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下.十二夜──饗宴と休暇と祭典と

 12月25日になると、人々はようやく断食から開放される。四旬節のとき売ることも食べることも出来なかった卵と肉を浪費したのがイースターとカーニヴァルだとすれば、この日は聖マルティヌスの日に屠られて溜め込まれていた塩漬け肉が解放される日だった。

 そして人々には十二日間或いはそれより短い期間の休暇が与えられた。祝日以外の休みが無い場合もあったが、この十二夜の期間には多くの祝日があった。



 農村ではこの日に鶏肉を領主に献上しなくてはならなかった。その代わりに農民たちは領主の邸宅に招待される。中世中期頃は、領主の館で働く様々な業種の労働者を含む農村の住人全て或いは家長が招かれたというが、中世盛期には規約で定められた人数だけ招かれるようになり、末期には領主の家族のみで祝われるようになった。

 領主の邸宅には御馳走が用意されていた。献上された鶏だけでなく、孔雀や白鳥、雉などの野鳥は調理の対象になった。ガチョウはまだ重要ではない。他にも猟園で狩った鹿、小屋で育成されていた野兎、生簀で育てた川魚も選択肢にある。いずれも領主だけが所有していた。

 肉は串に刺してくるくる回しつつ、滴り落ちた脂を掬って肉にかけながら焼く。回す役は下っ端の担当で、熱気を防ぐ為に盾を立てていた。ソースには大蒜が多用される。そのほか肉はシチューやパイに入れられることもある。


 そしてクリスマスのテーブルの一番の目玉としてボアーズヘッドがあった。かつては言葉通り猪の頭が使われたが、13世紀までの森林伐採の結果、猪が絶滅の危機に瀕していたので豚が代用されるようになったという。皮を剥いで焼いた豚の口には果物を咥えさせ、銀の大皿に乗せられて壮麗な合唱と共に食堂へと送り届けられた。

 合唱の歌は大抵チャントやキャロルが歌われる。ジングルベルやサイレントナイトは未だ無く、13世紀から14世紀にかけては、アッシジの聖フランチェスコの追従者たちによって作られた、世俗的とはいえないが、ラテン語ではなく庶民に馴染みの言語で書かれた音楽が歌われた。

 遊興やダンスの最中には合わないから吟遊詩人によって世俗の曲が演奏される。フランスやドイツの吟遊詩人たちは自由気ままに歌って旅する存在ではなく、学校で演奏技術を学び、他の職業と同様に地域一帯を包括するギルドに属し、依頼を受けて各地に赴いた。

 吟遊詩人は手品師や曲芸師を包括していて、宮廷の祝祭の時には数十人から数百人程度が雇用される。ただしここに道化師は含まれないらしい。また技能に優れる者は宮廷に長く引き止められることもあった。田舎ではもっと少なかったかもしれない。


 最後に、食後のデザートにはプリンや果物のピューレが出される。元々薬用だった砂糖は13世紀頃には蜂蜜と並ぶ甘味として料理に振り掛けて利用されていた。


 祝宴はときどき数日間に渡り提供された。待遇には客の豊かさによって差が有り、裕福な客にはずっと良い料理が多く提供された。代わりに貧農は余り物を自前のテーブルクロスで包んで持って帰った。余り物といっても、祝宴の晩餐だから多分有り余る量だっただろう。テーブルクロスとなるリネン布はあらゆる階層の人間が少なくとも一枚は所有していた。


 残りの祝祭日は休暇で、近くの町の祝祭に遊びに行ったりした。ノンポリの彼らは多分都市民に弄られただろう。ただ貧しい農奴は年始から領主の直営耕地の鋤返しに駆り出される事があった。

 1月6日の公現日には領主の館で豆の王様と言うゲームが行われた。豆の入ったケーキを運よく手に入れれば、運の悪い廷臣たちをいびり倒し、酒をいくらでも飲んで良かった。

 公現日の後の最初の月曜日は鋤月曜日と呼ばれる。その日は畝作りの競争であったり、教会に集まって火を焚く行事だったり、あるいは鋤を持った行列で家々を訪問してお金を集めたり、ときには酒飲み大会などが行われた。女性はその日を糸紡ぎの日として労働を再開するか、糸紡ぎの競争をした。

 農民のその年最初の仕事は鋤月曜日の翌日頃から始められる。



 都市でも、中世中期頃までは富者が乞食を受け入れて祝宴のテーブルに招待する傾向があった。しかし盛期になると、貧者への救済は救貧院に委任されるようになり、富者はそこへの寄付で済ますようになる。キリスト教では財産の中から寄付した割合で天国で豊かさが決まるというし、その慣習は少しずつ形を変えながら続いている。

 またギルドが力を持っていれば、祝宴は諸ギルドで行われた。そしてギルドの衰退または変容に向かう中世末期には、田舎領主同様に招待客を絞り込むようになった。


 いずれの場合でも祝祭は都市共同体が主催する。若者たちの勝手気ままな不合理もいつしか慣例となって共同体に容認され、官吏も見て見ぬ振りをした。その類例として十二夜の時期に行われる無規律領主や子供司教がある。

 そのような「ばかの祭典」で、無規律領主は農村と同じ仮初の王様だった。彼らは市長によって任命され、楽隊によって新たな指導者の誕生を歓迎される。そして酒を飲み、裁判を行い、全てのドアを放り投げる権利を与えられた。

 都市には吟遊詩人だけでなく、例えばロンドンでは夜警を兼ねる楽士が居り、ブリュージュでは市民軍の軍隊に付属する楽士が居た。彼らは公職の義務として祝祭期間に楽隊として活動する。

 他方、幼子の祝日にひと時限りの司教に選ばれた聖歌隊の少年は、身の丈に合った司教のローブと冠を身に着ける。彼らは地元の教会でとてもいい加減なラテン語の時禱を主催したり、僧侶の格好でコーラスを歌う多くの聖歌隊を率いて街中を練り歩いて、町の人々に冗談のような祝福を与えた。そしてその日の最後に子供司教はささやかな貢物を受け取って役割御免となる。


 この時代、民衆の大半は多産多死の幼児期を切り抜けた幼年期から青年期の若者で、年寄りはろくにいない。祝祭日の乱痴気騒ぎ(シャリヴァリ)はこの時期にも勿論行われる。

 平時と違い、クリスマス期間の娯楽は広く容認されていた。たとえ公共スペースだろうと、人々は街中で陣取り合戦なりクロッケーなりのゲームに打ち込むことが出来た。

サッカーは有ったかどうか疑わしい。屋内ではチェスやダイスの博打はいつも通り、そして目隠しゲームにスキットルと呼ばれるボウリング的なゲームも行われる。


 都市の祝祭イベントは連日行われた。11世紀頃、十二夜の時期に教会広場の前で行われていた宗教劇は、民間の手に渡って世俗的な野外劇に変貌した。クリスマスツリーの原型も12世紀頃にこの劇の中で使われた、りんごの果実を吊るしたモミの木で、楽園の木を象徴していた。冬のりんごの木は落葉してしまっているから、見栄えが悪かったのだろう。

 13世紀頃から、聖書や聖人の物語を模した民俗劇は、都市共同体が出資して多くのギルドが共催するパレードの中で朝から夕暮れまで行われる。

 劇の舞台は二階建ての山車の上だった。基本的には移動しながら、そして御捻りが得られれば一時停止して演じられる。行進する順番は、人員数や資金力に基づくギルドの格の序列に従った。そして中世末期には大半のギルドが参加することになり、観客は大体下層市民とか田舎者たちになった。

 パレードの中で山車を引く者も、演劇を行う役者たちもギルド員である。大抵のギルドには女性もそれなりに所属していて比較的安い労賃で働いていたが(ときには血統主義的な伝統によりギルドの親方にもなるが)、男性が女装して演じる方が普通だった。特にクリスマスのばか騒ぎの中ではミスマッチな女装が持て囃されていて、図体のでかい男が女装する。

 仮装は後にハロウィンへと吸い取られたクリスマスの習慣で、町行く人々の一部も、女装や動物の姿、王様の格好に身を包んでいた。


 そのほか、14世紀から15世紀にかけて騎馬槍試合が良く催されるようになる。クリスマスによく使われる題材はクリスマスゆかりの「ガウェインと緑の騎士」の決闘で、挑戦者の騎士と従士たちは緑のシュールコーに身を包んでいた。

 騎馬槍試合は、ときどき町の広場で市民の観覧の下で行われる。そのとき周辺の店舗は閉じられ、富者や市長は名誉ある客として、武具屋や刃物鍛冶は祝祭の間の製造業者として貢献した。


 十二夜のうちの祝日は、12月26日の聖ステパノの祝日、12月27日の使徒聖ヨハネの祝日、12月28日の幼子の祝日、1月1日のキリスト割礼の祝日、1月6日の公現日。この辺りの聖人の祝日は都市労働者でも休みになる。

 勤勉な者たちは貨殖に励もうとして罰金を課された。確かに祭礼があれば人が集まるから、伝統的な休息を無視して商売をすることは利益に繋がる。しかしギルドは休日にある程度制約が設けられ、また都市毎に規則があった。

 祝日に必要になる食べ物は前日に確保しなければならないという不合理は適用されず、ギルドの規約によって融通が利くようになっていた。祝祭のパレードに参加しなければならない食料品ギルドは、パレードの前に準備をし、パレードに見当たらない女性のギルド員が、売り子として食料を売っていたかもしれない。

 クリスマスの市場が立つのは15世紀からのことで、多分農村から来た小売商たちが起点となった。


 地方領主の没落と都市管制の強化はクリスマスの祝祭を衰退させたという。それに加えて伝統的で保守的な古い行事に成り下がった行楽に魅力は無くなっていたかもしれない。

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