ロアの島1
少女を乗せて島に帰還したロアは、いつもの場所ーー山頂ーーにエドを着地させた。そしてそこにいた男の姿に言葉を失う。
「お帰りなさいませ、ご主人様。ご友人の方々が食堂でお待ちです」
厩舎管理NPCが頭を下げながらそう挨拶してきたのだ。しかも友人の方々ときた。
彼はどうやってロアのフレンドリストの中身を知ったのだろうか。
「……うむ。出迎えごくろう」
エドの背中から少女を降ろしながら頭を働かせる。この、まるで人間みたいになってしまった日に焼けたNPCの名前はなんだったろうか。どうにかして上手く聞き出さねば。
「管理人たるお前の名前はなんだったかな?」
「ゴンザレスでございます」
「……そうか」
そういえばそんな名前にした記憶がある。竜宮城物語はキャラクターの上に名前が出ないからすっかり忘れていた。明日から少し優しくしてやろう。
「ところで……」
ロアは慎重に言葉を選びながら訊ねる。
「友人ということだが、彼等のドラゴンを見かけない。何故だ?」
「それでしたら、窟内に入る際、島内で自由にするよう言い含めて放っておられましたが」
「なんだと!」
島は広いので、遠くに着陸していたら気づかないこともあるだろう。しかし問題はそんなところにはなくーー
ロアは兜を脱いで深く息を吸った。倉庫ではないのにそれができたことには驚かない。なんとなくできる気がしていたのだ。
「ゴンザレス、お前は俺が外出していた理由を知っているか?」
「はい。存じております。他ギルドの方々と島の領有権を巡り戦争になったと伺っております」
「では、俺より先に帰還した者達は何名だったか」
「六名でございます」
六名! つまりドラゴンが六頭だ! 適員五名の島に!
ロアは喚き散らしたい衝動をなんとか自制した。ゴンザレスや少女に罪はないし、報酬の件があるので六名が訪れたこと自体はいいのだ。重要なのはその後だが……
しかし純然たるゲーム内なら許していたことでもある。状況が確かならぬ今の時点で暴発するのはいかにもまずい。
ロアは、島の上空を飛行した時には矢継ぎ早に質問をとばしてきたが、ずっと無視をしていたら大人しくなってしまった少女に目を向けた。
物事には優先順位というものがある。焦らず一つづつクリアしていくのだ。
「とりあえずさっさと報酬の件を片付けるか」
本当は九人いなければいけないのに六人しか来ていないのは嬉しい誤算だが、新顔達と直接会話しなければならないと考えると暗鬱とした気分になってくる。
兜を被りなおすと、鬼ではないので、少女の足に合わせて禿げ山をくだり、洞窟の入り口に到着した。
一瞬自室に戻ってログアウトを試したい欲求に駆られたが、そもそもアイコンがでない今可能とも思えない。できたとしても大人としてまずいだろう。諦めて食堂に向かう。
宴会でもしているかと思ったが、なかはお通夜状態だった。
「……待ってたぞ、ロア」
椅子に腰掛けた大柄な金髪イケメンが疲れた顔で言う。兜は脱いでテーブルの上だ。彫像のように彫りの深い顔をしている。聖堂前に飾られていそうだ。
「色々あってな」
「こっちもだ。後ろにいるのが誰かはさておき、状況を把握する前に自己紹介からやるか。お互い言いたいことはあるだろうが、まずは順番にな」
こういう時に音頭をとる奴がいると非常に楽である。
ロアはひとまず進行役をアンマンパンに任せることにした。
「俺はアンマンパン。逆転野郎っていうギルドでマスターをしている。今回は《岩窟王》側で参戦した」
女キャラの目を気にしたか、日和った自己紹介をしたアンマンパンをロアやボットン、またうるマンは温かな目で見守った。
「俺はボットン。逆転野郎のギルメンだ。もち《岩窟王》側な」
「またうるマン。後はボットンと同じだ」
ボットンはアンマンパンと同じ二十前半くらい。またうるマンは三十前後か。三人とも長身なのをロアは知っていた。アンマンパンとまたうるマンは百九十くらい。ボットンに至っては二百くらいある。
「ロアだ。《岩窟王》のギルドマスター」
皆にならい、ロアも兜を脱いだ。開放されたむわっとした熱気が、ここが単なる電子の世界ではないと主張した。
「んじゃ次は俺な」
聞き覚えのある声がして、赤毛の少年が手を挙げる。現実世界なら長身といえる背丈だが、ゲーム内ではそう言い切れない。そんな身長をもつ少年だ。
「俺はパドル。《アース》ってぇギルドのマスターをしている」
そしてその隣に座っていたもう一人が、
「ボクはアーサー。《円卓の騎士》のギルドマスター」
「………」
「………」
「なんだよ! 言いたいことがあるなら言えよ!」
白髪の少年アーサーが、変な空気を壊すかのように噛み付く。
ボットンとまたうるマンの二人は哀れむような表情をそっと隠した。
「そう笑ってやるな、ボットン。きっと頑張って考えたんだろう」
「笑ってねーよ!」
アーサーに睨まれたボットンは慌ててロアの言葉を否定する。
「はいはい。そういうのは後でな。取り敢えず残り二人どうぞ」
やはりアンマンパンにMCを任せたのは賢明な判断だったようだ。ロアは己の決断を自画自賛する。
「私はローズよ。今回は敵の方にいたわ」
話したのは二十にはなっていないと思われる女性キャラ。栗色の髪を後ろで一つ括りにしている。
ロアはおや? と思った。頭と股が緩んでいそうな喋り方はどこにいったのか。そして大人の事情に思い至る。
「なるほどな。それがお前の素の性格というわけか、ゆかり」
「はぁ⁉︎ ローズっつってんでしょうが! 人の話くらい聞いてなさいよこのゴリラ!」
「すまん。場を和まそうとちょっとしたジョークを言ってみた」
「……はぁ……もういいわ。次はあんたよ」
疲れたような溜め息を吐いたローズは場違いなドレス姿の少女に顎をしゃくる。
六対の瞳に注視された少女は、意外にも平然とした態度でドレスをつまみ、綺麗に一礼した。
「私の名はメリヤ・ディナシードと申します。ディナシード王国国王、ナリウスの第二子であり長女。今はなにもできませんが、命を救っていただいた恩には必ずやーー」
「ーーちょっと! なんでNPCなんか連れてきてんのよ⁉︎」
「変な言いがかりをつけるな!」
メリヤの自己紹介を中断させたローズを、何故か鼻息を荒くしたパドルが怒鳴りつけた。
「彼女はNPCなんかじゃない! あんたらはまだわからないのか⁉︎」
「ーーは? じゃあなに? ロールプレイしてる空気読めないお馬鹿さん? どっちにしろ今この場には必要ないわ」
「彼女は人間だ! ちゃんとそこにいて、生きてるんだ!」
「あーはいはい。中にはちゃんとおじさんが入ってるかもね」
「だから違うって!」
パドルは頭を抱えてやりきれないといった風に、
「ここはゲームの世界じゃないんだよ! 俺達はゲームが本当になった世界に入り込んだんだ! あんたらだってホントは気づいているんだろ⁉︎ 身体の感覚がさっきまでと違うことに!」
「……ふーん」
ローズの目から、冷凍光線が発射された。
ボットンとまたうるマンは笑いを堪えている。だがアンマンパンは怖いくらい無表情だった。そしてまたロアも。
「今の俺達に何が起きているか。そう簡単には結論は出ないと思う。だからそれは一先ず棚上げする。議論するしたいならこれが終わった後で、やりたい人同士でやってくれ」
アンマンパンは異論を許さぬ口調で言い、
「重要なのは二つ。これからどうするのか、とここで死んだらどうなるのか、だ」
「死んだら拠点登録してる街で復活するんじゃないのか? もしくはログアウトか」
「本当にそうならいいけどね」
ボットンにまたうるマンが答える。
「実はさっき、洞窟に入る前に外で小便をしたんだよ」
ロアは嫌そうな顔をした。人の玄関先でマーキングするとはとんでもない奴である。
「結論から言うが、ゲームのキャラクターたるべきこの肉体は、現実のものとなったと言わざるをえないな」
「マジかよ……」
「俺もまたうるマンの意見に賛成だ。少なくともそう仮定して動くべきだ」
そう言ったアンマンパンは皆を見回しながら、
「そんなのはありえない、と思う人は好きなだけ試すといい。幸いここにいる面々はそれぞれに武器を持っている。論より証拠って言葉があるけど、刃先で指を突いたら否定する人はいなくなるだろうさ」
「つまり、痛みを感じるし、死んだらそれで終わりという可能性が高いわけか」
ロアは確認するように口にし、
「一つ訊きたいのだが、他の奴はどうした。あの戦いには二十三人が参加していた筈だ」
「それなんだが……」
アンマンパンは困ったように頰を掻いて、
「帰還したか、迷子になったか、ログアウトしたか、それともーー」
最後は言わなくてもわかった。メリヤという少女だけが、さっきから話についていけず居心地悪そうにしている。
「それで報酬の件なんだが……」
ロアは、話はまだ終わってないと続ける。
「決着がうやむやになってしまったが島は奪われてないので、生還した五人には雫、実、幹を三つずつでいいか? もちろん種と根は別だ。正直さっさと気分的に身軽になりたい」
「そういえばそれもあったな。……いや、そうだな。ロア、今回は報酬はいらない。その代わりしばらくここで厄介になってもいいか?」
アンマンパンがそう提案するとボットンとまたうるマンも飛びついた。
「わりぃロア。俺もそれで頼むわ」
「俺もだ」
「別にいいぞ。いろいろ検証したり、情報を集めるには人手があったほうがいいからな」
予想していたロアはあっさりと了承し、
「ーーただし、この島の適員は五名だ。つまり五頭のドラゴンしか養えない。もちろん一時的になら可能だろうが、俺はこの島の生態系を崩すつもりはないし、エドーー俺のドラゴンだがーーに我慢を強いるつもりもない。そもそも人間のようにドラゴンが我慢できるとは限らないからな」
そのうえ、とロアはさらに続けて、
「さきほどのアンマンパンの言葉が事実なら、ドラゴンこそ俺達の生命線となるだろう。これは二つの意味でだ」
ロアの真面目くさった態度に、これはただ事ではないと、皆の表情が強張った。
「お前達も竜宮城物語をプレイしていたなら、今から言うスキルを知っている筈だ。すなわち、ほぼ全てのプレイヤーが覚える《人竜同体》と《人竜一心》を」
「それって『ダメージ転化』と『生贄』を習得できるやつですよね」
「行動に補正もかかるわよ」
アーサーの説明をローズが補完した。
ローズはうむ、と頷き、
「だがこれにはデメリットもあったろう。プレイヤーが死ねばドラゴンが死に、ドラゴンが死ねばプレイヤーも死ぬ。文字通りの結末と言えるが、残念なことに、その設定はきちんと活きている可能性が高い。そしてーー」
「ちょっと待て。ロア、お前他のプレイヤーがどうなったか心当たりがあるのか?」
「まさか殺したんじゃないでしょうね」
あんたならやってそうだわ、とローズ。
「今からそれを話すから黙って聞け。……いいか、俺はさっきの戦いで急降下を行い、敵のドラゴンと肉弾戦になった。誰かこれを見てた奴は?」
面々は首を横に振った。
「当たり前だが、ドラゴンが空中で組み合ったら高度が下がる。俺達は争いながら凄い速さで落ちていった。そして遭遇したわけだーー」
ロアは信じてもらえるか疑問に思いながらも、とっておきの秘密を告げる。
「飛行船団にな」
「………」
「………」
「………」
しばらくして、ロアは話を再開した。その背は心なしか小さくなっていた。
「気づいた時には手遅れだった。俺達は、組み合っていたそのプレイヤーを下にして追突した。とびっきりでかい船にだ。そのプレイヤーが追突する直前までいたのはわかっている。なにしろ戦っていたんだからな。だが船にぶつかった後には姿がなかったし、相手のドラゴンは死んでいるように見えた。皆も知っていると思うが、ドラゴンの生命値はプレイヤーとは桁が違う。木造船に突っ込んだくらいで即死するわけがない」
ドラゴンが空から降ってきて直撃しても浮力を失わないとんでも船だったことは黙っておく。
「船か……」
アンマンパンが頭を悩ませ始めたので助け舟を出す。
「その飛行船の正体についてはメリヤに聞いたほうがいいだろうな。なにしろそこから拾ってきたんだ」
再び注文を集めた少女は一歩前に進み出て、悲痛な表情を作った。
「あの船はトゥーゲン帝国の軍船です。昨日深夜、我が国の王都が襲撃を受け、私の家族は皆捕まってしまいました。そして私一人があの船に乗せられ、帝国へ連れていかれる途中だったのです」
「へー。それはそれは」
ローズは積極的懐疑派といった感じだ。ちなみに消極的懐疑派にはボットンとまたうるマンが名を連ねている。そしてパドルは積極的肯定派、アンマンパンとロアは消極的肯定派といったところだった。アーサー王は不明だ。
「問題は、その船には武器を持った兵士がたくさん乗っていて、訳の分からない言語を喋りながらいきなり矢を射かけてくるということだ。奴等はまるで蛮族だ」
「あんたに言われたらおしまいね」
「黙れ、ネカマが」
「ねかっ……⁉︎ ぶ、ぶっ殺すわよこのクソ原人! 私はこう見えてもリアルは女子高生なんだからね!」
「わかったわかった。ーーそれより話を戻すが、要するに俺が言いたいのは、ここは元の世界よりも暴力的であり、そのような場所でやっていくにはドラゴンの力が重要になる、ということだ。俺達はドラゴンを大切にしなければならないし、これから先も彼等を養っていく算段をつける必要がある」
「ちょっと待ってくれ」
アーサーが手を挙げた。
ロアはアーサーを指名する。
「はい。アーサー君」
「……その船に乗っていた人達というのは本当に危険なんだろうね?」
「どういう意味だ?」
「どうもこうもない。お前が船を壊したから攻撃されただけじゃないのかってことさ。もしそうならお前のせいでボク達まであらぬ罪を問われることになりかねないだろ」
「……それで?」
「ほとぼりが冷めるまでボク達がここにいることをお前は拒否できないし、可能なら船の持ち主のところにいって罪を償ってきてくれ。そうすることで初めてボク達は自由に外を出歩けるようになる」
「………」
いつしか食堂内は静まり返っていた。ローズがメリヤの手を引いて壁際に寄る。パドルは厨房に駆け込める位置に、逆転野郎の三人は食堂の出入り口の側だ。
「なるほどな。確かにお前の懸念ももっともだ」
今やロアに人をからかったりジョークを飛ばしたりした時の雰囲気は微塵もない。
ロアは立ち上がったアーサーを見下ろしているが、その目は食肉工場にぶら下がる冷凍肉を眺める業者のそれだった。
ロアはアーサーを出荷しようとしているのだ。あの世に。
「だがそれは今のところ推測の域を出ない。なにより俺と奴等の問題であり、お前は実害を受けるまではなんの関係もない第三者に過ぎん。それにそんなことよりも先に、お前には気にすべきことがあるのではないかね」
「なんの話かな」
「お前が俺から盗んだものの落とし前だよ」
「は? ボクがお前からなにを盗んだだって⁉︎ 変な言いがかりは止めてくれないかな」
「ああ、正確に言うならば盗んだのはお前ではない。だがお前が許可を出したのだから同じことだな」
「さっきからなんの話だ、いったい! 見苦しいんだよ!」
アーサーは苛々しながら言うが、ロアは淡々と、
「この島の所有者は俺だ。ここにある水も、動物も、植物も、石ころさえも俺の持ち物だ。そしてお前のドラゴンは今どこでなにをしている? 食事か? 排泄か? 俺の許可は取ったのか? それともまさかゲーム云々だから、異世界云々だからとは言わんよな。つい先程、元の世界での価値観に照らし合わせて俺を断罪しようとした男が」
「………」
「……で、お前はこの罪をどう償うつもりだ? ドラゴンが勝手にやったことだから知らんとでも言うか? それならそれで構わんぞ。可哀想だが、当のドラゴンに償わせるからな。もっともーー」
ロアは小馬鹿にするように口元を歪め、
「その後にはお前は死んでいるかもしれんが」
「こ、この島がお前のものだなんていつ誰が決めたんだよ! ここはもうゲームじゃないかもしれないんだ! ゲームの中じゃお前のものだったかもしれないがな! こんなになってまでゲーム時代のことを引き摺るつもりかよ!」
「話にならないな。ゲーム時代の所有権が全て意味をなくすというのなら、今すぐ俺がお前の持ち物を奪っても問題ないことになるわけだ」
装備は運営が用意し、システム上プレイヤーが所有者になっている。それはロアの島と同じだった。
ロアは長テーブルに置いていた兜を頭に被ると口覆いを装着した。立て掛けておいた盾を拾い、腰にぶら下げているメイスの頭を撫でながら一歩踏み出す。
その行動に慌ててアーサーが剣を抜く。彼は派手な板金鎧を身につけていたが、それはゲームならではの形状、装飾をしていた。取っ掛かりが多く、派手で、動きにくそうだ。ゲーム時代はそれでもよかったろうが、ここではもう違っている。
パドルやローズもそうだったが、装備品の好みには実年齢が色濃く出ていた。今いるメンバーの中で一番地味なのはまたうるマンだ。彼はほぼ自分と同じ年齢だろうとロアは密かに思っている。
アーサーの構えた剣尖が震えていた。彼は一見、今の状況に適応したように見えていた。しかしそれが全くの嘘であったことが明白となったのだ。
アーサーは、目の前にいる男が素手でゴリラと戦える男だと気づいた。そしてその敵意が自分に向けられていることにも。アーサー自身も筋力値はーー他の大抵のプレイヤーと同じくーー高かったろうが、竜宮城物語では体格は重要な要素だったし、現実化した今となっては尚更だろう。
「ちょっとあんた達! こんな時に喧嘩してどうするのよ! 怪我したらどうなるかわかってんの⁉︎」「そ、そうだぜ! アーサーもよくわからずに言っちまったんだろうし、ロアも許してやったらどうだ⁉︎ ほら、アーサーも謝れって!」
「なんでボクが……っ!」
ローズやパドルの様子からは、彼等が至極真っ当な人間であることがわかる。アーサーもどちらかというとそうだった。真っ当なクズだ。
ボットンとまたうるマンは呆れたようにしているが、アンマンパンは観察している。アンマンパンはアーサーに起きる出来事から拾える情報を今か今かと待っているように思えた。
そしてロアはアンマンパンが待ち望む答えを知っていた。
脳裏に浮かぶのは殺してしまったかもしれない敵プレイヤーの姿と飛行船の兵士達だ。実はあれには重要な情報が隠されていた。ロアは島に帰る途中、そのことに気づいたのだった。
もう戦いはさけられないように見える。ローズとパドルも自らを危険に晒してまで他人を救おうとはしなかったし、例えそうしたとしても、自分が善意の第三者としてまったくの無傷ではいられないかもと考えているのだ。
アーサーはまるでお伽話の勇者が持つような大剣を構え、覚悟を決めたようだった。さがりかけていた目尻を吊り上げ、ロアに向かって、
「自分だけは死なないなんて思ってるんじゃないだろうね。例えボクに勝てても、一生後悔するような傷を負ったらどうするつもりだ」
「………」
無視されたアーサーは舌打ちをした後、声高に叫ぶ。
「『マジェスティック・オーラ』!」
アーサーの足元から白い靄のようなものが吹き出して肉体を包み込む。効果は物理、魔法防御力の上昇及び、スタンやノックバックなどの物理的な状態異常耐性の上昇だ。レベルにより効果時間や上昇率があがる。
ロアは最高レベル時の数値を思い出す。確か、防御力が五百パーセント、耐性値がプラス百パーセント、効果時間は六十秒だ。ネックは毒や麻痺などの魔法系状態異常。
「『極天の雷杭』」
向けられたアーサーの右手から雷撃が迸った。
ロアは素早く盾を割り込ませる。準備は整っていた。
『リフレクト・シールド』のかかった地獄の壁に蛇行する雷光が命中すると、腹の底に響く爆発音がして跳ね返り、稲光がアーサーの剣に蛇のように絡みつく。
「があああああっ⁉︎」
アーサーは情けない悲鳴をあげ、地面に転がった。
アーサーのダメージはそう酷くない筈だ。転がった彼を見下ろしながらロアは思う。スキルによって魔法防御力が上がっていたからだ。それに雷光の様子からアーサーの雷の属性率は高くない。それでも悲鳴をあげたのは意識の問題だろう。そして今立てないのは雷撃に付随する特殊効果へのレジストに失敗したから。ーーゲーム風に言うならば。
「くっ……そぉ……」
アーサーは立ちあがろうと足掻いている。
ロアはその腕を、容赦なく踏み抜いた。
「あ……? うわ、うわああああァァァッ!」
始め、関節が逆になった肘をきょとんと眺めたアーサーは火がついたように泣き叫ぶ。
「アアアアアア! ボ、ボ、ボクの腕がぁぁっ! あああああーっ!」
ロアは足で彼をうつ伏せに転がし、背後から頭を掴んだ。
「た、助けて……。助けてくれ! 皆見てないでこいつを止めてくれ!」
アーサーは戦意を失っているようだったが、一瞬の隙をついて行使されるスキルがおそろしい効果を発揮する、と判断したロアは油断しない。
「ちょっと! もう十分でしょ! 彼ももう反省してるわ!」
見かねてか、ローズが出しゃばってきた。
「女子高生は口を挟むな」
「それは今は関係ないでしょうが! そんなのよりもういいじゃない! そこまでやれば気が済んだでしょ⁉︎」
「止めるつもりはない」
「なんでよ!」
「気分の問題じゃないんだ。ローズよ、お前は一度自分をレイプしようとした男と同じ場所で過ごせるのか? しかもそいつが未遂に終わったのは、自主的に止めたからではなく第三者に制止させられたからだ」
「ーーが、我慢するわ!」
「俺は無理だ」
「どうしてよ! 我慢しなさいよ! 男でしょ⁉︎」
「気分の問題だ」
「ーーあ、あんたねぇ!」
ローズのヒステリックな様子に、ロアは盛大に息を吐き、やれやれと頭を振った。
「わかったさ。そんなに言うならばここで止めておく。ただしーー」
ロアは身体を起こしながら言う。
「そいつの面倒は責任を持ってお前がみるんだ」
「わかったわよ!」
ローズはほっとした顔で倒れているアーサーに駆け寄った。そしてひっと息を飲む。
「え……? し、死んでる……んじゃないわよね、これ……?」
おそるおそるアーサーに触れながら訊いてくる。
「ふむ……どれどれ」
上から覗き込んだロアは困ったように眉を下げ、残念な真実を告げる。
「これは……おそらく、心肺停止状態だな。電気の力に違いない」
「……じゃあ、首が反対を向いてるのは?」
「電気の力だ」
ローズは憤然として立ち上がった。
「嘘つくんじゃないわよ! あんたがやったんでしょうが! 殺さないって言ったじゃない!」
「すまん。実は、話してる時にはもう死んでいた。なかなか言い出せなくてな……俺は気が弱いから。ちなみに殺さないとは言ってない」
「冗談言ってる場合じゃないわよ! どうするつもりなの⁉︎ 人殺しじゃない!」
「もちろん、自分が何をしたかはわかっているつもりだ。ログアウトしたら警察に自首する。そして全てを正直に話すよ。逮捕してくれればいいのだが……」
「あんた……最低ね!」
憤懣やるかたない、といった感じのローズは、ロアを睨み付けた後、助けなかった他の男達にもひと睨みくれた。そして食堂から出て行こうとする。
「待て、ローズ」
「なによ! 人殺しと同じ空気は吸いたくない!」
「出て行くのは構わないが、約束は守れ」
ロアはくいくいっとアーサーだった物体を指差して、
「面倒は見るんだろ」
「なっ……」
もはや言葉もない、といったローズ。パドルに向かって、
「パドル! あんたやっときなさいよ!」
「はぁ⁉︎ なんで俺が! あんたが自分でやるっつったんじゃん!」
「よかったではないか、パドル」
ロアはパドルに近付いてこっそり耳打ちする。
「アイテム取り放題だぞ」
「……あんたすげーよ。そこまでいくと尊敬するわ」
パドルはぽかんとして呟いた後、
「ーーちっ、しょうがねぇ。やってやるよ。でも貸しだかんな……ってもういねーし」
ローズは既にこの場を後にしていた。しかもメリヤもいなかった。もしかしたらこのまま島を去る気かもしれないが、メリヤはついていかないだろう。やり取りは短かったが、彼女の性格が真面目なのはわかった。恩人になにも言わずに消えるとは思いにくい。そして命を救ったのはロアでローズではない。
ロアは溜め息を吐く。メンバーの中にああいうタイプが混じっているのは予想していたが、それが呼んでもいない敵方プレイヤーとは。
ロアも一人で全てやっていけるとは考えているわけではない。だから六名から先の人数はローテーションしながら自給すれば負担少なくやっていけると思っていたし、そう提案するつもりだった。それがアーサーとかいう奴のせいで台無しだ。
しかし一方で、これでやり易くなったと思う。これから先この世界でやっていくのに殺しを避け続けるのは、いざという時に死に直結しかねない。
「やってしまったな」
寄ってきたアンマンパンが肩を竦めて言う。そしてアーサーの首をじろじろ眺めて、
「どうやらここはゲームの中じゃないようだ」
「そうだな」
ロアは肯定した。彼にはわかっていた。アーサーとのことはその確認に過ぎない。
「一番大きな違いはダメージ処理だろう。これはゲームでは起こり得なかったことだ」
「この鎧はそれなりに防御値が高かった筈だ。それが一撃とはね」
「装備品は本当の意味で装備品になったのだろうよ」
ロアは頭の潰れたプレイヤーを思い浮かべながら、
「ゲームでは防具を着ると防御力が上がる。兜を被ろうが鎧を着ようが籠手をはめようが上がるのは同じステータスだ。だがそれはゲームの中だけに許された処理。現実ではありえない現象だ」
兜を被れば頭が、籠手をはめれば手や腕が、それが現実というものだ。全身に鎧を着たからといって眼球が鉄のように硬くなったりはしない。だが、それが起きていたのがゲームの中だった。
「もう兜は兜でしかなくなった。例え最高の装備に身を固めようとも、兜を被り忘れた頭を潰されたら人は死ぬ。脇の下から刃を突き入れられれば死ぬ」
「性能は元のままか?」
「おそらく。数値や効果自体はゲーム内の頃に準じているようだ。でなければスキルやポーションは使えないだろう。そもそもゲームでは効果もまた数値。ただかなりこの世界に即した修正を受けている感じか」
「ふーん……」
アンマンパンがなにを考えているか、ロアにはなんとなくわかる。だから言う。
「たぶん補正もいきている可能性が高い。だが、殺せる」
「………」
誰を、とは言わなかった。
ロアの脳裏に対人補正のついた勲章装備、《天竜》シリーズや《魔竜》シリーズに身を固めたプレイヤー達の姿が浮かぶ。
補正は効いているだろう。あの二種の装備は対人戦において最高のスペックを発揮するに違いない。ゲームの中でそうだったように。だがーー
「人を殺すのにわざわざ硬い防具の上から殴る必要はあるまい。それに防御の数値が分散された今、そうじゃない武器の数値はオーバースペック」
仮に補正が装備ではなく着用者の全身に魔法的な効果でかかったとしても、所詮は生身の肉体だ。皮膚や筋肉が多少硬くなったところで敵なしになどなれるわけがなかった。
「まぁ、まだ敵対するとは……いや、同じ境遇に陥っているとも決まってないんだ」
アンマンパンはそう言ったが、口元は綻んでいる。
ロアもまた、細鎖の下で唇を歪めた。予感があったのだ。そしてそれはこう言っていた。
ーー俺の時代が訪れようとしている、と