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魔術学院の虚無使い  作者: 牡牛 ヤマメ
28/33

第二十七話

 

「あなたがエルク=オル・エヴァンスと同じ体質ですって?」

「そうだ」


 俺は短く答えてブラックフレームの魔導器を鳴らす。


 師匠に拾われた俺は彼女に治療を受けたあと、最初にセメルベルクに連れて行かれた。師匠が拠点とする地にしてヴァレン=タイン家が根を張った島だ。俺を強くしてくれると言ってくれたが、手足の片方ずつを失っていてはいかに師匠でも難しい。

 だからまず右腕と左脚の代用品を作ることにした。それがこのブラックフレームの魔導器であり、最初の関門だった。

 魔導器の形を作ること自体は早期に終了した。師匠の注文である魔導器を生身の手足と同じように動かすため、魔導器内部に組み込んだ擬似神経と俺の神経を繋ぐ手術も、二十七時間の手術の末に無事に完了した。


 問題はその後だった。魔導器がカードリッジを介して発動させる魔術は声紋認証のみで選択され、排出することで現象を発生させる。そのため魔力は必要としないが、魔導器を生身の手足のように動かすには魔力を流し続ける必要がある。


 つまり触れただけで(、、、、、、)魔力を消滅させる(、、、、、、、、)虚無(、、)の禁呪が常に(、、、、、、)魔導器に再現される(、、、、、、、、、)のだ。


 当時、単純に魔術が使えないだけだと思っていた俺たちは、手術後に起きた唐突な魔力の消失に揃って度肝を抜かされたものだ。一瞬にしてレヴィの工房は風化し、一切を残さずに消滅してしまったのだから。

 そのとき初めて俺の魔力が『虚無』の禁呪そのものなのだと気づいた。


「皮肉なもんだよな。『欠陥品』なんて呼ばれた俺が、オル・エヴァンスにもっとも適合してたんだからな」


 魔術師としては紛れもなく俺は『欠陥品』だ。

 魔術を使うために必要な魔力が、触れるだけで魔力を消滅させる禁呪なのだ。術式を構築したところで送られた魔力のせいで魔術が消滅して不発に終わる。どうやったって俺だけの力で魔術を発動させられることは一生ない。


「せいぜい気をつけろよ。今の俺は、『虚無』の禁呪そのものだ」


 このまま『虚無』の禁呪を帯びた魔導器を剥き出しにし続けてはならないと判断した師匠とレヴィは、セメルダイト合金と呼ばれる金属で表面を覆うことで『虚無』の禁呪の効力を制限することにしたのだ。

 セメルダイト合金とはセメルベルクだけで採掘できる稀少な金属で、魔力を内側に押し込める効力が秘められているのだ。合金自体には魔力が通っていないため『虚無』の影響を受けることはない。


 そしてそれを解除した今、ようやく俺は全力で戦える。

 だが長時間、全力を開放し(、、、、、、)続けることはできない(、、、、、、、、、、)。早期決着が望ましい。


 俺は靴底で石床をにじる。両者の間で揺れる汗ばむほどの闘気になぶられ、とてつもない息苦しさに呼吸が詰まる。


「あなたが禁呪そのもの? だからなんだというのかしら。このわたしが、魔術しか使えないとでも思っているの?」


 ヒズキが構える。白銀の剣を片手で持ち上げ半身に。己の領域内に踏み込もうものなら刹那のうちに執行を完遂させ、永遠の闇へと葬られるような予感が脳裏を過ぎった。付け焼刃の構えではない。長い歳月を積み重ねて完成された自然体に、俺は無意識に感嘆してしまっていた。

 これだから厄介なのだ。ヒズキという女は自分が満足する域に達するまで己を磨くことを怠らない。はたして自分が満足する域とは、世界最強の魔術師であるフィオナ・ランセルを上回ることだ。

 八年前の時点でヒズキはすでに先代の十皇家の実力を凌駕していた。八年が経った今、彼女がどれほどの実力を身につけたのか想像もつかない。


「あなたは理解しているの? たとえあなたが『虚無使い』だとしても、それだけでわたしとの力量の差が埋まらないことを」

「言われるまでもねぇよ。あんたの力は嫌ってほど理解してる。――その上で、俺はあんたを上回るッ」


 それが戦闘開始の合図だった。


 俺が一歩を踏み込むと、先んじてヒズキが仕掛けてきた。自ら接近して俺を領域内に閉じ込めることで先手を打つつもりなのだろう。閃光を錯覚させるような煌きが、俺の喉元に飛び込んでくる。


「ハッ!!」


 迫り来る鋭い一閃に拳をぶつける。ピィン――と。金属同士を打ち合わせたにしては奇妙な衝突音が耳をついた。魔導器の表面を伝って形容しがたい激痛が電撃のように肩から全身に流れ込み、おもわず絶叫しそうになる。奥歯を食い縛って喉から吐き出される直前で堪えると、俺の魔力を流し込みながらそのまま強引に腕を振り抜く。

 すると思いがけず白銀の剣はヒズキの手から弾き飛び、空中を回転しながら彼女の後方へと伸びいていく。打ち合わされた衝撃を逃がすため自分から手放したのだ。

 俺の胸にヒズキの白く細い五指が添えられる。


「Re:cord‐No.80『Stream(ストリーム) Blade(ブレイド)』」


 風系統上級魔術『ストリームブレイド』。切断系魔術のなかでも近接戦において無類の強靭さを誇り、ゼロ距離で撃たれれば人体は真っ二つどころか細切れにされるだろう。――もちろん発動されればの話だ。

 俺はヒズキの腕を掴む。


「……ッ!?」

「驚くなよ。話は聞いてただろう? 俺が禁呪そのものだって言ったはずだ」


 俺の体内は常に魔力が循環し、皮膚の表面にも微量ながら魔力を帯びている。少しでも隙間を開けていたならともかく、俺に触れているゼロ距離状態で魔術の発動など誰であろうと不可能だ。


 握力に物を言わせてヒズキの細腕を握る手に力を込め――手首を粉砕する。

 ごしゃ、と人体から決して鳴ってはならない異音。鮮血が大量に噴き出し、辺り一面を赤色に染め上げた。普通なら激痛のあまりに絶叫を走らせ、意識を正常に保っていることすらままならないはずだ。


 しかしヒズキはわずか唇を噛み締めるだけの反応で終わらせ、追撃を警戒してか、かろうじて原型を残す手首を自ら放棄すると、高速詠唱をもって複数の魔術を炸裂させて俺の間合いから離脱した。

 ヒズキの手首だった肉と骨の塊が俺の足元に落ち、無残な姿をさらした。それに気を取られた一瞬の間にヒズキは再び高速詠唱。手首の切断面を塞ぐと、荒々しく肩で息をする。


「……やって、くれたわね」

「あんたが勝手にしくじっただけだろう。だけど、これで右腕の借りは返したぜ」

「そう。だったらその程度で満足しないことね」


 会話をしたほんの数秒で痛みを捩じ伏せてしまったらしい。

 ヒズキは右手を失ったのに動揺も見せず、あろうことか手首から先のない腕を前に突き出して詠唱を重ねた。


「Re:cord‐No.98『Sword(ソード) Rebellion(リベリオン)』」

「チッ……!」


 俺はおもわず舌打ちをこぼした。

 あの女は体の一部を失っても動揺の一つもしないのか。


 俺を中心に全方位に無数の剣が召喚される。

 最上級無系統魔術『ソードリベリオン』は、見ての通りただ剣を召喚するだけの魔術だ。しかし『虚無』の禁呪にはこれ以上ないほどの正回答だろう。何せ現れた剣には魔力は含まれておらず、物質として世界に顕現するするからだ。


 それなのに最上級に分類されているのは、術者が意図して術式を止めるか魔力が尽きない限り永久的に剣を召喚し続けるからだ。召喚した剣は術者の意識で自由に操れ、敵を針山へと変貌させるのはもはや作業に近い。

 禁呪の使い手なんて世界に二人しかいないのに、ヒズキはその対応をあっという間にしてしまった。どんな魔術師でも、手首を失った直後にこんな冷静な判断はできないだろう。


「Set. Re:cord‐No.73『Thousand(サウザンド) Scream(スクリーム)』ッ!!」


 大きく息を吸い込み、力の限り叫ぶ。

 闇系統上級魔術『サウザンドスクリウム』は、音を衝撃波として放出する魔術だ。しかもただの衝撃波ではない。これを聞いた人間の心象を揺さぶり、精神にまでダメージを与える魔術だ。


 俺を射抜かんと迫っていた剣の軍勢が衝撃波に弾き飛ばされ、一直線に駆け抜けるだけの道が出来上がる。ヒズキもそれは予想済みだったのか、さらなる詠唱を開始していたが、その表情は苦悶に満ちている。さしものヒズキも肉体的損傷ならともかく、精神に干渉した痛みは堪えられないと見える。

 いかに実力が優れていても内心を鍛えることだけは時間が必要だ。いったいどんなトラウマを刺激されたのかは俺に知る由はないが――詠唱速度が鈍っている事実だけがわかればそれでいい。


「Re:cord‐No.45『Shock(ショック) Spark(スパーク)』__Include(インクルード)__ Re:cord‐No.72『Amulet(アミュレット) Canon(カノン)』」

「はぁ!?」


 魔術を繋げて詠唱したかと思えば、発動された術式は二つの魔術が複合されて放たれた。城壁さえ撃ち貫く水撃砲に紫電がまとわりつき、渦巻きながら一直線に駆け抜ける。掌を広げて受け止めれば通常の魔術と同様に『虚無』がそれを消滅させたが、ヒズキにはいちいち驚かされてばかりだ。

 複数の魔術師が一人ずつ魔術を放てば同じ現象を起こせるだろう。現に俺とシノーラも炎系統と風系統で威力を強引に底上げを行った。だがヒズキはたった一人で、しかも俺たちより精巧に術式を組み上げている。


 こいつはいったい何なんだよ――!


「踊れ、剣の軍勢よ」


 五指を握り潰すように閉じると、衝撃波で散らばっていた剣が空中に飛び上がり、恐ろしい速度で密集してくる。


「Re:cord‐No.81――」

「わたしの邪魔をしないでちょうだい」


 俺の援護をしようとしたシノーラに標的が移る。

 剣の軍勢が俺を素通りしてシノーラへと殺到していく。


「シ――」

「私なら大丈夫ですから!」


 シノーラの左右で虹彩の違う瞳が真紅に変化する。吸血鬼の力を解放したのだ。ゴールドフレームの大鎌を両手で握り直すと、派手に振り回して迎撃する。正確無比な閃光が幾重にも走り、次々に剣を破壊していく。砕け散った剣の破片が火花で幻想的に彩られ、そんな彼女の姿に目を奪われそうになった。


「あなたの相手はわたしでしょう。あんな出来損ないを気にしている場合かしら?」

「てめぇ……!」


 とっさに防御の構えを作る。直後に肩に一筋の斬撃を浴びる。少しでも反応が遅れていたら肩ごと魔導器を切断されていただろう。鎖骨ごと肉を抉っていった白銀の剣先が、血の色を帯びて艶かしく光る。

 そこに標的をシノーラから再び俺に変えた剣軍の一部が背中に突き刺さった。全身を魔力を覆っていたおかげで貫通しなかったのは幸いしたが、それでも深く体内に侵入してきたのは痛手だ。即座に剣を引き抜き、二刀流でさらに迫る剣の山を弾き砕く。


「Re:cord‐No. 87『Crash(クラッシュ) Blaze(ブレイズ)』 __Include(インクルード)__ Re:cord‐No. 88『Shadow(シャドー) Mist(ミスト)』」


 瞬間、俺の左側上方と右側下方から這うように黒炎が吐き出された。

 俺の魔導器が触れただけで魔術を消滅させられると判断しての一手だろう。剣軍の対応に迫られてては殴る蹴るだの無駄な動きをしていたら、その間に剣に串刺しにされる。


「Re:cord‐No.75『Wall(ウォール) Shield(シールド)』ッ!!」


 石床を真っ二つにして突き出てきた六重の石盾が無数の剣を防いだ。

 シノーラの魔術だ。俺にひと呼吸させる時間稼ぎしか役割を果たさなかったが、しかしそのひと呼吸があれば十分だった。反転して黒炎の方向に魔導器を移動させ、消し飛ばす。


「背中は私に任せてください! 絶対にアルクさんを守ってみせます!」

「吸血鬼ごときがわたしの邪魔をしないで」


 俺の脇を一陣の風が吹き抜けた。

 ヒズキだ。こいつ――ッ!


 俺は体勢を崩しつつもヒズキを追いかける。シノーラは剣の軍勢に加えて俺のサポートで手一杯だ。そこにヒズキが加わろうものなら取り返しのつかないことになる。


「吸血鬼殲滅術式第四節『赤化(せっか)(とう)(ろう)』」


 ヒズキの右手首の断面から血液が溢れ出て、獣のような爪が伸びた。

 二代目十皇家が生み出した対吸血鬼用の殲滅術式。その第四節である『赤化の燈籠』は、吸血鬼の体内に不純物の含んだ血を流し込むことで細胞を死滅させ、肉体の再生をさせず死に至らせるというものだ。

 いかにシノーラが混血種とはいえ、まともに喰らえば命はないだろう。

 シノーラもヒズキに気づいてはいるが手が回らない状態だ。


「させねぇッ!!」


 シノーラに一撃が届く前に体を滑り込ませ、ヒズキの腕を力任せに叩き上げる。

 こいつはどこまでやれば気が済むんだ。吸血鬼殲滅術式を会得している魔術師など、それを専門として活動している者くらいだ。魔術とは術式の組み立て方も理解の方向性も違うため、どちらかを覚えようとすれば、必ずどちらかに支障が出る。

 だというのにヒズキにはそんな様子はない。魔術も吸血鬼殲滅術式も一流以上に使いこなしているのだ。目の前で見せられても到底信じられることではない。


「あなたは、そんなに吸血鬼の女がいいの……!?」

「あんたよりずっとなッ!!」


 腕を上に持ち上げられ無防備に腹部をさらしたヒズキに、渾身の一撃を喰らわせる。

 だが、拳を叩き込んだヒズキの姿が掻き消え、背後に白銀の剣を刺突の姿勢で構えた彼女が前触れもなく現れた。さっきの複合術式の際に自分にも『シャドーミスト』をかけていたのだろう。

 しかも『虚無』を流して機能を停止させたはずの白銀の剣が魔導器として復活している。

 おそらくシビルウォートが、こういった展開に備えて何か細工をしていたのだろう。おもわず舌打ちをする。ヒズキの禁呪詠唱を防ぐにはあれを奪うか破壊するかしか方法がないということか。厄介な構造にしやがって。


 俺は石床に突き刺さった剣の一本を抜き取り、振り向きざまに応戦する。やはりシビルウォート製の魔導器にただの剣が通用するわけがなく、一合打ち合っただけで粉々に粉砕される。けれど剣は腐るほどある。即座に二本目、三本目と抜き放ち、隙を見計らってシノーラを小脇に抱えて離脱する。

 着地点に剣軍が殺到してくる。標的は依然とシノーラだ。


「Set. Re:cord‐No. 40『Spear(スピア) Needle(ニードル)』ッ!!」


 大量の小針を発射して剣を撃ち落とす。一見すれば形勢は互角に見えるが、実際はそんなわけがない。こっちは二人もいて役割を分担できるのに、互角に見える時点で押し込まれているのは明白だ。

 ヒズキは最上級魔術を長時間維持し、正確に狙い撃ちしてくる。しかもただでさえ魔力消費が激しいなか、複合術式なんてとんでも技法を披露しただけでなく近接戦までやってのけているのだ。どう考えてもヒズキが優勢だ。

 師匠のほうが恐ろしいのに、ヒズキからはそれ以上の脅威を感じる。一手ごとに何をしてくるか予想できないだけに行動を選択しにくい。


 シノーラを降ろし、俺たちを憎しみを宿した瞳で睨んでくる。

 いや、俺たちというよりシノーラを睨んでいる。


「忌々しいわね。ああ――ほんとうに忌々しいわ」

「あ?」


 俺にはヒズキがそんなことをいう理由がわからない。忌々しいのはこっちだ。


「あなたは昔からそうよね。ほんとうに――ほんとうに忌々しいわ」

「昔だって?」


 ヒズキの言葉に俺は挙動を止める。

 俺たちはオル・エヴァンスの分家、そのなかでも離れの小屋に住んでいたシノーラとよく会って遊んでいた。関係は良好だったように思うし、少なくともヒズキが過去が原因でシノーラを憎むようなことはなかったはずだ。


 シノーラも心当たりがないようで困惑の色を浮かべている。

 こいつとシノーラに何かあったのか?


「まあいいわ。どうせここであなたたちは、ここで死んでもらうのだから」


 そう言ったヒズキの左手の魔導器がカードリッジを装填した。

 俺は本能的に踏み出し、ヒズキに襲いかかっていた。

 シビルウォート製の魔導器は見た感じ詰め込めるのは二発のみ。そしてヒズキが持っている禁呪は二つだ。つまり魔導器が魔術を発動させる兆しを見せたということは、今から奴が使おうとしているのは――、


「Set. Re:cord‐No.108『Paradise(パラダイス) End(エンド)』」


 ぐにゃりと世界が歪んだ。

 平衡感覚が失われ、俺という人間が喪失するような感覚――いや、そんな感覚でさえも遠のいていくおぞましさが俺の体のなかを這い回った。


『創造』の禁呪『パラダイスエンド』。

『虚無』の禁呪があらゆる魔力物質の消滅なら、『創造』はその真逆だ。

 ありとあらゆるモノを創生し、終焉へと導く禁呪。過程はどうあれ、禁呪とは例外なく終わりへと到達するための術式だ。世界そのものを改変し、意のままに捻じ曲げる。


 俺は『虚無』を全開にして抵抗する。シノーラは混血種でも伊達に第一級危険種と言うべきか、やや苦しそうにしているも俺より影響は少ないようだった。――しかし表情は絶望に呑み込まれ、この世の終わりを目の当たりにしているかのようだった。

 必死に抵抗しながら視線を上に傾げ、俺は理解した。

 そこには巨大なドラゴンがいた。鋼のような漆黒の鱗、羊のように伸びた頭部からは一対の角が生えて湾曲を描いている。背中には広げれば数十メートルに及ぶであろう翼。黄金に輝く瞳には知性はなく、本能のままに暴れる獣の色だけが宿っていた。


「神獣――ファフニール……!?」


 俺は絶叫する。

 第二級危険種『ファフニール』。まだ吸血鬼が生まれておらず、妖魔と激しい戦いを繰り返していたころに存在していたと言われるドラゴン。今では絶滅しているからこそ第二級に認定されているが、生きていれば確実に第一級に押し上げられるほどの危険生物だ。


「冗談じゃねぇぞ……!」


『創造』の禁呪は神獣をも創り出せるというのか。しかも魔導器で発動したため再現度が低くなっているにも関わらず、あれから感じる威圧感は魔獣の比ではない。

 しかもファフニールに俺の『虚無』は通らないだろう。ファフニールはかつて魔術師だったなどという逸話が残されているが、『創造』の禁呪は術者が思った通りのモノを思ったように創り出せる。それをヒズキが行っている以上、魔力などという不要な代物を与えているわけがない。


 ファフニールが長い首をもたげ、口を大きく開いた。牙の羅列した口内――その喉奥で、灼熱が迸るのが見えた。

 残弾は中級と初級が一発ずつだ。――躱せるか。

 そのときだった。俺より早くシノーラが動いた。凄まじい跳躍力でファフニールの顎下まで一気に飛び上がると、大鎌を振り上げて下顎を叩き上げた。刃は鱗を傷つけることはなかったが、その勢いを持って口を閉ざさせることに成功した。


 直後にファフニールの口内で爆炎が迸る。しかし炎を吐き出せなかったことで、大きなダメージが巨躯を直撃した。漆黒の竜はけたたましい悲鳴の咆哮を上げ、もうもうと黒煙が立ち上った。


「ファフニールの相手は私がします。これでも第一級に指定される危険種なんです。第二級の獣畜生なんかに負けませんから」

「……大丈夫だなんだな?」


 綺麗に着地したシノーラは妖艶な笑みで答える。


「もう二度と、アルくんの傍を離れるつもりはありませんから♪」

「…………」


 正直不安がないわけではない。

 だが、シノーラにファフニールを任せるのがもっとも賢い選択だ。

 俺は無言で頷くと漆黒の竜の脇を抜け、ヒズキの前に躍り出る。


「そうね。化物同士、ああやって遊んでいればいいわ」

「俺とあんたも似たようなもんだろう」


 ヒズキは新しい魔術を生み出したり禁呪を魔導器を介してでも操り、俺も自分自身が『虚無』の禁呪だ。種族的にシノーラとファフニールが化物だというのなら、俺たちは人間でありながら化物だ。


「わたしがあなたと同じ化物ですって。――ふふふっ、そう」


 ヒズキは口元を隠して肩を震わせる。笑ってやがるのか。――いや、そうではない。

 口元を覆ったヒズキの手の隙間から赤い液体が流れ落ちてきた。それは留まることを知らないようにどんどんと溢れ返り、ついには派手に血を撒き散らした。

 なるほど。いかに魔導器を介してでも適性のない人間が無理に禁呪を使おうとすれば、肉体的なダメージとして跳ね返ってくるということか。

 俺は石床を蹴って距離を縮める。


「別にそれでも構わないわ。あなたが、わたしと一緒でいいのならね」


 ヒズキは自身の血で体を濡らしながら剣を持ち上げる。

 白銀と漆黒が打ち合わされる。共振するように空間が揺れ、衝撃が腕を介して貫通していく。歯を食い縛って痛みを堪えると――俺たちは加速する。

 右から跳ね上がってくる刀刃。その軌跡は艶やかで、どこをどう通過するか目で追えるのに体が思うように動かなくなる。俺は魔導器を動作させて強引に受け止めると、ヒズキの真横にスライドしてヒズキの両足を刈り取る足払いを。


 ヒズキは冷酷なまでに正確な反応を見せる。その場で軽く飛んで足払いを躱すと、伸びきった俺の左脚に剣を突き刺してきた。激痛にあやうく絶叫を吐き出しかける。痛覚さえ強制連結されていなければ何も感じることはなかったはずなのに――などど思う間もなく、柄尻に手を乗せて体勢を逆さにしたヒズキの踵落としが頭上から炸裂する。

 逃げようにも脚を石床に縫いつけられているせいで逃げられない。おまけに体勢を崩されたままだ。俺の体は右腕と左脚が魔導器で、常に『虚無』の禁呪が肉体に発動しているとはいえ、純粋な物理攻撃には何の意味を成さない。まともに喰らえば致命的な隙を晒してしまうのは明白だ。


 俺はとっさに腕を交錯させれば、直後に凄まじい衝撃に背中から石床に叩きつけられた。肺から空気が押し出されて視界が霞むなか、ヒズキが俺の顔面を靴底で踏みつぶそうとするのが見えた。左脚を拘束する剣を蹴り飛ばして真横に転がり、飛び上がりざまにヒズキの顎にアッパーを撃ち込む。

 しかしヒズキは上体をスウェーさせ紙一重でやり過ごし、飛び下がりながら魔術を放ってくる。俺はそれを魔導器で迎撃して接近。そこでヒズキは距離を開けるのは無駄だと判断したのか石床に突き刺さる剣の一本を抜刀――二刀流で構えた。


 そこからは閃光の放ち合いとなった。


 斜め上から左の剣が降りてくる。遅滞なくほぼ同時に右の剣が突き出された。俺は体を捻って斜めの斬撃を躱し、懐に潜り込んで刺突を弾き上げる。二刀の乱舞は続く。引き戻された右の剣から斬撃が走ったかと思えば、斜め下から同じ軌道を真反対に描いて左の剣が跳ね上がってくる。

 束の間、すべての物事がゆっくりと流れ出した。二刀の軌跡がはっきりと見える。


「ハアアアアアアアァァァッ!!」


 俺は絶叫しながら、自分でもどうやったのか理解できない動きで剣を跳ね返した。無我夢中にやったでたらめな動作はヒズキにも予想できるものではなかったらしく、何が起こったのかわからないような顔をしていた。


 しかしそこはさすがと言うべきだろう。

 瞬時に状況を把握をしたヒズキは剣を手放し、魔術を詠唱する。奴に近すぎるから魔術を使えないなんてことはない。詠唱速度は拳や剣を振るうのに匹敵し、どこに位置していようが関係がないのだ。


 ――だが、そんなことは想定内だ。


 俺は低く沈み込み、ヒズキの左足を目掛けて超音速の蹴りを。耳を聾するほどの破砕音が響いた。おそらく何かしらの防御魔術を破壊したのだろう。ヒズキはここに来て、致命的なミスを犯したのだ。


 そして裂脚が完遂される。

 ヒズキの左脚を消滅させる結果と共に。


「俺の勝ちだ、ヒズキ!」


 宙に浮いたヒズキの胴体に容赦なく全力の一撃を突き立てる。下に叩きつけられたヒズキの体は石床ごと深く沈み、人体に激しい損傷を負った。これ以上ないほど、確実な決着となった。


 縋るように手を伸ばしたヒズキだったが、やがて力なく落ちた。


 


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