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七夕の夜に

作者: 果 一

七夕の夜に


 「ねぇねぇ、ひろ君は短冊に何を書いたの?」

 「え? 僕? それは秘密だよ~。」

 「え~、つまんないのぉ。」

 黄昏に染まる閑散とした細道を、小さな子供たちが幾人か騒ぎ立てながら歩いていく。

 「まったく・・・ガキはいいよなぁ、お気楽で・・・」

 無邪気に騒ぎ立てる子どもたちを一瞥し、直之は嘆息した。

 「今日は坂田と飲みに行く約束をしてたのに・・・クソッ!」

 坂田とは、直之と同じ会社の同輩で、親友である。

 親友ならば、いつでも飲み会くらいできるではないかと思うかもしれないが、彼はあまり酒を飲まない質の人間であり、こうして一緒に酒を酌み交わす約束をしたのは、実に昨年のクリスマス以来だ。

 そんな彼と、飲み会ができる―――その事実が、直之を浮足立たせていたのだが、

 急遽、飲み会ができなくなってしまったのだ。

 というのも・・・

 ―――時間は巻き戻って。

 

 ~~~昨夜。

 「えぇ? 明日も飲んでくるの?」

 直之が坂田と飲み会をすることを申告すると、妻の佐紀は、不服そうに顔をしかめてそう言った。

 「あぁ、会社の仲の良い同僚と飲むことになったんだ。すまないが、明日も帰りが遅くなる。本当に申し訳ないけど、明日の七夕は、お前と由香の二人で過ごしてくれ。」

 由香というのは、直之が二十六歳の時に生まれた一人娘で、もうじき五歳になる。

 “すまないが、お前と由香の二人で過ごしてくれ。”

 “明日も帰りが遅くなる。”

 ―――それは、毎日のルーティーンのように言っている台詞。

 結婚して間もない頃は、佐紀も直之の健康に気を配り、色々と忠告していたが、直之が飲みに行く回数が一向に減らないので、結婚から二年が経つ頃には、何も言わなくなっていた。

 だから、今回も、「もう、仕方ないわね。くれぐれも飲みすぎないようにね。」と、あっさり承諾してくれると思っていた。

 だが、今日佐紀の口から紡がれた言葉は、いつもとは異なっていた。

 「あなた、せめて明日くらいは三人で夜を過ごしましょうよ。去年のクリスマスもあなたがどうしても同僚と飲みたいって言うから、こっちも折れてあげたのよ。だったらせめて―――」

 「ごめん! でも、本当に明日はどうしても外せないんだ。頼む!」

 直之は頭を下げて必死に懇願する。

 「駄目よ。クリスマスどころか七夕でさえも父親と一緒にいられないなんて、あの子がかわいそうじゃない。」

 「それはわかってるよ。でも、明日だけ。明日だけはっ!」

 大人として、父親として恥ずかしいほどのクズっぷりを発揮する直之に、

 佐紀は最早ため息をつくことしかできない。

 「駄目といったらだめなの。あなたも大人でしょう? けじめくらいはつけて。」

 そう言い残すと、佐紀はくるりと踵を返し、部屋を出て行った。

 「・・・・・・くそ。」

 自己欺瞞を押し付けたことはわかっている。だが、それでも明日の飲み会だけは譲れないのだ。

 鼻持ちならない気分で部屋を出る。と、

 「あ、パパ。」

 不意に、後ろから声を投げかけられた。

 振り返ると、そこには由香がいた。

 (そういえば・・・)

 直之はふと思い出す。

 ―――由香って、俺がいなくて寂しいと言ったことが今までにあったろうか?

 いや・・・自分の知る限り、ない。

 彼女は決して自分の胸の内を吐露しないのだ。

 嬉しいことが起こった時も、悲しいことがあった時でさえ、感情を胸に秘め、淡々と生活を送っている。

 ひょっとして、悲しいとか嬉しいとかすらも感じたことがないのではないか?

 肉親である直之をしてそう思わせてしまうほどだ。

 (由香には悪いってことくらいわかってる・・・でも、明日くらい居なくても、別にいいのではないか?)

 そんなことを思いながら、由香の手元に目を向けて・・・

 あるものを握っていることに気が付いた。

 「ん?・・・それって、短冊か?」

 「うん、そうだよ。」

 由香の手に握られていたのは、桜色の短冊だった。表の一部が所々黒であることから察するに、もう、願い事を書き終わったようだ。

 「どんなことをお願いしたんだい?」

 我が子のお願いを気にならない親なんていない。まして、その我が子が普段自分の思いを打ち明けない性分なのならば、尚更だ。

 故に聞いてはみたのだが、彼女の性格からして「え~、秘密だよ。」とでも返ってくるのだろう。

 あまり期待はしていなかったのだが・・・返答は意外そのものだった。

 「ユカのお願い? それは・・・彦星様と一緒に過ごすことかな。」

 ―――珍しく、由香が自分の思いを話したのだ。

 「へぇ、素敵なお願いじゃないか。彦星様と一緒に過ごすってことは、素敵な殿方と結婚するってことか?」

 「う~ん、違うかな。ユカの彦星様は、すぐ近くにいるから。」

 「へぇ、じゃぁ幼稚園に好きな子でもいるのかい?」

 すると、由香は少し不満そうな顔をして続けた。

 「違うよ。でも、本当にユカの近くにいるんだよ。普段は会えないけど、特別な夜にユカに会いに来てくれる、素敵な彦星様。」

 「成程ね。七夕の物語に出てくる彦星様と似ているね。」

 「うん、そうだよ。ユカ、信じてるんだ。彦星様が特別な夜にユカの所へ会いに来てくれることを。」

 「ふぅん、そうか。会えるといいな。」

 「・・・うん。きっと会えるよ。ユカの所に必ず来てくれるよ。」

 由香は、何かを期待するようなひとみを一瞬こちらに向けて―――そのまま、直之のすぐわきをすたすたと通り過ぎていった。

 「・・・彦星様か・・・どんな人なんだろうな・・・?」

 直之は、いつもと少し違う娘の後姿を見つめているのだった。


 

~~~

―――時間は、現在へと帰還する。

「さて、と・・・」

直之は重い腰を上げ、立ち上がり、帰路に就く。

・・・もちろん、坂田との飲み会は行かない心算だ。

行かない心算なのだが・・・どうしても、未練というものがある。

心を悩ませたまま歩いている内に、気付けば、今日坂田と一緒に行く予定だった酒屋の前に来ていた。

どうやら、相当に未練があったらしい。無意識の内に、この店に来てしまうとは。

―――しかし、今日は帰らなくてはいけない。

―――帰らなくてはいけないのはわかっているのだが・・・

「―――ごめん。やっぱり、今日の飲み会だけは外せないんだ。」

由香の彦星様が誰か気になるところだが、半年ぶりの親友との飲み会だけはキャンセルするわけにはいかない。それに、昨日わずかではあったが、由香と会話をすることができた。普段、自分の身勝手な行動で夜遅くに帰宅することが多く、ろくに娘と話ができていないから、これで十分だろう。

―――自己欺瞞もいいところ。やはり、大人として恥ずかしいほどのクズっぷりを盛大に発揮しつつ、店内へ入ってしまう直之なのであった。


~~~そのころ。

「ねぇ、ママ。」

「? なーに? 由香。」

「パパ、帰って来てくれるかな。」

―――直之がどこにもよらずに帰ってくることを信じて家で待つ、二人の姿があった。

「大丈夫よ、きっと。パパは約束をちゃんと守ってくれるわ。」

「・・・そう、かな。そうだといいけど。」

少し心配そうに、顔を曇らせる由香。

「ええ。・・・それに、短冊にも書いたものね?」

「うん。」

「だったら帰ってくるわ。あなたのパパ・・・いいえ、あなたの彦星様は。」


~~~

「―――やぁ、遅かったじゃないか。」

直之が店に入ると、既に友はカウンターに腰掛けて、焼き鳥を頬張っていた。

「すまない。少し遅くなった。」

「大丈夫だよ。気にしてない。」

坂田は、皿に盛られた焼き鳥を直之に手渡す。

「ありがとう。」

直之は焼き鳥を受け取り、勧められるがまま、口に運んだ。

途端、コクのあるたれの甘味と、焼き鳥ならではの香ばしさが口いっぱいに広がる。

―――美味い。

やはり、来て正解だった。

幸せな気分になりながら、焼き鳥を食べる直之に、坂田は声をかける。

「あのさ、ごめん。ちょっとお願いがあるんだけど・・・」

「うん? 何だい?」

「今夜、七夕だろう? だから、家族と一緒に過ごしたいんだ。申し訳ないけど、七時半くらいにお開きにしてもいいかな?」

 ―――その瞬間、直之には今まで美味しかった焼き鳥が、急に不味くなった気がした。

だが、親友の頼みとあらば、断るわけにはいかない。

「・・・・・・いや、まぁいいけど。でも俺、お前と飲み会ができるの楽しみにしてたんだけどなぁ・・・」

 ・・・ごめん。気を悪くしたのならいくらでも謝る。でも、特別な夜じゃないか・・・やっぱり家族と過ごしたいんだ。」

そんな真摯な目を向けてくる親友の姿が、直之にはとても眩しく見えた。

―――家族を犠牲にして、飲み会を優先してしまったことへの罪悪感が、直之の心を満たしていく。

「実は昨日、息子の短冊を見てしまってね。」

とめどなく溢れる後悔で、硬直している直之を尻目に、坂田は話を進めていく。

「そのお願いに、こう書いてあったんだ。 “七夕の夜は、パパと一緒に過ごせますように”って。」

それを聞いて、直之はふと思い出した。由香の願いを、短冊に綴られた思いを・・・


―――“ユカのお願い? それは・・・彦星様と一緒に過ごすことかな。”――― 


―――“ユカの近くにいるんだよ。普段は会えないけど、特別な夜にゆかに会いに来てくれる、素敵な彦星様。”―――


それは、つまり・・・

「―――僕も、最近仕事で忙しくて、なかなか息子の傍にいてやれなかったからさ。」


―――もしかしたら、《そういうこと》なのかもしれない。

「なぁ、坂田、聞いてほしいことがあるんだ。」

「? 何だい?」

「もしかしたら、俺の娘の願いが、もしかしたら、お前の息子の願い事と同じかもしれないんだ。」

そう言うと、直之は話し出した。

由香の願いを、短冊に綴られた思いのすべてを・・・

―――程なくして。

「その、彦星様というのは、間違いなく君のことだろうね。」

「ああ、今俺もそう思ったところなんだ。くっそ、気付かなかった。由香が、寂しい思いをしていただなんて・・・」

何たる失態。父親が子供を悲しませるなど、言語道断である。

それに気づいた今、かつてないほどの後悔が、体中を駆け巡っていた。

 ―――今、俺は痛烈に後悔した。

 ―――ならば、次やることは決まっている。

 「なぁ、すまん、坂田。」

 「ん?」

 「俺は、家に帰る。」

 「ああ、そうするといいよ。素敵な夜を過ごしてね。」

 「ああ、お前もな。」

 そう言い残すと、直之は疾風のごとく外へと飛び出す。

 外は、西の空が少し明るい程度で、大部分は星の輝きを纏っていた。

 (―――俺は、もう自分勝手なことはしない。)

 暗がりに沈む道をもう速度で駆け抜けながら、直之は物思う。

 (絶対に悲しませるもんか。これからは一緒にいるんだ。佐紀と、由香と一緒に・・・!)

 

 ―――今夜は七夕。

 空を、白く美しい天の川が通っている。

 愛を隔てる天の川は、時に、愛を増幅するものとなり得る。

 人々の願いを乗せて、星々は瞬く。

 今宵、あなたにも幸せが訪れますように。



   The END.










      果 一

 

 



          


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