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侯爵領1

ロバート・マリリウスは、茶色の髪を首の後ろまで伸ばした、この国の人間としては平均的な身長の健康そうに日焼けした男だ。年齢は四十を超えたくらいで、鼻の下にだけ髭をたくわえ、髪は艶々としていて波打っている。メリヤの存命を兵士から伝えられた彼は、腰に剣だけを佩き、普段着のまま慌てて城から飛び出してきた。その際、完全武装した兵士を何十も伴っている。わざわざ招集をかけたにしてはえらく時間が掛かっていないため、元々何らかの目的のため兵を集めていたらしかった。

侯爵は人間の兵士だけを連れて、騎馬や竜の類は少し離れた場所に待機させている。これはメリヤ自身も傍らに人間のみを伴っていたからだろう。

メリヤの近くに立つのは、ロア、ジェイコブ、メリー、アンジー、ボットン、パドルで、彼等のドラゴン含め、他の者達は後ろで待機している。空にあがっている者がいないのは、敵意がないという証とマリリウス麾下の竜騎士が少数であるためだ。

城の周りに拡がる都市を囲む防塁の、さらに外側で対峙する両者を、好奇心旺盛な都市の住人達が、何事かと、鈴のように顔を連ねて眺めている。

降りる場所としてここを選んだのは、領主が大貴族であり、かつ直近に王家の血が入っていないからで、メリヤにとっては対応がその分単純でいいからだった。

マリリウスは初め警戒しながらゆっくりと歩みを進めていたが、メリヤの姿を遠目にじっくりと観察して本人だと確信できたのか、途中からは小走りになった。しかしその手が届く距離になる前に、メリヤの背後に佇む男の身動ぎを受けて足を止める。彼はぎこちなく跪いた。


「ひ、姫様……よくぞご無事で……」


マリリウスは何と続けていいのかわからないように言葉を切った。彼はメリヤの存在に戸惑い、彼女が引き連れている者達に戸惑っている。また、何故ここに来たのかについても薄々は察しているが、彼女と彼女が連れている集団から、自分が何か厄介な状況に置かれつつあると、貴族として歩んできた人生が警鐘を鳴らしており、そのことでも戸惑っていた。


「顔を上げてください、侯爵」


言われるがまま顔をあげた侯爵と目を合わせ、メリヤは安心したように微笑んで、


「見知ったあなたの顔を見て、帰ることができたのだと、やっと肩から力が抜けた気がします。積もる話もあるでしょうが、まずは場所を移しませんか?」

「これは申し訳ございません。それと、このような格好で拝謁することに謝辞を。王女殿下に過ごして頂くには不相応かとは思いますが、我が居城にて歓待致します。しかしなにぶん急なことでございましたので、いろいろと至らない点もあるかとは思いますが、そこはご容赦頂きたく」

「もちろんです、侯爵。私としてはあなたが武器でもてなそうとしなかった時点で十分過ぎるほどの忠誠を感じていますよ」

「ご冗談を」


ころころと笑うメリヤに、引き攣った表情を返すマリリウス。その原因がメリヤの背後にあるのは考えなくてもわかることだ。

マリリウスは自らの記憶にある王女と、今目の前にいる少女との差異に驚愕を禁じ得ない、といった面持ちになりながら、城に伝令を発して、


「それで、その、背後の者達なのですが……いったいどのようなご関係なのでしょうか」

「彼等は私の命の恩人です」


メリヤの答えは単純明快だった。そしてそれは王国の人間なら無視できない内容だ。


「そ、それは……誠にございますか。……では、私の方から報酬をーー」

「金銭的なものは必要ありません。しかし彼等はこれからの私にとって重要な役割を果たす位置づけにあります。よければ飲み物や食事を振る舞ってはもらえないでしょうか」

「は、それでよろしいのでしたら、すぐに用意致します。それと、場所はここで構わないでしょうか? 含むところがあるわけではありませんが、彼等をいきなり都市の中に入れてしまいますと、住民達が不安がると思いますので」

「ここで構いません。ただし、今私の側にいる五人は連れて行きます」

「……わかりました」


色々と言いたいことはあったろうが、結局、侯爵は全てを飲み込み口には出さなかった。彼は幾分か不安そうに見えたが、近くにいる信の置ける兵から力強く頷かれて、迷いを吹き飛ばしたようで、


「では、御案内致します」


と言って、立ち上がり背を向けた。

侯爵の兵士達に囲まれながら、メリヤ達一行は街の大通りを抜け、堀にかけられた跳ね橋をわたる。跳ね橋の手前側にも防御用の棟があり、そこと堀の向こうは小さな橋がかかっている。跳ね橋の先は巻き上げられた格子門があるが、その先は中庭ではなかった。

迎撃のための殺人孔の空いた天井の先は、まるで迷路のように階段と扉が組み合わされていて、侵入者は犠牲を出しながら右から左に分かれて壁の中の通路を進まねばならないのだ。

分厚い壁の左右の端にある城塔から中庭に出ると、一際背の高い主塔の全容が見えるようになるが、入り口はない。それは、さらに別の場所から入らねばならない城壁の中にある。

一行は主塔の二階にある広間へと通された。奥に大きな暖炉があるが、今は火が入っていない。石造りの床には湿気と汚れで黒ずんだ木板が敷かれていて、体重をかけるとぶよぶよと沈み込んだ。

侯爵は一階の管理部屋から普段は使わない椅子と大テーブルを引っ張り出し、広間に据えさせた。そして使用人に言って、果物の汁をアルコールで割り、さらに水で薄めたものを供した。


「楽にして頂いてもらって結構ですよ、マリリウス候。あなたの前にいるのは、あなたの王というわけではないのですから」


話が長くなることを見越したメリヤが先んじて言うと、侯爵は一言断りをいれた後、自分の椅子を引く。そして後から広間に入ってきた女性と、まだ若々しい三人の男女を家族だと紹介した。妻と後継である長男、三男、長女である。次男は近くの街で代官をしており今はいないという話で、年老いた先代は具合が悪く、床を離れることができない。

マリリウス侯爵は、家族がそれぞれにメリヤに挨拶をした後は長男だけを残して退出させようとした。それに待ったをかけたのが、三男のエドガーだ。まだ二十に満たない彼は長男の下で兵権を預かるべく日々精進していたが、それを理由に自分も残ることを主張した。これには彼が三兄弟で唯一未婚だったというのが大きく影響しているのは明らかだ。侯爵自身、露骨には態度に表さなかったが、あわよくばを期待しているのだろう。強硬には叱りつけなかった。

メリヤには反対する理由がなかったし、ロア達には会話が一部しか理解できず、しかもメリヤからの、目配せといった何らの合図もなかったため静観した結果、広間にはメリヤとロア達、侯爵とその長男、三男、護衛の兵士達が残ることになった。

護衛の兵士達は壁際に立っていて、ロア達のメンバーも初めはそれに倣っていた。しかし、話し合いが始める兆候がみえると、ロアとジェイコブだけはメリヤのすぐ背後に移動する。それがあまりにも堂々と行われたからか、侯爵は黙認した。

ロア達としてはこれは当然のことだ。プレイヤーはメリヤに無私の忠誠を捧げているわけではない。可能なら自分達の利益に沿うように意見を出すつもりであったし、メリヤ自身では判断できない状況にならないとも限らない。

メリヤと侯爵は互いに情報を交換する。

メリヤからは、襲撃のあった夜から今に至る迄の経緯を。侯爵からは、ディアス公爵が発信元である王都の状況とディナシード一族の末路を。

家族の死を聞いたメリヤの様子があまりにも普通だったためか、侯爵は不思議そうに、


「だいぶお強くなられましたな。もっと取り乱すかと思っていましたが……」

「予想はついてましたから。それに悲しむ時間なら船上で腐るほどありました。ーーそれより、貴族達の動きはどうでしょう」

「……どう、とは?」

「惚けないでください。私の父の後釜を狙って動いている者のことですよ」


マリリウスはピンときた。記憶にあるメリヤは単に着飾った姫であり、それ以上でも以下でもない。女だてらに軍事政治に口を出すような性格では決してなかった。つまり吹き込んだ者がいて、さきほどの彼女の説明が事実なら、それは今彼女の背後にいる者に違いなかった。


「その前に一つお訊きしてもよろしいでしょうか。姫様の周りにいる者達のことなのですがーー」

「それは私の質問に答えるのに必要なことですか?」

「……そうですね。私としては、姫様の周りは信頼できる者で固めておきたい。もちろん彼等がそうでないとは言いませんが、なにしろ私とはさっき会ったばかり。もしよろしければこの不安を解消していただければと思っております」

「彼等は私の友人であり、協力者。そして取引の相手です。私の境遇に同情すると共に、帝国の在り方に危惧を抱き、これからの戦いに全面的に力を貸すことを約束してくれました」

「これからの戦い……ですか。つまり姫様は今後、誰かと戦うおつもりであると? ……よろしければ相手が誰なのか、不肖の身である私に教えていただいても?」

「それはもちろん。これから私が戦う相手は、私を無視する者達です。私がいない間に、この国を継ごうと動いた者達を責めはしません。それは当然のことですから。しかし私が生きて自由を取り戻した以上、今後はそういう動きは慎み、一丸となって帝国に奪われた王都を取り戻さねばなりません」

「……そう、後ろの者達に教えられたわけですか」


苦み走った顔付きでそう言った侯爵に、メリヤはにっこりと微笑んだ。


「選択肢の一つです、侯。彼等は確かに私にそう言いましたが、それはあくまでも私が望んだ場合。他にも、力のある貴族を王配に迎える。このままいなくなったことにし、国を忘れて生きる。皇国へ行き力を借りる、など、選択肢は多岐に渡ります。そしてそれを選んだ場合、私がどうなるのかという予測も」

「それを信じたわけですか、姫様は」

「そうですね。少なくとも納得のいく理由を提示されましたし。ーーそうそう、これから先、私を押さえつけようとする者が何と言ってそうするかも教えてもらいましたよ」

「それはそれは……」


マリリウスはとてつもないやりにくさを感じ、唾を飲み込んだ。単に知恵をつけた王侯貴族の娘でしかない筈なのに。本来ならば大貴族に頼らなければ何もできない状況。帝国を追い払うため、頭を下げることさえしてもおかしくはないのに、まるで自分のほうが選択を迫られているかのような印象を受けた。


「姫様、今現在、ディアス公や辺境伯が陛下亡き後の主導権を握ろうと動いております。実際、私のところにも両者から味方せよと暗に言われている。ーー何故、私のところにきたのです? 私では大義を得ても主導権を握る力がない。名分の弱い辺境伯の元にいけば、喜んで迎い入れる筈。そして北の大部分と、もしかしたら南の一部も味方についたかもしれない。公爵と互角以上の勢力を築けたでしょう。そうなれば帝国との戦を控えた今、相手が争う愚を犯さず、刃を交えずして膝を屈する可能性もあった」

「それで、私は辺境伯の息子か孫を夫に迎えるわけですか」

「話が早いですな。王国では女性が戴冠した記録はございません。王都が失陥し、王族の権威が弱まった今の状況でそれを主張するのはことさら無理があるとは思いませんか?」

「何事にも最初というのはあるものです。それに、私は別段王位につきたいなどとは思っていません。優秀な人間がいれば喜んでその人を夫として受け入れましょう」

「その言葉、ディアス公や辺境伯が耳にしたら嬉々として馳せ参じますぞ」

「ーーはて」


そこで、メリヤは可愛らしく小首を傾げて、


「彼等は優秀だったのですか? 私、そのような話は寡聞にして存じておりませんが」

「……少なくとも、彼等は今の王国が置かれた状況を纏める力と意志を持っております」

「なんだ、その程度でしたら今の私にも可能ですよ」

「………」

「そもそも公爵や辺境伯は何をもって王位を継ごうとしているのでしょうかね」


己の存在意義に疑問を投げかけるような物言いを、侯爵は黙って聞く。


「血だとお思いです? 私の父や祖父、そのまた祖父がそうしたように、連綿と続く血筋によってだと? ーー私は最近ふと考えることがあります。もし、王国を建国した二千年前のご先祖様がそれを聞いたらどう応えるのかと。怒るでしょうか? それとも一笑に付すでしょうか? 少なくとも彼はそのようなものに頼って国を造ったわけではありませんでしょう?」

「……もし本気で仰っているなら正気を疑いますな。そもそもあなたが今ここでそうしていること自体が、血に頼った結果ではありませんか。失礼だが、王家に産まれていなければ、あなたはただの娘に過ぎません」

「では、試してみますか?」

「……試す、とは?」

「今この場にいる全ての者から血の歴史を奪いましょう。ただの一人の人間として扱うのです。ああ、もちろんあなたの家が持つ力を使うなとは言いませんよ。侯の兵士達はちゃんとお給金を貰っているでしょうからね」


まるで配下に金で動くものしかいないような言い方に、侯爵は鼻白んだ。だが激昂するような真似はしない。先の台詞が事実なら、王女を王女とも思わぬ物言いをしても許される筈だが、メリヤの自信に満ちた態度の根拠が不明だからだ。


「もしそうすると、どうなります?」

「ーーさあ? 主導権を巡って力比べでも始まるのではないでしょうか」


慎重に訊ねたマリリウスに対し、メリヤはあっけらかんと答えた。


「気づきませんか、侯。結局、血などなくとも変わらないのです。平和な時であれば、血筋は円滑な権力の移行に役立つのは間違いありません。しかし今はそうではない」

「ははあ、つまりこう言いたいわけですな。国が麻のように乱れた時、真に必要となるのは力だと」

「……まあ、大筋ではそういうことです」


我が意を得たり、と力強く頷く王女に、マリリウスは笑いを堪えるのに必死だった。彼はようやっと、この短期間に彼女がどう変化したかを把握するに至ったのだ。


「どうやら、姫様は後ろの者達を大層評価していらっしゃるようですね」


わかってしまえばどうということはない。これは訳あって年若いのに領地を継いだ貴族の子息によくみられる状態だ。いきなり強力な騎士団を自由に動かせるようになったせいで、自分が強くなったと勘違いしてしまうのである。活躍できる戦場を待ち望み、そこで勝利できると疑わない。地の果てまでも征服できる気になってしまう。実際には、そんなことは全くの不可能だというのに。

血筋に言及したのも想像はついた。おそらくは、この見慣れぬ竜を駆る者達のうちの誰かから愛を囁かれたのだ。立場や血筋など関係ない、君だから、あなただから助けたーーと。そして王女はそれを信じた。

困ったものだと、マリリウスは思いを新たにメリヤと彼女が連れてきた者達を見た。

メリヤ自身に罪はない。姫として育てられた者に、いきなり下町の娼婦のような手練手管で男を手玉に取れと期待する方がおかしいからだ。そうなると問題はーー


「姫様、後ろにいる者達は確かに戦力としては強力です。しかしそれだけで勝てるほど戦争というもの甘くないのです」


マリリウスは孫娘に言い聞かせるように、優しく諭す。


「一度や二度は勝てましょう。ですがそれだけです。この国のある程度以上の貴族なら誰でも竜騎士は抱えていますし、戦えば犠牲は出る。そうなると結局数の勝負になってしまう。竜騎士を幾らか用意しただけで皆が従うなら、この国はとっくに一つに纏まっています。それに補給はどうされるおつもりです、姫様。あれだけの数の竜を養うには相当の領地や資金が必要になりますが、王領の支柱たる王都は帝国に占領されたまま。まさか私に負担しろとは言わないでしょうね? いえ、もちろんそうしろと言われたら否やはありません。しかし私の領地とて無限に食料や資金が湧くわけではありませんので、その場合は何らかの形で補填して頂ければと思っておりますが……」


王女を旗頭に、あの戦力があれば公爵や辺境伯に並び立つことができる。マリリウスは胸中にあるそんな下心をおくびにも出さず言った。平時にあの数の竜を追加で維持するのは馬鹿げた行為だが、今はいつ戦いが始まってもおかしくない状況。王女の名代として振る舞えればどうとでもなる。

しかし侯爵のそんな目論見は、続くメリヤの言葉で脆くも崩れ去った。


「いえ、侯爵に余裕がないのなら、無理に補給を頼るつもりはありません。最悪自前で調達できますので。ただ距離や時間の問題がありますから、現場で補給できるならそれに越したことはないのは事実。なので、他に余裕のありそう貴族達に話を通し、自発的に申し出た場合だけ購入することにしましょう」

「……ははは、それは難しいのではないでしょうか。これから先、食料はいくらあっても足りるということがない状況になるのは明らか。いくら姫様の立場があるとはいえーーいや、今おかしなことを仰いましたな。自前で調達できると? 誰も売らなかったらどうするのです? まさかと思いますが、勝手に森から調達するのではないでしょうな? 未開地の開拓権は境界の領主が握っておりますので、勝手に猟をしては揉めますぞ」

「その心配は無用です。きちんと誰からも文句の出ない土地がありますから」

「……それはどこです? もしやと思いますが、その者達は皇国の息のかかった輩ではーー」

「そんなわけがないではありませんか。あなたは皇国の騎士が帝国領に入り込み、船を襲撃して私を助け出したと言うのですか? 身分を隠したまま私を手助けしていると?」

「十分にありえる話です。帝国を追い払った後、王国に確固たる地盤を築ける。悪いことは言いません。すぐにでもその者達から距離をお取り下さい。戦力として必要なら私が傭兵として使いましょう」

「……それって私が彼等と何かの行動を起こす時はどうなります?」


メリヤは顔から表情を削ぎ落として訊ねた。


「私に相談していただければ、彼等に命じ叶いますとも。当たり前の話ですが、可能だと思える範囲なら、です」

「なるほどねーー」


相槌をうったメリヤがいきなりくすくすと笑いだす。

それを目にした侯爵は不愉快げに眉を寄せ、


「私が何が笑われるようなことを言いましたかね」

「ーーああいえ、だって……ねぇ」


口元を隠して一頻り笑ったメリヤは、目の端を指で拭った後、大きく深呼吸をし、


「だって、彼等の言うようになっているんですもの。しかも侯爵、あなたは会話できない相手にいったいどうやって命じるんです?」


メリヤはここで再度笑い、今度はその笑顔をおさめないまま、


「マリリウス侯、あなたは何故彼等が私ではなくあなたに雇われることを善しとすると考えたのです? 私の指示にのみ従い、それ以外の誰にも阿らないと、何故そう考えなかったのです?」

「それは……彼等が取引で雇われているなら、単に雇用の形が変わるだけだからです。よしんば姫様への忠誠心で動いていたとしても、姫様自身がそう命じれば済む話ですので」

「彼等が拒否するとは考えないのですか?」

「ああ、その線もありましたな。しかしそれならそれで含むところがあるという証。いなくなってもらったほうが今後のためかと」

「ーーなるほど」


メリヤは残念そうに溜息をついた。


「当事者の立場から一歩引き、無理にそうする必要がないと己に言い聞かせれば見えてくるものがある。余裕というのは恐ろしいものですね」

「……失礼だが、先程から煙に巻くような言い方ばかり。いくらかつての主君の娘といえど、今のあなたは家も土地も兵もないのです。不遜な態度は慎むべきではないですかな」

「兵ならいますが」

「ははは! 姫様、あまり笑わせないでいただきたい」

「私が何か笑われるようなことを言いましたかね」


メリヤは先の侯爵の台詞を真似して返した。


「後ろの者達のことをおっしゃっているなら考えを改めたほうがようございますぞ。どうせうまい汁が吸えないとわかると姿を眩ますに決まっています」

「ああ、それはあるかもしれません。私、彼等に言われてますの。お互いに利用し合える状況なので、私が望むのならば、この国を残す方向で協力してもいい、と」

「やれやれ……」


侯爵は相手にするのも疲れた、と言わんばかりに首を振り、


「やはり皇国か、南のいずれかの国ではないですか。そのような輩の口車に乗せられるとは……。さぞかし、陛下もあの世で哀しんでおりましょう」


馬鹿にするような口調にも、メリヤは微笑むだけだった。彼女は今、世界を知る、ということの素晴らしさを味わっているのだ。たぶん、城で暮らしていた時は、己が周りの男達にそういう眼差しで見られていたのだろうと、うっすらと思った。自分が何を発言しようと、世間を知らない女子供の言うことだと無下にされるし、実際それは正しかったのだ。だが今この時この場所では違う。ここの支配者はメリヤだ。帝国の襲撃も、ロア達のことも、王国のことも、全てを実地で知るのはメリヤだけで、彼女はまた、ローズのような女性がいることも、その存在が許される世界も知ったのだ。


「マリリウス侯、彼等は皇国の人間でもなければ、南のいずれかの国に出でもありませんよ。そもそも彼等の竜を見たでしょうに。私達が飼育している種とは全く違いましょう」

「世界は広いですから。それに私は竜の専門家ではない。全ての種を知るなど主張するほど愚かではないつもりです」

「そうですね。もしかしたこの世のどこかに、ああいった竜が住む土地、利用する国があるかもしれません。では、そのような辺境の国が私達の国に肩入れする理由は? わざわざ帝国という強大な敵を作ってまで成したいこととはなんでしょう」

「……私は全知ではないと申し上げた」

「都合の悪い時だけ無知を逃げ場にするのはおやめなさいな。全知ではない? それなら何故最初から頭を下げて教えを請わないのです? ーーまあ、それで真実を教えてもあなたは納得しないでしょうが。侯爵、あなたは物事を自分にとって都合の良いほうに解釈しているだけです。先程のやり取りがいい例でした。私が命じればあなたの下につく? 馬鹿を言いなさい。どこの世界に信用できない者の下に好き好んでつく者がいますか。あなたは彼等を信用していない。なのに何故自分もそう思われているという前提で考えないのです。ーーああ、答えは言わなくて結構です。わかっていますから」


メリヤは口を開こうとする侯爵を目で制し、続けた。


「あなたは彼等がどのような存在か、聞きもしないうちから自分にだけ選択の権利があると思い込んだ。あなたが自分の信用について考えを巡らせなかったのは当然です。何故ならあなたは貴族だから。殆どの場合において、あなたは選ぶ側だった。だから自分が信用されているかどうか考えない。そうする必要がないからです」

「……殿下。正体を伏せたままの傭兵風情をダシによくもそこまで人をコケにできたものですな。どうやら城でお会いした彼女は影だったようだ。ーーいや、もしかしてここにいるあなたがそうなのかも。非常に残念ですが、無知な私は殿下の影について聞かされておらず、今目の前にいるあなたが本物か判断できませぬ。よって無礼を働くこともあるやもしれませんが、ご容赦を」

「別に構いませんよ。その無礼のツケは侯自身が支払うのですから」

「……それで、ご用件は? 私もあまり暇ではありませんのでね。不毛な話し合いはさっさと終わりにしたい」


今や侯爵は冷え冷えとした目をメリヤに向けていた。彼が不愉快に思っているのは、言葉がわからないロア達にすら明白で、もはやメリヤが何を言おうと返事は決まっているようにみえる。


「マリリウス侯、私はこれから王国を元の形に戻そうと思っています。別に地図上の話ではありませんよ。もっと根本的な部分のことです。それで、おそらくそのことを良しとしない者達との争いになると考えていますが、侯は私に味方してくださいますか?」

「条件を飲んでもらえれば構いませんよ」


意外にも了承した侯爵は表情を崩さないまま、


「まずその、後ろにいる者達は、私の三男の下についてもらいましょう。そして三男ーーエドガーーーを、殿下の特別な騎士にするのです。いつでも好きな時に、やりたいことを息子に言っていただいて結構ですよ。息子は優しいですから、出来る限り殿下の期待に添えようとするでしょう。そして次はーー」

「ロバート・マリリウス」

「ーー次……は……」


いきなり名を呼び捨てにされ、侯爵はぎょっとして言葉を飲み込んだ。

メリヤの肘掛けに置かれた手は白っぽく、筋が浮き出ている。彼女は背筋をピンと張り、侯爵の瞳を冷え冷えと睨みつけ、まるで法廷で被告の代わりに説明する弁護人のように、はたまた被告を弾劾する審問官のように言うのだ。


「『汝、吾が臣下となるを心から希望するや』」

「ーーっ、あなたにはその言葉を口にする資格はない!」


侯爵は椅子を後ろに倒しながら勢いよく立ち上がり、メリヤに人差し指を突きつけ、射殺さんばかりの視線を注いで怒鳴った。彼は誰が見ても憤っていたが、その姿は、一瞬にして鎧を全て剥がされてしまった兵士のように余裕がない。


「それは陛下と私との間に交わされた誓い。あなたには関係がない」

「自分でも思ってないことを口にするのはやめなさい。関係がない? そんか訳がないでしょう。今となっては私が父の残した財産を継ぐ最上位の存在の一人であることは、疑問を挟む余地すらないことなのに」


メリヤは己の立つ場所をまったく勘違いしていた男を哀れむように見つめ、


「これは別にあなたに嫌がらせをしているのではありませんよ。これから王国の全ての諸侯に発信するつもりでいます。私は無理強いはしません。しかし我が一族から輩出される王、もしくはその代理に忠誠を誓うことを止めるというのなら、封土に関する権利の全てをディナシード家に返却してもらいます」


この言葉に、呆気にとられた様子の侯爵。彼は最初こそ取り乱したものの、あまりにも非現実的な内容に逆に落ち着きを取り戻す。


「は、はは……。馬鹿なことを……。そのような真似を他の貴族が許すわけがない。無視されて終わりだ。いや、それどころか、要求を突きつけた時点であなたの一族の統治は終わる。こんな簡単なこともわからぬとはーー」

「わかっていますよ。別に無視をしたければそれで構いません。私は不当に奪われた土地の権利を取り戻すだけです」

「世迷いごとを! だいたい血によって継承することへの疑問を自ら口にしたばかりではないか! その口の根も乾かぬうちに何を言うか!」

「私は、私達一族の本質を問うたのであって、そういう意味で言ったのではないのですが……まあ、それならそれでいいでしょう。では、たった今からあなたの一族はこの地を治める権利を失ったということで構いませんね?」

「………」

「気づきました? 私の一族の権利を否定するということは、我が父に授与されたあなた自身の権利を否定するということ。それで、侯爵はいったいどういう理屈でこれから土地を支配するのでしょう? 慣例ですか? いやいや、まさかそのようなことはないですよね? 私の一族のそれを無視し、自分達のそれは肯定するとか。ーーでは、もしかして力による実効支配でしょうか? 実際に君臨してしまえば名分は後からついてくると? なら、私達と競争ですね」

「……黙れ」


胸の前で握り拳を作り、笑顔で力説するメリヤに対し、侯爵は静かに怒りを燃やす。


「初めからこれが狙いだったのだな……。私から土地を奪おうと……」

「ーーはぁ? あんた頭大丈夫?」


そう言ったメリヤは口に手を当て、ほほほ、と笑い、


「あなたの土地ではなく私の土地ですよ、侯爵。それにあなたはもう少し客観的に物事を観るべきです。たいたい私、そんなにおかしなことを言っていますか? 私は、私の一族やあなたの一族がずうっと昔からやってきたことを引き継ごうとしているだけですよ? 確かに私は女です。だからこそ最初に申し上げた筈。無理に王位を継ぐつもりはないと。しかし今は危急の時、暫定的に私がその場所に位置するのは当然ではありませんか。それとも私を無視して帝国と戦うのですか? 分裂して以降、王国の全ての土地は私の家のものなのに?」

「そんなものは建前に過ぎん! 形骸化した儀式をたてにそのような要求をするとは恥を知れ! 最初はどうだか知らんが、今となってはこの国は王とそれを支える者達との微妙な力関係の上に成り立っているのだ! 政治も折衝もわからぬ小娘が口を出すことではないわ!」


これは事実だった。例え王といえど、無闇に貴族を敵に回してはやっていけない。封土の権利は貴族達にとっての泣き所であるが、それ故に使えない切り札だったのだ。

しかし今のメリヤにそれは当て嵌まらない。彼女の持つ、遥かな昔に王国を建国した初代に匹敵する影響力はそれを可能にした。


「ーーそれが本音というわけですか」


メリヤは蔑みを感じさせる声で言う。


「いい加減に認めたらどうです? あなたは私の父がいなくなり、他の貴族達が好き勝手に動くのを知り、夢を見たのでしょう? だから私に頭を下げたくない。本来ならば、一番目に訪れる場所として自身の領地が選ばれたことを栄誉としてもいいくらいなのに、あなたときたら競争から一番目に脱落することに恐々としている。なんて嘆かわしい」

「ーーいや、私は王国に忠義を尽くしているとも。そういった教育を受けていないあなたにはわからないだけですよ」


侯爵は不敵に笑ってそう言った。最前までの取り乱しようはそこにない。彼の中で何かの決断が下されたのだ。


「王女殿下、どうやらあなたはまともな判断ができない状態にあるようだ。これからのことは私に一任し、殿下はただ後ろに座って必要な時に頷いてくださればよい。それくらいならあなたにもこなせるでしょう」

「順番が違いますね、侯爵。今のまま領地を経営したければまず臣従の誓いをなさい。そうすれば改めて封土を授与してあげましょう」


そう言い返したメリヤは椅子を引き、身体ごと横を向いて靴下と柔らかなブーツに包まれた片脚をあげた。そしてテーブルに片肘をのせて頬杖をつき、顎をつんと逸らしながら、空いた方の手で脚を指差して、


「さ、ここにきて跪き、足をお舐めなさい。そして誓うのです。『私はあなた様の豚です。煮るなり焼くなり好きにして下さい』と」


この直後に立ち込めた恐ろしいほどの静寂を、俺は一生忘れないだろうと、後にジェイコブは語った。

味方にしようとする大貴族と交わすにはあまりにも物々しい台詞の中身を、危ぶんでいたところにこれである。


「いったい何が起きているんだ……」


ジェイコブの呆然とした呟きが静かな室内に虚しく流れる。


「これは迂闊だったな」


と、ロア。片方の言動からでも、話し合う中身がわかっていれば大凡の内容は予測がついた。

メリヤの身になって考えればわからないでもない。家族を一気に失い、その父親に忠誠を誓っていた貴族達は権力争い。そして最初に会見した貴族は己を利用しようとする上、折角得た翼をもぎ取ろうとする。ロアが、自分達がいれば王国の貴族など敵ではない。一切の譲歩はいらない、としつこく言い聞かせたことも一因だろう。


「十代の娘に色々と一気に詰め込み過ぎたか。しかしどちらかといえば、荷が勝ちすぎたというよりは、予想を上回って有能だったと評すべきかな」

「なにを悠長な。俺は相手の侯爵がそういう趣味だって可能性に賭けていたんだが……。いったいどうなるんだ、これ」

「もう手遅れだ」


ロアの言った通りだった。

侯爵は怒りもあらわに拳をテーブルに叩きつけ、顔を真っ赤にして立ち上がった。


「こ、この小娘が……! 貴族を相手に言ってはならんこともわからぬか! これほどまでの侮辱を看過したとあっては貴族の名折れ! ーー決闘だ! そなたに決闘を申し込む!」


台詞の意味が理解できないロア達は揃ってメリヤに顔を向けた。


「決闘ですか……ふふ、いいでしょう。では作法に則りこちらは代理人を立てますね。そちらはどうしますか?」

「こちらも立てる! ヴァーム、お前だ!」


侯爵に名を呼ばれ、壁際から一人の兵士が進み出る。


「ではこちらはーー」


メリヤの目配せを受け、ロアが一歩前に出た。

しかし侯爵はそれに被せるように続けざまに五人の名前をあげ、合計六名を選んでから、メリヤの背後を見やり、


「ちょうどそちらの護衛は六名。ここは六対六の竜を使った集団戦といこうではないか」


と主張する。

どう見ても戦闘要員ではないアンジーを含めたうえに、自分達が普段から訓練をしている集団戦にすることで優位に立とういうのが丸わかりな提案だった。


「集団戦はともかく、彼女のどこをどう見たら護衛だと思えるのです。勝つためになりふり構わないとは、侯爵ともあろう者がなんてみっともない」

「おや、彼女は護衛ではない? ではなんですか? まさか下女ではないでしょうな。所作といい、顔つきといい、とてもではないがまともな教育を受けているようには思えなかったので、てっきり護衛だと思ったのですが。ーーいやはや、さすがは王女殿下。その身以外の全てを失っても召使いを侍らすとは! それで、いったいどこのスラムで拾ってきたのです? ああ、そうはいっても別に馬鹿にしているわけではありませんよ。全てを失った今のあなたにはこの上なくお似合いですからね。 はあーっはっはっはっは!」


メリヤはロアが頷くのをしっかりと目に焼き付けてから、侯爵に対し、


「ーーあら、よくおわかりになりましたね、侯。確かに彼女は街で拾ってきたのです。しかもそれを決闘に参加させようなど、まともにやったら自分のところの兵士ではまるで相手にならないとお気づきになられたようで。まあ、私としましても、大人が子供と本気で戦うがごとき、勝敗の分かりきった決闘はどうかと思いますし、侯がどうしてもと頼むのなら、戦う相手を子供にしてあげてもよろしくてよ。おーっほっほっほ」

「……ははは」

「……ほほほ」

「……私が勝ったらあなたにはエドガーの嫁ーーいや、私の妾になってもらおうか。抱える兵士も全て我が家に忠誠を誓ってもらう」

「私が勝てば、あなたとあなたの家族は爵位剥奪のうえ、全財産を没収です。心配しなくても仕事は斡旋してあげますよ。掃除の仕事をね」


マリリウスとメリヤは、お互いに口元には笑みを浮かべつつ、氷のように冷たい視線を交わし合った。


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