第二十話
「アルクの兄上様、さすがにあれはないっす。わたくし、目が潰れるかと思いやした」
図書館の照明をつけて館内が明るくなり、俺は腰に手をあてて怒りのポーズを作るケイトに文句をぶつけられていた。
俺を狙っていたのは、まさかのヒビキとケイトだったのだ。
司会をしていたときと打って変わり珍妙な口調の彼女に俺は正座させられている。なんだろう。説教するときって正座させるのがお決まりなのだろうか。
「ケイトは暗視系の亜人なんだ。さっきのは危なかったよ」
「……いや、俺もいきなり攻撃されて迎撃しただけなんだけど?」
八年間も離れ離れになっていたとはいえ、ヒビキだけならともかく、あのうるさい司会を聞いただけでケイトかどうかなんてわかるわけがない。
「というか兄上様ってなんだ? 俺はあんたの兄でもなんでもねぇぞ?」
「だってご主人の兄上様なんですよね? ですから、わたくしの兄上様でもあるっす」
「待て待て。そのご主人ってのも誰だよ?」
「やだなぁ。ヒビキ様のことに決まってるじゃないっすか」
俺はぎょっとしてヒビキを見る。
こ、こいつ、同級生に主従関係を強要してるのか。
「ちょっと待って。誓ってアルクが思ってるようなことじゃないからね? ほんとうだからね!? だからそんな目向けないでよ!」
「わ、わかってる。誰にも言わないから」
「全然わかってないよね!? け、ケイト、お願いだから説明してあげて」
「うぅ……じ、実ははその通りで」
「裏切られた!?」
涙目でショックを受けた様子のヒビキ。
俺とケイトは目を合わせてお互いに頷き合うと「冗談だよ」と声を揃える。
なんだろう。彼女とは微妙に波長が合うのかもしれない。
「ケイトは僕専属のメイドなんだよ」
「やっぱりそうなんじゃねぇか! ……てか、よくオル・エヴァンスで亜人を雇えたな。前のメイドはどうしたんだ?」
「全員解雇した」
瞬間的に顔から表情を消してヒビキはそう言い放った。
「あの日に関わった魔術師やメイド部隊はほとんどを解雇した」
「お、おいヒビキ」
ケイトがいるにも関わらず感情に任せてぶちまけようとするヒビキに制止をかける。
「あ、大丈夫っすよ? 事情はだいたいご主人から伺ってますから。それとわたくしが仕えているのはご主人だけで、オル・エヴァンスは関係ありませんので」
「そ、そうなのか」
ケイトもケイトで瞳に憎悪の色を濃く宿している。
これは俺と同種の感情。復讐してやろうと画策している目だ。
「僕はもうオル・エヴァンスに何も期待していない。あの家が雇ったメイドなんて信用できない。ほんとうはメイドじゃなくて友達として傍にいてほしいんだけど、それだとちょっといろいろ大変なことがあって……」
「話したくないなら別にいいよ。助けが必要なときに言ってくれたら力になるから」
「アルク……」
俺が殺されそうになったあの日もヒビキだけが助けてくれた。
だから俺がヒビキを助けるのだって当然のことだ。
「こ、これは鼻血モノっす! アルク×ヒビキ! 禁じられた兄弟愛! くううぅぅっ! これは薄い本が厚くなるっすわ!」
「やめろよ!? あんたなんてこと想像してんだ!!」
これが噂に聞く腐女子って奴か。男同士の絡みを想像して夜な夜な楽しむっていう。
男も女の子同士の絡みを想像して楽しむ奴らがいるけど、自分がネタにされるとさすがに冗談ではすまない。
「お前からも何か言ってやれ! ネタにされてるぞ!」
「そうだね。ケイト――そこは逆にしておいてね」
「嘘だろ!?」
ヒビキのまさかの裏切りに絶句していると、ちろりと舌を出して「冗談だよ」といたずらっぽく笑った。やめろやめろ。その女顔でそんな仕草されたら、本物の女の子に見えてきちまうじゃねぇか。
「ところでどうして二人がここにいるんだ?」
「それは僕も訊きたいことだよ。ここで何やってたの?」
これは――なんと言ったらいいものか。
魔術教典の護衛任務はヒビキとヒズキの両名に秘密にする、という内容も含まれている。
白状できれば困ることでもないのだが、契約を破って迷惑がかかるのはミレアだ。オル・エヴァンスが俺を指定したわけではない。俺が生きているとは知らないのだから当然と言えば当然だろう。けれど二人にバレたことが知られたら、確実に何かしら面倒なことが降りかかるのは目に見えている。
世界でも最高峰に位置する魔術師であるミレアであっても、十皇家の権力の前では屈服せざるを得ない部分がある。
さて、どう言ったものか――と思考を回していると、
「僕たちは図書館の地下にある禁呪の魔術教典を狙う集団を見つけるために巡回してるんだよ」
そんなことを口にした。
なるほど。それは大変だろ……ん?
「はぁ!?」
「ど、どうしたのアルク。いきなり叫んだりして?」
「叫びたくだってなるわ! お前らそのこと知ってたのかよ!?」
あれこれ考えていたのが急にバカバカしくなった。
ヒビキたちにバレないようにしろってなんだよ。しっかり知られてんじゃねぇか。
よくよく考えたらそりゃ知られないはずがないではないか。魔術教典を強奪して回ってる話自体は隠されていないわけだし、奪われているのが十皇家の管理している禁呪だけなのだから、その存在を知っているヒビキが勘づかないはずもない。
――いや、あくまでもオル・エヴァンスが関わっていることさえ知られなければいいだけのこと。そちらの話は知られようが依頼に大きな影響はない。
「もしかしてアルクがここに来たのって……」
「セメルベルクで依頼があったんだよ。奪われた魔導器を取り返してくれって。ここに来たのは、次に狙われる魔術教典がグラスティアだと話を聞いたからだ」
何も馬鹿正直にほんとうのことを言う必要はない。ヒビキもケイトも詳しい事情を知らないのだから、それっぽい話をでっち上げれば疑われることもないはずだ。
「……そっか」
ヒビキは辛そうに俯くと、泣きそうな顔をする。
「ねえアルク、あのあとなんだよね? フィオナ・ランセルに助けられたのって」
「そうだな。ヒズキの魔術を喰らって、死にかけてた俺を師匠が助けてくれたんだ」
ヒビキは俺の言葉を聞くたびに心臓でも締め付けられているかのように顔を苦痛に歪めていく。こいつのなかでどんな感情が渦巻いているのか俺にはわからないが、余計なことで思いつめているのだけは間違いない。
俺は嘆息するとヒビキのおでこを指で思い切り弾いた。
凄まじい乾いた音が響き、ヒビキの上体が後ろに大きく仰け反った。
「な、何するの!? 痛いよ!!」
「お前がうじうじウザイからつい」
涙目のヒビキ俺は悪びれることなく言う。隣では「美男子同士の絡みハァハァ」と息を荒くするケイトがいるが、これは無視でいいだろう。触らぬ神に祟りなしである。
「なんでお前が辛そうにしてるんだ? 腕や脚がなくなったのはヒズキやジアのせいだ。ヒビキは最後まで俺を助けようとしてたじゃねぇか」
「でも……でも助けられなかった! 僕は、一番大切な人を、助けられなかった……!」
ヒビキの双眸から堰を切ったように涙が溢れ出す。
俺は困って後ろ頭を掻く。こりゃそうとう思いつめてるなぁ。
「ヒビキから見て、俺は不幸に見えるか?」
「……ううん」
「だろう? 正直あの家から離れられてせいせいしてるよ。もしあのままオル・エヴァンスにいたらと思うとゾッとする」
きっと魔術が使えないからとまともに育ててもらえず、生きるのに最低限な粗末な食事と乱暴な教育をされていただろう。あの日に追い出されなかったとしても、適当な時期に捨てられるのは目に見えていた。
師匠ともミレアたち恩人とも出会うことなく、俺はくだらない人生を送って野垂れ死んでいたに違いない。だから言っては悪いが、ヒビキが助けてくれたのは嬉しかったけど、助けられなくてよかったと思う。
「俺は今、最高に幸せなんだ。オル・エヴァンスからも離れられて、唯一の家族であるヒビキともこうして再会できた。だからいいじゃねぇか」
――唐突に、あの日の光景がフラッシュバックする。
それまではこれでもかという愛情を注いでくれた父や母、そして姉。
「俺は復讐なんてしようとも思ってねぇし、ヒズキが何もする気がないならこっちから手を出すつもりもねぇしさ」
だけどそれは一転する。
俺が魔術を使えないと知った瞬間、俺を見る目は虫けらでも見るような嫌悪感の宿った瞳となった。子供ながらに俺はこの人たちに見限られたのだと悟った。
「だからお前は何も、気にするなよ」
「あ、アルク?」
そして運命の夜を迎えた。ただ魔術を使えないというだけで俺は信じていた人たちに裏切られた。『欠陥品』なのだと罵られ、オル・エヴァンスには必要ないのだと追い出され、元からいなかったものとして扱おうとした。
「……俺は、もうオル・エヴァンスなんて、どうでもいいんだからッ」
俺は爆発した感情を抑え込むように声を張り上げる。
そうだ。俺は復讐をするためにグラスティアに来たんじゃない。復讐後の末路なんてろくでもないことになるのはわかっている。
「そ、それよりこれからどうする? 俺は地下に降りるつもりなんだが」
この話題を続けたら、せっかくヒズキを見ても何とか堪えた憎悪を抑えきれなくなる。
旅をしている間だったなら別のことを考えたり理性的に思考して沈静化させられたけど、復讐対象がいるグラスティアの地で感情が溢れたら、俺は修羅へと落ちることになる。俺だけが地獄に落ちるのならともかく、ミレアやほかの人たちを巻き込むことになるのだ。それだけは絶対に許されない。
ほかの誰でもなく、俺が俺自身を許せなくなる。
アルク=オル・エヴァンスは八年前の夜に死んだ。
俺はアルク・ランセル。オル・エヴァンスなんて関係ないのだ。
「僕たちは周囲に異常がないか見回ってくるよ。どこに誰が潜んでるかわからないからね」
「了解。……ヒビキのこと頼んだぞ」
こそっとケイトに耳打ちすれば、とてもいい笑顔で親指を立ててくれた。
彼女の亜人としての暗視と隠密能力があれば、仮に遅れをとったとしても逃げることもできるだろう。
「アルク、気をつけてね」
「そっちこそな」
俺たちは拳をぶつけ合わせてにっと口角を上げれば、ケイトが鼻を押さえながら「眼福です! ありがとうございます!」と素晴らしい笑顔で見送ってくれた。
……あいつ、頭のなか腐りすぎじゃねぇか?