のかけらもない行為だ。なら一体どうするべきなのだろうか、僕はすぐに答えを出すことができた。


 僕はポケットから眼球を取り出し…一気に飲み込んだ。ミケの眼球の味、温度、匂い、食感すべてが僕に強烈な不快感と吐き気を催すものだったが無理矢理胃におさめた。


 数十秒程呼吸を整えるのに時間をようした後、僕は生前のミケの願いを脳裏に焼き付けた。


 ミケは生前僕に健康的に成長して大人になって欲しいという願いを持っていた。僕はその願いを叶えてあげるためにミケの眼球を食べた。そうすればミケの眼球が僕の栄養となり僕を肉体的に成長させてくれると思ったからだ。それにきっと僕のことが好きなミケにとって僕の中ほど居心地が良いところはないだろう。


 「いい夢を見られるように、僕がずっと君の獏になってあげる」


 薄暗い自室の中…父親の部屋からレコードで流しているバッハの小フーガト短調が僕の部屋を包み込んでいた。



 − ミケの墓の前で僕は髪の毛を一本抜いた。これはミケの眼球の栄養で育った証明だ。本当はミケはこの墓に眠っていないが、ここに髪の毛を置いていこう。僕はミケに祈りを捧げ、ケースからヴァイオリンを取り出しパッヘルベルのカノンを奏でた。天にいるミケに届くように。


 奏で終わった後、僕はミケの墓に最後に語りかけた。何故僕が大雀蜂をけしかけたことに気付いたんだい?と。

 だが死者は答えない。それはわかっていたことなので僕は墓から立ち去る。


 教会から出て五十メートル、公園を横目に僕は歩いた。公園を通り過ぎた後、子供たちがかくれんぼをしている声が僕の耳に届いた。

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