第七話
どこかで見たことがあると思えば、オル・エヴァンスだったのか。
オル・エヴァンスは本家と複数の分家とがある。俺は本家の人間だった。にも関わらず魔術を使えないものだから、余計に迫害されるはめになった。
あの男のことは分家で見たことがある。
シズキ=オル・エヴァンス。
俺たちの親――俺の元親の弟の息子だったはずだ。
そこまで思考し、行動を終えるまでわずかに○、二秒。
「ハハハハハハッ!! 何がオル・エヴァンスだよ」
「なっ……!?」
いきなり半狂乱する男が自分の蹴りを防いでいたら、驚くのも無理はないだろう。
シズキは弾かれたように後退し、警戒心を全開に俺を睨んでくる。
「誰だ貴様はッ!! オル・エヴァンス家を愚弄するつもりか!?」
「して悪いのか?」
あっさりと言ってやれば、シズキは一瞬何を言われたのか理解できなさそうにした。
「こいつが何をしたかは知らないが、無抵抗な相手を攻撃するのがオル・エヴァンスのやり方なんだろ? だったら愚弄するしかねぇだろ」
「貴様ァ……!!」
シズキは怒りからか顔を真っ赤にする。
「おいおいふざけんなって。あんたが怒りを感じるのはおかしいだろう。俺はただ事実を言っただけじゃねぇか。それを指摘されて顔真っ赤にするほど怒るってそりゃあ――」
「黙れ平民風情がッ!! オル・エヴァンスに――僕に楯突いてどうなるか、わかってるんだろうな!?」
「なんだ。殺すのか?」
師匠から教わった威嚇術。感情を殺し、穏やかに最悪の結果を先読みして告げる。
そうすることでこちらは恐怖など欠片もないと言外に伝えられ、相手は臆してしまうのだそうだ。
教わった通りに実行すると、シズキは萎縮したように後じさりした。
俺は鼻を鳴らしながらシズキを視界から外し、シノーラを抱き起こす。
「しっかりしろ。すぐに医務室に連れて行ってやる」
「あは、はは……すみ、ません、アルクさん……」
「無理に喋んなくていい。あんたが自分で思ってるより重症なんだぞ?」
よく診察したわけではないが、少なくとも複数の骨折と重度の火傷が確認できた。
骨折は治癒魔術で治せる。しかし火傷は痛みはなくせても痕までは消せないのだ。
俺はシノーラを背負い、その場を去ろうとして――後頭部に迫ってきた威圧感に、彼女を支えているのとは逆の腕で防御を行う。直後に体幹を揺るがすほどの衝撃が右腕を介して全身に伝わってきた。
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ。殺すのかって言ったか? ああ、ぶっ殺してやるよ」
蹴りをガードした先にいたのは、シズキの取り巻きの一人だった。
おそらく自慢の裂脚だったのだろう。俺が腕を動かすだけで防いだことに、ひどい不快感を抱いているようだった。
それにしてもこいつ、あっさりと殺すって言い切ったな――。
「できないことは安易に口にしないほうがいい」
「がっ……!」
伸びきった足に腕を絡め、一瞬の隙を突いて男の体をぐるりと回転させる。うつ伏せの姿勢で床に叩きつけられ、痛みに短く悲鳴を上げた。
周囲でざわめきが起こる。
こんなもの大した技術ではない。運動量の方向をこちらで逸らしてやり、わずかにバランスを崩したところで捻り上げるだけだ。これが手練の蹴りであれば、そもそも蹴り足が伸びきったままの自分が不利になる体勢でい続けたりしない。
この男の蹴りに自信を持っていた。一撃で仕留めるつもりだったのだろう。だが、それが致命的な隙となった。
この程度の蹴りであれば、息をするように浴びせられてきた。よそ見してても対応することなど造作もない。
「一人を倒した程度でいい気になるな!! やれ貴様らッ!!」
シズキの命令を受けて取り巻き連中が攻撃を仕掛けてくる。
人数は五人。グラスティア学院ではすでに戦闘実技の授業を行っているらしく、一斉になどというミスはしない。彼らの間だけで通じる合図で連携を取っているようだ。
……こいつら、数の暴力になれてやがる。
躊躇なく誰かを傷つけようとしている時点でこういった行為を何度も繰り返しているか、性根が腐っているのは明らかだ。
「いいぜ、かかってこいよ。文句があるならいくらでも相手になってやるッ」
俺が吠えれば、最初の一人が間合いに飛び込んでくる。
「さっさと死ねやッ!!」
「あんたが死ね」
鋭くしなる男の肘先。俺は冷たく告げ、左からの一撃を内側から外側に弾く。肉を打つ音が食堂に響き、体勢を崩した男の顎を右足で蹴り抜く。骨の砕ける感触が爪先から伝わってくる。
少しやりすぎたか――と脳裏に霞めたが、こいつらはシノーラにそれ以上の仕打ちをしてきたのだ。治癒魔術で治る程度の怪我など怪我のうちに入るまい。
白目を剥き、床に傾いていく男の制服の襟首を掴み、足を払って宙に浮かせる。シノーラを抱えたままでは、これくらいの体術しか使えないか。腕一本で体格差の大きい男を背中から前方に向けて投げ飛ばす。
「なにッ!?」
攻撃に移ろうとしていた二人目が、吹き飛んできた一人目に驚きの声を上げた。攻撃動作に入っていた二人目は躱すことも受け止めることもできず、顔面に一人目の頭部が勢いよく衝突。鼻を陥没させ、仰向けに重なるように倒れ込んだ。
これで二人。
俺は残る三人とシズキに目を向ける。
「どうした? もう終わりか?」
「く……嘗めるなッ!! 貴様ら遠慮はいらない。魔術であの無礼者を塵にしてしまえッ!!」
シズキの命令で動揺していた三人が揃って詠唱を始めようとする。
手馴れてると思ったが、魔術のほうはそうでもないらしい。
魔術は強力である反面、詠唱という隙になる時間が必要となる。体内の魔力を活性化、術式として構築するには反復練習が必須であり、鍛錬が足りていない魔術師はどうしても立ち止まっての詠唱になってしまう。
手練であればあるほど戦闘術に詠唱を織り交ぜ、遅滞のない連続攻撃を再現する。
相手の領域内で隙だらけの詠唱を、しかも三人もいるのに同時に行うなんて愚の骨頂だ。
ただ、俺もシノーラを抱えているため派手な立ち回りは控えるべきだ。
――となると、あれを使っておくべきか。
「Re:cord‐No.16『Fire Ball』ッ!!」
人間の頭部大の炎の塊が俺たちに射出される。それも三つ。食堂の焦げ跡といいこいつらは炎系統の魔術しか使えないのか。炎系統は一番使いやすいとはいえ、殺すつもりなら上級くらいは持ってこいよ。
周囲の生徒たちから悲鳴が上がる。
ユミルとヤシロも、これ以上は我慢できないと魔術を発動しようとしている。
だが間に合うまい。初級は威力が低い代わりに速度がずば抜けている。この近距離で後出しでは発動できたころには俺とシノーラは丸焦げだ。
俺はシノーラを右腕に抱え直し、左手を前に突き出す。
「――消え失せろ」
視界が一瞬だけいくつもに分断された錯覚と共に、三つの火炎弾が消滅した。
相殺したわけではない。あったという痕跡も残さず、魔術が発動された事実が最初からなかったかのように、世界から葬り去られたのだ。
目の前の三人は何が起こったのか理解できない。そう言わんばかりに魔術を発動した姿勢のまま硬直している。――隙だらけだ。
転がっている椅子を一つ掴み、中央の取り巻きに投擲する。遅れて反応するも、すでに眼前まで迫っていた椅子を躱せず顔面に直撃を喰らった。
これで三人を倒し、残る二人も完全に怖気づいていた。
「貴様、何をした……ッ!?」
「そんなの自分で考えろよ。あのオル・エヴァンスなんだろう?」
むしろオル・エヴァンスだからこそ、俺が何をやったのかわかるはずだ。
シズキが知っているとは思えないけどさ。
「くそ、どこまでも嘗めた口を……ッ!!」
「あんたも口だけだな。下僕に命令ばっかりしてないで、あんたが俺と戦ったらどうだ?」
人差し指をクイクイと動かしてシズキを挑発する。
シズキのこめかみに青筋が浮かび上がった。
「いいだろう。僕が手ずから貴様を排除してやるッ」
「殺すから排除になったぞ? まさか怖気づいたか?」
「黙れッ!!」
駆け引きも読み合いもない、相手が各下だと見下した愚直な直進。シノーラを抱えている俺が片手だけを主軸にしているのを、先の攻防で見切ったのだろう。それくらいはしてもらわないと俺としても困るが、それにしてもこの突進にはがっかりだ。
シズキの右足が俺の領域に侵入する。
それだけで決着はついた。
次に左足が踏み込まれる前に右足を払う。シズキは驚愕の間に体勢を立て直すこともできず、肩から床に倒れていく。
俺は機械的に観察しつつ、片手で全体重を支えて足裏を天井に見せるよう体を逆転。あとはシズキに向けて踵を振り落とすだけ。
瞬間的に恐怖に彩られたシズキ。
俺は力の限りに踵を打ち付けた。
床と踵に板挟みにされ、衝撃を逃せなかったシズキは口から絶叫を迸らせた。あまりの激痛に蹲ることもできず、苦しげに呻いている。
しかし狙いが甘かった。シノーラを抱えていたから、などと言い訳はしたくないが、骨の二、三本はへし折ってやるつもりだったのに、あれでは打ち身程度でしかないだろう。
「……まあ、いいか」
ほんとうに復讐したいのはシズキではない。
俺の元姉であるヒズキ=オル・エヴァンスただ一人だ。
こいつに恨みをぶつけても意味がない。
シノーラを背負い直し、医務室に行こうとして――ふと思い出した。
……そうだ。そういえば。
俺は床に倒れ伏すシズキに向き直る。
「まだ名乗ってなかったな。転入生のアルク・ランセルだ。いい学院生活が送れそうで、今から楽しみだよ。これからよろしく、シズキ=オル・エヴァンス」
憎悪の篭った目で睨んでいたシズキは、俺の名前を聞いて表情をさらに険しくした。
アルク、という名前に反応したのだろう。
シズキは俺がまだ本家にいたころにも同じようなことをしていた。それを俺とヒズキの二人でやめさせ、シズキを懲らしめたのだ。
プライドを傷つけられたところに追い打ちで昔の忌々しい記憶を呼び覚まされて、相乗効果で怒りと憎悪が倍増したのだろう。
しかし束の間。
シズキは小さく体を痙攣させ、がくりと力なく沈んだ。