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魔術学院の虚無使い  作者: 牡牛 ヤマメ
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エピローグ(第三十話)

 

 戦闘音が聞こえなくなったころ、俺たちはグラスティアの国境に差し掛かっていた。首が痛くなるほど上に傾けなければ全貌を見れないほど巨大な門扉。以前は閉じられていたらしいが、現在ではすっかり使われなくなってしまっていた。


「ここを出たら、グラスティアとはさよならなんですね」

「……やっぱり残りたかったか?」

「え? そんなことないですよぉ。アルクさんとだったらどこにだって行きますよ♪」


 それを聞いて安心した。ちょっと強引に連れてきたから、もしかしたら残りたいのではと不安に思っていたのだ。

 シノーラにしたらユミルとヤシロはやっとできた友達だ。別れの挨拶もせずに、無理に連れ出したせいで嫌に思ってないか気になっていた。

 シノーラはそんな俺の内心を察したのか「大丈夫ですってば」と頬をつついてきた。たしかにこれならば大丈夫だろう。軽快にうざい。


 支えられつつ踏み出そうとして、優しい風が頬を撫でていった。


「――ずいぶんやられたみたいだね、我が弟子」


 そんな声が聞こえたのはその直後。

 俺は弾かれたように振り返り、当然のようにそこにいた女に驚愕に目を剥いた。


「やあ、数日ぶりだね。元気にしてたかな?」

「し、師匠!?」


 世界最強の魔術師――フィオナ・ランセルが呑気に手を振っていた。

 切り揃えたというより、伸ばし放題でほったらかしにしたような無造作に乱れる黒髪。全体的に気怠そうな雰囲気と服装をしており、見てるだけで気が抜けるようだった。

 しかしそれらのマイナスを打ち消し、ありあまるほどの美が師匠にはあった。


 いや、まずそんなことはどうでもいい。


「な、なんでこんなところにいるんですか? あんた、やることがあるからって、俺にグラスティアに行けって言ったのに……」

「ん? だからやることをやったからここにいるの。――ほら」


 そう言って師匠が見せてきたのはやたらと古めかしい三冊の書物と白銀の剣だった。


「これって奪われた魔術教典と魔導器……?」

「そ。イブ・エラークとネメス・クォークが全然動かないから、仕方なく私が動いたんだ」


 師匠が魔術教典で肩を叩きながら言う。

 禁呪を記した魔術教典で肩たたきするのなんて世界広しといえど師匠くらいのものだろう。心臓に悪いからやめてほしい。


「……まあ、あの二つだったらしょうがないんじゃないですかね」


 家名にこだわるオル・エヴァンスと違って、この両家は実力だけに重きを置いている。しかし弱ければ切り捨てるのではなく、強くなるまでひたすらに鍛え上げる方針を掲げている家系だ。そのため家族の同士の結びつきが強く、お互いを自分以上に信じている。そのせいで周りが見えなくなるのが玉に瑕だが。


 禁呪は実際に会得できる人間はほとんどいない。そのため使い物にならない古書が奪われた程度のことにいちいち反応していられない。この二つの十皇家が魔術教典を奪い返さないのはそういった理由だろう。


「でもなんでオル・エヴァンスのまで持ってきてるんですか?」

「あの家に置いててもいいの?」


 そう言われたら反論する言葉がない。


「あ、ああああのアルクさん」

「……なんでそんなに緊張してんだよ」


 袖を引っ張ってきたシノーラがカチコチに固まっていた。


「す、するに決まってるじゃないですか。だ、だだだって、アルクさんの師匠って世界最強の魔術師の……」

「フィオナ・ランセルです。どうぞよろしく」


 いつの間にかすぐ近くまで来ていた師匠がシノーラの手を握る。

 するとシノーラは完全にフリーズしてしまい、微塵も動かなくなってしまった。師匠相手にそこまで緊張することはないと思うのだが、一般的に見たらこれが普通の反応だろう。


「可愛いなぁ。アルクも昔は可愛げがあったのに今じゃすっかり生意気になっちゃって」

「うっせぇよ。悪かったな」

「あれ、拗ねてる? 怒んないでよ。だけどそんなところも可愛いぞ? お義母さん、年甲斐もなくきゅんきゅんしちゃう」


 あんたマジで歳考えろよ。


 おもわず口走りそうになって太股を全力で抓る。

 師匠に歳のことを言うと笑顔でとんでもない修行を課せられるのだ。前は第三級に指定される危険種の群れの中心に放り込まれたのだが、あのときはほんきで死を覚悟した。最後は師匠が一瞬で殲滅して助け出してくれたけど、あれ以来歳のことは口に出すまいと心に誓っていた。

 それなのに言ってしまいそうになったのは確実にシノーラのせいだ。何を言っても冗談の範疇で済ませてくれるからつい甘えてしまうのだ。


「あ、そうだ。レヴィからアルク宛に荷物を預かってたんだ」

「レヴィさんから?」

「そうそう。すっかり忘れるところだった」


 そう言って師匠は包みを投げて寄越す。片手で何とかキャッチすると訝しみつつ包みを開けて、なかに入っていたそれに目を丸くした。

 シルバーフレームの右腕と左脚。レヴィ製の魔導器だ。


「アルクのことだから、どうせ魔導器を壊してるんじゃないかって。予想通りしっかり壊しちゃってるね。持ってきて正解だったよ」


 俺は師匠の話を聞きながら魔導器を接続していく。神経端子が接続される際に電流が走ったような痛みにおもわず喘いでしまう。しっかりと接続すると断面部の魔力流動端子が俺の魔力を吸収し始め、数秒もすると動かせるようになった。

 指を開閉させて軽く腕を振り、左脚だけでその場を何度か跳ねる。

 さすがレヴィだ。微調整をしたわけでもないのに、前の魔導器以上に体に馴染んだ。


「ありがとうございます師匠。助かりました」

「お礼ならレヴィに直接言いなさい。ずっと心配してたのよ? 『私の作品が、私のいないところで壊れられたら困る』って」

「あの人はマジで俺を人間だと思っちゃいねぇな」


 お礼を言うにも言いにくいわ。

 大切にしてくれてるのはありがたいことなんだけど、そのベクトルが作品に対してなんだよなぁ。頼むからせめて人として扱ってくれ。


「それで師匠はこれからどうするんですか? 俺たちセメルベルクに戻ろうかと思うんですけど、よかったら師匠も一緒に――」

「ああ、そのことだけどさ」


 師匠は軽い調子で言葉を挟み込み、


「アルクにはもうしばらくグラスティア魔術学院に通ってもらうから」

「はぁ!? なんでですかッ!!」


 予想外すぎる言葉に俺は絶叫した。


「ん? 嫌なの?」


 師匠に見つめられ言葉に詰まった。別に威圧されているわけでもないのに、そうやって疑問形で返されただけで屈してしまいそうな雰囲気を醸し出している。


「嫌ってわけじゃないですけど、もうあそこに通う必要なんてありませんよ」


 俺がグラスティアに帰ってきたのはあくまでもミレアに依頼を頼まれたからだ。

 すべてはヒズキの仕組んだものだったとはいえ、魔術教典取り返したのだ。俺がここにいて学ぶことなど何もない。


「私と一緒にいたらたしかに魔術師として大きく成長できる。だけどね、魔術学院でしか学べないこともたくさんあるんだ。アルクはいつまでも私の弟子だ。私の修行はいつでも受けられる。だけど学院での生活は、今しかできないことなんだよ」


 師匠は俺の前まで歩み寄ってくると、ぽんと頭に手を乗せた。


「私が卒業した学院でいろいろなことを学んできなさい。何も魔術を学ぶことだけが、強くなることじゃない。時間を共有して分かち合い、苦楽を共にする仲間を作りなさい。その人たちは絶対にアルクにとってかけがえのない友人となるはずだから」


 師匠はわしゃわしゃと俺の頭を無造作に撫でる。

 ぎこちない手つきだけど、俺のために思ってくれているのは十分に伝わってきた。


「――だけどその前に」


 師匠がシノーラの肩に手を添え、軽く力を加えた。

 それだけでシノーラは腰が砕けたように座り込み、困惑のあまり声すら出せずにいた。


「師匠、何を――ッ!?」


 ハッとして振り返った先に師匠の姿はない。

 だが上空で急激に魔力が凝縮されるの気配を感じ取り反射的に顔を上げ、俺はおもわず我が目を疑った。

 師匠が俺たちに掌を向け、魔術を放つ構えを作っていたのだ。


「そろそろアルクも前に進む時期だ。いつまでも過去の茨に囚われるのは、もうやめだ」


 俺は瞬時に悟る。

 師匠はほんきだ。ほんきで俺たちに魔術を放とうとしている。

 だが俺には『虚無』の禁呪がある。師匠が世界最強の魔術師であろうと、魔術であるのなら俺に消滅させられない道理はない。


「たしかこうだったかな。Re:cord‐No.91『Absolute(アブソリュート) Zero(ゼロ)』――」

「なっ……!?」


 無系統最上級魔術『アブソリュートゼロ』。俺の足を消し飛ばした魔術だ。

 八年前の記憶がフラッシュバックしてくる。暗い森のなか大勢の身内に追い掛け回され、殺されかけたあの日の記憶。全身が意思に反して痙攣し、金縛りにでもあったようにいっさいの自由が奪われた。

 手足を見えない鎖が縛り付け、俺を束縛する。


「__Include(インクルード)__吸血鬼殲滅術式第八節『浄光(じょうこう)旋律(せんりつ)』」


 驚愕に驚愕を重ねられ、俺はついに声すら出せなくなった。

 吸血鬼殲滅術式第八節『浄光の旋律』は、存在している対吸血鬼の術式のなかで最上位に位置しており、真祖と呼ばれる『ハジマリの吸血鬼』の命をも奪える。

 師匠がヒズキの編み出した術式融合を使えること自体に驚きはない。世界最強の魔術師であれば、それくらいはやってのけるだろう。だけど疑問に感じたのは、どうして吸血鬼殲滅術式を混ぜたのかということだ。

 その術式はあくまでも吸血鬼を殺すためのものであり人間には何の害もない。俺が魔力を放出して『アブソリュートゼロ』を消滅させれば、あとは体を素通りして――、


「……ッ!?」


 そうか。師匠の狙いは俺じゃない。――シノーラだ。

 俺が魔術を打ち消したとしても吸血鬼殲滅術式だけは残る。『アブソリュートゼロ』を前にして動けない俺では、離れた位置にいるシノーラを庇うことも軌道から突き飛ばすこともできない。


「なんでだよ師匠……ッ!!」


 俺が絶叫するも師匠は何も答えない。

 ただ無表情で、俺たちに混成術式を放ってくる。


 首を回してシノーラを見た。上空を見上げる彼女の瞳は絶望に支配され、生の実感を完全に失っていた。ゆっくりと迫ってくる死を目の前にして、震えることも、叫ぶこともできずに呆然としている。


 このままではシノーラは確実に死ぬ。

 俺だけが生き残り、ようやく掴んだ幸福を手放してしまうことになる。

 もしそんなことになれば、今度は師匠を恨み続ける事になるだろう。


「ふざけるな……!」


 俺は四肢に力を込めて地面を蹴りだそうとする。魔導器は魔力の流動によって起動するはずなのに、生身と同じようにぴくりとも動かない。

 自分の喉の奥から手負いの獣のような荒い息遣いが漏れる。

 奥歯が砕けんばかりに顎に力を込め、硬直を打ち破ろうとする。


 だめだ。ここで俺が動かなければシノーラを失い、そして師匠をも失う。

 やらせるわけにはいかない。ここで動けなかったら、俺はいったい何のために命をかけて戦ったというのだ。


 動け、動けッ、動けッ!! 動けよ、さっさと動きやがれ――ッ!!


「――――――――、」


 けれど。

 俺の体は沈黙したままだった。


 こうしている間にも八年前の光景がめまぐるしく頭のなかを駆け巡っていた。

 暗い森のなか、大勢の大人の俺を呼ぶ悪意に満ちた声。放たれる魔術。体をあちこちにぶつけるのも構わずがむしゃらに逃げ回った。


 でも逃げきれなくてジアに腕を吹き飛ばされた。

 ヒビキが助けに来てくれて、もしかしたらと微かな希望が芽生えた。


 しかしその直後、ヒズキという絶望を前にして俺は死を覚悟した。

 左脚を消し飛ばされ全身の感覚がを失い、意識が朦朧としていたところに師匠が現れた。


 走馬灯のように流れていく光景。


「ざ――けんじゃねぇよ……ッ!!」


 俺は吠える。

 手足を縛る鎖の一本が弾け飛んだ。左脚が一歩を踏み出す。


 何がジアだ。ここに来るときもあいつは俺たちを殺そうと奇襲を仕掛けてきた。だけど俺たちには頼れる仲間がいる。

 唯一の家族のヒビキに、俺を兄と言って慕ってくれるケイト。


 右腕の鎖が砕け散る。拳が形作られ、魔導器が起動する。

 ヒズキがなんだっていうんだ。俺はあの女と戦って勝利した。もうあんな奴に恐怖を抱く必要などどこにもない。


 右脚の鎖が霧散した。地面を強く踏みしめれば、ブーツごと深く沈んだ。

 俺は強くなった。あの日、師匠と出会ったことで生まれ変わった。だというのに、俺はいつまでアルク=オル・エヴァンスという亡霊に囚われていなけらばならないのだ。


 左腕の鎖が音もなく溶ける。ばくん――と。魔力が爆発的な勢いで流れ込んでくる。


 ――そうだ。


 俺はいつまで過去を振り返っているつもりだ。

 ここにいるのはどこの誰だ。

 魔術が使えないことに嘆いて立ち止まることしかできなかった子供か?


 ――違うだろうが。


「過去の亡霊ごときが、いつまでもしがみついてきてんじゃねぇッ!!」


 左脚の魔導器が装填されていたカードリッジを蹴り出す。排出されたカードリッジは回転しながら滞空し、ゆっくりと地面に落ちていく。

 それよりも早く俺は左脚から生まれた加速に乗り、放たれた術式に向かって飛び上がる。


 そのとき背後で誰かが手を振っているのが見えた。

 幼きころの俺。まだヒズキとも仲のよかったアルク=オル・エヴァンスだ。


 ――お前とはここでお別れだ。


「俺はアルク・ランセルだッ!!」


『虚無』の禁呪――発動。


 混成術式に拳をぶつけ、まずは『アブソリュートゼロ』を消滅させる。破れ鐘を全力で叩いたような異音がして術式の半分が消え去った。

 直後に俺の体を薄透明な真紅の刃が通過していく。痛みはない。禁呪の副作用もない。


 俺は生み出された勢いを左脚を振り上げることで逆転。シノーラに向かっていく真紅の刃をすぐに追い抜き返し、彼女を守るように前に立つ。


「Set. Re:cord‐No.78『Fate(フェイト) Bullet(ブレッド)』ッ!!」


 一撃粉砕。

 俺の最大火力をもって真紅の刃を蹴り砕く。無数の欠片となって散る吸血鬼殲滅術式。これでシノーラの危機は去った。――だけど、まだ終わりじゃねぇッ!!


「あんたにも俺の大切な人は奪わせねぇよッ!!」


 飛び上がり、師匠に向けて『フェイトブレッド』を叩き込む。

 この人に俺の一撃なんて通用しないだろう。けれどやらずにはいられない。


 師匠は嬉しそうに破顔した。


「そう――そうそれだよ! 前に進むっていうのはそういうことだアルク! やっと殻を破ってくれたね。さすが私の息子だ。お義母さんは嬉しくて嬉しくて――」


 刹那。

 師匠のまとう空気が変貌した。


「――全力を出したくなった」


 師匠がやったのは指を一本だけを前に出すだけ。

 たったそれだけで、俺の最大火力を再現した一撃が受け止められていた、

 衝撃も余波もない。いっさいの波紋が走っていない水面のように、まるで軽く手を重ね合わせたような穏やかさだ。


「私が全力を出すのなんて久しぶりだ。前にレヴィと戦ったとき以来かな? まさかアルク相手にこんなにも早く全力を出せるなんて思わなかったよ」

「――ッ、」


 涼しい顔しておきながらよく言うなこの人は。実際は全力を出しているかどうかさえ怪しいほど、俺と師匠の実力差は圧倒的だった。

 師匠の五指が俺の左脚を掴んだ。


「受け身はとりなさい。なるべく優しく投げるけど、死にたくはないでしょ?」


 言うが早いか師匠は俺を思い切りぶん投げていた。速度はあるが師匠の言うとおりかなり着地しやすい投擲だった。足を振り回して姿勢を整えると膝の伸縮を上手く作用させて地面に着地する。

 すると俺たちの頭上から七色に光る花弁が降り注いできた。


「おめでとうアルク。合格だ」

「……あんた、もし俺が反応できなかったらどうするつもりだったんだ」


 俺は非難の目つきで師匠を睨む。


「ん? 大丈夫だよ。そのときはミレアとかシンくんがどうにかしたから」


 師匠がそう言って指さした方向を振り返ると、頭痛に顔をしかめるシンメイとややバツが悪そうにするミレアが現れた。


「てめぇは相変わらず後先考えてるくせにめちゃくちゃやりやがるな」

「久しぶりシンくん。老けたね?」

「誰のせいだと思ってやがんだてめぇは」


 煙管を咥えたシンメイはこめかみに青筋を浮かべて言う。

 気怠げだが温厚そうなシンメイを一言でここまで苛立たせるなんて、学院生時代に師匠は彼にどんな仕打ちをしてきたんだ。


「ミレアは相変わらずちっちゃいね。もしかして背縮んだ?」

「あらあらまあまあ」


 や、やばい。ミレアも苛立ってる。

 なんでこの人は行く先々で怒りの導火線に火をつけていくんだ。それの後処理に駆り出される俺の身にもなってくれ。


「で、俺たちをわざわざ呼んで何がしてぇんだ。大事な用事があるって言うから仕事ほっぽって来たんだぞ。よくやった」

「シンくん、本音が漏れてますよ?」


 シンメイがミレアに爪先を思い切り踏み抜かれていた。

 無言で絶叫したシンメイが蹲る様子を見て師匠が大爆笑している。この人たちはほんとうに仲がいいんだな。だけど大事な用事って何なのだろうか?


「よくぞ聞いてくれた。ここで、私の息子の結婚式を開催します」


 なるほど結婚式か。それはたしかに大事な……あ?


「はぁ!? あ、あんた何言ってんだ!?」


 俺の結婚式って意味がわからない。急に現れたと思ったら襲いかかってくるし、必死の思いで躱したかと思えば結婚式って。


「あれ? その子と許嫁なんじゃなかった?」


 師匠はきょとんとした顔で言う。


「そ、それはそうですけど。でもオル・エヴァンスの家が勝手に決めたことで……」

「アルクはその子が嫌い?」


 師匠の真剣な表情に俺は言葉に詰まった。ちらりとシノーラを見れば、緊張でぎこちないながらも精一杯の笑顔を見せてくれた。


 俺はしばし瞑目してから、


「好きですよ」


 はっきりと告げる。

 俺はシノーラが好きだ。この気持ちに偽りはない。


「じゃあいいじゃない。その子はこの先、過酷な環境に置かれるかもしれない。吸血鬼というだけで狙っている人間はいるし、ましてや混血種なんか同族にも迫害されることだってありえなくもない。そのとき一番大切な人が近くにいてくれるだけでは、心の支えになるんだ。結婚なんて形式上のことだけど、形式場でもあったほうが絶対にいい。アルクだってわかってるんじゃない?」

「……だけど俺は、シノーラを守れるほど強くない」


 ヒズキとの戦いだってシノーラの助けがなかったらきっと殺されていただろう。

 シノーラを支えるのなら、誰にも脅かされないだけの強さが必要だ。

 魔術師にも亜人にも――吸血鬼だって打ち破れるだけの力が、俺にはない。


「だから学院で一生の友人を作るんだ。見てみなよ。私なんて周りを振り回してばかりなのに、大事な用事があるって言っただけでミレアもシンくんも駆けつけてくれた。もし私が窮地に陥ってたら、きっと二人は私を助けてくれる。何もアルクだけで気張ることはないんだ。困ったら助けを呼ぶことだって大事だよ」

「…………」

「でもねアルク、いざってときシノーラちゃんの心の支えになってあげられるのは、君だけなんだよ。――だから、ほら」


 そう言って師匠は小さな箱を投げてくる。

 俺がそれをキャッチすると「開けてみて」と師匠が手元をちょいちょいと示す。訝しみながら箱を開け、我が目を疑った。


「指輪……ですか?」

「レヴィに作ってもらった特注品だ。アルクの全財産を投げて作ってもらったんだよ」

「あ、あんた何やってんだよ!?」


 俺の全財産を投げたって何考えてんだよこの人は。カードリッジや魔導器の点検のためにずっと貯めていたのに、なんで勝手に使ってんだよ。


「気にしないの。男の子がそんな小さなことで怒ってたらその子に嫌われちゃうよ?」

「勝手に人の金を使っておいて何をほざいてやがる」


 魔導器はレヴィに新しいのを作ってもらったからいいものの、こっちでカードリッジを購入するにはあのぼったくり価格のシェナからしか入手経路がない。ただでさえ金欠だったのにこれでどうやって生活しろというのだ。


「はいはい。ぐちぐち言わない」

「いってぇ……!?」


 師匠のデコピンが炸裂した。上半身が仰け反り、首が吹っ飛ぶのではと思うほどの衝撃。何もこんなしょうもないところで世界最強の実力を見せなくてもいいだろうが。


「さて――と。こっちはシノーラちゃんのね。ほらほら、ミレアにシンくん、結婚式用の魔術セットお願いね」

「てめぇが俺らを呼んだのはそういう理由かよ」

「ほんとうにフィオナは昔から変わりませんね」


 シンメイとミレアは文句を言いつつも魔術の詠唱を重ねる。すると空から降り注いでいた七色の花弁が急速に形を作り始め、瞬く間に教会ができあがった。

 俺とシノーラは真っ赤な絨毯を師匠に背中を押されて進み、壇上へと押し上げられる。

 師匠はシノーラの頭にベールを被せると、ごほんと咳払いを一つ入れた。


「えー、アルク・ランセルさん。あなたは、えー……ああ、そうだ。この女性がいかなる困難にあろうと傍にいて、あらゆる悪意から守り、愛することを誓いますか?」


 誓いの言葉が途中で面倒になったのか、あえてそんなふうに言い換えてくれたのか。気にはなったが、この場においてはどうでもいいことだろう。

 そんなこと師匠に言われるまでもない。


「――誓います」


 俺の言葉を聞いた師匠は満足そうに頷く。


「シノーラ・ナナシキさん。あなたはこの男性が過去の妄執に取り憑かれたときは光ある道へと導き、修羅の底に落ちるのを阻止し、愛することを誓いますか?」

「え――……と」

「ん? どうしたのかな?」


 シノーラが言い淀んだのを見て師匠が問いかける。


「いえ、その……アルクさんは、いいんですか? 私ってとてもめんどくさい性格をしてます。それに吸血鬼なんです。これから先、絶対にアルクさんに迷惑をかけます。それでもアルクさんは――」

「何度も言わせんな」


 俺は嘆息する。こいつは同じことでずっと悩みすぎだ。


「あんたの性格がめんどくさいのは知ってる。あんたが吸血鬼だろうと関係ない。迷惑なんてたくさんかけてくれたらいいさ。それを全部まとめて――俺はあんたが好きなんだ」


 自分でも赤面しているとわかりながら、俺はシノーラをまっすぐに見据えて言う。


 シノーラの欠点なんて挙げたらキリがないだろう。わけのわからない言動はするし平気で目潰しはしようとするし、空気読みすぎて自分を蔑ろにするし性格に反して怖がりだし。

 だけどそれらをひっくるめてシノーラ・ナナシキという女の子なのだ。

 俺はそんなシノーラのことが好きになったのだ。


「結論は出たかな。改めて――シノーラ・ナナシキさん、あなたは永久的にこの男性を愛することを誓いますか?」

「……はい――誓います」

「よろしい! さあミレア、シンくん! クライマックスだ!!」


 師匠は満面の笑みで二人に指示を飛ばすと、さながら指揮者のように両手を挙げた。


 その瞬間、景色ががらりと変わった。


 まるで世界そのものは塗り替えられるように教会が入口から七色の花弁に戻り、吹き荒ぶ風によって上空へと一気に舞い上げられる。目の前を吹雪のように通り過ぎる花弁におもわず顔を覆い、次に目を開けたとき、俺はその光景に目を奪われた。

 何もない荒れ果てていた大地に壮大な花畑が広がり、俺たちを祝福するように色鮮やかな花が揺れている。


 なんだ――これ。

 これが魔術だというのだろうか。

 だけどこんな魔術は聞いたことがない。一〇の禁呪にも、こんな術式はなかったはずだ。


「アルク、シノーラちゃん。魔術師ってどういう存在だと思う?」


 師匠はそんなことを問いかけてくる。

 魔術師――か。


「不可能をも可能にする奇跡だと、俺は思います」

「――君は私の期待にほんとうによく応えてくれるね」


 師匠は嬉しそうに両手を広げる。


「そう。魔術師は不可能を可能にする奇跡の存在だ。だから女の子ひとりの運命くらい、あっさりやってのけなくてどうするんだって話だよ。――では、指輪の交換を」


 俺はシノーラに向き直る。ベール越しでもはっきりと伝わってくるシノーラの緊張。がちがちに固まった彼女は、ゆっくりと手を差し出してくる。

 そんなシノーラの指に指輪を通し、俺も同じように指輪をはめてもらう。


「ではベールをあげてください。誓いのキスを――」


 どくん、と心臓がいっそう強く脈打った。


 そういえばこの前の戦いでキスをしたけど、あのときは必死すぎて治療行為という認識でしかなかった。こうやって改めて向き合ってとなると、頭が真っ白になって何も考えられなくなる。

 俺は震える手でベールを持ち上げる。その下にあったのは、これ以上ないほどに顔を真っ赤にして俺を見てくるシノーラだ。


「き、緊張しますね。こうやって、面と向かってするのは」

「言うな。……俺だって緊張してんだよ」


 むしろしない奴がいたらぜひお目にかかりたい。


 それにしても、グラスティアに帰ってきてからほんとうにいろいろなことがあった。たった数日の出来事なのに、シノーラと最初に再会した記憶がどこか遠くに感じられる。

 だけどまさか結婚することになるなんて誰が想像しただろうか。

 師匠以外は誰も思いもしていなかっただろう。


「アルクさん、これからもよろしくお願いします」

「……こちらこそ」


 そして俺たちの足元から伸びた影が一つに重なった。


 師匠の言うように、きっと多くの困難が俺たちを襲うことだろう。

 だけどその悉くを打ち砕いて、彼女を守れるだけの人間になりたい。


 当面の目的は、そうだな――。

 ひとまずシノーラの友達作りにでも協力しようかな。



               〈了〉

  

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