第二十八話
魔力の供給が途切れたためか『ソードリベリオン』で召喚された無数の剣が力なく石床に音を立てて落下し、シノーラと戦っていたファフニールも巨躯に見合わない弱々しい呻き声をあげて沈黙した。
必死に戦っていたシノーラは全身をぼろぼろにしながら、急におとなしくなったファフニールを見て疑問符を大量に頭上に浮かべていた。直前までとんでもない猛威を奮っていた化物が前触れもなく動かなくなったとはいえ、それはないのではないだろうか。
「え……と?」
「何ぼさっとしてんだよ」
後頭部にチョップを落とせば、シノーラは痛みに絶叫して蹲ってしまった。おかしいな。そんなに強くしてないんだが。
「な、何するんですか! お馬鹿になったらどう責任とってくれるつもりなんですか!?」
「別に心配いらねぇだろ。あんた元から頭おかしいし」
「どういうことですかそれ!?」
シノーラはくわっと目を見開いて怒鳴ってくる。どういうことも何も、あんたの頭の中身はどう考えたってイカれてるだろう。今さら何を言っているのやら。
俺は頭を掻く。
「勝ったんですね。……その、トドメは刺さないんですね」
俺の後ろに視線を傾けたシノーラが控えめに訊ねてくる。
どことなく安堵の混じった声音だ。
トドメ――か。
「刺しとくか」
「え……?」
するとシノーラは意外そうな顔をした。
はて、俺はおかしなことを言っただろうか?
「見逃してあげたりしないんですか……? 彼女はもう戦えないのに」
「するわけねぇだろ」
くだらない。俺があの女に情けをかけるわけがない。
俺はすでに二回も殺されかけているのだ。『欠陥品』だという理由だけで殺されかけ、こうして生き残れたのなんて奇跡としか言いようがない。このままヒズキを生かしていたところで今後も狙われるのは想像に難しくない。
だったらこの場で殺してしまったほうが絶対にいい。
「で、でもアルクさん! だ、誰かを殺すのって……その、抵抗とか――」
「ねぇよ。やらなきゃ殺されるのはこっちだ」
今回は上手いこと立ち回れたが、次も同じとは限らないのだ。ひと目しただけでヒズキは『虚無』に正確な対処法を取ってきた。おそらく次に戦えば手も足も出ずに一方的に殺されて終わりだろう。
「ま、待ってくださいよ。えと……そうです! これを使ったらどうですか?」
「あ? あんたそれ、どっから持ってきたんだよ」
俺は嘆息しながらシノーラからそれを受け取る。隷属の書だ。
「こっそりと奪っておきました。ですけど、これにサインさせればわたしたちに関わらせないようにさせることができますよ!」
「だめだ。ヒズキのことだ。時間稼ぎはできても、いつか絶対に破ってくる」
隷属の書にサインして相手を隷属させられるのは、魂を改竄して相手に命令を利かせているからだ。通常ならば絶対に打ち破れない契約だが、新しい魔術を作り出せるほどのヒズキが魂を書き換える術式を作れないとは思えない。たとえそれをも縛ったとしても、俺たちでは到底思いつかない方法で隷属を解呪してくるだろう。
……あるいは殺したとしても、蘇生の術式をも仕込んでいるかもしれない。
そう思わせるほどにヒズキは危険なのだ。
認めたくはないが、こればかりは師匠をも上回っている。数年もすれば実力的にも師匠を超えてしまうかもしれない。
「で、ですけど、何も殺すことは……」
「なあシノーラ。なんでそこまであいつを殺したくないんだ?」
それは純粋な疑問だった。
シノーラは異常だ。どうして自分を明確に殺そうとしてくる相手に情をかけられるのだ。
「私にとって、ヒズキさんはいつまでもお姉さんなんです。誰にも必要とされなかった私を大切にしてくれた一人なんです。だから、殺したくありません」
「…………」
俺は何も言えなくなる。
どうしてここまでの仕打ちを受けてヒズキを擁護できるんだ。理解できない。理解したいとも思わない。吐き気がする。――この生物の思考が読めない。
俺は左右に首を振る。
「あんたおかしいぞ。ここでヒズキを生かして何のメリットがあるんだ。あいつがあんたに恩を感じて改心するとでも思ってるのか? そんなこと絶対にありえねぇよ。ヒズキを生かしておいたらいつ殺されるかわかんねぇんだぞ。あんたはそれでも助けるってのか」
「……そう、です」
俺の瞳に異物が混じったのを敏感に感じ取っているはずだ。
それでもなお、シノーラはヒズキを生かすと言ったのだ。
「――あんた死にたいのか?」
俺はシノーラの肩を掴み正面から見据える。
「あいつのことはシノーラよりも俺がよく知ってる。無理だ。生かしてたらあいつは絶対にあんたを殺そうとする。……頼むから、あいつを殺させてくれ」
「だめです!」
「――ッ、なんでだッ!!」
俺は怒鳴りつけてシノーラを押し倒す。
「よく考えてくれ。あいつを生かしてたら、あんたはいつか絶対に殺されるんだ。次も、その次も逃げ切れるとは限らねぇんだよ」
「アルクさんだって過去の復讐心に取り憑かれて、ヒズキさんを過剰に殺したいと思ってるだけなんじゃないんですかッ? 私は、アルクさんに堕ちてほしくないんです。ヒズキさんだって大切に思ってます。その気持ちは異常で気持ち悪いのだと思います。――けど! 私はそれ以上にアルクさんが大切なんです! 一時の感情に流されないでくださいッ!!」
「……俺は冷静だ。冷静に考えて、ヒズキを生かすわけにはいかないと判断したまでだ」
「アルくん!」
「話は終わりだ」
石床に手をついて立ち上がると、ぐらりと視界が傾いた。たたらを踏みながら何とか倒れずに済むも、踏みとどまった拍子に喀血してしまった。
「やっぱり――かぁ」
師匠にも『虚無』を使いすぎるなと警告されたのに、酷使しすぎた代償か。
『虚無』の体質はあくまでもエルク=オル・エヴァンス特有の体質だ。いくら俺がオル・エヴァンスとはいえ、彼女とは根本的に体質構造が異なっている。適応していても、完璧に制御しきれるわけではないのだ。
『虚無』を酷使するたびに肉体と魔力は蝕まれ、確実に死へと向かっていく。肉体的な損傷は治癒魔術を使えばどうとでもなるが、魔力が完全に食い尽くされたら、俺を待っているのは永遠の闇だ。
俺は足を引き摺りながらヒズキの元まで歩む。
「――ふふふ」
「……何を笑ってやがる」
体の治療もまともにせず血溜まりに沈んだヒズキは、不意に喉を鳴らして笑う。
左足からの出血はひどく、内蔵や骨など腹部を切って滅茶苦茶に掻き回したようなありさまになっているだろう。それでもなおヒズキは笑う。痛みなど感じ感じていないように。
まさかとは思うが、まだ何かあるというのだろうか。俺は最低限の安全を確保できる位置で歩みを止め、ヒズキを見下ろす。
「これがアルクの痛みなのね」
ヒズキの不気味さに俺は寒気を覚えた。
「ねえアルク、あなた、やっとわたしを見てくれたわね」
「あ?」
「わたしはずっとアルクを見てきたわ。あなたが生まれたときからずっと、あなただけを見てきたのよ。――だけどアルクは、わたしを見てくれなくなったわ」
ヒズキはぎょろりと眼球だけを動かして俺を見た。
「いつからだったかしらね。わたしはずっとアルクを見ていたのに、アルクを愛おしく思っていたのに、あなたの心はわたしから離れていったわ。そしてあろうことか、あの吸血鬼のところに行き着いた。――自分と同じ境遇にあったあの子に惹かれたのかしら?」
「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ。俺を愛おしく思ってた? 俺の心があんたから離れていった? 笑わせんな。俺を見限ったのはあんたが先だろうがッ」
少なくとも昔の俺はヒズキを慕っていた。
優しくて頼りになる姉としてずっとヒズキを好いていた。
それなのに、俺が魔術を使えないと発覚したあの日から、ヒズキの俺を見る目は冷酷で虫けらを見るようなものとなったのだ。
「そうかしら? あなたは自分が魔術を使えないと知って、わたしがそんなふうに見ていると錯覚しただけではないの?」
「ありもしねぇこと言ってんじゃねぇぞ。だったらなんで俺を殺そうとしやがった」
「――わたしの物にならないのなら、壊すしかないじゃない」
ヒズキの瞳の奥にドロドロとした黒い何かが渦巻いていた。
魔術を詠唱されたわけでもないのに、俺は恐怖のあまり後じさりしていた。
「わたしはずっとあなたを見ていたのに、あなたはわたしを見てくれなくなった。だから壊したかった。だけどね、今あなたはわたしを――わたしだけを見てくれているわ!」
ヒズキががばりと首だけをもたげ、口元に狂喜の笑みを張りつけた。
「気づいたのよ! あなたを傷つけることこそが、あなたに見てもらえる一番の方法なんだって! あなたの大切な人たちを壊すことこそが、あなたに愛してもらえる一番の方法なんだって! だから壊してあげる。あなたの生活も、あなたが大切に思う人たちもッ!!」
ヒズキは背中にバネでもあるように片足で起き上がると、狂った思想を語りだす。
「わたしを愛してアルク。わたしを憎んで。わたしを怨んで。わたしを恨んで。わたしを哀れんで。わたしを嫌悪して。わたしを苦しめて。わたしを怒らせて。わたしを嫉妬させて。わたしを焦がして。わたしを虐めて。わたしを笑わせて。わたしを悲しませて。わたしを泣かせて。わたしを抱いて。わたしを食べて。わたしを犯して。わたしを砕いて。わたしを壊して。わたしを――わたしを殺してアルクッッッ!!」
こいつはだめだ。
ヒズキはどうしようもないほど性格に破綻を起こしている。
こんな狂った思想を抱ける彼女は、もう救いようがない。
「うふふふ――あはははははははっ!! アルク、アルク、アルクぅぅぅぅッ!!」
ヒズキは身を捩りながら白銀の剣を天高く掲げた。
「Set. Re:cord‐No.105『Lost Eden』ッッッ!!」
その瞬間、俺たちの真下に巨大な穴が出現した。
『時空』の禁呪『ロストエデン』。一定範囲にあるあらゆる物質を取り込み、永久に幽閉する禁呪だ。ここに閉じ込められたら最後、それを上回る使い手以外では絶対に抜け出せない無限の牢獄だ。
底の見えない暗闇。だがその奥に広がる無数の赤い光は、おそらくは初代十皇家が生きていた時代に閉じ込めた妖魔なのだろう。怨念に近い呻き声が俺たちを呼び寄せ、逆らいがたい吸引力によって体が引き寄せられていく。
「さあアルク! わたしと一つに溶けましょうッッッ!!」
「こいつ……ッ!!」
俺はとっさに手を伸ばし、『ロストエデン』の範囲内からシノーラを突き飛ばした。
『ロストエデン』の禁呪は、無限牢獄を開くのに一回、そして閉じるのにもう一度発動しなければならない。だがすでに『ロストエデン』の禁呪を封じ込めたカードリッジは失われてしまったため、この無限牢獄を閉じることはできなくなってしまった。
だが、俺の『虚無』であれば牢獄自体を消滅させられなくとも、この世界と無限牢獄を繋ぐ穴を消滅させることは可能だろう。そうとうなリスクを伴うが、これを現界させたままでは、いずれ何もかもが飲み込まれてしまう。それだけは防がなければならない。
体が落下を始める。ヒズキは俺より深く飲み込まれ、すでに脱出するのは不可能な位置にいた。俺は一緒に落下していたファフニールを蹴って飛び上がると、有り余る魔力を右腕の魔導器一本に集約させる。この魔導器は俺の魔力量に耐えられるよう設定が組まれているが、今まで一〇〇人分の魔力を持った人間は確認されていない。すでに限界を訴えてくるブザーがけたたましく鳴り響いている。
「逃げないでアルク。何も怖くないわ」
かつての慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、両手を広げて俺を迎える体勢を作った。
するとファフニールが唐突に活動を再開させる。
だらんと垂れ下がっていた首が持ち上がり、俺の左脚に噛み付いた。
「邪魔――すんじゃねぇッ!!」
炸裂した瞬間に魔力を爆発。いかに神獣ファフニールといえど一〇〇人分の魔力を一個の塊に凝縮した一撃には耐えられなかったようで、顔面の半分を爆散させて命を終えた。
だがファフニールは十分に役目を果たした。噛み付かれたせいで跳躍の勢いが衰え、脱出するまでに至らなかった。必死に無限牢獄の穴に手を伸ばす。ギリギリで指が引っかかり首の皮が一枚繋がったが、下から吸い寄せられているせいで登るにも登れない。
どうする――そんな一瞬の逡巡の隙に、左脚に何かが絡みついた。
「アルクぅ? 何をしているのかしらぁ?」
「ヒズキ……!」
背中には六枚三対の翼が生えている。俺を落とすためにわざわざ残った魔力で形を形成してここまで来やがったのか。しかし俺の左脚に触れた時点で奴の魔力は完全に消滅した。もう魔術は使えない。
俺は右足でヒズキを蹴り落とそうとする。
だがヒズキが一枚上手だった。膝蓋骨の脇にある緊急パージのボタンを押し込むと反時計回りに捻り上げる。連結部が音を立てて外れ、膝から先が取れた。ヒズキは外した魔導器で蹴りを滑らせて受け流すと、今度は右足にしがみついてくる。
「危ないわねぇ、アルク。おねえちゃんに何てことするのかしら?」
「あんたを姉だなんて思っちゃいねぇよ!」
叫び、ヒズキの顔面に拳を落とす。
首を反らして躱そうとするも顔面の左側を捉え、眼球ごと皮膚を抉りとった。
ヒズキがするりとほどけ、今度こそ奈落の底に沈んでいった。
「……ちくしょうが」
俺は『ロストエデン』の穴から抜け出すと、息も絶え絶えに呟く。ただでさえギリギリなのにヒズキの最期の足掻きのせいでだいぶ魔力が持っていかれた。片足も外されたせいでまともに歩くことさえままなたない。
だが伊達に一〇〇人分の魔力は持っていない。魔力はまだまだ余裕がある。
俺は穴の淵に手を添えると、魔導器を介して一気に魔力を流し込む。ずん、と重力が数倍になったかのように空間が重くなる。気を抜けば押し潰されてしまいそうな圧力を堪えながら、さらに魔力を引き出す。
しかしそのときだった。
右腕の魔導器に亀裂が走った。
「冗談もたいがいにしろってんだッ!!」
ここで魔導器に壊れられたら――、
「くそがッ!!」
両手をついて集約させる魔力を分散させる。こうすれば多少は魔導器への負担も軽減されるはずだ。だが一度始まった負の連鎖は次々に負を呼び込んでくる。
左手をついた途端に肉体が限界を超えたのか、血液が内側から皮膚を食い破って噴き出した。魔力を集中させればさせるほど勢いは増し、意識が遠のくのがはっきりと感じる。
こうも立て続けに不幸が続くと心が折れそうになる。
俺の体が朽ちるか『ロストエデン』を封じ込めるのが先か。ここから先は気力の勝負となってくる。
頼むから、最期までもってくれよ――!
ビキビキと血管が浮かび上がり、その片っ端から破裂していく。激痛に意識を手放したくなる。なんで俺なんだと喚きたくなる。なんでこんな苦しい思いを俺がしなければならないのだ。もっと楽に生きることだってできるはずなのに。
「ああクソ、そうじゃねぇんだよなぁッ!!」
こんなこと誰がやったっていいのだ。
だけどここでは俺しか――俺にしかやれないことなのだ。だったらやるしかねぇよ。
「アルクさん」
「シノーラか。悪いが手ェ離せないんだ。これを閉じたら、全部終わ――」
俺が言う前に唇を塞がれた。
シノーラが口づけをしてきたのだ。
あやうく魔力が乱れかけたが、口内に流れ込んできた鉄の臭いのする液体に眉を顰めた。これって、もしかして血か? こんなときにこいつは何をやってんだ。
苛立ちが込み上げてくるが、集中を途切れさせるわけにもいかないし呼吸が苦しくなり、仕方なく飲み込む。
すると肉体の損傷が瞬く間に治っていき、数秒もしたころには完治していた。
「吸血鬼の血には傷を癒す力があります。私にはこれくらいしかできません。ですけど、私もここに残らせてください」
「……あんたの好きにしたらいいさ」
痛みが和らいだことで集中力は増していく。依然として肉体の破壊は続くが、限界が近づくたびにシノーラが治癒を施してくれる。間に合わなくなれば血を飲ませてくれる。
そうしてどれくらいが経っただろうか。
シノーラや周囲を俺の血で染め上げ、右腕の魔導器がぼろぼろと崩れ去ったころ、『ロストエデン』で開かれた無限牢獄の穴は完全に閉じられた。
◆
やっと終わった。
俺は歪な大の字になりながらぼんやりと思う。
シュルグに散々にやられ、乱入してきたヒズキには二つもの禁呪の相手を強要され、はてには手足の魔導器を破壊される結果となった。仕事も仕組まれたものだったし、魔術教典を守るのは単純に彼らに渡してはならなかったからだ。完全なる只働きの末、俺が得たのは魔導器を作り直すための出費のみ。
「……わ、わりに合わねぇ」
しかも魔術は使えない。私生活にでさえ支障が出る。マジで冗談じゃない。
俺は片手片足でバランスを取りながら上半身を起こす。
視線の先に、気まずそうに俯くシノーラの姿があった。
「あんたさっきから何やってんだ?」
「い、いえ……その、何でもありません」
「そんなわけねぇだろ。うじうじしやがって鬱陶しい」
いつものように辛口を飛ばすが、シノーラが食いついてくる様子はない。
「アルクさんはどうして私にいつもどおりでいられるんですか? 私はアルクさんを騙すようなこともしましたし、嫌われるようなこともしました。何よりも吸血鬼なんです。戦っているときは必死でしたけど、い、今はそうじゃないはずです」
「あ? 別にあんたが吸血鬼だろうが気にしないって言っただろう。……む、むしろ俺的には小っ恥ずかしいプロポーズのほうが気になってんだけど」
「えぇっ!?」
シノーラが素っ頓狂な叫びを上げた。
な、なんだよその反応。普通はそっちが気になるだろ。
「あんた吸血鬼って言っても混血種だし不老不死じゃねぇだろ? 体も成長してるしさ。外見だけじゃそんなのわかんねぇよ」
「そ、それはそうですけど、気にならないのはアルクさんが変なだけです。ほかの人が知ったら絶対にここにはいられ――」
「ほかの奴なんて関係ねぇだろ」
ムッとして少し強く言ってしまう。
「あんた、まさか俺以外の奴を選ぶ気なのか?」
「え? い、いえ、そうではない、ですけど……」
シノーラは頬を朱に染め、俺から顔を背けた。
「だったらいいじゃねぇか。ほかの奴なんて気にすんな。俺だけ見てろ」
そう言って俺は右手を差し出そうとして、半ばから失われているのを思い出す。格好がつかないと思いつつも左手をシノーラに伸ばす。
「帰ろうぜ。一人じゃ歩けねぇんだ」
シノーラは驚いたように俺の手を見た。
おずおずと手を重ねようと伸ばしてくるが、途中で躊躇うように引っ込めてしまう。
こいつはほんとうに――。
俺はぐっと体を前に倒してシノーラの手を掴む。
「いちいち自分の生い立ちなんか気にしてんじゃねぇよ。ついさっきまで忘れてた俺が言えた義理じゃねぇけど、あんたのことはずっと好きだった。それじゃだめか?」
シノーラは目を見開くと、ぽろぽろと涙を流し始めた。
こいつってお調子者のくせにすぐに泣くんだよなぁ。
「……ありがとうございます、アルクさん」
シノーラがぎゅっと手を握り返してきた。




