第八話
食堂での騒ぎは爆発的な勢いで全生徒に知れ渡ることになった。
ミレア・スカーレットの推薦を得て転入してきた世界最強の弟子と、十皇家の一つであるオル・エヴァンスの衝突。
ただでさえ噂の転入生で沸き立っているところに大きなネームバリューのある二つがぶつかったとなれば当然の結果だろう。
「やっちゃいましたねアルクさん。注目の的じゃないですか」
「……あんた、元気になるの早すぎないか?」
現在、俺は医務室にいる。
ベッドには包帯だらけになったシノーラが、しかし相変わらずの軽口とジト目で俺をからかうようなことを言ってきた。
「アルクさんのおかげですよ。助けてくださってありがとうございました」
「あれで助けないほうがおかしいんだよ」
頬杖をつきながら俺は嘆息する。
「あははは、しょうがないじゃないですか。相手はオル・エヴァンスなんですよ? 逆らったりしたらどうなるのか、みんなわかってるんです。だったら私を見捨てるのが利口な選択なんです」
「俺はそれが気に入らねぇんだよ」
「みんなアルクさんみたいに強くないんですから、あんまり無理言っちゃだめですよぉ」
シノーラの言葉に苛立ちを覚えたが、その言い分も理解できないわけではない。
彼らはオル・エヴァンスより地位の低い家の人間たちだ。オル・エヴァンスの権力をもってすれば、彼らの家族もろとも追放するのも容易だろう。
それにオル・エヴァンスの血筋を引いているだけあってシズキの実力もそれなりだ。
戦っても返り討ちに遭い、追放されかねないとなれば、シノーラへの暴行を見ないフリをするのが賢い選択なのだろう。
「……シノーラ」
「はい? なんですか?」
俺が真っ直ぐに見つめれば、シノーラは首をこてんと傾げた。
まるで、このくらいの仕打ちは受け慣れていると言うような態度だ。
「あんなこといつもやられてるのか?」
俺は聞かずにはいられない。
シノーラは目を伏せると、窓の外へと視線を逸らした。
「いつも、ではないですけどね」
「……そうか」
どう見ても嘘だ。
さっきのシズキの様子からしてシノーラに暴行を加えた回数は一度や二度ではあるまい。おそらく何度もシノーラに怪我を負わせているはずだ。
「私に友達がいないのって、このせいなんですよねぇ」
「…………」
「オル・エヴァンスの人間に目をつけられている私に、誰も近づきたいと思いませんから」
そう言ってシノーラは自嘲気味に笑った。
「ですからアルクさんが友達になってくれるって言ってくれて、すごく嬉しかったです。ありがとうございます」
「あんたがぼっちそうだったんでこっちが悲しくなったんだよ」
「誰がぼっちですか!?」
「またかよっ!? あ、あんた怪我人なんだから大人しくしやがれッ!!」
慌てて閃いた指を掴めば、眼球のわずか数ミリ手前のギリギリの位置に指先があった。
こ、こいつ、俺が防がなかったらほんとうに目が潰れてたぞ。
俺はシノーラを力任せにベッドに寝かせる。
「あんた何やったらあいつに目をつけられるんだ?」
「さあ? どうしてなんでしょうねぇ。あれじゃないですか? 好きな子には意地悪したくなるっていう」
「ふざけんな。真面目に答えろ」
「では黙秘します」
俺は髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて唸る。
シノーラに心当たりはあるようだが、話したくないというのでは打つ手がない。
「それよりどうするんですか? 完全に目をつけられてしまいましたよ?」
「どうもこうもねぇよ。来るなら叩き潰すだけだ」
魔術教典の強奪にはオル・エヴァンスの人間が関わっている。
ヒビキやヒズキには内密にということから、少なくともこの二人は白なのだろう。
けれどシズキはその限りではない。可能性はかなり低いものの、奴も関わっていること自体は否定できない。
だから今回の騒動は都合がよかった。
「大丈夫なんですかぁ? アルクさん、魔術が使えなむぐっ!?」
「しっ! あんまでかい声で言うんじゃねぇよッ」
シノーラの口を慌てて塞ぐと、カーテンの隙間から医務室を見渡す。
幸いにも養護教諭は退室していたようで、部屋には誰もいなかった。
俺は安堵の息をついてシノーラを睨める。
「あははは、そこまで慌てなくてもいいじゃないですか」
「あのな……」
魔術が使えない人間がどういう扱いを受けるか知らないから楽観的なことが言えるのだ。
オル・エヴァンスは過剰すぎるものの、どこにだって差別はある。
俺が魔術師として『欠陥品』だと知ってなお、偏見を持たずに接してくれるミレアやシノーラが特別なのだ。
「戦い方は一つじゃねぇんだ。魔術の有無だけで勝敗が決まるわけじゃねぇよ」
「ですねぇ。さっきのアルクさんは見事でした」
「……心配してるのかしてないのかどっちなんだ」
「もちろんしてますよ。お友達ですから」
もはや口癖のように出てくる単語に俺は肩を落とす。
「じゃあそろそろ帰るか」
「え?」
立ち上がった俺をシノーラは不思議そうに見つめてくる。
「いつまでも医務室にいるわけにもいかねぇだろ? あんたは怪我人の上に、あいつらに何をされてもおかしくないんだ。寮まで送るよ」
「お、おお! お友達っぽいですねアルクさん!」
急に元気になったシノーラは、ベッドから跳ね起きると帰り支度を始める。
こいつは今さら何を言っているのやら。
◆
「あ……」
医務室を出ると、扉の近くにユミルとヤシロが立っていた。
いつから待っていたのか。俺たちに気づいたユミルは、目が瞬間に逸らしてしまった。
「待っててくれたのか?」
「う、うん」
ユミルは俯いたままぎこちなく返事をしてくる。
「では私はお先にいだだだだアルクさん痛いですよ!?」
「あんたも一緒に帰るんだよ」
さらっと一人で去ろうとするシノーラの腕をがっしり掴むとちょうど怪我しているところだったらしく、珍しく涙目で抗議してきた。
「え、えーと、アルクさんはお二人と帰るんじゃないんですか?」
いつになく気遣うような態度のシノーラ。視線の先を追ってみると、ユミルとヤシロを見ているようだった。
「帰り道同じなんだから一緒でいいだろ。ユミルもそれでいいか?」
「え、あ……う、うん。わたしは構わないわ」
「だとよ」
シノーラは何かを訴えるような目で俺を見据えてくる。彼女が言いたいことはわかっている。自分と一緒にいることで、ユミルやヤシロに迷惑がかかると思っているのだろう。
だというのなら俺といることでも同じことが言える。
むしろしばらくはシズキの矛先は俺にだけ向けられるはずだ。
シノーラと一緒にいようがいまいが関係ない。俺が彼女たちとつるんでいる時点でシノーラが危惧する事態はすでに起こりうるのだから。
そうしてしばらく視線を交錯させていると、やがてシノーラが「……わかりました」と渋々折れてくれた。
◆
寮までの決して長くはない道のり。
俺としては初めての下校。
その道中には三人の学友が並んでいる。
三人とは一日で構築したにしては良好な関係を築けたと思っていたのだが、俺たちの間には耐え難い沈黙が渦巻いていた。
予想してこととはいえかなりキツイ……!
この空気を作り出しているのは主に俺とヤシロの間に挟まれた二人の女子である。
シノーラとユミル。
初対面だから緊張しているというわけではないだろう。この二人は社交性の塊みたいなものだし、実際に俺と会ったときは話がかなり弾んだ。
このままだと寮に着いてしまう。どうにか話を切り出さなければ――。
俺がそう考えていると、ユミルがシノーラの一歩前に立ち塞がった。
「シノーラさん、だったわよね?」
「は、はい」
緊張ぎみにシノーラは頷く。
ユミルも俯きながら、何かを決意するように深呼吸を繰り返している。
俺とヤシロの男性陣はそれを見守るしかない。心臓に悪い。
やがて意を決したユミルが、シノーラに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「え、ええ? な、何のことですか? さっきのことでしたら、気にしなくても……」
戸惑いながらシノーラが言う。
「ユミルさんが彼と関わりたくないと思うのはしょうがないですよ。スコット・レイド家も大きな貴族ですし、オル・エヴァンスとの関係を崩したくないでしょうから」
「そうじゃないの!」
「えぇ!? そ、そうなんですか?」
シノーラが怯えたように肩を震わせた。
それに気づいたユミルはハッとした様子で「ごめんなさい」ともう一度頭を下げた。
「オル・エヴァンスとか、家柄とか関係なく、わたしはあなたを助けようとしなかった。わたしじゃ、あの男には勝てないって、最初から助ける気さえ起こしてなかった」
「……それこそしょうがないんじゃないですか? 彼は学院でも屈指の実力者ですし、ユミルさんが動けなかったのは無理もありません」
医務室でも言っていたことをシノーラは繰り返す。
「大丈夫ですよぉ。私にはアルクさんがいますから!」
そう言って同意を求めてくるシノーラ。
ユミルを励まそうとしているのだろう。
しかしユミルは首を左右に振る。
「わたしは、そのアルクのことも止めようとしたのよ」
ユミルは懺悔するように、一つ一つ言葉を絞り出す。
「わたしは自分の保身のためだけに、アルクのことも止めたのよ。アルクがあの場で出て行ったら、わたしにもオル・エヴァンスの矛先が向くんじゃないかって怖くなった」
「だ、だからしょうがないんですってば。ユミルさんのお気持ちはわかりますから。あ、アルクさんからも言ってあげてくださいっ」
焦りに焦ったシノーラが俺に助けを求めてくる。
しかし俺は無言を貫く。これはユミルの問題だ。俺が口を挟むことではない。
俺の助けはないと悟ったシノーラは、弱々しく呻きながらユミルに向き直った。
「え、と……たしかにユミルさんは助けてくれなかったかもしれませんけど、私だって助けを求めませんでした。あのときは、手を差し伸べてくれたアルクさんだけが、皆さんと違う立場にあったというだけなんですから」
「だけど! それじゃ……」
「いいんですよ。これは私の過失でもあるんですから」
あくまでも自分が悪く、ユミルが正しいと言い切る。
「ですがそれで納得できないというのでしたら、その……」
ちらりとこちらを見たシノーラは、こっそりと俺の制服の裾を握ってきた。
そして緊張した面持ちでひと呼吸挟むと、か細い声で呟いた。
「私のお友達に、なってくれませんか……?」
ぎゅっと裾を握る手が強くなる。
不安なのだろう。今までシズキと関係していたせいで周りから敬遠されていたシノーラが自分から一歩を踏み出したのだ。不安なわけがない。
対してユミルといえば信じられないとばかりに目を見開き、そして表情を一気に明るくしてシノーラの手を握ってきた。
「もちろんよ! こんなわたしでよかったら、お友達にしてちょうだい!」
「あ……は、はい!」
転瞬してシノーラも表情を明るくすると、俺に抱きついてきた。
「アルクさんアルクさん! お友達ができました!」
「わ、わかってるから離れろ! いろいろとあたってるから!」
小さくとも女の子なのだと思わせる柔らかな膨らみが俺の腹部に押し付けられる。
しかし喜びのあまりシノーラは全然気づいていない。歓喜をあますことなく表現し、満面の笑みを浮かべている。
「そ、そうだ。ヤシロさん、ヤシロさんも私とお友達に……」
「おう! お嬢のダチはおれのダチだ!」
「やりました! アルクさん、私、一気に二人もお友達ができました!」
怪我人ということも忘れて小躍りを始めたシノーラだったが、騒ぎすぎて怪我に響いたのだろう。丸まるように蹲ってしまった。
俺たちがぎょっとして駆け寄るが、苦しそうにしつつも嬉しそうにしている。
「アルクさん、私すごく嬉しいです!」
「よかったな。ほら、さっさと寮に帰るぞ怪我人」
「はい♪」
どこまでも嬉しそうにするシノーラに俺も頬がほころぶ。
「せっかくだから今日はわたしの部屋に招待するわ」
「そ、それはヤバくないか? なあ?」
ヤシロにも同意を求めるも、首を左右に振って悟ったような顔をしている。
「お、おい、ほんとうに行くのか? 俺、転入初日で罰則とか勘弁してほしいんだが……」
「行きましょうアルクさん! お友達のお誘いは大事にするべきですから!」
じりじりと迫ってくるシノーラとユミルに俺は戦慄する。
ヤシロは諦めの境地に達しているらしく、すでに抗うつもりはないらしかった。
「ま、待ってくれ。ユミルはともかく逆はヤバイって……!」
俺は手を前に突き出しつつ逃げの姿勢を作る。
しかし、
「問答――」
ユミルが左腕を、
「――無用です!」
シノーラが右腕を拘束してくる。
だめだこりゃ。逃げられない。
俺は引き摺られるようにして女子寮に引き込まれるのだった。
ただ結果だけ言うのなら、世界最強の弟子の肩書きとシズキを倒した俺は追い返されることなく、むしろ女子たちに歓迎された。
そして学院にいるときにされなかった質問攻めに遭うのだった。