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魔術学院の虚無使い  作者: 牡牛 ヤマメ
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第二十九話

 

「……こんなもんか」


 目の前に積み上がった小さな山を見てげんなりとする。


 グラスティアに来るときよりもだいぶ荷物が多くなってしまった。

 右腕と左脚の魔導器を壊されてしまったため、必然的にセメルベルクに帰るまで長い時間がかかることになる。途中で村や街でもあれば宿に泊まればいいだけなのだが、そう都合よくいかないだろう。野宿をすることになるだろうし、食料は多めに用意しておかなければなるまい。


 俺はすっかり生活感の抜けた部屋を見渡す。

 たった数日の付き合いだったが、かなり居心地のいい空間だった。

 どうせならもう少し住んでいたかったけれど、俺がここに来た目的は達せられたのだ。もうグラスティアにいる理由はない。


「さて、行くか」


 俺は誰に言うでもなく呟く。

 松葉杖が床を叩く音で気づかれないようにしながら部屋を出た。


          ◆


 地下書庫での戦いから三日が経過した。


 魔導器を失い、『虚無』と過剰な治癒での肉体の酷使のせいで翌日は身動き一つ取れないほどの激痛に襲われ、一日中悶えるはめになった。


 その次の日に学院に足を運べば、学院はある騒動で持ち切りになっていた。

 オル・エヴァンスの現頭首にしてグラスティア学院十傑の第一席、ヒズキ=オル・エヴァンスの謎の失踪についてだ。学院で学べることはないため旅に出たとか、どこかの王家に嫁いだなどと実しやかに噂されている。実際を知っている身としては何とも言い難い気持ちになったが、あえて真実を告げる理由もないので黙っていることにした。


 現在、オル・エヴァンスではヒズキがいなくなったことで次の頭首を決める争いが勃発しているらしい。どいつもこいつも目先の権力に目が眩んで醜い競り合いをしているとか。

 なかにはヒビキを次代の頭首に推薦している者がいるらしい。おそらくヒビキを利用して裏から実権を握ってやろうと画策しているのだろうが、ヒビキもそれをわかっているので頑なに断り続けているようだ。

 もっともオル・エヴァンスを嫌っているヒビキだ。たとえわかっていなくとも頭首の座につくことはないだろう。


 その騒ぎの脇でユミルがますます俺がアルク=オル・エヴァンスなのではないかと疑っていたが、そこは曖昧にぼかしておいた。騒動の渦中で第七席を倒して実力を知らしめた俺は魔導器を破壊された状態で登校してくれば疑いたくもなろう。

 ユミルもヤシロも最初に会ったときは上手くやっていけるか不安だったが、この数日を思い返すとほんとうに楽しかった学院生活だった。


 だけど俺は今日、この地を発つ。


 ミレアには依頼の達成報告時に話は通しておいた。寂しそうにしていたが、俺の意見を無視してまで我を通すようなことはせず、餞別としていくらかのお金を渡してくれた。彼女は最後まで優しい俺の姉だった。


 シェナにもいちおう挨拶しておいたが、どうせセメルベルクで再会することになるのだ。さほど言葉を交わすことなく彼女の元はあとにした。


 あとは、彼女に会うだけである。


 俺は立ち止まり、その木造の建物を見上げる。


「全然変わってねぇなぁ」


 八年前もボロかったが、相変わらずのボロさだ。ちょっと揺らしただけで倒壊してしまいそうな建物によく住んでいられるものだ。

 俺は軽めに扉を二回ノックする。家のなかでがたりと何かが倒れる音がして、どたばたと慌ててこちらを向かってくる足音が聞こえてきた。


「も、申し訳ございません! し、シノーラ・ナナシキ、ただいま……え?」


 身嗜みもろくに整えず飛び出し、びしっと敬礼を決めるシノーラにおもわず吹き出す。訪れたのが俺だと知った途端にぽかんとしたのもツボに入った。

 俺が腹を抱えて笑っていると、我に返ったシノーラが耳元まで顔を真っ赤にした。


「わ、笑いすぎです! なんですかもう……」

「悪かったって。そんなに拗ねんなよ」


 そっぽを向いたシノーラを宥めながら俺は収まらない笑いに肩を揺らす。

 シノーラは頬を赤に染めつつジト目で睨みながら、


「よく私がここにいるってわかりましたね。誰にも言ってなかったと思いますけど」

「ああ。探すのに苦労したぜ。スーラに訊いても寮には住んでないって言われるし、ヒビキに訊いても屋敷にはいないって言われるしさ」

「ではどうしてここに?」

「俺とあんたの思い出の場所だからな。もしかしたらと思ってさ」


 ここは俺たちが初めて出会い、思い出を共有した唯一の場所だ。

 寮にも屋敷にもいない。ならば屋敷の離れにある物小屋しかないと踏んだのだ。もしここにいてくれなかったら途方に暮れているところだった。

 まあ、いると確信してたから出発する日まで来なかったんだけど。


「そうですね。ここは私とアルクさんたちの思い出の場所です。それでどうしたんですか? その大荷物ってことはグラスティアを出て行くんですよね。あ、超絶美少女シノーラちゃんが恋しくなっちゃったんですか? もうアルクさんたら淋しがり屋なんですから♪」

「は? 何言ってんだよ。あんたも一緒に行くんだよ」

「……ん?」


 シノーラはこてんと首を傾げた。何を言っているのかわからないと言いたげだ。

 しかしこの反応には俺が首を傾げざるを得ない。


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってください。え、私も……ですか?」

「そうだって言ってるだろう。おかしなこと言ってるか?」

「い、言ってますよ!? アルクさんおかしくなっちゃったんですか!?」

「あんたに心配されるとか俺終わってんな」

「どういう意味ですかそれ!?」


 シノーラは心外そうに声を張り上げた。

 俺が怪我人ということでさすがに手は出してこなかった。


「――じゃなくて、私も一緒にってどういうことですか?」

「今度は置いていかねぇ。ただそれだけだ」


 そう言って俺はシノーラの手を握る。

 八年前は、シノーラを置いてセメルベルクに行ってしまった。状況が状況だったとはいえ彼女の境遇を考えると、置いていってしまったことに後ろめたさがあった。

 だけどこうして再会できたのだ。いかにシノーラを利用としたシュルグがいなくなったとはいえ、彼女を利用しようと考えている人間がいないとは限らないのだ。それをわかっていながらシノーラを置いていきたくない。


「あんた、俺がいなくなったら友達いねぇだろ?」

「失礼ですね。ユミルさんとヤシロさんがいますよ!」

「じゃああの二人と俺、どっちがいいんだ?」


 シノーラがさっと目を反らしてしまう。回り込んで下から覗き込めば、今度は逆方向に顔を移動させた。仕方ないのでジッと横顔を見つめてやれば、


「……アルクさんが、いいです」


 観念したようにぼそりと呟いた。

 俺はその返事に満足する。


「だったら問題ねぇだろ。一緒に行こうぜ」

「……しょうがないですね。ほんとうにアルくんは私がいないとだめなんですから」


 別にそんなことはないのだが、そういうことにしておこう。

 事実、俺はシノーラに隣にいてほしいと思っているのだから。

 だがそのときだった。木々がざわめいたかと思えば、俺たちを取り囲むように黒尽く目の集団が現れた。不気味な能面で顔を隠し、開けた距離や出で立ちからして魔術師だろう。敵意を剥き出しにしている様子を見るに間違いなく学院の関係者ではあるまい。


「お久しぶりですね、アルク様」


 集団のなかから一人が前に出て能面を外した。


「……ここに来ててめぇか――ジア」


 かつて俺の専属メイドとして仕え、右腕を奪っていった女がそこにいた。

 だがかつての端正な容姿は荒れに荒れ、多くの傷跡が皮膚に刻まれていた。


「ヒビキに解雇されて暗殺者にでも成り下がったか?」

「解雇されたのは私の部下だけです。私はヒズキ様の専属となることで、オル・エヴァンスに仕えています。今は仕えていた、いうのが正確ですが」

「だろうな」


 オル・エヴァンスはジアのメイドと戦闘部隊の指揮官としての能力を高く買っていた。ヒズキが使える手駒をあっさりとてばなしたりするわけがない。


「私の周りにいる者が、あの日に関わってヒビキ様に解雇されたメイド部隊や魔術師たちです。お前を殺すためだけに、こうして集まってくれました」

「おいおい、まさか逆恨みしてんじゃねぇだろうな?」

「ええ。逆恨みなどしていません。ただ恨んでいるだけです。お前のような『欠陥品』を殺せと命令されて実行しただけなのに、オル・エヴァンスから追い出され、職に追われるようになってしまったのですから。なかには暗殺者や娼婦になった者までいます。すべてお前のせいです」

「笑わせんな。勝手に言ってろよ」


 俺を殺そうとしたからだって? そんなの知ったことか。

 恨んでるのはこっちだって同じなのだ。手足が揃ってるだけ幸運だろうに。


「それで俺に何の用だ。まさか世間話をしようってわけじゃねぇだろう?」

「当然でしょう。主を殺され、仕える屋敷を追い出された。その原因を作ったお前たちを殺さないことには気が晴れませんから」

「とんだ八つ当たりだな」


 俺は肩をすくめて嘲るように言う。

 それが彼らの導火線に火をつけてしまったらしい。各々が武器を構え、魔術詠唱の姿勢を作り上げていた。


 一触即発の空気。どちらかが先んじて動けば戦闘は開始される。

 まさかこんな形でジアと再会することになるとは思わなかった。

 今の俺は魔導器を失って魔術も使えず、肉弾戦も満足に行えない。だが『虚無』の禁呪を使うことに躊躇いはない。

 お互いの一挙手一投足を正確に捉え、わずかにでも行動を起こせば即座に『虚無』を発動させて魔術を打ち消せる体勢を作り上げる。


 だがそのときだった。

 上空から二つの影が俺たちの間に落ちてきた。


「――やらせないよ」


 落ちてきた一人が、静かに呟いた。

 金色の髪が風になぶられ揺れる。緋色の瞳に冷酷な光を宿し、ジアを睨みあげた。


「……ごめんアルク。また、間に合わなかった」

「何言ってんだ。タイミングばっちりだろ」


 にっと口角を上げて言う。


「またあなたですか。ほんとうに邪魔ばかりしてくれますね、ヒビキ様」


 ジアは侮蔑の色で瞳を彩りながら言う。

 八年前はヒビキが登場しただけで動揺していたというのに、ずいぶんな落ち着きようだ。


「それはこっちのセリフだ。おまえ、またアルクを殺そうとしたのか」

「半分はあなたのせいですよ。あなたが彼らを解雇したから、彼らは地に落ちることになった。ゆえに私たちはこうして『欠陥品』を殺そうと思ったのです」

「ふざけるなッ!!」


 激昂したヒビキから魔力が迸った。冷気が撒き散らされ、周囲を凍結させていく。シュルグ同様、ヒビキの得意系統が氷だから起こった現象だ。


「おまえはここで始末する。もう二度とアルクに手は出させない」

「どうぞお好きに。あなたも私たちの抹殺対象ですから」


 俺は言葉を無くして呆れ果てる。

 俺たちだけならいざ知らず、万全どころか怒りで普段以上の力を発揮する天才にまで勝てると思っているのか。よくよく彼らを見ると、揃って切羽詰まったような雰囲気をまとっている。


 ゆえにこいつらは気づいていない。

 すでに亜人組が闇に紛れていることに。


「背後を盗るだけの簡単なお仕事っす」


 そんな陽気な声に振り返ったときにはすでに時遅し。

 目の前から消えているシノーラに気づくことなく、俺とヒビキだけに意識を注いでいた黒尽くめ連中の一人の体が斜めにずれたかと思えば、どさりと大きな赤い花を咲かせて地面に倒れ伏せた。それを皮切りにどんどんと狩られていき、その数をあっという間に半分以下に減らした。


「お二人が引きつけてくださったおかげで助かりました」


 血でべったりと顔を汚したシノーラが大鎌で地面を引っ掻き、妖艶に微笑んだ。

 シノーラの実力はかなり高水準にある。その隣に並ぶケイトも侮り難い実力者だ。俺たちだけに気を取られて侮ってよい二人ではない。


 黒尽くめの連中に動揺が走る。


「どうするんすか? この状況でまだやるつもりっすか?」


 暗闇からケイトが現れ、ジアの喉元に短剣を突きつけた。

 しかしジアに動揺はない。


「愚問ですね。ヒズキ様が死した今、私はオル・エヴァンスにはいられなくなりました。どこかの家にメイドとして志願するか、暗殺者になるか、娼婦に落ちるか。どれにするにしても、ここで生き延びられなければ話になりません。だから殺します」

「そうっすか」


 ケイトは淡々と答えると躊躇なく短剣を引き抜いた。


 しかしジアはほんの少しだけ身を引いて躱す。空振ったケイトは焦らず次撃を繰り出そうとするが、それより早く動いたジアが腕を掴み、こちらに向かって投げつけてきた。

 ヒビキがとっさにケイトを受け止める。その隙を突いてジアが踏み込んできた。

 シノーラがサポートに入ろうとするも玉砕覚悟で飛びかかった黒尽くめ連中に道を阻まれ足止めを食らっていた。ジアも死を省みない特攻だ。


 とはいえ、ヒビキが対応に間に合わないということはないだろう。

 ジアは懐から二本の短刀を取り出すと、ヒビキに斬りかかる。


「Re:cord‐No.68『Diamond(ダイヤモンド) Dust(ダスト)』ッ!!」


 地面から氷の槍が伸び、ジアに向かって殺到する。


「Re:cord‐No.70『Meteor(メテオ) Strike(ストライク)』」


 ジアは素早く詠唱すると『メテオストライク』を発動。『ダイアモンドダスト』を正面から相殺させる。瞬間、視界を妨害する白い蒸気が発生し、その熱が俺たちに襲いかかった。

 俺はとっさにヒビキの手を引いて物小屋に入ると、扉を閉じる直前にシノーラとケイトが素早く飛び込んできた。戸外では黒尽くめ連中がやかましく騒いでいる。


「厄介なのに絡まれたな。俺が援護するから、お前ら三人であいつらを――」

「ここは僕とケイトに任せて」


 ヒビキが俺の言葉を遮る。


「アルクは、セメルベルクに帰るんでしょ? こんなところで足止めさせやしないよ」

「……知ってたのか?」

「そんな大荷物を持ってたら嫌でもわかるよ」


 ヒビキは苦笑して俺の荷物に視線を落とした。


「どっちにしろ今のアルクは戦えないでしょ? 魔導器もないし、あんな奴ら程度に禁呪を使うわけにもいかないしね」


 あの戦いの後、ヒビキには『虚無』の体質について話してある。禁呪は使えるだけで取り巻く環境は厳しくなるし、ましてや体質などと露見したら各国の研究者がこぞって俺を解剖しようとするだろう。

 ヒビキやケイトだけなら教えても問題ないと判断して伝えたのだ。

 地下書庫での戦いを説明するには、話さないわけにもいかなかったのもあるが。


「二人はもうオル・エヴァンスに縛られる必要なんてないんだ。だからここは、僕たちが引き受ける。裏口からアルクとシノーラは逃げてくれ」

「……いいのか?」

「もしかして心配してくれてるの?」


 ヒビキは「大丈夫だよ」と荷物を押し付けてくる。


「八年前も、地下書庫のときも僕は肝心なときに駆けつけられなかった。こんなところでくらい、弟らしいことさせてよ」


 ヒビキは白金の剣を片手に扉をわずかに開けて外の様子を窺う。

 どうやらまだ蒸気は晴れていないらしく、隙間から白い靄が入り込んでくる。


「アルクがどう思ってても、僕はアルクの弟だよ。それだけは誰にも否定させない」

「……その頑固なところ誰に似たんだ?」

「心当たりがあるんじゃないの?」


 にやにやとしながらヒビキは言う。うるさいわい。


「じゃあ任せたぞ――()

「任せてよ兄さん(、、、)


 そう言ってお互いに手をぶつけ合わせる。

 やっぱりこいつは俺の弟だな。


「くううううぅぅぅ! やっぱり禁じられた兄弟愛は最高っす!」

「アルクさん、浮気ですかぁ?」

「てめぇらうっせぇぞ!」


 俺は怒鳴ってシノーラの手を掴む。片足しかなくて引っ張って歩くことはできないせいで格好がつかないが、俺たちにしみったれた別れは似合わない。

 ちらりと後ろを振り返る。

 ヒビキたちはすでに外に飛び出し、ジアたちと交戦を広げていた。


「行きましょうアルクさん」

「ああ、そうだな」


 ここで彼らの心配をするのは俺の傲慢だろう。

 ヒビキは強くなった。八年前とは比べ物にならないほどに。

 だったらヒビキたちの言葉に甘えておくべきだろう。




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