第二十二話
俺は低く呻くと魔導器を起動。初級魔術『ブーストオン』を音声認証で発動させ、俺に気づいてない二人へと一気に肉薄する。
「何者だ……!?」
シュルグが驚愕の相を浮かべて振り返るが――遅い。俺はすでに奴を間合いに捉え、あとは裂脚を放つだけで昏倒させられる位置まで接近していた。
俺を見てさらに驚愕を深めたシュルグが防御の構えを作ろうと腕を持ち上げるが、それが完成する前にこの一撃は完遂される。
だがそのときだった。
風の入り込む余地のない地下空間に一陣の突風が駆け抜けた。
硬質な叫びが耳をつんざいた。振り抜かれた裂脚はゴールドフレームの機械的な刃に軌跡を阻まれ、シュルグには届いていなかった。舌打ちをこぼし、俺は空中で体を捻って足を組み替え、別方向から奴を蹴りつける。だが、素早くスライドしてきた刃が俺の胴に食い込みそうになり、とっさに左脚を戻して魔導器で防御する。
火花が散り、わずかな衝撃と共にに吹き飛ばされる。足を振り回して体勢を整え、石床に靴底を摩擦させながら勢いを殺しきる。
不意打ちが失敗に終わりもう一度舌打ちをこぼした。
「貴様、アルクか?」
シュルグが俺を見て問いかけてくる。
膝についた埃を払いながら俺は立ち上がる。
「だとしたらなんだ? 人のことをこそこそ嗅ぎ回りやがって。やることが相変わらず狡いんだよタヌキジジィ」
「たわけが。誰に向かって口を聞いている。『欠陥品』風情が図に乗るな!」
一喝したシュルグはさすがの貫禄がある。伊達に何十年もオル・エヴァンスとして生きていないといったところだ。
シュルグは腕を組み、
「ふん。まさかしぶとく生きていたとはな。魔術も使えない分際でよく平然としていられるな? 儂なら恥辱のあまり舌を噛み切っているだろうなァ」
「親子揃って口だけは達者なのな。あんた、さっきので死んでたかもしてないんだぜ?」
そう言って俺は視線を横にずらす。
ケースに触れていた女の手には一つの魔導器が握られていた。
刃は三日月のような弧を描き、後端には女の身の丈ほどの柄が取り付けられている。刃と柄を接合する部分には回転式弾倉が取り付けられ、カードリッジを挿入できるようにされている。見た目はまさに死神の大鎌だ。
「それ、セメルベルクから奪ったシビルウォート製の魔導器か?」
「さてな。ここで死ぬ貴様に教えたところで意味はあるまい?」
「さすが親子だな。言うことがそっくりだ」
俺が嘲るように言えば、シュルグはあからさまに嫌悪感を前面に押し出してくる。
「あのような出来損ないと一緒にするな」
「……やっぱりあんたもオル・エヴァンスだな」
腕を消し飛ばされ、オル・エヴァンスからも追放された。境遇は大きく違えど、シズキは俺と同じような運命を辿った。
別にシズキを擁護するわけではない。あいつがシノーラやほかの生徒にやってきたことは許されることではないし、許されていいことではない。だが、あそこまでの仕打ちを受けるほどでもなかったはずだ。
きっと俺はそこに憤りを感じたのだろう。
「犯罪に手を染めたあんたが偉そうに言ってんじゃねぇ。ここで死ぬのはあんたのほうだ」
「はっ! 冥界を彷徨っている間に気でも触れたか!? 貴様など儂が直接相手にするまでもないわッ!! ――やれッ!!」
シュルグの命令を受けた女が大鎌を構えて突撃してくる。
「偉そうにほざいといてそれか!? 笑わせんじゃねぇぞッ!!」
鎌の間合いは剣や魔術と違って複雑で特殊だ。まともに対処していたのでは追い詰められるのが道理。ならばまともに相手にしないのが賢い選択だ。
俺はあえて大鎌の間合いに飛び込むと、女が息を呑む気配がフードの下にあった。驚きと不覚をとったか悟ったのだろう。大鎌から逃げるには完全に攻撃範囲から外れた位置まで後退するか、相手の懐に潜り込むかのどちらかだ。遠ければ刃が届かないし、近すぎれば大鎌を振り回せないからだ。
大鎌の形状上、刃の攻撃範囲には空白地帯が存在している。そこに入りさえずれば、武器が拳である俺に形勢は一気に傾く。
魔導器にどんな魔術が込められている目視では判断できない。使われる前に決着をつけるのが最良だ。
しかし女に焦りはなかった。石床を蹴ってバックステップ。強引に俺を刃の間合いに捉え直してきた。――が、俺にだって焦りはない。
魔導器の腕の痛覚を完全に遮断。裏拳で刃を弾き返した。
さすがに大振りされた大鎌の一撃を弾けば、それなりの痛覚が訪れる。シビルウォート製の魔導器に一瞬でも遅滞を許せば即座に形勢をひっくり返されかねない。
反動で仰け反った女の鳩尾に拳を捩じ込む。
シュルグは油断して勝てる相手ではないが、今はシビルウォート製の魔導器を操る女のほうが危険だ。それに比べればシュルグなど現存する魔術を使うだけの敵でしかない。
「――Set.」
女の唇が震える。
声紋認証を受諾して回転式弾倉が魔導器にカードリッジが送り込む。
「Re:cord‐No.40『Spear Needle』」
カードリッジが魔導器から射出され、空になったそれが俺の目にぶつかってきた。狙ったのかのどうかはこの際どうでもいい。けれど反射的に目を閉じてしまったことで狙いが狂い、俺の拳撃が空振りに終わる感触だけが残った。
次いで魔術が迫る威圧感が訪れる。土系統中級魔術『スピアニードル』。小さな針を何十本と生成し撃ち出す魔術だ。中級でありながら汎用性があるため、よく好んで使われる一つである。魔力の純度が高ければ高いほど威力も数も増す。そのせいかカードリッジを用いる魔導器で使われることはほとんどない。カードリッジにしてしまうと製作者に関わらず魔導器によって威力が制限されてしまうせいだ。
仮に俺が作ったとしてもレヴィの魔導器を使う以上は、レヴィの魔導器に設定された威力と出力しか再現されないのだ。
レヴィの魔導器を扱う俺はかなり高水準で魔術を発動できるが、しかし女にも同じことが言える。何せ彼女の使っている魔導器はシビルウォート製なのだ。
全身から魔力を迸らせ、殺到する針の嵐を消滅させる。
「Set. Re:cord‐No.27『Wind Slash』」
腕からカードリッジが回転しながら魔導器から蹴り出され、魔術が構築される。風の刃が前方に撃ち出され、それに紛れて俺は前傾姿勢で疾走する。
女は大鎌を回転させて風刃を切り裂くと、続けざまに斬撃を浴びせてくる。数少ないカードリッジを無駄に消費したことに後悔しながら身を翻して回避。今度こそ女を戦闘不能にさせるべく急所狙いで拳を振るう。バックステップされることも考慮して深く踏み込み、逃げる隙をなくす。
だが、女は後退することなく腕だけで大鎌の軌道を描き直し振りかざしてくる。体が柔らかいだとかそんなレベルではない。関節を破壊してまで放たれたような一撃に、俺は後退を余儀なくされる。
残るカードリッジは右腕に中級と上級が一発ずつ、左脚に初級から上級までが一発ずつの合計五発だ。女が魔導器を使っているのは魔術を使えないからではあるまい。受ける印象からして、魔導器の性能をたしかめているといった感じだ。感触を掴めば、すでに装填されているだろう禁呪を使われる。
禁呪はどれもが既存の魔術では太刀打ちできない威力を秘めている。使われる前に倒しきれるかが肝だ。
「何をしているッ!! さっさとそいつを潰せッ!!」
「……承りました」
シュルグが苛立ったように叫んだ。
無機質に答えた女の雰囲気が変わる。ぞわりと全身が総毛立ち、フードの下で爛々と輝く真紅の二点が俺に抑えきれない恐怖を抱かせた。
女が無造作に大鎌を振り回してくる。何度もさっきのようなでたらめな動きができるとは思えないが、俺が唯一安全でいられる地帯でも攻撃ができるぞ、と思わされたのが精神的に堪えている。迂闊に飛び込めば魂ごと肉体を両断される。そんなイメージが脳裏をよぎってしまう。
俺は奥歯を軋ませて石床に足を固定すると、右手を掌底の形にし上段に撃ち出す。衝突した余波で激しく火花が散って肌を焦がす。大鎌が弾かれて仰け反った女だったが巧みに体を操作し、横からの薙ぎ払いに変化させた。
しゃがんで一閃をやり過ごす。頭上を通り過ぎた死神の鎌に底冷えする思いを抱きながら足払いをかける。だが女は跳躍することで躱し――俺は目を見張った。
なんと女は空中で体を回転させ、大鎌の竜巻を出現させた。
あの速度で大鎌を振り回されたら近づくにも近づけない。
「Set. Re:cord‐No.55『Burst Order』ッ!!」
だったら無理矢理にでも止めさせてやる。『バーストオーダー』は『ブーストオン』の上位互換の魔術だ。ただしこの魔術は威力が高すぎるため腕では方向を制御できず、脚にしか装填できないのが欠点だ。左脚から生み出された超加速で大鎌の竜巻に接近し、刃の尖端に寸分たがわず蹴りをぶつける。
さすがにあの速度と威力を抱えた一撃に対してでは、痛覚を無効にしても魔導器から伝導してきた痛みが体幹を震わせた。
だが上手いこと大鎌を噛み止め、接近できるだけの隙を作り出すことに成功した。引っ掛けた左脚を軸に体を移動。遅滞なく拳撃のモーションに入る。
「……っ!」
女は息を飲み、首だけを動かしてギリギリで回避された。
けれどここまで近づき、大鎌をも封じたのだ。これなら――、
「――今すぐにここから逃げてください」
「……は?」
耳に届いた女の声に俺は呆然とした。この状況下で俺に逃げろと言ったのもそうだが、何よりも彼女の声が俺を動揺の渦へと陥れた。
「私が隙を作りますので、お願いしますから早く……!」
必死な様子で懇願してきた女は柄を離し大鎌を捨てて両手を自由にさせると、俺の胸元に鋭い――見た目だけは鋭い掌底を打ち込んでくる。感じる痛みはほとんどなく、ただ突き放される程度の威力しかなかった。
「何をしているッ!! いつまでも遊んでいないでさっさと『欠陥品』を殺せッ!!」
シュルグは凄まじい形相で女に叫ぶ。
俺は一瞬だけそっちに気を取られたが、女がその隙を突いて攻めてくることはなかった。
視線を前に戻した瞬間に大鎌を拾い上げ、再び自分に不利な接近戦を挑んでくる。
「私が全部片をつけます……! だから早く――」
女が今にも泣きそうになりながら必死になって言ってくる。
……やっぱりそうだ。聞き間違いかと思ったけど、俺がこっちに来て一番最初に知り合って一番付き合いの長い彼女の声を聞き間違えたりしない。
「早くそいつを始末しろ」
「……ッ!? やめてぇッ!!」
女は悲鳴にも近い叫びを上げる。
しかし無常にも、シュルグはその続きを口にした。
「――――シノーラ」