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魔術学院の虚無使い  作者: 牡牛 ヤマメ
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第二十四話

 

 俺は牙を剥いて姿勢を低く構える。さながら獣のような体勢に、シュルグは雷を迸らせながら立ち上がる。手応えがほとんどないとは思っていたが、予想以上に上手く衝撃を拡散させられていたらしい。

 石床を強く蹴り出し、滑空するように低い姿勢でシュルグへと切り込んでいく。俺とシュルグの体格差は頭二つ分にも及び、奴からしたら俺に姿勢を低くして突っ込んでこられるのは相当な嫌がらせになるだろう。対処するにしてもかなり神経を使うはずだ。


「Set. Re:cord‐No.87『Crash(クラッシュ) Blaze(ブレイズ)』ッ!!」


 さらに俺は炎系統上級魔術『クラッシュブレイズ』を前方に吐き出す。ありとあらゆる物体に喰らいつき牙を離さない黒炎は、炎系統魔術でも最強の威力を誇る。人間に浴びせれば塵一つ残さずに燃やし尽くすだけの火力がある。


「嘗めるな『欠陥品』がッ!!」


 シュルグは全身にまとっていた雷を片手一本に収束させると、あろうことか拳を握り込んで黒炎にぶつけてきた。奇しくも俺がシズキ戦で使ってみせた一手だ。俺の場合は有り余る魔力でコーティングしたのに対し、シュルグは突貫力の高い雷系統の魔力だ。

 魔導器で放った『クラッシュブレイズ』程度なら、オル・エヴァンスの魔力量ならさほど苦もなく弾き返せるだろう。現に黒炎は驚くほどあっさり爆散させられ、周囲に大量の火の粉を撒き散らした。


 だがこれはただの目眩ましだ。レヴィ製の魔導器でもシュルグに通用するなどとは思っていない。本命は超加速によって威力の底上げされた拳撃だ。


「Set. Re:cord‐No.6『Boost(ブースト) On(オン)』ッ!!」

「ぬっ……!?」


 黒炎に意識を取られていたシュルグは、俺への反応が遅れる。右腕からカードリッジが勢いよく排出され、急激に生み出された加速に体を引き摺られるようにしてシュルグの懐へと滑り込む。ここまで踏み込めば大柄なシュルグではどう足掻いても安全圏までの後退は不可能。仮にされたとしても『ブーストオン』の加速力の前では無に等しい。


「おおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」


 喉から裂帛の気合を轟かせ、下から上にアッパーカットぎみの一撃でシュルグの胴体を打ち上げる。骨を砕く異音が老体のなかから響く。一線に結んだ唇の隙間から鮮血が溢れ返り、俺の頬を濡らした。


 上空に高く打ち上げられるシュルグ。拳撃を繰り出してなお失われない勢いの方向を上に転換させ、シュルグと同じ高度まで一気に跳躍すると体の上下を逆転。そこで右腕の魔術の効果が切れた。

 だが役目は最後まで果たしてくれた。

 今度は左脚の魔導器を起動させる。内部でカードリッジが素早く装填され、俺の詠唱と共に回転しながら弾き出される。


「Re:cord‐No.78――」


 一撃必殺。

 文字通り敵を一撃で屠るための魔術が発動される――直前、


「だめですアルクさん!」


 シノーラの悲鳴が耳に届いた。

 カードリッジが視界を横切った先、地上にいるシノーラの焦燥に駆られた表情だけが嫌に網膜に焼き付いた。だけど魔術はすでに完成されている。もう止められない。


「――『Fate(フェイト) Bullet(ブレッド)』ッ!!」


 無系統に分類される強化系。そのなかにおいて最大火力を誇る『フェイトブレット』。俗に『運命の弾丸』とも呼称されるこの魔術は、通常は魔術師のほうが有利になる魔術の撃ち合いおいて魔導師が圧倒的に勝ることのできる唯一の術式だ。

 体の一部を擬似的な弾丸と化す捨て身の一撃を再現する諸刃の剣。禁呪に分類されないながら魔術師たちの間では使わないことが暗黙の了解になっており、使用者を見かけることはほぼないと断言できる。


 そんな術式が何故、魔導師に優位に働くのか。答えは実に簡単だ。魔術師は体内にある魔力を自分という器から直接魔術に変換しているが、魔導師は魔力を魔導器に流し込み、あらかじめ用意していたカードリッジで魔術を発動させるからだ。


 強化系の魔術は、魔導師自身には効果を及ぼしてくれない。

 つまり発動された強化系魔術(、、、、、、、、、、)は魔導器に作用し(、、、、、、、、)、副作用の一切を負う必要がなくなる。

 だからこそ、この魔術は魔導師の最強の矛となり得るのだ。


 天地を逆さにした強烈な蹴りがシュルグに突き刺さる。


「墜ちやがれッ!!」

「――まだまだ青いな」


 シュルグが不敵に笑んだ。

 その瞬間、大男の姿が何重にもブレたかと思えば、俺の前から一瞬にして掻き消えた。

 俺は直後に自分の失態を悟る。


「闇系統上級魔術など、警戒して当然だろう? よほど焦っていたようだな」


 俺の背後にシュルグが現れる。

 おそらくシュルグは事前にRe:cord‐No.88『Shadow(シャドー) Mist(ミスト)』を仕込んでいたのだ。気配も質量もまったく同一の分身を作り出して身代わりにする魔術だ。学生同士ならともかく、手練の魔術師相手ならもっとも考慮すべき魔術の一つだ。

 それなのに、頭から抜け落ちてしまうほど我を忘れていたのか――。


「貴様がシノーラに抱いた感情が本物だと言うのなら、八年前のあの日に抱いた憎しみの感情もまた紛れもない本物だ。貴様はな、それを認めたくないがゆえに真実を突きつける儂を一刻も早く葬りたかったにすぎん。――それが貴様の敗因だ」

「黙れぇッ!!」


 そうだ。俺が抱いた憎しみも本物だ。あんたになんか言われなくてもわかってる。

 だからこそ、俺はそれを乗り越えるために力をつけたんだ。

 俺は即座に蹴りの軌道を修正。背後に回ったシュルグの即頭部へ爪先を突き立てる。


「それが青いというのだ。――Re:cord‐No.99『Reflect(リフレクト) Absorber(アブソーバー)』」

「がっ――」


 転瞬、爪先から頭頂部まで一気に衝撃が突き抜けた。

 次に認識したときには俺の体は石床を陥没させてめり込んでおり、全身の骨が砕けたような激痛のせいで意識が朦朧としていた。何が起こったかわからなかった。


 シノーラの悲鳴が近くから聞こえる。

 シュルグの勝ち誇った嘲笑が聞こえる。


「ご、ふ――」


 呼吸しようとすれば喉の奥から大量の血が溢れ返ってきた。叩きつけられた衝撃で内蔵のもろもろがダメージを負ってしまったらしい。冷静にそんな判断ができるほどに、訴えてくる激痛は許容量を軽く超えてしまっていた。


「アルクさん!」


 シノーラが涙を溢れさせながら駆け寄ってくる。傍らにしゃがみこんで治癒魔術をかけてくれるが、ダメージが大きすぎて回復が間に合わない。痛みは和らぎつつあるが体は一向に言うことを聞く兆しがない。いや、実際には動いてくれているが感覚が麻痺しているせいで体が動作を認識していないのだ。


「所詮はその程度だ。世界最強の魔術師を師事したところで、貴様自身の限界はどう足掻いたところで乗り越えられん。『欠陥品』は『欠陥品』らしく、ここで果てるといい」

「やらせません……!」


 シノーラは大鎌を拾い上げると、体を痙攣させながらシュルグと対峙する。

 するとシュルグが腹を天井を仰ぎながら大笑いする。


「吸血鬼のくせに男に誑かされたか? やめておけ。その魔導師を使おうが、貴様では儂の相手にはならん」

「そんなの、やってみなくちゃわかりません……!」


 悔しいがシュルグの言うとおりだ。シノーラは戦い云々以前に心が負けている。いかに吸血鬼の混血種といえど返り討ちに遭うのは火を見るより明らかだ。

 俺は右手でシノーラを掴む。


「下が……ってろ。ここは、俺がやる」


 途切れ途切れに言って俺は立ち上がる。感覚がなくなったところで体に染み付いた動きはイメージできる。制度は落ちても戦うことができないわけではない。


「だ、だめです。アルクさんはもう動ける状態では――」

「こいつは俺が殺す」


 俺が語気を強めて言えば、シノーラは真紅の瞳を怯えに揺らした。

 シノーラが荒々しい口調に弱いのは薄々勘づいていた。弱みに付け込んだようで罪悪感が胸のうちから沸き上がってくるが、彼女を戦わせて無意味に怪我を負う姿を黙って見ているなど俺にはできない。


「美しき友情か? 実にくだらんな。満身創痍の貴様に何ができる? まさか、その状態で儂に勝てるつもりでいるのか?」

「当たり前、だろ。あんたは――ここで殺すッ!!」


 師匠から逆境下での訓練は受けている。魔導器を失った場合の選択肢とその選択。身動きを封じられた際の最善手。今回該当するのは四肢の欠損がないまま、触覚を失った場合の行動の再現だ。


 魔導器には神経を繋ぐことで実際の四肢と同様の感覚を得る機能が備わっているが、その本質は戦闘の補助である。魔力を流すことで動かしているため、俺の魔力が尽きない限り魔導器が停止することはない。

 俺の魔力は魔術師一〇〇人分にも及ぶ。魔導器の使用で消費される魔力など、俺にとって減ったことさえ認知できない程度でしかない。生身の肉体の感覚がなくなろうと、もともと感覚のない魔導器を動かすことに支障はない。


 左脚を軸にシュルグへと特攻する。

 俺に残されたカードリッジは左脚に装填された二発のみ。どちらも初級だ。シュルグを一撃で倒せるだけの威力は期待しないほうがいいだろう。何よりシュルグは『リフレクトアブソーバー』を使うことができる。


 自身に向けられた攻撃の方向を相手へと転換させる魔術。一言で言えば反射魔術だ。術者と薄皮一枚隔てた位置に透明な壁を作り、それに触れたモノを問答無用で跳ね返す、魔術のなかで一二を争う術式だ。魔力の消費は多いがそれ以上の成果を得られる魔術だ。

『リフレクトアブソーバー』を打ち破るにはそれ以上の魔力を込めるか、威力で貫通させるかのどちらかしかない。


 だが、今の俺はどちらも選択できない。

 魔力はあっても、カードリッジを介した魔術では威力を底上げできないためだ。必要以上に魔力を注げばカードリッジそのものが壊れ、最悪発動さえしない。


 ――でも打つ手がないわけではない。


「Set. Re:cord‐No.6『Boost(ブースト) On(オン)』ッ!!」


 左脚の踵から爆発が起こり急加速する。向かい風になぶられながら、崩れた体勢をおよその感覚だけで立て直して真正面から突っ込んでいく。


「懲りない男だ。そこまで死に急ぎたいのであれば、望み通り過去を知らないまま死ね」


 冷めた目でシュルグは再び『リフレクトアブソーバー』を唱える。この魔術の強みは一度反射しない限り、消滅しないという点だ。つまり一度であれば確実に反射が行えるということである。

 そしてシュルグもそれを理解しているからこそ、俺の突撃に対して棒立ちで構えているのだろう。俺では『リフレクトアブソーバー』を破れないと確信しているのだ。


 だから、おそらくこれが最大にして最後のチャンスかもしれない。

 俺は左手に魔力を集中させる。


「何をしようが無駄だ! 貴様の魔術は儂には――」


 余裕そうにしていたシュルグの顔色が驚愕に支配される。

 魔力の集束された左の拳撃が『リフレクトアブソーバー』の反射を消滅させ(、、、、、、、)、シュルグの胴体を穿ったのだから。速度と勢いと体重――その三つが乗せられた拳撃を喰らったシュルグの体が浮き上がる。手応えありだ。今度は身代わりではない本体を叩いた。

 肋骨の数本をまとめて叩き折り吹き飛ばす。口から血の泡を吹いたシュルグは、十メートルほど後ろに引き摺られ、石床を何度も跳ねながら倒れ込んだ。

 俺も上手く着地できずに石床を転がり、うつ伏せの格好で力尽きる。


「あ、アルクさん……!」


 シノーラが顔を青ざめさせて俺を抱き起こしてくれる。

 俺は全身を支配する激痛に顔を顰めながら正面を見る。


「き、貴様、何をした……!」


 シュルグは血塊を吐き出しながら、鬼のような形相で俺を睨んでくる。

 ……くそ。まだ動けるのか。


「禁呪を悪用しようとしてるあんたなら、俺が何をやったかわからないわけないだろう?」

「なんだと? ――ククク……クハハハハハハハ! そうか、そういうことかッ!?」


 わずかに逡巡したシュルグは、どうやら俺の言いたいことに気がついたらしい。

 重症を負っているにも関わらず高笑いし、咳き込んで血を吐き出しながらも地下書庫に笑いを響かせていた。


「なるほどな。これならば貴様が魔術を使えないのにも納得がいく。だとすれば本家の連中も見る目がないな。ヒズキのような小娘よりも、貴様のほうがよほどオル・エヴァンスに相応しい。――しかし悪いな。そうなったとあらば、貴様をますます生かしておくわけにはいかん」


 シュルグは瞳に明確な殺意を灯し、俺とシノーラを見据えてくる。

 そして着ていた法衣を脱ぎ捨て――俺は絶句した。

 シュルグの体は、数多くの魔導器でコーティングされていたからだ。


「驚くことではあるまい。貴様とて、魔導器の特性は理解しているだろう?」

「ああ、嫌ってほどにな」


 俺は内心で戦慄しながら、この状況を覆す一手を思考する。

 マズすぎる。シュルグはほかのオル・エヴァンスのようにプライドが高いだけではない。一族をさらなる高みに持ち上げるため、敵を完膚なきまでに叩き潰すためにやれるだけのことを何でもやっている。

 亜人の血を取り入れたり、魔導器を使ったりしているのがその証拠だ。どうせならオル・エヴァンスらしく血統とプライドだけを重宝していればいいものを。


「Set. Re:cord‐No.59『High(ハイ) Heal(ヒール)』」


 シュルグの全身の魔導器が一斉に(、、、)魔術を発動させる(、、、、、、、、)

 魔導器は声紋認証によって起動される。俺の場合は神経を繋いでいるため起動させたいほうを手足のように自在に選択できるが、通常はそこまで万能ではない。複数の魔導器を装備している場合、声紋認証を受ければそのすべてが起動するのだ(、、、、、、、、、、)

 これは欠点に分類される機能なのだが、シュルグは見事にそれを逆手にとった。

 俺は右腕を突き出して詠唱。


「Set. Re:cord‐No.11『Ice(アイス) First(ファースト)』ッ!!」


 掌からシュルグに向かって氷槍が放たれる。

 薄緑色の燐光をまとうシュルグは片頬を吊り上げ、ひたすらに鍛え上げた肉体のみでそれを粉砕した。ダメージはない。


 ――冗談じゃない。


 俺は発狂しそうになるのを堪え現状の確認を行う。シュルグは通常の魔術に加え、魔導器の補助をも使っている。おそらく治癒魔術を仕込んでいるのだろう。威力は低下していても無系統中級魔術『ハイヒール』を重ねがけすれば、上級魔術以上の治癒力を発揮する。

 それに対して俺は今の一撃ですべてのカードリッジを消費してしまった。残弾ゼロ。あとは自身の魔力と格闘術しか残されていない。――状況は最悪だ。


「ああ、そういえば貴様とシノーラの関係を話していなかったな。冥土の土産に教えておいてやろう」


 シュルグはいやらしく笑うと、


「貴様とシノーラはな、許嫁同士だったのだよ」

「……ッ、」


 俺は驚愕のあまりに言葉を失った。

 俺とシノーラが、許嫁――?

 おもわずシノーラに目を向ければ、悲しそうな目をして唇を噛み締めていた。


「オル・エヴァンス始まって以来最高峰の魔力を持つ貴様。そしてオル・エヴァンスの吸血鬼の混血種であるシノーラを掛け合わせれば、今度こそ最高傑作が完成すると思ったのだ。儂がせっかく無能な兄者を説得したというのに、貴様がとんだ出来損ないだと聞かされたときは怒りで我を忘れたぞ」

「……てめぇ、俺まで利用しようとしてたのかッ」

「儂に使われるのだ。むしろありがたく思え。――ああそうだ、そういえば貴様は出来損ないではなかったな。ならばこうしよう。今度こそ儂に従い、シノーラとの子を産むというのなら、子種の元として貴様を生かしてやっても――」

「ざけんじゃねぇよタヌキジジィ。あんたに使われるくらいなら死んだほうがマシだ」


 俺は言いながらシノーラの肩を押す。

 驚いて俺を仰いでくる彼女に目だけで逃げろと伝える。


 こうなってはシノーラを庇って戦うなんて無理だ。俺が生き延びるので精一杯の状況下でまともに動けそうにない彼女を背負うのはリスクが高すぎる。

 シュルグはオル・エヴァンスとしてでなく、超一流の魔術師として見なければ殺されるのは俺だ。もう打つ手などほとんど残されていない。


「そうか。ならば出来損ない同士、ここで死ね。――Re:cord‐No. 90『Savior(セイヴァー) Lance(ランス)』」

「シノーラ逃げろッ!!」


 ほとんど絶叫に近い声をシノーラにぶつける。

 だが、彼女は逃げなかった。

 俺の前に出るとゴールドフレームの大鎌を構え、詠唱を開始する。


「Re:cord‐No.75『Wall(ウォール) Shield(シールド)』ッ!!」


 土系統上級魔術『ウォールシールド』。瞬時に六重の十メートル以上の巨大さを誇る石盾を構成することで、ありとあらゆる魔術を防御する鉄壁だ。最上級魔術を除けばほとんどの魔術を防御することができる。

 直後に凄まじい轟音と衝撃が空気を振動させる。


「逃げろって言ってんだろッ!! あんたじゃあいつは手に負えねぇんだよッ!!」

「アルクさんだって大怪我してるじゃないですかッ!!」


 シノーラに鬼気迫る形相で叫び返され、俺は二の句を紡げなくなった。


「そんな体で何ができるっていうんですか! 彼が私の手には負えないのはわかってます。ですけどアルクさんを置いて逃げるなんてしたくありません! ……もうアルくんと離れ離れになるなんて、嫌だよ……!」

「アル、くん?」


 シノーラが口にした呼び名に俺のなかで何かが引っかかった。

 いや、そもそもシノーラと会ったときから俺は彼女に何かを感じていたのだ。懐かしさ、親愛――とにかく初めて会ったとは思えない感情が靄となって渦巻いていた。


『じゃあ私、将来はアルくんのお嫁さんになりますね』


 不意にそんな言葉が頭をかすめた。

 するとどうしたことだろう。次々に覚えのない光景がフラッシュバックするように浮かび上がってくる。他人の記憶を覗き見るような気持ち悪さと同時に、他人事とは思えない光景に頭が締め付けられる。

 頭痛に苦しみながら、俺は――、


「……ああ(、、)そっか(、、、)そうだった(、、、、、)。――思い出した(、、、、、)


 ふっと思考がクリアになり、狭まっていた視界が一気に広がった。

 目の前には顔をぐしゃぐしゃにして泣いている女の子がいる。

 かつて(、、、)俺が好きになった少女(、、、、、、、、、、)が大粒の涙を流している。


「泣くなよ。あんたには笑っててほしいんだよ、シィちゃん(、、、、、)

「え……? あ、アルクさん、今私のこと……」


 俺は彼女の涙を指で掬う。


「ちゃんと聞いててくれよ。八年ぶりの再会なんだからさ」


 全部思い出した。俺がどうしてシノーラにこんな感情を抱いていたのか。

 簡単なことだった。俺がまだアルク=オル・エヴァンスだったころ彼女に恋をして、記憶を失ってもずっと思い続けていたからだ。


 シノーラは八年前、オル・エヴァンスの分家の屋敷ではなく離れの物小屋のような建物に押し込められていた。当時は理由はわからなかったが、俺やヒビキ、ヒズキは同年代の友達がいるからと何度も足を運んでいた。

 昔にシズキがいじめていた少女もシノーラだ。俺たちは、そんなシズキをボコボコに叩きのめして彼女を守ったりしていた。

 会えた回数は少なかったけれど、十皇家オル・エヴァンスという肩書きのせいでろくに街でも遊べなかった俺たちにとって、シノーラはかけがえのない友達だったのだ。


 そして俺はシノーラに告白まがいのことをした。将来はお嫁さんになってくれなんて、今にしたら絶対に言えない約束を彼女と交わした。――それなのに、今の今まで欠片ほども思い出せなかった。


「ごめんなシィちゃん。八年も待たせて。せっかく再開したのに覚えてなくて」

「全部、思い出したんですか……?」

「じゃなきゃこんなこと言わねぇよ」


 そう言って無理矢理に微笑めば、シノーラは大声で泣きながら抱きついてきた。全身が悲鳴をあげて意識が飛びかねない激痛に襲われているというのに、不思議と苦痛には感じなかった。ついに感覚までおかしくなったか、喜びがそれを上回っているのか。


「アルくん、アルくん、アルくん……! よかった、ほんとうによかった……!」

「わかったから離せ。今はこんなことしてる場合じゃねぇだろ」


 肩をぽんぽんと叩きながら言えば、シノーラは名残惜しげに俺から離れる。

 ようやく記憶を取り戻したわけだが感動している暇はない。状況は何ひとつ好転していないし絶体絶命なのにも変わりはない。

 どうにかして切り抜けなければ。こんなところでくたばるわけにはいかない。


「その魔導器にカードリッジはいくつ残ってる? あるだけ俺に渡してくれ」

「は、はい」


 シノーラはシリンダーからカードリッジを取り出して手渡してくる。装填されていたのは六発。刻まれた術式は上級が三つに中級が二つ、初級が一つ。さすがに俺が愛用している魔術はなかったが、これならまだ十分に戦える。

 こうしている間にも『ウォールシールド』は破壊されつつある。持ってあと数十秒といったところだろう。早く準備を進めなくては。


「俺に治癒魔術を頼む」


 腕に上級と中級を一つずつ、残りを脚の魔導器に詰めながらシノーラに言う。

 困惑ぎみに治癒魔術を唱えるシノーラ。淡い燐光に包まれながら、どうやってシュルグを倒すかを考える。


 シュルグは治癒魔術を重ねがけする魔導器を用意し、奴自身は最上級魔術をいとも容易く操ってみせる。『リフレクトアブソーバー』を打ち破るすべはあるが、それをやり続けると俺の魔導器の機能がダウンする。今の体の調子からして魔導器の補助は必須だ。使いどころを見極めていく必要がある。

 対して俺は魔術は最大で六発。満身創痍で長時間の戦闘は不可能だ。シノーラは吸血鬼の混血種で魔力も多く魔術も多才だ。シビルウォート製の魔導器もあるし、戦力としては申し分ないだろう。


「アルクさん、どうするんですか……?」


 治癒魔術を維持しながらシノーラが問うてくる。

 どうするか――か。正直、作戦なんて立てても劣勢すぎて意味をなさない。かといって無策のまま突っ込むのも自殺行為だ。

 シノーラが張った『ウォールシールド』に罅が入る。もう時間がない。


「一つだけ頼みがある。ここにいて、俺のサポートをしてくれ。俺を守ってくれ。あんたのことは俺が守る。――頼めるか?」

「もちろんです。任せてください」


 シノーラが力強く頷く。

『ウォールシールド』が破壊される。


 


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