第二十一話
禁呪の魔術教典が保管されているくらいだから神殿のような空間を想像していたのだが、予想に反して図書館の延長線上の部屋が広がっていた。ただし規模は桁違いで、見上げるほどの書物棚が奥までずらりと並んでいた。しばらく人の手が加えられていないようでかび臭さが漂い、足元にも埃が溜まっている。
俺は咳き込みながらランタンで書物棚の一つを照らし、一冊を手にとって目を通す。どうやらオル・エヴァンスの歴史を記録した書物らしい。そのほかにも家系図やどういった戦いをしてきたかなど、事細かに書かれてあった。もっとも古い書物になると文字が違っていて読めなかった。
魔術に関しての記述もあったが、俺の体質では魔術を発動させられないのだ。読んだところで時間の無駄でしかない。
左右に並べられた巨大な書籍棚の通路を真っ直ぐに抜け、俺は奥へと進んでいく。図書館も一介の魔術学院が所持するには大きいが、その地下はさらに広い。これだけぎっしりと詰められた書籍棚が何十個とあるが、何をそれだけ記録しているのやら。魔術や歴史だけではないだろう。少々興味を惹かれたけれど、今日はそのために来たのではない。
そうして書籍に目移りしながら進み――禁呪の魔術教典を見つけられないまま行き止まりにぶつかってしまった。
「どこにあるんだよ、おい」
光系統魔術が使えたら部屋を照らせるのに、ほんとうに不便な体質だ。
ミレアには探索の許可は貰っているし睡眠時間さえ削れば見つけられるだろうが、この広い部屋を隅々までとなると骨が折れる。
俺はまた徹夜なのかとがっくりと肩を落とす。
グラスティアに来てから徹夜続きだ。これが依頼の完遂までだと思うと、さすがに精神的に辛いものがあった。
とりあえず手当たり次第に探してみて、見つからなかったらヒビキやケイトにも手伝ってもらえばいいだう。
「……それにしてもシノーラの奴、さっきのはなんだったんだ」
俺は誰に誰に言うでもなく独りごちる。
◆
「アルクさんって仕事が終わったらセメルベルクに帰っちゃうんですか?」
「は? いきなりどうしたんだ?」
シェナの店を出てからほどなくしてシノーラが問うてくる。片手には道中で買ったわたあめが握られ、甘味に頬を綻ばせていた。
だが問いかけてきたシノーラの顔は真面目なものとなっている。何が彼女を真剣にさせるのかは不明だが、普段の調子で茶化したりふざけたりする様子はなかった。
「まあ、そりゃあな。仕事が終わったらこっちにいる意味もねぇからな」
グラスティアに帰ってきたのはあくまでも仕事のためである。師匠が俺に課したカリキュラムは半分ほど残っていて、急遽中断させられた形になっている。
禁呪の強奪者を確保、あるいは撃破できたら俺の仕事は終了。セメルベルクに戻って前の生活を送るだけだ。
「それがどうかしたのか?」
「…………」
「シノーラ?」
立ち止まり、顔を俯かせて黙り込んでしまったシノーラに俺は困惑する。
「また、私だけ置いていくんですか?」
シノーラの『また』という言葉に俺は双眸を眇めた。
「どういうことだよ。またも何も俺とシノーラが出会ったのはたった数日前だろう」
「……やっぱり、そうなんですね。覚えてないんだ」
「だからどういうことだって聞いてんだろッ」
言いたいことを曖昧にぼかして一人で納得しているシノーラに苛立ちが込み上げ、自然と彼女を責めるような口調で怒鳴っていた。
シノーラといると感情が掻き乱れてばかりだ。理由はきっと俺が忘却の彼方に追いやってしまった記憶が関係しているのは間違いないだろう。おそらく俺とシノーラは過去に出会っていて、何かしら関わりがあったのだ。それをシノーラが一方的に覚えていて俺だけが忘れている。
そこにどうしようもない苛立ちを覚え、気づけばシノーラに掴みかかっていた。肩に指が食い込み、苦痛に顔を顰めている彼女を見て俺はハッとして手を離す。
周囲の人々も何事かと俺たちを不審そうに見ている。
俺は愛想笑いを浮かべて誤魔化しシノーラの手を引いてこの場から移動する。こうも衆目に晒されていたら落ち着いて話もできない。
だが昼間で賑わっているグラスティアの街で人気のない場所と言えば、あまり衛生上好ましくない裏路地か寮の自室くらいだろう。後者はともかく前者はありえない。
俺は後ろを振り返る。わたあめもいつの間にか落としてしまったシノーラが、今にも泣き出しそうな表情で俯いている。
……あーくそ。
「怒鳴ったりして悪かった」
「……肩、痛かったです」
「俺が悪かった。だからちゃんと話してくれ。俺さ、ちょっとしたショックで昔のことをほとんど覚えてねぇんだよ」
オル・エヴァンスから追放されたことは言わず、俺の事情をシノーラに話す。
何度か無言で頷いてくれたシノーラは、俺が話し終わったあとに口を開いた。
「……私とアルクさんは、昔に会ってるんです。でも、アルクさんが覚えていないのでしたら私が話せるのはここまでです。きっと知らないほうが幸せなことだってあるはずです」
「俺の幸せをあんたが決めるな」
またもきつい口調になって俺はやっちまったと髪を掻き混ぜた。どうも感情的になると語気が強くなってしまう。
「まあいいや。あんたが話さないってなら、無理やり聞き出したりしねぇよ」
気になるところではあるが、シノーラの絶対に話さないという姿勢を見せられてはどうしようもなかった。
そのときだ。後ろから誰かが俺たちを呼んだ。ユミルとヤシロだ。
ユミルはにやけ面を顔面に貼り付け、ヤシロは心底疲れたように肩を落としている。俺たちがいない間に何があったのやら。
「やっとあいつらも見つかったことだし、街案内の続きを頼むよ」
「……わかりました。その……アルクさん」
「なんだ?」
シノーラはわずかに躊躇いの色を見せ、
「ごめんなさい」
ただそれだけを口にした。
◆
「――ッ、」
不意に耳に届いた何者かの会話に、俺の意識は過去の回想から急激に引き上げられた。素早くランタンの火を消して息を殺す。声だけを頼りにその方向へと歩を進める。暗闇のせいで手探りの移動となったが、遠くから聞こえてくる声のおかげで迷うことはない。
どうやら地下書庫のさらに地下があったようで、声は階段を降りた先から聞こえてくる。足音を立てないよう忍び足で階段をゆっくりと降りる。
そうしていると、やがて光が見えてきた。
俺は細心の注意を払い、壁から顔だけを覗かせる。
影は二つだ。頭から足元までを黒い外套で覆っているせいで詳しい情報は見込めない。いつの間に侵入したのかわからなかったが、俺に背を向けて話し込んでいる様子からして、俺の接近に気づいた様子はない。
一人は背丈が二メートルはあろう大柄な影。おそらく男だろう。肩幅も広く筋肉の隆起が遠目からでもはっきりと見て取れる。これでもし女だと言うのなら、そいつは女のカテゴリに分類されない別の生物だ。
もう一人は対照的にかなり小柄だ。俺より頭一つ分ほどは小さい。全体的に細身な感じからして、こっちはおそらく女だろう。これで男なら大柄な影と同じく男に分類するつもりはない。
「あれが禁呪の魔術教典か……」
そんな二人の前には、円錐状の透明なケースに収められた一冊の書物があった。書籍棚に並べられた埃を被った書物たちとは違い、年季が入っていながらもどことなく禍々しい雰囲気を醸し出している。
「どうだ? 奴は使えそうか?」
「……おそらくご期待には添えないでしょう。彼は昔の記憶を失っているようですし、何より禁呪にも復讐にも関心を抱いておりません。彼が再びこの地に趣いたのは、かの『才媛の魔術師』――ミレア・スカーレットから依頼を受けたからにほかなりません」
「ふん。『欠陥品』の分際で国家指定魔術師なんぞになりおった餓鬼に何ができよう。儂の駒として扱えるのなら利用してやろうと思うたが、とんだ期待はずれ……いいや、期待なぞ端からしてはおらんかったな」
――今の会話からわかったのは二つ。
俺の見立て通り大柄は男、小柄は女ということ。
もう一つは、奴らが言う『彼』が俺だということだ。
「忌々しいな。あのような『欠陥品』がいることも、その『欠陥品』に劣る人間が儂の血を引いていることも、貴様のような出来損ないがいることもな!」
大柄な男は大木を彷彿とさせる太い腕を無造作に振るい、女を殴り飛ばした。女は防ぐこともせず一撃を受け入れ、石床に叩きつけられて痛みに呻いていた。
「いつまでそうしているつもりだ。さっさと魔術教典の封印を解け」
「も、申しわけございません」
女はよろよろと立ち上がり、魔術教典が収められた円錐状のケースに触れる。
すると表面に幾何学模様が浮上して、外部からの接触を拒むように激しく明滅した。
「今に見ておれ本家の者共め。儂こそが――シュルグ=オル・エヴァンスこそが頂点に立つべき男だと見せつけてやる!」
俺は男の――シュルグの言葉に頭痛に眉をしかめた。
シュルグはシズキの父親だ。ヒズキやヒビキの父の弟で、俺の曖昧な記憶のなかでもかなりの野心家だったはずだ。常に本家を脅かしてとって変わろうとし、その度に返り討ちにあっていた。
だからといって奴が弱い、なんて認識にはならない。何度も返り討ちに遭いながら五体満足で、しかも一族を追放されていないことからして、奴がオル・エヴァンスにとって必要な存在なのは明らかだ。
とはいえ、まさか魔術教典の強奪に関わっているなんて思いもしなかった。今回のことで本家がどんな処置をとるにしても、オル・エヴァンスの家名に傷がつくのは避けられないだろう。もっとも俺には関係ないことだが。
何にしろ――これで必要な情報は整った。
「……任務を開始する」
 




