ブルメルン1
ホゥホゥと夜鳥が鳴いていた。時折強く吹く風に揺れる草木の騒めきが、死者の笑い声のように心をざわつかせる。家屋を舐める炎が揺ら揺らと影を踊らせ、不運な村人に死のダンスを強要した。
マミヤは目の前にある老人の顔を呆然と見つめている。たった今、自分が殺した男の顔だ。怒りに口を開け放ち、瞳は苦悶に歪んでいる。細い首は立ち枯れた樹木を思わせ、それが、老人の日々の生活が決して楽ではなかったことを示していた。
上半身は左肩から斜めに腹まで避けており、袈裟懸けにされた斬撃の威力を物語っている。
あっという間だった。まるでザイルの切れた登山家が氷壁を滑り落ちるようにマミヤ達の状況は転げ落ちた。もちろん下に待っている未来は明るいものではない。
「見ろよ、マミヤ! こいつ隠れてやがった! 地下室で見つけたんだ!」
見慣れた鎧姿の男が、オモチャを拾ってきた犬のようにマミヤのところへやってきた。左手に髪を鷲掴んでいる。その先を追っていくと、まだ幼い女の子の顔がある。鼻から黒い筋が下に垂れていて、粗末な衣服の胸元を汚していた。手足はまるで棒のようだ。触れただけで折れてしまいそうなほど弱々しい。
ーーこいつは、誰だ
毎日毎日何時間も同じ時を共有した男に、初めて会うかのような目を向けるマミヤ。男はついさっきまでとは全然違っていた。その変化は、竜宮城物語のアバターが生身の身体になってしまったことよりもさらに決定的で、絶望的だった。
「お前も早くしないとなくなっちまうぞ」
と、男は剣で周囲を指し示した。
その剣は濡れていて、少女が涙を流しながらも声をあげない恐れの原因になっているのかもしれなかった。マミヤは問い詰めようとしたが、もう自分にもその資格はないのだと思い直す。
「オラァッ! こっちこい!」
「きゃあああああ!」
村のどこかから響いてくる別の友人の怒声に、言葉は違っても悲鳴は共通なんだな、と場違いな感想を抱く。
マミヤ達が連れてきた四頭のドラゴンは、簡素な胸当てと槍を身につけた村人のうちの数人を一片の慈悲もなく殺し、場はあっという間に戦いから狩りへとシフトしている。マミヤの友人達は、背中を見せて逃げる男達を追いかけて殺し、家の片隅に女子供を追い詰めて殺した。
平和な国に生まれ、現代的な教育を受けていた筈の彼等が、こうも容易く理性をとばしたことを驚きをもって受け止めていたマミヤは、しかし納得もしている。
最初、この村に降り立った時は、地上の人々の善良さに感激し、自分達を冷たく追い払った島のプレイヤー達の狭量さを嘲笑った。村の人達の顔はそれほどまでに畏敬や感謝の念に満ちていたのだ。
だが、食料を分けて貰おうと話しかけ、言葉が通じないとわかった直後から態度が豹変した。村人達はまるで犯罪者でも見るようにマミヤ達を見た。好意的には見えない態度で叫び、出口らしき方角を何度も指差す。
もしここで大人しく退散していたら違っていただろうが、そうはならなかった。なまじ本当の人間にしか見えないということが悪い方に働いたのだ。
激情が過ぎ去った今のマミヤならわかる。
人間社会は格差社会だ。それは民主主義だろうが社会主義だろうが変わらない。唱える建前がいかに素晴しかろうと、それを実践できるほど人は高潔ではない。そして上へいくほど数は少なくなる。
マミヤ達のグループに、その上層に位置する人間はいなかった。無条件に敬意を払われることに慣れた者はいなかったのだ。
ドラゴンという最高の相棒と強靭な肉体、他者から受ける畏敬。
一気に膨れ上がった自尊心を、村人達は刺した。
そしてマミヤ達の心は、その乱高下に耐えられなかったのだ。
もし初めから嫌悪してくれたならこうはならなかっただろう。マミヤ達にも、自分達が厄介者扱いされるかもという危惧はあった。しかし一度は受け入れたのだ。例え勘違いであろうとも。
それは、相手に裏切られたような印象を与える行為だ。
険悪な表情で詰め寄ってきた村人を、押しのけるように突き飛ばしたプレイヤーが、まだ自分の力を把握していなかったというのも悪い方向に作用した。
ゴム毬のように飛んだ村人が、地面に後頭部を打ちつけて動かなくなったのだ。
場が凍りつくとはあのような時のことを言うのだろう。
そして彼等のドラゴンは犬のように従順で、犬よりも賢く、犬よりも遥かに強大だった。
まず突き飛ばした腕を伸ばしたまま放心するプレイヤーのドラゴンが、最も近くにいた槍を持った村人を咥え、歯車に巻き込まれた肉のようにズタズタにした。
弓持ちプレイヤーの、咄嗟に放ったクイックアローが村人の身体を家の外壁に縫い止め、濁流のような炎が家ごとそれを押し流す。
衝撃砲を浴びた村人は身体中の骨を砕かれ、穴から体液を撒き散らしながら吹き飛んだ。
決定的だったのは参加しなかったドラゴンがいなかったことだった。マミヤのドラゴンも参加したのだ。
自らも気づかぬ心の深層で、ここまできたら中途半端は許されないと思っていたのを汲み取ったのか、もしくはマミヤの意向が示されないため、独自の判断で敵の排除に踏み切ったのか。それはマミヤ自身にもわからない。
重要なのは、プレイヤーとドラゴンが一連托生な以上、もはや知らぬ存ぜぬでは済まされないということだ。
ここに四人のプレイヤーの意志は統一をみた。
「ーーヤ! マミヤ! 聞いてるのか⁉︎」
「ーーあ? ああ、なんだ?」
「お前も早く食いもんと女を奪ってこいよ。それと今のうちにドラゴンに家畜をたっぷり食わせといた方がいいな。明るくなる前になんとか雨風を凌げる場所を見つけねーと」
「……女は必要なのか?」
「たりめーだろ。食いもんはどうやって食うんだよ。見かけが似てようが元の世界と同じなんて保証はないんだぜ。それに言葉もわからねーし、娯楽もねーし。いらなくなったら捨てりゃいいんだから、気に入った奴を持っていけよ」
「はは……」
乾いた笑いが出る。マミヤは思った。俺達はご先祖様が歩んだ数百年を一晩と経たずに駆け戻ってしまった。
友人達はまるで荷物でも抱えるように村の女を小脇に抱えていた。反対の手には食料の入った頭陀袋がある。大柄な彼等はずっとそうやって生きてきたかのように振舞っていて、例えドラゴンを置いてきたとしても結局はこうなったのだろうな、と思われた。
おそらくは言葉がわからない、というのがまずかったのだ。そしてこれは誤解によって生じた悪夢ではない。村人達は情報を正しく受け止めていた。
どう言い繕うともマミヤ達は異邦人だったし、村人達をいつでも殺せる力を持っていた。村人達の財産である食料を分けてもらおうとしていたし、居座ったまま出て行かなかった。
不幸な事故から始まった惨劇だったが、繰り返していればいつかはこうなっていただろう。それがたまたま最初の一回目で起きたのだ。
「しょうがねえな。こっちを分けてやるよ」
友人の一人がそう言って女を一人投げ出した。黒い髪の少女だ。どこか祖国の人間の面影があった。それはマミヤ達から失われてしまったものだ。
マミヤは暴れる子猫を取り押さえるよりも容易く少女を捕まえた。
「それで、これからどうする? 森なり山に隠れた後は? ずっとそこで暮らすのか?」
そんなのは無理だろうし、できたとしてもごめんだった。
マミヤの問いに友人は、
「俺達には力がある。それを提供して食わせてもらうしかないだろうな」
「傭兵みたいなもんか。でもどこで誰に雇われる? そもそも俺達が雇えるとどうやって周囲に知らせるんだ? どこになにがあるかもさっぱりわからないんだぞ」
「明日、もう一度島に行こう」
「島に?」
マミヤは表情を歪めた。昨日、マミヤ達が見つけた幾つかの島はどこもいっぱいだった。いきなり大手ギルドの島に行くほど愚かではないので、小、中規模の島だったが、そこは行き場のないプレイヤーとドラゴンで溢れていたのだ。適員など考えていない。あれらの島の持ち主は善人かもしれなかったが、馬鹿だった。しかもなにより許せないのは、マミヤ達を拒否したのは島の持ち主ではなく集まっていたプレイヤー達なのだ。
「上はどう考えても長く持たない。つまり上でやり合うか、下でやり合うかだ。俺達と組んで下の奴等とやり合う気のある奴を集めよう。略奪で食いつつ、人が集まったら近くの町を襲う」
「正気か⁉︎ 一体なぜ⁉︎」
「一帯の支配者の館には地図がある筈だろ。捕虜にした女達と何とか会話できるようになったら、この国から出て、別の国で交渉するんだ。そん時にゃこの国での戦果が役に立つ」
マミヤは腕を組んで考えた。運がよければ成功するかもしれないが……
「島にあがれなかった、俺達みたいなプレイヤーもいる。騒ぎがデカくなればそいつらも集まってくる。徐々に略奪の規模を大きくしながら地上の戦力を調べて、無理そうなら計画を変えりゃいいんだ。少なくとも人数を集めるとこまではやっといて損はないだろ?」
マミヤは溜め息を吐いて認めた。
「……そうだな。どうせもうやってしまってるんだし。ただ大手ギルドにはバレないようにしないとマズイ」
「ああ、将来自分達が交渉する時のことを考えて、俺達のことを邪魔すっかもしれねぇ可能性はある」
「しかしそうなると島で集めるのは危険じゃないか? 先々大手ギルドに走る奴が混ざっているかもしれないぞ」
「……いや、構わないさ」
友人は冷たい目でそう言う。
「どんな理由で集めようがプレイヤーの数が合わないことにはいずれ気づかれるに違いない。そうすりゃ上から偵察される。バレることを前提に急ぐことを優先しようぜ。バレたって簡単には手を出されないくらい集めりゃいいんだ。そして上の奴等が下のことを知りたけりゃ俺達に頭を下げるしかない。もしくは俺達の真似をするかだ。なにしろ地上の知識が全くないうえ、俺達が暴れれば暴れるほどあいつらは地上と接触しにくくなる。上手くすりゃ交換で島を取れる可能性だってあるぞ。俺達が身体をはって得た情報なんだからな。その間あいつらのやってたことと言えば、身内で奪い合うことだけ。そうなったらせいぜい嗤ってやろう」
「……よし、やるか」
マミヤの迷う時間は短かった。答えを出すと友人は笑って手を出す。ーーゲーム時代のように
「なあに、ゲームの時とやることは変わらねえ。ドラゴンに乗って戦うだけだ」
その手の上に、集まってきたもう一人が手を重ねる。
「復活はできないと思って動け。ヤバいと思ったらダメージ転化使って時間内に逃げろ。それで大抵なんとかなる」
マミヤもまた手を出して重ねた。
「CTは六時間だ。終わるまでは皆でフォローな」
そして最後に、四人目の手が一番上に置かれる。
「俺、今度の戦いが終わったら結婚するんだ」
「………」
「………」
「………」
マミヤ達三人は、ジョークで締めようとした最後の男に目線をやった。そしてそっと顔を背ける。
その友人が抱えていたのは熟女だった。
「これから行く街は、ドミニコ・ブーメラン伯爵が治める街です。領都の名前はブルメルンと言います。どちらかというと、商業的な面が強い街です」
視線の先に小さく街を眺望し、メリヤが説明する。
「ブーメラン伯爵の領地は人口十万を数えますが、そのうちの半分近くがブルメルンとその周辺に集中しているようです。ブルメルンはそれほど大きい街ではありませんが、最低限必要なものは揃うと思います」
「そうか」
生返事を返すロアは、鎧をカチャカチャ鳴らしながら、メリヤに作ってもらった、首から下げたカンぺを手に取り、睨みつけていた。そこには使えると助かる単語、『はい。いいえ。あれ。これ。それ。殺す。助ける。俺。お前』などが書き出してある。
メリヤがいるのだから通訳してもらえばいい、と思うかもしれないが、メリヤと街の人間が喋る言葉は同じだ。街の人間の言葉には反応しないのに、メリヤの言葉に相槌をうっていたら、馬鹿にされていると相手が怒り出すかもしれないのだ。そこで一言でもいいので、実際に覚束ない発音で話してやると、相手は勝手に何らかの事情を斟酌してくれる、という按配である。そのへん、ロアに抜かりはない。
「しっかし何もないとこだよな、ここ」
「麦畑みたいなのがあるじゃない。あと林も」
周囲を見渡してパドルがこぼすと、ローズはうんざりしたように答える。
「私はそれより歩くのに飽きたわ。鎧は暑いし、見辛いし。だいたい買い物にこんなの着てくる必要あったの? 身体はともかく手足と頭はいらないでしょ」
「馬鹿を言うな。ここはとても危険な世界だ。後ろからいつ殴られるか……」
ロアは《海竜王》シリーズを着ているローズと、《火妖精》シリーズを着ているパドルの二人を見据え、自らの腕を病的に戦慄かせながら、
「俺など隣のテーブルで肉を食べる男がナイフを握っただけで、恐怖のあまり頭を叩き潰したくなる」
「……あんた、それをほんとにやったら置き去りにするからね」
ロアは冷たい視線に肩を竦めると息が荒くなっているメリヤをひょいと肩に乗せた。
「すみません」
「気にするな」
当たり前のように土を踏み固めただけの道を四人で進んでいると、時折、馬車や旅人とすれ違う。彼等は皆、驚愕の面持ちでロアの姿を追う。
「あー。やっぱ凄い目立ってるよ……。どう考えても人選ミスだろこれ」
「いえ、例えロアさんが参加していなくても目立っていたと思いますよ」
ボヤくパドルにメリヤが言う。
「皆さん、美男美女ですから」
「そりゃそーよ。だってアバターだもん」
つまらなそうにローズ。
ロアは空いた手で兜を脱ぐと、頭を振って額にかかった前髪を払い、ローズに流し目を送った。
「ーーぶっ飛ばすわよあんた! キモいんだからこっち見んな!」
ローズは鳥肌がたったのか、自分を抱きしめるようにして怒鳴る。
「だいたいなんでそんな髪型にしたのよ! 今からでも遅くないから角刈りにしなさい!」
「……断る。お前は知らないだろうがな、この髪型は三千年も前に巨大な古代遺跡を作り上げた王朝が発祥のやんごとなきヘアスタイルなんだ」
「ただの姫カットじゃない! どういうセンスしてるのよ! パドルだってそう思ってるわ!」
「俺に振るのかよ……」
しかし、無言の催促を受けたパドルは渋々答えた。
「俺はあんたと夜道で出会ったらまず尻を守る」
「………」
ロアは兜を頭にすぽっと装着すると、眼の部分から強烈な眼差しをパドルに注いだ。
「今日の夜はワセリンを準備しておけよ」
「頼むからやめてくれ!」
本気の悲鳴をあげるパドル。
ロアは鼻で笑うと脚を早めた。ローズとパドルもそこはアバターだ。なんなく後をついてくる。
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
農地が途切れ、道の左右にあばら家が建ち始めるとローズが心配そうに訊いてくる。
「大丈夫だ。ここを見る限り、きちんとした手順を踏めば街に入ろうとするだけでどうこうはされないだろう。例えその後、入ることを拒否されてもな」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
ロアはスラム染みた光景に首を回しながら、パドルに答える。
「雰囲気だ。あくまでも俺の感じたことだが、人狩りともとれる検問をするような領主が治めているなら、ここらの住人の表情はもっと絶望の色が濃くてもおかしくない」
隙間だらけの小屋や、ぼろぼろのテントの間から飛んでくる突き刺すような視線は、生への活力に溢れている。ここらの住人は貧しいかもしれないが、人生に絶望しているようには見えなかった。
「ささいな理由で殺されたり、投獄されるような場所にこうも人は集まらないさ」
「他に行くところがないからかもしれないぜ。つか、俺には治安が悪そうにしか見えねぇ」
ロアは反応しなかった。結局行ってみるしかわからないし、今更行かないという選択肢はないのだ。
壁に近づくほど建物が立派になっていく。通りで商売をする者も見かけるようになった。
「スリに気をつけろよ。無駄遣いをするな、なんてケチ臭いことは言わんが、スられたら小遣いはなしだからな」
粒金の入ったポーチはめいめいに持たせていた。メリヤにもだ。ロアはそのポーチを胸の内側に入れていた。大人だろうが腕をあげなければ届かない。
「メリヤ。わかっているだろうがーー」
「はい。正体を隠すのですね。わかっています」
「すまんな。俺達はまだ存在を知られたくないし、一貴族程度では帝国に抗しえない。お前は俺達といる方が絶対に安全だ。なにより巻き込まれる者が出ない。だがもし、王女であるお前の旗の下、王国が迷いなく一致団結できると思えるようならきちんと交渉しよう」
今のままでは存続が危ぶまれるとはいえ、歴史ある一国が後ろ盾になるならば存在が公になってもお釣りがくる。ロア達が窓口になれば他のギルドにも話は通せるだろう。だがそのための絶対条件として、ロア達プレイヤーに恩義を感じているメリヤが頂点に立つか、立つと確信できなければならないのだ。そうでないと信用できないし、いいように利用される。
プレイヤーが相当数集まれば、帝国も皇国も簡単には手を出せなくなる。膠着状態に陥ったうえで、庇護者として王国の中に立場を作れるのだ。そうなれば理想的だ。
しかしそう上手くはいかないだろうとロアは思っていた。王国の残党がメリヤの居場所を嗅ぎつければ、彼女と婚姻関係を結び、王か王配になろうとする者が現れるに違いない。そしてそいつがロア達に恩義を感じ、意志を尊重する可能性は極めて低かった。そうなればロア達にとって王国は、他の国々と変わらないか、帝国とやり合ってる分だけ交渉相手として劣る。メリヤにはその考えを話してあった。
ロアは肩からメリヤを降ろし、彼女の荷物入れから倉庫にあったファッションアイテム《サングラス》を取り出して顔にかけ、マントのフードをしっかり被らせる。
「では打ち合わせ通り頼むぞ」
「はい」
そうしてロア達四人は、門番の兵士達が手続きをしている入城受付の列に並んだのだった。
メリヤはドキドキしながら門番が話しかけるのを待っている。後ろにはロアとローズ、パドルが見守っていた。安心感はあったが、緊張感はなくならない。自分の行動が彼等の命を脅かす一因になるかもしれないと思ったら、緊張するなというほうが無理だ。
「ーー次! さっさと前へ!」
考え事をしていたメリヤは慌てて先に進んだ。
見上げるような門の下に兵士が四人いる。皆、短い槍を持ち、鎧姿だ。格子扉は上がっていたが、彼等を無視して入ろうとする者はいないだろう。
「人数は四人か……体重的には六人分くらいありそうな面子だが。この街にきた用件はなんだ。鑑札があるなら出せ」
ロア達を見た兵士の一人が言った。
「鑑札はありません。私達は流れの傭兵です。ブーメラン伯爵の募兵に応じようとこの街を訪れました」
「なんだとぉ⁉︎」
兵士がいきなり声を荒げたので、メリヤは危うく悲鳴をあげそうになった。なにかまずいことでも言ってしまったのかと、言葉の続きを待つ。
「えらく耳が早いな、お前達。その情報は昨日もたらされたばかりだぞ。しかも竜便を乗り換えながらだ」
「ここよりも王都よりの町で、偶然にも商人がそう言っていたのを聞いたのです。彼等は耳ざといですから」
「なるほど。しかし運がいいのか悪いのか、まだ募兵の立て札は立っていないのだ。時間の問題だとは思うのだが……」
「え……そんな……! どうにかならないのですか⁉︎」
「ううむ……いの一番にここに向かったことに考慮して入れてやりたいのは山々なんだがな。さすがに法を無視するわけには……」
目の前の兵士がうんうん唸っていると、別の兵士が話しかけてくる。
「ところでお前はなんでそんな物を顔にかけているのだ? わざわざ犯罪者が自分から検問にやってくるとは思えんが、一応規則だからな。そのようにあからさまに顔を隠されては調べぬわけにはいかん。それを外して素顔を見せてもらおうか」
きた、とメリヤは思った。これは予想していたことだった。別にこの兵士達が王女の顔を覚えている、などとは思っていない。しかし顔を知っている者が都市の中にいるのも事実だ。サングラスはその対策だが、他にも自分に絡んでくる虫除け、一度見せて許されておけば誰何された時、対応が楽になること、門を突破するために強烈なインパクトを与えるなど、理由は幾つかあった。
「構いませんが、私は呪い師です。私の瞳を直接見た者は、幻覚に惑わされてしまいます。それでもよろしいですか?」
「呪い師だと⁉︎ それは本当だろうな⁉︎」
兵士達は皆驚いたようだ。人前に出ることを嫌う呪い師が、このような昼間から堂々と出歩いていることが信じられなかったのだろう。そしてまた、彼等は無意味に力を行使することも厭うのだ。
「もちろん嘘など申しません。お望みとあれば外してご覧にいれましょう」
「う、うむ。ならば是非頼む。しかしその幻覚とやらはこちらに危険がある類のものではあるまいな。例え試しといえど、そうなったらこのまま帰すわけにはいかなくなるぞ」
「その心配はもっともです。ですがご安心を。私の幻覚は他者を傷つけるようなものではありません。また効果も長くは続かないものです」
「ほう。……ならば、そうだなーー」
最初に話しかけてきた兵士がにやりとして、
「もしお前の言葉が事実で、しかもその力が驚くほどのものならば、どうにかして中に入れないものか隊長に掛け合ってやろう。判断するのは隊長とドミニコ様ゆえ、実際に入れるか確約はできんが、どうだ? 悪い話ではあるまい」
「本当によろしいのですか?」
「もちろんだとも。なにしろ立て札はそう時を置かずに立つだろうし、なにより有能な傭兵の存在は俺達兵士の生命にも関わることだからな。上の判断を仰がねばならんから少し待つことにはなるが」
納得のいく理由であった。
なら、とメリヤは視界の端でロアが頷くのを横目で見つつ、サングラスを外す。
薄い琥珀色をした瞳が、兵士達を射抜いた。
「ーーおおっ⁉︎」
「こ、これは……⁉︎」
兵士達は露わになった美貌に眼を見張る。そして暫くして怪訝そうに眉を顰めた。
「……まさかその顔が幻覚などとは主張せんだろうな」
「たしかに幻覚と言われても信じてしまいそうな造形だが……」
メリヤは無言で一歩横にずれた。するとーー
なんてことでしょう。横に移動した筈の少女の姿が、まだそこに残っているのです。もちろん移動した本人の姿もきちんと横にあります。
つまり、メリヤが二人になったのです。
「………」
兵士達はぽかんと口を開けている。言葉もないようだった。
ヴホン、とロアが咳をした。
メリヤは自然な動作でサングラスを再度かけると、兵士達の様子を面白がるように、ふふふ、と微笑んで口を開いた。
「いかがでしたか? 隊長さんに掛け合ってもらえるでしょうか?」
兵士達は、一も二もなく頷いた。