第二話
ようやく学院に入れたのにゆっくり見て回る暇もないままミレアに連れられ、豪勢な装飾のされた部屋に押し込められた。
どうやら学院長室らしい。小柄な彼女には明らかな余分なほど大きい木造のデスク。高級素材をふんだんにあしらったソファに、どこぞの名工が作ったらしきテーブル。部屋の隅には彼女の私物だと思われるアンティークが置かれている。
ミレアらしい趣きのある部屋だ。
年寄りくさく椅子に腰をかけたミレアは、デスクに散乱する紙をさっと片付けていく。
ちらっとしか見えなかったが、おそらく学院に通う生徒の資料のはずだ。
「あんたも大変そうだな」
「アルクに比べたらずいぶん楽ですよ。そちらこそ大変なのでは?」
「……まあ、ぼちぼちかな」
「ぼちぼちですか。あの人の弟子をやっていたら、大抵のことはそれで済ませられてしまうでしょうね。お疲れです、アルク」
ミレアはおかしそうにしながら、ソファに座るよう促してくる。
「ふふっ」
「ん? どうしたんだ?」
「アルクとお話するのも久しぶりだと思いまして。懐かしいですね」
「あんたがセメルベルクを出てからだから五年ぶりか?」
「ええ、そうですね。あのときは私の後ろをちょこちょこついてきて可愛いかったけど、少し見ない間にずいぶんと男前になりました」
「……あんたも相変わらず美人だよ」
気恥ずかしくなってそっぽを向けば、ミレアは「あらあら」と頬に手をあてて微笑ましそうに俺を見つめてきた。
「つか、そんなことはいいから『仕事』の話しをしようぜ」
俺ははぐらかすように本題に入る。
「私としては、アルクと昔話やセメルベルクでの生活のことをもっと聞きたいです」
「これといって変わったことは何もやっちゃいないし、昔話だったら時間のあるときに呼んでくれたらいつでも付き合うよ」
「あらほんとうに? ありがとう、嬉しいです。アルクは優しいですね」
「よく言われる。――で、セメルベルクから俺をわざわざ呼ぶってどんな内容なんだ?」
俺は居住まいを正してミレアに問いかける。
ミレアも俺の態度を見て顔つきに真剣さが帯びた。
「言っとくけど『国家指定魔術師』のライセンスを持ってるって言っても俺はまだ新米だし何より取得した場所がセメルベルクだぞ? それでも大丈夫なのか?」
「今回はライセンスの有無は関係ないので問題ありません。これは正式な契約ではなく、アルク・ランセル個人に宛てたお願いです」
「……はるばると国境を跨いで来たってのにお願い扱いかよ。セメルベルクからここまでどんだけ距離があったと思ってるんだ?」
機巧都市セメルベルク――。
カルマフォート王国から遠く離れた辺境にある島だ。海の上に浮かぶそれはどこの国にも属さない完全なる独立国家で、来る者は拒まず去る者は追わずを心情にする都市だ。まともな交通手段は存在せず、行き来するには自力でどうにかするしかない。
ミレアからグラスティア魔術学院の推薦状をもらった俺は、あと数年分は残っていたカリキュラムを急遽切り上げさせられ、これまで培ってきた人脈をフルに動員してやっとここにたどり着けたのである。
それなのに仕事ではなくお願いときた。
俺は辟易して太股に肘をついて頭を支える。
「ごめんなさい。ちょっと込み入った事情があって、あまり公にできないんです」
「……いや、それは別にいいんだけどさ。あんたのお願いなら断るつもりはなかったし」
ミレアに困り顔で申し訳なさそうにされると、あたかも俺が彼女をいじめているみたいな気持ちにさせられる。
「にしても、俺個人にってあんまりいい予感はしねぇな。ここには嫌な思い出しかねぇし」
窓から外に景色を眺める。
遠くには、いかにも贅沢を尽くした屋敷が建っていた。
オル・エヴァンス家の人間が住まう――かつて俺の居場所だったそれが見える。
「あの家に捨てられてもう八年か」
「……ごめんなさい。私はアルクに嫌なことをしていますね」
「別に気にすることじゃねぇよ。もうオル・エヴァンスなんてどうでもいいし、ミレアさんたちにも会えた。それだけで幸せ者だろ」
アルク=オル・エヴァンスは八年前に死んだのだ。
ここにいるのはアルク・ランセル。貴族だの十皇家だのはいっさい関係ない。
しかしミレアは「そうではないのです」と首を左右に振る。
「私からのお願いというのは、そのオル・エヴァンスは関係しているのです」
「おうふ……」
手のひらから顎が落ちて間抜けな格好を晒す。
そりゃそんなふうにもなるわ。
「アルクは各地で『禁呪』を記録した魔術教典が強奪されているのは知っていますか?」
「ああ、もちろん。セメルベルクでもひと暴れしていったからな。シビルウォート製の『魔導器』を持っていかれたって騒ぎになったもんだ」
「……やはりそうでしたか」
ミレアは神妙な顔つきになって頷く。
「『禁呪』はかつて邪神を倒した十人が使ったと言われる魔術の一種です。Re:cord‐No.100以上に分類され、現代の魔術師で再現できるのはたった二人だけ。それはどうしてかアルクはわかりますよね?」
「使用者に過度な負担と反発作用が発生するからだ」
「さすがです。ちょっと簡単すぎましたね」
俺は腕を組んで息を吐き出す。
こんなものは魔術師の常識だ。
「ですが魔導器ならば、その負担と反発作用をなくせます」
なるほど。そういうことか。
「魔導器はRe:cord‐No.を刻んだカードリッジを射出することで、その魔術を発動させられるからな。――俺みたいに魔術の使えない人間の救済装置だってのによ」
「アルク……」
悲しそうにミレアは目を伏せる。
だが、魔導器があっても俺が魔術を使えない欠陥品であることに変わりはない。
魔導器はあくまでも魔術発動を擬似的に再現しているだけであり、実物とは性能が大きく異なる。同じ術式同士で撃ち合ったとすれば、十中八九押し負けるのは魔導器だ。
魔力を込めれば込めるだけ威力が上下するのに対し、魔導器の場合は常に一定だからだ。
おまけに魔導器本体も作るのに莫大な金額を必要だし、組み込むカードリッジもRe:cord‐No.を刻む作業がある。コストパフォーマンスは最悪で、組み込んだ魔術しか使えず応用性にも欠けるため、魔術師で使うのはよほど数奇な連中だけだ。
それゆえに魔導器を使う人間は魔術師でなく『魔導師』と呼ばれている。俺もそこに分類されており、魔術師の完全なる下位互換でしかない。
「セメルベルクに保管されていた初代十皇家――シビルウォート=ヴァレン・タインが制作し、未だに稼働し続けている魔導器なら、禁呪を御すのも容易だろうな」
「禁呪の魔術教典とシビルウォート製の魔導器。この二つを一挙に有する。……それが何を意味するのか」
「どっかの国への反逆か、世界の支配でも目論んでるのかってところだろ」
どちらにしてもロクなことにはなるまい。
そもそも禁呪を使おうとする人間に、良い意味でも悪い意味でもまともな奴はいない。
「それと俺へのお願いにどう繋がってくるんだ?」
「禁呪は十皇家が一つずつ管理しています。そしてグラスティアにはオル・エヴァンス家があります」
「……まさか、次に狙われてるのはここなのか?」
「確信はありませんが可能性は高いです」
ミレアの答えを聞いて余計に俺を呼びつけた理由がわからなくなった。
「オル・エヴァンスなんてどうでもいいとは言ったけど、さすがに奴らのために働いてやる気なんてねぇぞ」
自分でも驚くほど低いトーンで言葉が口から出た。
「あいつらは俺を『欠陥品』だと言い、オル・エヴァンスの名に傷がつくって理由だけで殺そうとしてきたんだ。禁呪の魔術教典が狙われるんだったら、むしろ俺以外に協力を申請すべきじゃないのか?」
「私も最初はそうしようと思っていたのですが、禁呪の保管場所に厄介な仕掛けがあるのです」
「厄介な仕掛け?」
不穏な響きに俺は繰り返し問いかける。
「保管場所はわかっています。学院の図書館の地下室、その最奥部です」
「なんでそんなとこに……」
普通は近くに置いておくもんだろ。
「つか、それだったらあんたが管理してたらいいんじゃないのか?」
「それがそうもいかないのです。最奥部には、オル・エヴァンスの血筋の人間しか入れないようになってて……」
俺は言葉を失くして天井を仰いだ。
オル・エヴァンスの人間しか立ち入れないのならミレアが直接管理できないのは当然だ。
冗談じゃない。追放されてなお、オル・エヴァンスの血は俺を苦しめるのか。
「――ってちょっと待て。だったら相手方も入れないんじゃねぇのか?」
「問題はそこなんです」
「あん?」
「この件が公にできないのは、オル・エヴァンスからの申し出です。どうも魔術教典の強奪には、彼らの家の人間が関わっているからなんです」
「はははははっ」
もはや笑うしかない。笑わなきゃやってられない。
突然壊れたように笑い出した俺をミレアが心配そうな目で見てくる。
「こんな状況でもあのクサレ共は家名にこだわるか。――ああ、ここまで来るといっそ清々しくて怒る気も失せるぜ」
「アルクには嫌な思いを……」
「あんたは悪くねぇよ。あいつらが腐ってるだけだ。でも、この学院にもオル・エヴァンスの人間が通ってるだろ? とびっきり二人がさ」
俺は姉と弟の姿を思い浮かべ言う。
「彼らにも内密に済ませたいとのことです」
たしかに当代きっての天才二人が動けば、自ずと事態は大きくなる。
かといって生徒以外の人間を送り込んでも騒ぎになる。
「……そうなると俺しか適任はいねぇってわけか」
「はい。それにフィオナ・ランセル――世界最強の魔術師の弟子が編入してくるとなれば、迂闊に手を出してこないかと思いまして」
「そうなってくれると一番ありがたいんだけどな」
各国を巡って魔術教典を強奪して回っている連中が、今さらフィオナ・ランセルの弟子が編入してきたと知ったところで退くとは思えない。その程度で諦めるくらいなら十皇家に喧嘩を売るような真似はしまい。
「話はわかった。俺はこの学院で魔術教典を守る。それでいいんだろう?」
「引き受けてくれるのですか……?」
「今さら退けねぇよ。せっかく苦労して来たのにこのままセメルベルクに帰るのなんて無駄足もいいところだ」
師匠に何を言われるかわかったもんじゃないし。
「でもまさか、魔術が使えねぇのにこんなエリート校の学院長に推薦されるって。これとんでもなく目立つだろ。しかもランセルだぞ、ランセル」
「それが狙いでもありますから」
「……あのさ、もしも戦うことになっても勝てる保証は――」
「大丈夫です」
ミレアが言葉を被せて断言してくる。
「俺がフィオナさんの弟子でも魔導師なのに変わりはない。相手は魔術師、しかも禁呪ありなんて奥の手を使っても難しいぞ?」
「それは関係ありません。私は知っています。一年という短い付き合いではありましたが、アルクが誰よりも努力してきたことを。鍛錬だけでなく知識や経験の吸収。どれをとってもあなたは一流の魔術師です」
彼女の言葉に、俺は身の内から込み上げてきた熱さを隠すため、目元を隠して俯く。
「あんたにそう言ってもらえるなんて一生の誇りだよ。……ありがとう」
「泣いているのですか?」
「……そんなわけねぇだろ」
ミレアに微笑ましげに見つめられる。
『欠陥品』と呼ばれて殺されかけた俺が、世界でも最高峰と謳われる魔術師に認められて、嬉しいからって泣くわけがない。ないったらないのだ。
「ひとまずアルクには、この学院の生徒として振舞ってもらいます。目立つのに越したことはありませんので、授業などもサボってもいいですよ?」
「学院長のセリフじゃねぇだろそれ」
俺は目元を袖でぐしぐしと拭い、顔を上げる。
「そ、それでミレアさん。一つ頼みがあって……」
「お金のことですか?」
俺は顔を引き攣らせながら首肯する。
「セメルベルクとは通貨が違いますからね。近くに換金所もありませんし」
「そ、そうなんだよ。だから少しだけ、援助とか……」
「この学院では学生の仮就業として食堂での用務や清掃員として雇ってくれますよ?」
「……ミレアさん。俺、あんたのお願いでここに来てるんだよな? 少しくらい貸してくれたってバチは当たらねぇんじゃ……?」
「じゃあ私のこと、ミレアおねえちゃんと呼んでください」
「はぁ!?」
わけのわからないミレアの言い分に絶叫する。
「だってアルク、久しぶりに会ったら『ミレアさん』なんて他人行儀に言うんですもん。寂しいじゃないですか」
「い、いや、俺もいい歳なわけだし、さすがに恥ずかしいだろ」
「じゃあ貸してあげません! ぷいっ!」
擬音を口にしてそっぽ向く人なんて初めて見たぞ。
子供っぽい容姿に加えて仕草まで幼くしたら年相応にしか見えない。これではおねえちゃんというより妹だ。
しかしこれは死活問題だ。俺が所持しているのはセメルベルクの通貨だけ。カルマフォートで生活しいていくためにはこちらの通貨が必要だ。換金所もなく、稼ぐ手段はまっとうに働くことだけだ。
身を削ってやっと到着したのになんだよこの扱いは。
とはいえ、内心でどれだけ文句を言おうと、ミレアはお金を貸してくれるわけではない。
「……お、おねえちゃん」
「聞こえません!」
「おねえちゃん!」
「なあにアルクちゃん!」
「ぎゃあああっ!?」
デスクを飛び越えてきたミレアに俺はおもわず絶叫してソファから離脱する。
柔らかい素材を使っていたおかげで顔面から突っ込んだミレアに怪我はないだろう。
ただ、反射的にとはいえ避けてしまったのがマズかった。
起き上がったミレアが背もたれから顔を半分だけ覗かせ、呪い殺されるのではと思うほどの目つきで俺を見てきた。
「……どうして避けるんですか? 昔はアルクちゃんから抱きついてくれたのに」
「だ、だから俺も子供じゃねぇんだから、そ、そういうのはやめてくれッ」
いくら子供っぽくても、正直ミレアほどの美人に抱きつかれると色々とマズイ。
「もういいです。そんなアルクちゃんには貸してあげません」
「わ、悪かったって。ほら、今度は避けねぇからさ」
「……だめです。アルクちゃんから抱きついてください」
こいつどんどんハードルが上げてやがる。
俺からって、傍目から見たら悪い方向に勘違いされるだろ。
だが、背に腹は変えられないか。
俺はそっぽを向くミレアの背後に回ると、少し強めに抱きしめる。すると彼女の口から艶っぽい声が漏れて心臓が一段と高く跳ね上がった。
驚いて離れようとするも、ミレアはすかさず腕を絡め取ってくる。
「あらあら。逃げないでくださいよ。恥ずかしいんですか?」
「あ、当たり前だろ! あ、あんたの要望は聞いたんだから……」
「わかってますよ。お金でしたね」
ミレアは懐から封筒を取り出して手渡してくる。
「贅沢をしなければ一ヶ月は生活できるはずです。足りなくなったときは、自分でどうにかしてくださいね?」
「あ、ああ。そこまで頼るつもりはねぇよ」
「おねえちゃんに頼ってくれてもいいんですよ?」
「遠慮しておく」
これ以上は俺のなかで何かが壊れそうだ。
「学院にいる間は寮に暮らしてもらいます。生活に必要な物は一通り揃ってますので、欲しい物があるときは自分で調達してください。学院の案内は――」
そこで言葉を区切ったミレアは人差し指を立て、静かにというジェスチャーを作ると、足音を消してドアへと向かう。
俺が首を傾げているとミレアがドアを開ける。
するとごろごろと何者かが部屋に転がり込んできた。
「シノーラにお任せしようと思います」
「あははは、バレちゃいましたね」
ぺたんと床に座り込んだシノーラは悪びれもせず、あっけらかんとそんなことを宣った。
「ついてきてはダメだと言ったでしょう? 悪い子ですね」
「怖い顔しないでくださいよぉ。盗み聞きしてダメだとは言ってないじゃないですかぁ」
そのときミレアが一瞬だけ――おそらく正面にいたシノーラにでさえ気づけないほど一瞬だけ表情に恐ろしい感情を宿した。
……そりゃ人を嘗めたような態度をされたら鬼みたいな顔にもなるだろう。
ミレアは笑みを絶やしていないが、明らかに不穏な空気をまとわせる。
「シノーラ、アルクに学院の案内をお願いしますね」
「わっかりましたぁ。ではアルクさん、さっそく案内しますね」
「は? お、おい。走んじゃねぇよ! おい!」
俺の手を取ったシノーラは、まるでミレアから逃げるように部屋を飛び出した。