ブルメルン4
一階は食事をする場所と宿の受付があるようだった。入って右に、眠そうにしている女性がカウンターの向こう側に座っている。手元には帳面があり、傍にインク壺とペン。木のコップ。向かってカウンターの左側には二階へとあがる階段が見えた。
入り口の左手には食堂がある。一階の占有スペースの割合は、食堂九、宿の受付一くらいだろうか。食堂の奥に厨房へ通じているらしき出入り口が見え、女の給仕が忙しそうに行ったり来たりしている。
食事をするテーブルは、四人がけのものがパッと見ただけでも十以上あるのがわかる。仕切りも何もなく、ただ広い空間に椅子と共に無造作に置いてあるだけで、幾つかは隣と連結されて多人数で使用されていた。
食堂にいるのは全て男だ。しかもその大半が三十は超えていそうなものばかり。僅かにいる若い年齢層の者達は隅の方で肩を小さくして食事していた。
「なんか今、本当に異世界に来たんだって実感が湧いたわ、私」
一階の光景に眉を歪めたローズがそんな感想を漏らす。
周りを気にせず大声で話しているのは身体が大きい者が多い。ここでは年齢が低い者や、逆に高過ぎる者は発言力がないのだ。ある程度の水準を上回る肉体能力を保持し、かつ経験を積んだ者ほど大手を振って歩ける場所だ。
「俺は先にメリヤと部屋を確保してくる。お前はパドルと席を頼む」
「わかったわ。行きましょう、アンジー」
アンジーが意思表示する前に手を掴んで歩き出すローズ。ロアは止めようかと迷ったがやめた。パドルもローズもあれでこの世界では強者だ。絡まれてもどうこうなるとは考えにくい。それに、もしアンジーを守れなかったらローズに責任をとらせるだけである。自ら手を引いて連れて行った子供を、手を汚したくないという理由で見殺しにする人間は必要ない。
ロアはメリヤを連れて宿の予約受付に向かった。兜を脱いで座っている女を見下ろす。
化粧っ気のない顔は四十前後か。くすんだ金髪を頭の後ろで団子にし、薄手のシャツの上に肩衣を羽織り、腰のところで服を絞っているのが上から見て取れた。
「一人部屋を一つ、二人部屋を一つ、三人部屋を一つだ。もしくは三人部屋を二つでもいい」
メリヤに伝えさせる。部屋の配置に関しては女三人が一つの部屋なのは議論の余地がない。アンジーはどうせアテがないだろうし、メリヤ共々一人部屋にしたら、夜中に誰かが侵入してきても抵抗できない。なのでローズは護衛だった。
「一人部屋はないそうです。四人部屋一つと二人部屋二つでどうかと言っています」
「それでいい」
「二人部屋が一晩五十シル、四人部屋が八十シルだそうです」
よくわからないのでそれなりの重さの粒金を一つと小さな粒金を一つ取り出して、女に手を出させた。まず大きな方を帳面の上に置き、小さな方は女の手に置き、包むように握らせる。ロアを前に硬かった表情が柔らかくなった。
「やはり両替をしたほうがよくありませんでしたか?」
「そうだな。次にアンマンパン達が降りる時にはそう伝えておこう」
国が残っていればーーと、口の中で小さく呟くロア。受付の女はこの国の貨幣でなく潰しのきく金を貰えて嬉しかったに違いない。
食事をするので、その後部屋に案内するよう伝え、踵を返す。
食堂フロアを視界に入れて漠然と眺めると、数人が顔を上げるのがわかった。彼等はその動きを他の動作に組み込み、さりげなく視線を逸らす。
ローズとアンジーはパドルと合流して既にテーブルを確保しているようだ。ロアも席に着くことにする。
「どっこいしょ」
椅子を二つ並べて尻を乗せ、対面にメリヤを座らせると、凄い勢いでローズがやってきてバンバンとテーブルを叩く。
「ちょっとあんた! なんで二人で別のテーブルに座ってんの! 通訳もいないで私達にどうやって注文しろって言うのよ!」
しかしロアはローズの剣幕に怯まなかった。
「なんでもクソもあるか。俺の身体を見ろ、ローズ。そして俺達は何人で、お前達が確保したテーブルは何人座れる?」
ローズ達がついていた席は四人がけのテーブル一つ。そしてロアの体格を考えれば、彼等に必要なのは六人分のスペースだった。
「そ、それは……。でも、しょうがないじゃない! 隣のテーブルが空いている席がなかったんだから!」
ロアは周囲に目をやって空席を探した。なるほど確かに続きで空いているテーブルそのものはない。しかし空席自体はある。それもパドルとアンジーが座っているテーブルの横にだ。
その二つのテーブルは六人の男達が使用しているのだった。八人座れるスペースを六人でだ!
つまり二人分のスペースが余っている。
「あのテーブルを半分分けてもらおう」
「はぁ? 馬鹿言わないでよ。そんなのどうやって?」
「お前の剣は飾りか? それで斬ればよかろう」
「……あんたねぇーー」
ロアは指を口の前に立ててその先の言葉を封じて続けた。
「……まぁもちろん今のは冗談だが、ここは普通にテーブルを移動させよう。というか、このくらいお前達でやっておけ。人並み外れた力を持つ二人が揃ってアンジーと同じ動きしかできないとは、情けないと思わないのか」
「だってしょうがないじゃない。元々ただの高校生なんだから……」
「お前、その言い訳は使わないほうがいいぞ」
ロアは片手でテーブルを持ち上げ、移動しながら話す。
「もし俺が元の世界では大金持ちのボンボンで、『こんな重い物持たされたことないので無理ですぅ』とか言ったらどう思う?」
「ぶっ飛ばしたくなるわね」
「そうだろうとも。俺も同じだ。お前が、『アタシ女子高生なんですぅ。パンツ買う?』と発言するたびにぶっ殺したくなる」
「誰もそんなこと言ってないし……。あんたはいつも一言も二言も余計なのよ」
口を尖らせて言うローズの声には元気がなかった。
ロアがテーブルを下ろすと、周囲のスペースが狭くなった隣のテーブルにいた男が睨んできたので、殺意を込めて睨み返す。
先に相手が視線を逸らした。
「重要なのは主張することだ。他所からきた俺達はこの世界にルーツがない。俺達プレイヤーにとってこの世界で生きるということは、奪うということだ。元の世界では俺達の血は何億年も前に遡ることができる。皇帝だろうが王だろうがホームレスだろうが今現在生きて存在している以上、血の歴史は同じだけ続いていた」
メリヤは下々の食事に関してはアテにならないので、彼女を介しアンジーにお任せで注文させる。
「極端な話、お前がある日食べた果物は、実は千万年前にお前の祖先が垂れ流したクソの側で育った植物の子孫だった、という話もありえるわけだな。その世界の生物相に組み込まれた一つの生き物として生を受けるとはそういうことなのだ」
歳食った女の給仕がデキャンタと木の杯を五つ、鉄のナイフと木のスプーンをそれぞれに持ってきた。注ぎ分けて配ると、アンジーやメリヤの前にも置かれたのを見たローズが、
「子供にお酒飲ませるの?」
「頼んだアンジーに真意を問え。だが聞くまでもなく、水を頼むより安全なことくらいはオレにもわかるぞ。上水道がないということは水は井戸からだろう。頼まれて汲みに行くならまだしも、朝の汲み置きを出されたらどうするつもりだ? さらに言うなら、その井戸の水すら信用できん。どうしても水が飲みたいなら煮沸して飲むんだな」
給仕が大皿に載った葉野菜とソースのかかった茶色い燻製肉をスライスしたものを持ってくる。肉は三十枚くらいあった。ソースは黄色っぽく酸っぱい匂いが漂っている。
皆いそいそと邪魔な装備をーー兜や帽子を被っているものはそれを、籠手を嵌めているものはそれをーー外し、食事の態勢を作った。
ロアは十枚の肉をナイフですくうように持ち上げ、まとめて口に放り込む。三回ほどモッチャモッチャと咀嚼して飲み込んだ。そして口の中の余韻がなくならないうちにワインを流し込むと、ぶち込まれた香辛料で喉がピリピリした。
「ちょっと! 他の人のことも考えて取りなさいよ!」
なんて口喧しい女だ。ロアはうんざりした顔で、
「まだたくさん残ってるだろうが。それに足りなければじゃんじゃん追加すれば済む話だ」
パドルとアンジーがそれぞれ五枚ほどをさっと確保している。それを見たローズは渋々と自分とメリヤで残りを半分づつにした。
皿にはソースに浸かった葉っぱが残る。ロアはそれを両手で丸めて口に入れた。
給仕が次の大皿を持ってくる。四角いパン丸ごとに小皿にのったバター。肉と玉ねぎのペーストにハーブや香辛料を入れた物。魚のフリッター。ナッツと砂糖の入ったミルク粥。獣の脚の炙り焼き。
「一気にきたな」
ロアはテーブルの外で籠手を脱いだ手にワインをかけて洗ったあと、炙り肉を掴んで引き千切って食べる。さらにパンも同じように千切って、ペースト状の肉をナイフで塗ってから口に入れる。
給仕がさらに煮込み料理が入った鍋と砂糖をまぶした果物を持ってきた。鍋の中には腸詰めが浮いている。
「なんでもうデザートが来てるのよ……」
「なんか思ったより全然いけるな。全体的に獣臭くてしょっぱいけど」
パドルが食べながらそう感想を漏らす。その横ではメリヤとアンジーが四苦八苦していた。ロアやパドルが平然と噛んでいる肉を、二人は中々噛み切れないでいるようだ。
「飲み込めないようなら出してしまえ」
ロアはそう言うと魚の頭を摘んで尻尾から口に入れ、頭の下で噛み切り、残った頭部を後ろに捨てた。その後口の中の骨を足元に吐く。
それを見たローズが悲鳴をあげた。
「信じらんない! やめてよ! なに考えてんのよ恥ずかしい!」
「恥ずかしいのはお前だ、ローズ。周りを見ろ。みんなやっているだろうが」
「え……」
言われたように周りを見回して愕然とするローズ。確かにロアの言った通り、皆床に食べカスを捨てているようだ。
それを見てアンジーは平然と、メリヤは恥ずかしそうに真似をした。
ローズは入る会場を間違った受験生のように青くなって言う。
「悪夢だわ。私もう島に帰りたい……」
「言っておくがあの島は俺のだからな。自前の島が欲しければ他所から奪ってこい」
ロアは給仕に空になったデキャンタを振っておかわりをアッピールする。
「ところで話を戻すがーーそういうわけでこの世界には俺達プレイヤーを養う義務がない。わかりやすく言うなら、『お前に食わせる飯はねぇ』という感じだな。そして俺はこの世界の奴等に、一々『空気を吸っていいですか? 水を飲んでいいですか?』と訊いて回るつもりはない。もっとも俺には島があるからまだマシではあるが」
「なによ、それ。私達に飢えて死ねって言ってるの?」
「………」
ロアは砂糖のまぶされた果物を一つ、指で摘んだ。
「見ろ、ローズ。この太陽のように輝く大地の恵みを。これはこの世界の一員たるどこかの樹木が、同じくこの世界の一員である何かの生物に対し与えた恵みだ。目を瞑って想像してみろ。彼がなんと言っているか分かる筈だ」
ロアは目を閉じた。そして遠くの何かに想いを馳せる感じを醸し出す。
「……彼はこう言っている。『あの時、僕のご先祖様の花粉を運んでくれてありがとう』『あの時、僕の根元で死んでくれてありがとう』と。これはな、そんな彼からの贈り物なのだ。実際に行った者が誰かはわからない。だがそれは彼が贈り物をしない理由にはならない。何故なら、この世界に生きる全ての生命は繋がっているからだ」
閉じられていた瞳が開き、重々しく言葉が紡がれる。
「ーー俺達、プレイヤー以外はな」
顔の前にある果物を口に放り、シャクリと噛み砕く。弾けた果汁が一筋、口の端から溢れた。
「見ろ。そして感じるのだ。ーー悠久の時を経て受け継がれた想いを食らい、踏み躙る。それがこの世界に降り立ったプレイヤーに課された業なのだと」
「……果物一個でなに語ってんのよ。あんたちょっと拗らせ過ぎなんじゃないの? どう考えてもここの住人は皆普通の人達じゃない。 少し野蛮だけど、話せばちゃんとやっていけるわよ」
「プレイヤーに迎合した奴等はこの世界にとっては裏切り者よ。そいつらと仲良くやっていけたとしても、それが当然だとは思わないことだ。この世界の人間にとって正しい行いとは、俺達に石を投げることなのだよ。そして俺は石を投げられるのが嫌いだ」
給仕がやってきて巨大なパイと炒った豆を置いていった。
「まだくるの? いったいどんだけ注文したの」
「たぶんこれで最後だそうです。お金は気にしないでいいと言われたので、高いものと好きなものを頼んだそうですが……」
メリヤは果物を指差して、
「これなんかは貴族が食べるものと同じですよ」
「どうやらこの宿は当たりだったみたいねーー食べ物だけは。客層は最悪だけど」
「そう自分を卑下するものではないぞ。ーーところで、パドル」
ロアはさきほどから一人静かに食事をしている男に言葉を向ける。
「お前は明日、帰りは別行動だ」
「え……? なんで?」
「元気がないのは兵士達と揉めたからだろう? どうせアンジーはまともに門から出られない。お前も一緒に壁抜けしろ。背格好の情報は明日には門衛に共有されている筈だからな」
「なによ、それ。メリヤに嫌われから沈んでたんじゃないの?」
「ああ、あれはそういうことにしといた方が面白そうだったからだ。実際パドルを観察していればわかった筈だぞ。島にいた時からそんな素振りは一切見せていなかった。もっとも、未来のことなど誰にもわからないし、他人の心もそうだから一概には言えないが」
「……あんた絶対ロクな死に方しないわよ」
唇をへの字に曲げてそう言うローズに、微笑みを返し、
「まるで自分はまともな死に方ができると思っているような言い方ではないか。実際問題、この世界の奴等が俺達プレイヤーを攻撃する大義名分など幾らでも用意できるのだぞ。そしてプレイヤーの持つ力を考えれば、開き直るか頭を下げるしかない。もしかしたらこの世界のどこかに、俺達を受け入れ、利用しようとしない国があるかもしれない。だがえてしてそういう国は勢力が小さいものだ。悪辣でなければ国を大きくすることなどできないからな」
ロアが話し終わり、一息入れたところでパドルが、
「なら俺はそうさせてもらうぜ。正直気が気じゃなかったんだよな。だいたいあんたら二人のとばっちりでなんで俺が追われなきゃいけないんだよ……」
「お前が兵士相手に暴れたからじゃあないのか? 大人しく捕まって事情を話せば追われなかった筈だ。つまり自業自得だ」
「いや……だってなんか知らない言葉で高圧的に話しかけられたらああなるって。しかも暴れてなんかないし。ちょっと腕を振り払ったら相手が吹っ飛んだんだ。リアクションがオーバー過ぎんだよ。ーーそれで、買い物してる間はどうすりゃいい? ここにいるのか?」
「いや、それだとお前自身の買い物ができないだろう。メリヤに兜を貸し、代わりにサングラスをかければいい。ただし自己責任でだ。もし兵士にバレたら自力で切り抜けろ。心配しなくても地上の人間を何人か殺したくらいで責めたりはしない。ここで料理を食べている時点で俺達はこの世界にとって取り返しのつかないことをやっているのだからな」
「よく考えるとひでー理屈だな……。勝手に人を大罪人に仕立て上げるとか、他のプレイヤーに聞かれたら怒るんじゃねーの」
「この事実を消化できない奴とはどのみちやってはいけない。そも、奴等を罪人に仕立て上げるのは俺ではない。奴等自身だ。奴等が自らの故郷の善悪でもって他者を断罪しようとした時、その刃が自身にも突き立つ。それだけだよ」
ロアがパイにナイフを入れると、溶けたチーズがどろりと流れ落ちた。
トウハ・カザンニ上級飛竜長は、グレーの飛行服に身を包み、カツカツとブーツを鳴らして自らを呼び出した上官である、第二管区長バアル・ヒッコリーニ百竜長の執務室の扉の前で立ち止まった。
両脇に立つ護衛が無表情ながらも柔らかな眼差しを向けてくるのに目礼し、木の扉をノックする。
入れ、という短い返事の後、ノブを握って扉を開けると、中には部屋の主人であるバアルの他三名が既に集まっていた。
シックな色合いの内装に囲まれた執務デスクの前に、同僚が三人並んでいる。室内には他に書棚が三つと小さめのテーブル、背の低い椅子が四つ、壁にかけられた大きな地図がある。天井から大きなランプがぶら下がっていた。トウハは柔らかなカーペットの上をそそくさと、端の方に合流し、角度をつけた右腕を胸の前にあげた。
「トウハ・カザンニ上級飛竜長、参りました。遅れて申し訳ありません」
「まだ時間は過ぎていないぞ、カザンニ竜長」
デスクについているのは五十を前にした藍色の髪の男だ。顎に生えた髭と同様、髪にはうっすらと白いものが混じっている。内勤用の茶色い軍装姿である。
バアルは、同僚より一回り背の高いトウハの赤茶けた頭部から視線を外した後、
「今回君達に集まってもらった理由だが……残念ながら君達が望んでいる答えとは別のものになる」
言われた四人の飛竜長達は怪訝そうな顔になる。彼等の頭の中には揃って、三日前に複数の場所で目撃報告があがった、空に浮く島の件があった。その島は移動しているのか、既に影も形もないが、それでも調査隊を送ることに関して第二管区の面々の意見は一致していた。
「さきほど北方方面軍の司令部より伝令があってな。現在我々北方方面軍だけでなく、中央を含めた五つ全てで非常召集がかかっている。これは皇国軍最高司令部のーーつまり、皇王陛下直々の命令だ。使われている書式も一号様式。すなわち非常発令で、この命令を無視した場合は例え皇族であろうと議論の余地なく国賊扱いとされる」
四人はピンときていないようだった。実際バアルも言葉では理解しているが、実感はない。
バアルは手元の命令書に振られた番号を見る。そこにある数字は百に満たない。それはつまり、皇国の歴史において、まだそれだけの回数しか発令されていないということだ。
これは皇国や皇家の存亡に関わる時、端的に言えば、帝国との戦争で危急を要する重大な局面であったり、反乱が起きたりした場合にしか使われない筈だった。これは単に急がなければならないだけでは使われない。現在行われているあらゆる行動に優先するのだ。
「そういうわけで、調査部隊の編成を解くが、部下を通常任務に戻してはならない。全ての竜騎士とその騎竜を集めて点呼をとり、三日前からの行動ーー何時に起きて、誰と何をし、どこでいつ眠りについたかまでを報告書にして提出させろ。もちろんお前達もだ。……言っておくが、酒を隠し飲んだなどのつまらん違反もきちんと記載しろよ。後で親衛隊が査問にやってきて嘘がバレても何もしてやれんからな」
はっーーと返事をした四人。そしてそのうちの一人、中級飛竜長が恐る恐る言う。
「それでは、島の探索はその後行うのでしょうか? 集めている物資はそのままでもよろしいですか?」
「……いや、探索はたぶん無理だろう。今の状況で本来の任務とかけ離れた動きをするのは問題だ。それと同じ理由から物資も動かすな。下手に動けば目をつけられかねない。一応、集めた経緯についてはケイマン司令に報告してあるから変なことにはならないだろうが……」
ケイマン・シルバーヲークはバアル達の上司である。北方方面軍の空の司令官であり、階級は三位竜星だ。皇国の北側六つの管区所属と司令部直属の、合わせて二百近い飛竜騎士と総数二万を超える飛行竜団を統率している。
「しかしケイマン司令は口が上手くないですよ。陸の奴等を押さえきれるでしょうか」
一人の竜長の発言に、バアルの脳裏に口の大きな初老の、白髪頭の顔が浮かぶ。その顔は笑いながらこう言っていた。『細かいことは任せたぞ』
「それなんだが頭が痛い問題だ。今回の調査隊派遣でもかなりの嫌味を言われた。出発前に頓挫した挙句、集めた物資もそのままじゃ、必ずまた何か言ってくるだろう」
「それなんですが、今回の召集は陸の奴等にもかかっているんですか?」
「いや、それが……実を言うと飛竜騎士だけのようでな。命令書を確認できたわけではないが、陸に動きがなさ過ぎる。我々と違って空を飛べないから慌てていても不思議ではないのに、全くそれがないんだ」
「陸の奴等の妨害じゃないんですかね? 今回のことは」
トウハがそう言うと、バアルはぎょっとした様子で、
「滅多なことを言うな。今回の件には陛下も関わっておられる。嫌がらせでやるにはあまりにも大掛かりに過ぎる」
「そういえばそうでしたね。でも、もし本当に空に浮く島があるーーしかもそれはおそらく動いてるーーなら、陸の奴等は死に物狂いで妨害してきてもおかしくないですよ。なにしろそれを確保しても自分達の管轄にならないんですから。それどころか寧ろ俺達飛行竜団に、島へ上陸された時のための陸上戦力が増強される可能性が高いでしょう。確か軽走竜を複数の飛竜で輸送する実験をどこかの部署がやってましたよね」
「戦略技術研究所だな。聞いた話では実験そのものは成功したらしい。ただ成功確率が実戦運用できる数字じゃないから、今は離着陸を上手くやるための運搬装置を開発している段階だーーそうだ」
「それって本当に実戦配備するつもりなんですかね」
竜長の一人が嫌そうに言う。
「空と陸のどっちの管轄になって、どれだけ予算が増えるとかで揉めるだけならまだしも、輸送中に戦闘に巻き込まれてどちらかが死亡したら、間違いなく責任の押し付け合いになりますよ」
皇国軍の空と陸の仲の悪さは一般庶民も知るところだ。飛竜と走竜の直協行動が見たければ、貴族の私兵の訓練を見たほうがいいとまで言われている。これは代々の皇王の飛竜びいき、走竜びいきが交互に繰り返された結果で、筋金入りだった。
「それは上も考えているいるだろう。もし配備するとなったら空でもない陸でもない、新しい部署を新設するとかな。どちらにしろ俺達が今考えることではないが」
バアルはそう言った後、声を潜めて、
「たぶん近日中に発表されるだろうが……実は帝国が王国を攻めたとの情報がある。規模は不明だが、確実性の高い筋からの情報だ。もしかしたら俺達が集められたのもそれかもしれない」
四人の竜長達はえっという顔になった。
「またいつもみたいにちまちま領土を削るやつですか? 王国の奴等も情けない」
「今回は違う。狙われたのは王都だ。あそこはもうかなり国境線に近くなっていたからな。飛行船が使用されたらしいから、事前に察知できなかった可能性が高い」
「なら本格的な戦になるでしょうね」
トウハが難しい顔をして言った。
バアルはほう、といった表情で先を促す。
「さすがに王都を攻撃されたら反撃しないわけにはいきません。もしこれまでのような、許し難いが民が犠牲になるから、といって逃げを打てば、国が瓦解するでしょう。それこそ皇国や帝国の国境線付近の貴族が領地ごと鞍替えしても不思議じゃありません。つまり王国は相応の規模で反撃するしかない。しかしそうなると、帝国にとっては敵の準備ができていない今を逃すのはあまりに勿体ない。せっかく不意をついて王都を攻撃したのに、半端なまま兵を退いて相手の反撃を待つのは愚かな行為です。敵をわざと集結させて打ち破るやり方もありはしますが、それを狙うにしろ王都の放棄を絡める必要性がありません」
「そうだな。おそらく陸からも侵入した可能性は高いだろう。不意をついたということは、相手に準備されたくなかったか、される前にやってしまいたいことがあったからだ。それだけの価値があるものと言えば、都市そのものか王族だが、どっちだろうが大事になるのはわかりきっている」
バアルは出来の良い生徒を前にした教師のように頷いた。
「俺の予想だが、皇国は二つの方針を示すと思う。一つは、王国が素早く戦力を結集し、王都を守り切るか、もしくは帝国が落とした王都の防備を固める前に包囲し、後続を断てた場合だ。この場合、皇国は王国に味方し、帝国に出血を強いるよう動く。もう一つは、王国が王都失陥に対し何ら動きを見せなかった、または愚かな選択をした場合だ。この場合、皇国は王国の西部を切り取り、帝国との戦いに備える。つまり皇国と帝国で王国を二分する形に持っていくと思う」
「なら私達に召集がかかったのはそれに備えて、ということでしょうか」
「でもそれだと陸さんに声がかかってないのはおかしくないか? 占領には大量の歩兵が不可欠だろ」
トウハが同僚に目を向けて言う。飛行竜団にも歩兵は配備されているが、その役割はあくまで拠点防衛のため規模は小さく、装備も制限されていた。大掛かりな陸戦装備は、越権行為だと陸竜兵団からケチがつくのだ。
「それに直近の行動を報告しろというのも変じゃないですか? まるで俺達飛竜騎士が疑われているみたいだ」
「これはやはり陸の奴等の陰謀に違いない」
「トウハ、それは外では口にするなよ。冗談では済まなくなるぞ」
「わかっていますよ。ここだけの話ってやつです」
悪びれないトウハに苦笑したバアルは、
「とりあえず今はさきほど伝えた命令をこなすことだ。詳細な内容は追って送る。くれぐれも軽挙妄動は慎むように」
「は! 了解しました」
敬礼をした四人が部屋から去ると、バアルは深く椅子に座り、背もたれに身体を預けた。
水で薄めたワインをグラスに一杯注ぎ、歪んだ向こう側にじっと目を凝らす。かなり濁っているのはワインとグラス、どちらの質が悪いせいか。
考えているのはさきほどの部下の台詞だ。
「ーー疑われているだと? 俺達が? そんな馬鹿な話が……」
喉を通る酸っぱいワインは顔を顰めるのには十分な味だった。




