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魔術学院の虚無使い  作者: 牡牛 ヤマメ
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第五話

 

 朝になった。

 食わされたケーキのせいでろくに眠れなかった。

 胃が痛い。


 カーテンの隙間から差し込む光から逃げるように寝返りを打つ。

 見慣れない部屋に一瞬自分がどこにいるかわからなくなったが、昨日グラスティア魔術学院に到着したのを思い出した。


 シノーラとかユミルとかヤシロとか。ここで出会った奴らの印象があまりにも強すぎてすっかり忘れていた。

 手狭な部屋に備え付けのベッド。手頃な棚が部屋の片隅に置かれ、壁には楕円形の安っぽい時計が掛けられている。

 すでに時刻は起きる時間帯を示しており、今寝たら遅刻は確実だろう。

 呻き声のような声を出しながらベッドから降りる。

 俺は昨日のうちに支給されていた制服に袖を通し、洗面所で身支度を整える。


「……どうにかなんねぇかな、これ」


 鏡に映った不機嫌面の男と睨めっこする。

 寝不足のせいで目の下にできた隈が人相の悪さにより拍車をかけていた。

 溜息を吐き出して俺は部屋に戻り、同じく支給されていた鞄に必要な物だけを突っ込んで登校の準備を済ませる。

 転入初日なのだから、挨拶しないわけにはいくまい。

 あくびを噛み殺しながら部屋を出た。


          ◆


 職員室の場所だけはミレアに事前に教えてもらっていた。

 本校舎二階の階段付近。

 朝一のため生徒たちと遭遇することなく職員室に到着した俺は「失礼します」となるべくなかにいる職員たちに聞こえるように言う。


「――んあ? おお、お前さんか。こんな朝っぱらからお疲れさん」


 しかし、いたのは俺に声をかけてくれた男性職員だけだった。


「誰もいないんですか?」

「そりゃあな。ほかの先生たちは授業の準備に取り掛かり中だ」


 煙管(キセル)を咥えた男性職員は、気怠そうな雰囲気を醸し出しながらこちらに向き直る。

 なんというか、ぱっと見冴えない教師だった。髪は伸び放題でぼさぼさになっており、前髪など目を完全に覆い隠していた。格好も着物に羽織りと、とてもではないが教師以前に魔術師にも見えない。

 ただし、座っているだけで彼の実力のほどが窺い知れた。

 名門なだけあって、雇っている教師も相当の実力者が揃っているようだ。


「俺はお前さんを待ってたんだ」

「先生は準備しなくてもよかったんですか?」


 言いつつ手元にある明らかに授業とは関係ない物々を見る。


「うちのクラスは優秀なもんでな。そんで、お前さんもその一人になるわけだが」


 コン、と煙管の灰を落としながら、


「俺はシンメイ・スメラギ。お前さんの担任だ」

「アルク・ランセル。よろしくです。……あんまり驚かないんですね」


 俺自体にそこまで価値はないにしろ、世界最強の弟子という肩書きには多少なりと反応してもよさそうな気がする。


「今さら驚くことでもあるめぇさ。俺はランセルとは同期だからな」

「マジですか!?」


 俺のほうが驚かされてしまった。

 まさかの師匠と同い年かよ。もっと年上かと思った。


「あれ? てことは……」

「私とも同期なんです」


 シンメイの背後から銀髪を二つに結った少女が現れた。

 訂正。少女ではなく女性だった。

 ミレアである。


「おはようございます。ちゃんと遅れずに来ましたね」

「昨日は寝てねぇからな……」


 俺がげっそりとしながら呻けば、ミレアは頭上に疑問符をいくつも浮かべていた。


「もう聞いたみたいですけど、アルクにはシン君のクラスに配属してもらいます。彼には事情をある程度説明してありますので、困ったことがあったら頼ってください。こう見えても意外と頼りになりますので」

「おいおい、俺ほど心強い担任はいねぇだろ。意外とか言うな」

「サボり常習犯のシン君には言われても説得力はありません」


 どこからどう見ても三十代のシンメイと、明らかに俺より歳下の容姿のミレア。これを同期だと言われて信じるのは正直に言って無理だ。

 だが親しげにする二人を見ていると、ほんとうに同期なのだなと改めて実感させられた。


「にしてもお前さんも大変だな。セメルベルクからはるばると」

「……まあ」


 不意に話を振られそっけない口調になってしまう。

 しかしシンメイは気にした様子もなく煙をふかす。


「今やお前さんの噂で持ちきりだ。血気盛んな奴らが突っかかってくることもあるかもしれねぇが、なるべく面倒事は起こさないでくれよ? 俺の給料が減るから」


 実にかったるそうに言うシンメイ。

 ミレアが言うのだから信じたくはあるが、この男がほんとうに頼りになるのか疑わしい。

 そんなことを思っていると、シンメイと目が合った。

 死んだ魚のような濁った瞳。覇気の欠片のないダメ人間そのものだ。

 しかしその奥には、師匠たちにも見た強大な何かが渦巻いていた。


 ……訂正しよう。

 この人、かなり頼りになるかもしれない。


          ◆


 それからしばらく三人で師匠たちの学生時代の話に花を咲かせていた。

 どうやら師匠の常識外れっぷりは昔からだったらしい。それによく巻き込まれていたシンメイは、語るたびにやつれていくようで苦笑いするしかなかった。

 彼が老けて見えるのは師匠のせいだろう。間違いない。


 そして現在、俺はシンメイが担任をする教室の前に来ていた。

 なかから大勢の生徒が騒ぐ声が聞こえてくる。


「そんじゃ、俺が呼んだら入ってきてくれ」

「わかりました」


 シンメイは頷くと、扉を開けてなかに入っていく。

 扉が閉じられる前にちらりと教室を覗けば、こちらをジッと凝視していたユミルと視線がぶつかった。さらに耳を澄ましてみればヤシロと思わしき騒がしい声まで聞こえる。

 どうやらユミルとヤシロと同じクラスらしい。

 周りが知らない連中だらけより、少しは面識のある相手がいてくれたほうが気持ち的には幾分か楽になるだろう。


「……そういや、シノーラってどこのクラスなんだ?」


 同学年ではあるのだろうが、そういえば聞いてなかったな。

 友達を架空の存在と思っていたくらいだし、クラスでもさぞ浮いていることだろう。

 ……悲しくなってくるな。


「おーい、入ってきていいぞ」


 勢いを増した喧騒を掻き分けて届いたシンメイの声に「おしっ」と独り言を呟いて気合いを入れ、目の前の扉を開いた。


 その途端一斉に突き刺さってくる好奇心と悪意の視線。


 おもわずたじろぎ、踏み出すのを躊躇ってしまった。

 世界最強の弟子の肩書きは思ったよりも注目されているようだ。ユミルやヤシロは比較的に控えめな反応だったのか。

 ユミルは俺がアルク=オル・エヴァンスではないかと疑っていたため、世界最強の弟子の肩書きには目もくれていなかった。

 ヤシロはあれだ。脳まで筋肉だからだ。もしくはスイーツだな。

 俺は浅く深呼吸して教卓まで移動すると教室を見渡す。


「……ああ、なるほど」


 シンメイにも聞こえないほどの声で呟く。

 職員室で言われたことをようやく理解した。

 たしかにいるな。突っかかってきそうな血の気の多そうな奴らが。揃って貴族連中だ。


「セメルベルクからやってきましたアルク・ランセルです。どうぞよろしくお願いします」


 そう言って全力の作り笑いを顔に貼り付けて威嚇しておく。

 何故かユミルが大爆笑していた。……どうせ俺の笑顔は爆笑もんですよチクショウ。


「もう知ってるとは思うが、こいつは世界最強の魔術師、フィオナ・ランセルの弟子だ。とはいえ、ここに通う以上は生徒であることには違いない。贔屓目で見ることなく、仲良くしてやってくれ」

「おう! もちろんだぜシンメイ先生!」


 ヤシロが声を張り上げ、俺に親指を立てて同意を求めてくる。

 とりあえず無視しておいた。


「質問がある奴は休憩時間に個人的にやっといてくれ。えー、学院の案内なんだが……」

「わたしに任せてください」

「お、スコット・レイドか。じゃあお前さんに任せるわ」


 挙手したユミルは優雅に一礼する。

 だが俺には見えているぞ。爆笑しすぎだろ。いつまで笑ってんだ。

 その後いくつか連絡事項を述べたシンメイは最後に「授業はサボんなよー」と告げ、クラスのほとんどから「あんたがな!」と総ツッコミをちょうだいし、ボサボサの頭を掻きながら教室から出ていった。

 俺は席を立ち上がったクラスメートたちから群がられる前に、素早くユミルとヤシロの元まで移動する。


「おはようアルク。昨日はよく眠れ……なかったみたいね」

「誰かさんのせいでな」


 そう言って恨みがましくヤシロを睨む。


「だめだぜアルク。しっかり睡眠をとらねぇと筋肉が育たねぇからな!」


 あんたのケーキのせいで寝れなかったんだよ。

 そう思いながらヤシロの脇腹に拳を押し付けると、筋肉筋肉言うだけあって体がよく鍛えられているのがわかった。

 昨日もユミルを背中に乗せながら腕立て伏せしてたし、ずいぶん体を虐めているようだ。


「つか、まさか二人と同じクラスになるなんてな。すごい偶然もあったもんだ」

「そうかしら? わたしは一緒になれるって思ってたけど」


 得意気にするユミルに俺は苦笑する。


「それにしてもさっきの笑顔はなに? おかしすぎてお腹がよじれるかと思ったわ」

「う、うるせぇな。いいだろ別に」


 師匠には「君の笑顔は凶器であり、あるいは狂喜であり、はたまた狂気でもあるね」と言われたことがあるが、どうやら武器としてではなく一発芸としてだったらしい。

 次会ったら絶対にぶっ飛ばす。


「笑うならもっと素敵に笑いなさいよ。ほら、わたしみたいに」


 にこっ、と擬音が聞こえてきそうな完璧な笑みをユミルは瞬時に作る。

 さすが令嬢と言うべきだろう。非の打ち所がない作り笑いだ。


「あなたも真似してみなさい。ほら、にこー」

「に、にこー」


 ユミルを真似て口角を指で上に持ち上げる。

 そして再び大爆笑のユミル。こ、このクソアマが。


「おいテメェ! そんなんがお嬢の笑顔だってのか!?」

「いい加減うぜぇ!!」

「へばぁっ!?」


 掴みかかってきたヤシロに俺はアッパーを繰り出して返り討ちにする。

 顔面に綺麗に一撃が決まり、ヤシロは鼻血を流しながらひっくり返った。


「ヤシロに一撃喰らわせるなんてやるじゃない。さすがランセルってとこかしら?」

「こんなので褒められたって嬉しかねぇよ」


 口笛を吹いて賞賛されても馬鹿にされているようにしか聞こえない。なのでそう返せば、鼻血を流したままのヤシロが手を挙げてきたので顔面を踏みつけて床に押し倒しておいた。

 こいつは学習能力がないのか。

 まさかほんとうに脳が筋肉かスイーツなんじゃないだろうな。


「まったくもう……」


 ユミルは呆れたように溜息をついて、制服のスカートから取り出したハンカチでヤシロの鼻血を拭いてやっていた。

 これではどっちが仕えているのかわからないな。蹴った張本人が言うのもおかしいけど。

 そんなやり取りをしていると、教室にチャイムが鳴り響いた。

 それに伴って初老の男性が扉を開けて教室に入ってくる。


「授業を始めます。席に着いてください」


 見た目同様に柔和な声音で告げると、こちらを見てそわそわとしていた生徒たちが残念そうにして自分の席に戻っていく。

 よほど俺に――というより、世界最強の弟子に質問がしたかったらしい。

 ユミルとヤシロの近くならそれも回避できるだろうと踏んでいたが、今さらだけどこいつらはクラスではどんな扱いなのだろう。




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