プロローグ2
その日、王都ディナスを災難が襲った。
深夜、昼夜を問わぬ訓練と完璧な灯火管制によって秘密裡に国境を越えた帝国の航空艦隊が、まだ夜も明けきらぬ時刻に王都上空に達したのだ。
総数百八十三隻にもなる彼等はまず王都の航空戦力を担う飛竜部隊の厩舎と発着場、及び王城周辺の防御城塔に殺到した。
中型の飛行巡洋艦ウラヌス級二十隻が人の握り拳ほどもある鉄を雨のように降らせると、厩舎内は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
ただ雨風を凌ぐだけの屋根は鎧袖一触に穴を穿たれ、その下で最前まで惰眠を貪っていた飛竜の身体もまた同じ運命を辿る。
運良く直撃を避け、騎手が乗り込めた飛竜は焦りのあまり味方を跳ね飛ばしながら助走を始め、空に舞い上がるが、待っていたのは執拗に後を追いかけてくる探索灯の光条とそれに合わせてはられる弾幕であった。
殆どの飛竜が逃げ出すなか、思い切って肉薄攻撃を仕掛ける騎手もいたが、一つの砲座に取り付くやレールを使って旋回した周囲の砲座のいい的と化す。
対空兵器足りえる、城塔のカタパルトや大型クロスボウは狙いをつける間もなく破壊され、攻撃を仕掛けた帝国側は拍子抜けするほどのあっけなさで最も危険な時間を乗り越えた。
常夜灯の類が引火したのか、あちこちから登り始めた炎はあっという間に火勢を増し、それは帝国の攻撃目標が王都中心部から外側に移るのに合わせるように拡がっていく。
いつしか王都は炎に包まれていた。
反撃がこないと確信した帝国の兵士達は嵩にかかって攻め立てた。巡洋艦から突き出た砲身はつららのようで、熱に炙られたそれが溶けるように、人々の頭上に鉄が降り注ぐ。
赤々と照らし出された船体に、ようやっと王都の民は自分達に降りかかった災難の正体を知った。
財産を馬車に積み始める者。家の扉に閂をかけ、家族で地下室に閉じこもる者。財布だけをもって一目散に城門に走る者。火に巻かれて井戸に身を投げる者やこれ幸いと略奪に走る者もいた。
反応は様々だったが、彼等に共通したのは等しく絶望だったろう。
それまで上空で様子を窺うだけだった他の船が動き出したのだ。
「敵、防御沈黙しました!」
巡洋艦から灯火を使った信号を受け取り、それを伝令から報告された副官が声を張り上げるのに、ザイモフ・エルトランデ上級翼司将は大仰に頷いた。
巌のような顔に口髭を生やしたザイモフは柔らかな革張りの指令席に深く体重を預け、越境に続き難関を潜り抜けたことに安堵の息を漏らす。身を包む軍服はおろしたてのようにパリっと仕上がっていて、胸には幾つもの勲章がぶら下がっている。
禿げ上がった額に汗が光っていた。
「作戦通り王城そのものには攻撃していまいな」
「は! 進行に滞りがあったとは聞いていません」
「ならば第二段階に入る。陸戦隊を降下させよ」
「了解しました!」
ザイモフに返事をした副官は艦橋の一段下にいる艦長に、
「メノス艦長、命令だ。ユーリカ級全船に陸戦隊の下船指示。橋頭堡を確保した後本艦も降下する。護衛艦は警戒を密にするよう。攻撃隊のウラヌス級は残敵掃討」
「は。ユーリカ級全船に陸戦隊の下船指示。橋頭堡を確保した後本艦は降下。護衛艦は第一戦闘態勢維持。攻撃隊は残敵掃討」
艦長は自らの副官に命令を伝達する。そして復唱した副官から伝令兵へと伝達された。
各弦側の通信兵が信号を送ったのだろう。しばらくの後に、艦橋から見える識別灯火の大半がゆっくりと高度を下げていく。
「閣下。攻撃隊の損害報告がまとまりましたぞ」
傍らには続々と入る各艦からの報告を整理していた参謀部の面々がいたが、代表して参謀長が言う。
「竜騎士の無謀な攻撃によって幾つか砲座が潰されましたが、航行に支障をきたすほどではありません。今の段階では艦の墜落はなし」
「降下部隊の進捗はどうか」
「は。それに関してですが、中央広場が避難してきた民衆でごった返しており、排除を進めているものの混乱の体をなしておるようです。ここは王城のある第一城壁内の庭園や馬場も利用すべきかと」
「しかしそこはまだ敵が残っていよう」
「攻撃隊から何隻か直庵にまわしましょう。外側の敵はもはや組織的な抵抗力を失っております」
「下船中に近衛が出張ってきたらどうする。叩きのめすのか? 陛下の命令を忘れたわけではあるまい」
「陛下は最悪第一王女さえ確保できればよいとおっしゃいました。早めに艦を上空につければ女子供は距離をとる筈。それに加え城への直接の砲撃を改めて戒めればよいと思います」
「……失敗すればお前もただではすまんぞ」
ザイモフは脅しともとれる言葉を怖い顔で言う。
参謀長は平然と返した。
「閣下、既に多勢は決しております。今もっとも恐れるべきは王都の混乱に乗じ、王族が脱出すること。それを防ぐためにも一刻も早い制圧が望まれます。是非、ご一考を」
ザイモフはしばし悩んだ。悩んだ後に結論を出す。
「……いいだろう。脱出はもちろんだが、自害などをされてもつまらんからな。地上への砲撃には細心の注意を払うよう念を押しておけ」
後半は副官に向けてだった。
あとは結果を待つだけである。
司令席を立ったザイモフは背後の作戦テーブルに敷かれた地図に視線を下ろした。
「エヴァースは首を長くして待っていような」
陸から国境を突破するため、既に街を進発した筈の友に想いを馳せる。
「報告を帝都経由にしなかったのにはさすがでございます」
「阿呆。そんな悠長なことをしていたら降りた兵士達はどうなる」
「しかし大臣達は帝都が手綱を握ることを求めたとか」
ザイモフは参謀長をぎろりと睨んだ。
「奴等は軍人ではないからな。敵地で幾日も無為に過ごす愚かさを理解できん」
「此度の作戦が成功すれば閣下の戦場は帝都になりましょうに。あまり恨みを買うのは得策ではありませんが」
「勝てるのならいくらでも買ってやるさ。なにより重要なのは負けないことだ。奴等は敗れるということがどういうことなのかまったくわかっていない」
艦橋の三方を覆う窓に顔を向けたザイモフは哀れむように、
「外を見てみろ。王国の民は自分達の国を、二千年の歴史があると誇っていたらしいがな。歴史では敵の攻撃は防げん。敵の侵略から守ってくれるのは歴史や高貴さではなく兵士達だ。そして一旦兵士達を戦場に送り出したなら絶対に邪魔をしてはならん。使うかどうか迷うのはいい。だが使い始めた後に迷うことは許されんのだ」
ザイモフは話しながら窓の側へと歩いた。
「そして、他国に守ってもらうことに慣れ過ぎた者達の末路がこれだ」
オレンジ色の火の粉がここからでも目にできる。
「閣下、あれは素晴らしい兵器です」
これはメノス艦長だ。ザイモフと視線が合うと確信を持って言う。
「これからは間違いなく戦争の形が変わります。この国が滅びることで皇国は嫌でもそれを知ることになるでしょう」
「運用試験に参加した軍人達は皆同じことを言ったよ。そしてそれは正しかったわけだ。だがまだ改良の余地はある」
「小型化ですか」
「そうだな。今はまだある程度の大きさのある艦か地上にしか配備できん。帝都の兵器廠は個人携帯レベルまで小さくするつもりのようだが」
「なるほど。それが叶えばーー」
「しかし問題もある。大砲に不可欠な魔薬、飛行艦、海上艦の原料に至るまで全て不足している。既に国内では資源の枯渇が予想されているのだ」
「ですが今回のこれでーー」
「いや……」
ザイモフは残念そうに首を振る。
「王国は豊かな国だがいかんせん小さい。帝国の十分の一もないのではな……。艦長は知らないだろうが、現時点で陛下の望みを叶えるために兵器廠が作成した戦力計画案は、達成しようとしたならば王国を丸裸にしてもまだ足りないだろうと言われている」
「なら、この次はーー」
「陛下は、実戦で使用すれば技術はいずれ他国に流れるとお考えだ。ゆえにどこも真似できない今の段階で最も厄介な敵を叩く、と」
「では相手は皇国……⁉︎」
「うむ。まぁそうなっても、君と俺がこうやって肩を並べて戦うことはないだろうが。残念だがね」
「それは一体どういう意味ーー」
メノス艦長が不思議そうな表情で、にやりとするザイモフに訊ねようとした瞬間、艦橋の中が不自然に明るくなった。
驚いて振り返ったメノス艦長が叫ぶ。
「あれは……白色信号弾!」
そしてすぐに黄色の光が空に昇っていく。
「さて……仕事の時間だぞ、艦長」
はっとなったメノス艦長はすぐに飛行戦艦の高度を下げさせる。
それを横目にザイモフは国境付近で待ちわびている筈のエヴァース中級陸司将に対し、護衛艦のうちの一隻を伝令として送るよう命令した。
「昇降機を用意しろ。俺も降りる」
「は。すぐに護衛を用意させます」
艦長に言って、前部三階にある艦橋の扉を抜ける。見張りに敬礼されながらギシギシと音のなる通路を進み、階段で船体最下部まで下りた。
そこまできてやっと風を感じる。下に盛り上がった船体下部から地上を警戒する砲座を目にすることができるが、最新式の連装砲を操る彼等は撃ちたくてうずうずしているように見えた。
「閣下! テイラー下級翼士長であります! 閣下をお護りする三十名の臨時小隊を指揮します!」
駆けつけた兵士が姿勢を正し、拳を握った右腕を胸に掲げる敬礼をしながら言ってくる。
「頼んだぞ。もう降りられるのか?」
「は! まず私の部下が先に降り、地上の安全を確認致します。閣下にはその後に降りて頂きたく」
箱に十人の兵士達が乗り込む。
巨大な巻き上げ機に取り付いた兵士達が一度順方向に力を込めた後、ロックを外して力を抜くと、取り付けられた抵抗によって落下速度が抑制された昇降機がゆっくりと下がり始めた。
「ぞっとする眺めだな」
巨大なプロペラと火災によって吹き荒れる強風に煽られている昇降機は、いつワイヤが切れて墜落しても不思議ではないように見えた。
「ご安心ください。一応、性能上では一度に二十人までを想定いるようです。閣下が降りる際には五人まで抑えます。これ以下では軽くなりすぎて逆に危険であります」
「そうか」
眼下では探索灯が動き回るなかを小さく見える兵士達が忙しなく行き交っている。一見無秩序にも思えるが、ずっと姿を追っていると複数の味方と合流して次々に移動。戦闘単位を形成した彼等は闇に姿を消す。
「陸戦隊の総指揮をとっていたのはハハトゥーリオ上級翼司長だったか。帝国最高の練度があると吹いているという話を耳にした時は反応に困ったものだが……」
「上級翼司長殿の訓練は陸戦隊で最もきついと評判ですから」
ザイモフは口を挟んできた参謀長に眉を潜めて、
「ついてくるのか? 年寄りは無理をせんほうがいいぞ」
「王国はこの大陸で最も古い国家の一つ。まともな形があるうちに目に焼き付けておきたいと思います」
「物好きな奴だ」
ザイモフ達は最後である四番目に乗り込んだ。地上につくとテイラーが待っていた。
想像以上に風が強い。街が火にのみ込まれたのも当然だった。空を見上げると、バルバロイ級の巨大な船体が星々の輝きを切り取っている。
各種属性石を燃料に、難燃性の高いトレント製の船体、風への影響力が強く出る飛竜の素材を使用した帝国最新最大の艦だ。使用されている魔物の数は千や二千ではきかなかった。
おかげで帝国はだいぶ住みやすくなったともっぱらの評判である。
「取り敢えず王城の中へ!」
テイラーが風に負けじと叫ぶ。
城の内部に入るとすぐに近くにいた制圧部隊の指揮官がやってきて敬礼した。
「白色信号弾をあげたのは誰だ」
「チグリース士長であります! 案内致します!」
ザイモフとその副官、参謀長は護衛に囲まれながら案内役の先導に従った。通路には剣と弓、矢が散乱しており、時折通りかかる扉を開け放たれた小部屋では帝国の兵士が王国の近衛や味方の死体を片付けている。ガチャガチャと鎧が鳴る以外は静かなものだった。
「一般の捕虜はどうなっているか」
「は! 一度中庭に集め、身分を明らかにした後、兵士は外の部隊へ、貴族は監視を、女は仕分け中であります!」
「王族を捕虜とした時の状況を把握しているか」
「は! 居住区の包囲完了間際、血路を開き、隠し道から脱出しようとしたところを捕捉、その場で護衛の近衛と戦闘になり、これを撃破したそうです」
案内を務めた兵士が大きな扉の前で立ち止まると振り返って一礼した。
「こちらです」
ザイモフは両開きの扉をマジマジと眺める。
「終点が玉座の間とは上出来じゃないか」
中には大勢の人間がいた。話は通っているのか、周囲を警戒する兵士達は一顧だにせず、奥の方にある人集りにいる者達のみ敬礼をしてくる。
「ハハトゥーリオ上級翼司長であります。直系の王族の確保を完了しております。傍系はーー」
「いや、構わん」
ザイモフは陸戦隊の総指揮官に敬礼を返して言った。
「どうせ公爵家は残っているのだ。陛下からも無理に捕縛する必要はないと言われている。それよりもそこにいるのがそうか?」
「は。左からーー」
ハハトゥーリオは歴戦の現場最高指揮官らしいきびきびとした動作で指し示し、
「国王ナリウス・ディナシード、王妃デボラ・ディナシード。第一王子ガブリン及び第一王女メリヤです」
帝国兵に囲まれた国王一家の反応は男と女で対照的だった。ナリウスとガブリンは強くザイモフを睨みつけ、デボラとメリヤは顔色を青くして震えている。王子は二十前半、王女は十代後半くらいか。
「必ず後悔することになるぞ、帝国の野蛮人どもめ!」
「ふん」
ザイモフはナリウスの言葉を鼻で笑って、
「状況がまるでわかっていないようだな。まさか此度の侵攻を今までと同じと考えているのかな」
「なんだと⁉︎」
「皇国が動くと期待しているなら残念だと言わざるをえない。あそこは今までと違う様相を呈した戦場にいきなり兵を送るような愚か者が治める国ではない」
「自らが常に相手より優位な立場にいられると信じているなら兵を指揮する立場から退いたほうが国のためだぞ、将軍」
「その台詞、そっくりそのままお返ししよう。それにしてもーー」
ザイモフはまだ三十代の王妃に目をやり、
「陛下からは言及されてないが……どうしたものかな」
「ーー貴様ぁ! デボラに手を出したらただでは済まさんぞ!」
吠える国王を無視し、ハハトゥーリオに、
「城内での略奪はーー」
「行っておりません」
打てば響くように応えが返ってくる。
「陛下はこの国の宝物庫に興味がおありだ。この体たらくでは満足されるかわからんが……。物資を降ろして空いたスペースに全て積み込め。略奪は市街のみ許可する」
「は! 艦は残してくださるのでしょうか」
「ユーリカ級は全て帰す。ウラヌス級は戦闘に参加しなかった十二のうち半数を、後詰めが到着するまでだ。既に国境で待機しているエヴァース中級陸司将には伝令を出してある。三、四日もすれば足の速い隊が到着しよう」
「有難うございます!」
降ろした陸戦隊の数は五千を数える。王都を落とされ、人質を取られた近隣の領主が合力し、逆襲を企てる恐れはまずない。しかもそれが五日以内となると心配するだけ無駄というものだ。
「人質の扱いはいかが致しましょう」
「直系は女が一人いれば十分だ」
己の暗い未来を予想したか、メリヤは唇を噛み締め俯いた。
王妃の震えが激しくなり、国王は怒り狂って、
「ふざけるな! 王だぞ! 王族だぞ! 貴様等も帝国貴族なら相応の敬意を払え! 他国の王族を辱めることは自国の皇族をーー」
「男は連れて行け」
暴れる王と沈黙する王子を兵士達が連行する。それを冷たい目で見送ったハハトゥーリオは、
「王妃はいかがしましょう」
「ここに置いていく」
「は……よろしいので?」
「艦に乗せれば陛下に会わせないわけにはいかなくなる。そうなると味見もできん。ここに置いていったほうが皆も喜ぼう」
「……感謝致します」
敬礼には心が込もっていた。
にやりと笑ったザイモフはハハトゥーリオとの会話を終え、黙って様子を見ていた参謀長に、
「我々は積み込みを待たずに帰還する。見たい場所があるなら手短に済ませろ」
と伝えた後、王女を一瞥し、厳として言い放つ。
「夜明けとともに、娘を乗せて出発だ!」
誰にとっても長い長い一日が始まろうとしていた。




