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上.アドヴェント──12月24日までの下準備

 クリスマスの四週間前、聖アンドレの祝日11月30日に最も近い日曜日からアドヴェントが始まる。

 それはクリスマスの準備のための節制と忍耐からなる長い期間だった。当初はイースター前の四旬節と同じ期間──聖マルティヌスの祝日11月11日からの40日間がアドヴェントの断食期間だったが、あまりにも長すぎるので中世盛期において正教会以外は何処でも4週間かそれ以下に短縮されてしまった。一週間における水曜日と金曜日と土曜日の断食から、いつの間にか土曜日が消え、続いて水曜日が消えたように。



 農村では聖マルティヌスの祝日、或いは11月1日の全聖人の日辺りまでにその年の畑仕事を終えていた。この日は収穫祭の日で、また領主に金納または農作物で年貢を納める日でもある。10月中に冬麦は撒き終わる。小麦とライ麦、冬燕麦、大麦のうち、何を蒔くかは領主の意向に応じた。領主は彼らの収入のために気候風土に通じている必要があった。

 このマルティヌスの日の祝祭においては、乞食の聖人である彼に倣い、乞食の仮装をした子供たちが歌いながら施しをせびって家々を回っていたという。


 11月の仕事は農事暦によれば家畜の放牧のようである。私有地が無ければ共有放牧地に持ち主の印の押された牛や羊を放った。共有放放牧地の一部は最近利用されていない農地区画で、地力が回復するまで何年も堆肥漬けにされた。ただ老いた羊は放牧されず、聖マルティヌスの祝日に屠られて燻製にされ、富農の冬の食べ物となる。牛は羊よりもずっと数が少ないからその分滅多に食べられない。

 対して豚は森に放牧される。森自体が国王または領主の私有するものだったから、森の共有地には放牧料を支払う必要があった。広葉樹のブナが生い茂る森は、領主や富農の子弟からなる森番の管理下にあり、何をするにも許可が必要だったという。森に造られた猟園での遊興の記録を頼りに管理されていなかったといわれることがあるが、定期的に枝打ちや抜根が行われたようだ。枝は5月頃によく伸びるからその時期の賦役だろう。

 聖アンドレの日にはお菓子税を支払い、その代わりに子供たちは砂糖菓子を貰った。


 12月に入ると、仕事場は屋内に移る。日々の放牧でドングリを食べて肥えた豚はときどきベーコンになったが、農民はあまり食べていない。

 教会に招かれた托鉢修道士の教訓的な説教は、この時期に町や村で人を集めていた。ありがたい話に聞き入っていたのか、暇つぶしなのかはともかく。

 ただ賦役の義務はアドヴェントの期間にも存在していた。家畜が逃げないように領主所有の放牧地の囲いを作る仕事もその一つだが、必要があれば賦役は領主の意向に応じて追加される。しかし中世盛期には金銭で代替されるようになり始めていて、土地を持たない貧農が賦役の僅かな対価を受け取る為に働いていた。


 中産農家ならば8月に収穫された春麦の大麦や燕麦を食用と飲用に利用できた。食べ物としてはバーレイミールかオートミールとなる。パンにするには専用のパン窯が無いと作れないが、専門業者や一部の裕福な家庭を除いて農村の一般家庭にはパン窯は無い。燕麦は普通は飼料だが、貧農は家畜と同じものを食べる。

 他にも自分の土地に菜園を作ることがある。庶民にとっての野菜はパースニップとキャベツ、玉葱、西洋ネギなどで、いずれも冬野菜だったから良くポタージュに加えられただろう。豆類は春から夏に出来るから乾燥させて保存していた。

 またそのほかに森の中にはきのこやハーブがあったが、勝手に取ったら罰せられた。



 川沿いや海沿いならばもっと選択肢は多かった。特にアドヴェントの時期には。

 この時期には肉や卵、乳製品を食べることが教会で禁じられ、中世の人々はその代わりに魚を食べていた。庶民の魚は大抵ニシンとタラ。他に川魚のパーチ。ウナギも食べる。ニシンのイギリス海峡回遊時期が秋だから、四旬節のときよりはよい鮮度のを食べることが出来たが、中世の人々にとって新鮮な魚は味というよりも因習的な意味であまり好意的に捉えられなかった。いずれも保存のために塩漬けか干物、ときには酢漬けになって樽に詰められる。


 川や沿岸を利用する権利は、毎年領主への使用料を支払うことで得られた。対価は金銭及び獲物からなる。ときには占有権すらも与えられた。

 漁師は古くからの延縄と釣竿、梁や槍のほか、11世紀頃からは細長い網を利用して魚を得ていた。利用される船は次第に大型化し、7mくらいの小舟がそのうち20mを超える。14世紀には船団で漁をするようになるが、農民が魚を食べる頻度自体は中世盛期から末期まであまり変わらなかった。まだ底引き網漁は無かったから乱獲があったとしても不漁が続くことは無かったし、漁師たちにしても農民で耕地を持っていた。川魚の方は魚の小型化や、海産資源のための外洋進出という形で影響があったようだが。


 人口成長は14世紀に停滞する。だからこそ漁師たちは、よりよい売り上げの期待できるアドヴェントや四旬節を見越して漁をする。有力ギルドの主宰する船団による活動は広範な海域に及び、大抵月を跨いで帰港した。10月に出航し、11月中の帰港の後、獲物は売り時まで港の倉庫に塩漬けで保管される。

 アドヴェントが近づくと各地の魚市場に卸されて、その後に人々が買い求めた。腐っていないかどうか監査するシステムは一応有った。



 都市では聖人の祝日は所謂普通の祝日で、休みかどうか、そして有休かどうかはギルドや時代によって異なる。10月25日は靴屋の聖人クリスピヌスの祝日で、この日靴屋は何処も店を閉じていた。ただ仕事は休みだとしても共同体の成員として年間行事に参加する必要があった。


 11月11日の聖マルティヌスの日、労働者は雇用契約を更新した。ただし給与は大抵週給で支払われる。

 季節に影響を受ける業種は少なからずある。秋から冬にかけて魚屋以外にも葡萄酒売り、薪売り、炭売りなど。

 10月に農村または都市の郊外で収穫された葡萄は、11月にはワインになり、聖マルティヌス祭で飲まれる。中世においてワインは新鮮である方が良いとされた。キリストの身体はパンと葡萄酒で出来ているので、アドヴェントの時期でも飲酒は問題無い。イングランドでは13世紀に政治的事情と共にガスコーニュとの交易が盛んになってから、ワインや似たような果実酒は都市部のタヴァーンで広く提供されるようになる。つまり影響を受けたのは輸入業者ということになる。勿論、エールも飲まれていたが。

 薪売り屋は、近場の森で得られた材木を薪市場で販売した。泥炭はイングランドで良く採れ、1.5割程度しか残っていなかったイングランドの森林資源の代用となる。いずれも使用料を払って王室や領主の土地から資材を得た。そして彼ら小売商たちは、資材を有効利用しようとした都市近郊のさほど貧困でない農民たちだった。

 建築土木業は冬場の労働を禁止されることがあった。そうでなくても中世の労働は夜明けから日の入りまでだったから、昼の短い冬は大して働けなかった。欧州は偉度の関係でこの国よりも日照時間の差が大きい。例えばロンドンでは夏至には16時間超の日照時間が有り、冬至にはそれが8時間になる。労働時間も同様に短くなり、一日分の労賃は3/4から2/3程度になった。


 アドヴェントの時期に禁じられていたのは食べ物だけではなくて、宴会や催し物に慰安旅行、そして子作りも禁じられている。

 節制を強いられた市民は、禁欲生活への不満を溜め込み、多様な調理法は比較的高い地位の人々に従事したコックたちによって開発される。

 生魚は大鍋で煮物になり、卵を使わない凝った揚げ物になり、或いはフライパンとか焼き串、焼き網を使って様々な焼き方を施されたが、塩漬けまたは燻製にしんは大体そのまま食べた。


 アドヴェントに入ると、魚は勿論莫大な需要のために高騰するか、在庫切れになる。貧民は事前に魚が手に入らなければ大麦や胡桃の黒パンに野菜煮込みしかなかった。

 しかし4週間耐え凌げば、祝祭と共に肉は解放される。町に住んでいれば肉は意外と手に届いた。


 その間の祝日は、12月4日の聖バルバラの日、12月6日の聖ニコラウスの日、12月8日の聖母マリア受胎告知日、12月13日の聖ルチアの日、12月21日の聖トマスの日。聖人は地域によって祝ったり祝わなかったりするが、金塊を取り出したり借金を帳消しにする伝承を持つ大衆の聖人ニコラウスはフランスからドイツかけて広く親しまれていた。


 12月24日、クリスマスイヴの深夜には教会でミサが行われる。イヴ自体は祝日ではないが、祝日の前日にも節制は求められていた。

 このとき悪魔を払うために教会の鐘が鳴らされる。誕生の日を再現するための劇の準備は済み、祝祭の宴の準備もまた整えられた。

 そして朝日を迎えたときから、長い祝祭が始まる。

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